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リアクション
第二章 人形師さんといっしょ。そのいち。
リンス・レイスが入院したと聞いて。
「こんにちは、レイスさん」
高務 野々(たかつかさ・のの)は、病室に顔を覗かせた。
八人部屋。どのベッドも埋まっていて、リンスは入口から一番遠いベッドに横になっていた。
そのベッドの傍に、誰も――というか、クロエが居ない事を確認して。
「お邪魔しました」
野々は踵を返す。
「っちょ、えぇ?」
さすがに驚いたらしく、変な声を出された。面白かったから、病室に戻ってやる。
「あ、もしかしてお見舞いかと思いましたか? 栄養失調で倒れるような不摂生な方には、滋養強壮の効果があるスープをあげるだけで十分なのです」
「いや、はい。ごめんなさい。でもスープもないじゃん」
「だって病院ですから。その辺りのバランスは取れているでしょう? であるなら……元気、なのですかね? な顔を見れば万事問題滞りなしなのですよ!」
びしぃ、指を突き付けて言ってやると、苦笑にも似た笑み。
む、とした。一応、ちょっとは。ちょこーっとくらいは、心配したのだから、そんな困った笑顔を向けられると、ちょっとお説教したくなるではないか。
「そもそも根詰め過ぎるからこうなるのですよ? わかっていますか? 体調管理が出来てこそのプロフェッショナル! できないレイスさんは、プロではないです!」
耳が痛い、とリンスが呻いた。言い過ぎた? そんなことはない、けど。
「……まあ、退院したら暇な時にでも精の付く美味しいものを差し入れますから、早く治るといいですね」
とは、言っておこうか。
くすぐったそうに笑ったリンスを見て、こっちまでくすぐったくになったので。
「それより今日クロエさんはどちらに?」
話を逸らす。
「お見舞い行った」
「ほうほう。じゃあ私もストー――」
キングでは、聞こえが悪いと思い。
「……もとい、ちゃんとお見舞いできているかこっそり後をつけ、……」
結局それはストーキングだと認識を改め開き直って、
「ストーキングして愛でてきますね!」
握りこぶしを作って宣言。
去っていく野々の耳に、「俺高務のそういうところ好きだよ」という、苦笑じみた声が聞こえた。
*...***...*
そんな野々と入れ違いに、騎沙良 詩穂(きさら・しほ)は病室に入っていった。
「クロエさんから聞いてお見舞いにきたよ」
「あ、今度こそお見舞いだ」
「? どういう意味?」
リンスの言ってることはよくわからないけど。
パイプ椅子を引いてきて、ベッドの脇に座る。
「あ、でもただお見舞いに来ただけだからね。何も期待しないでね。だって詩穂には何もできないから☆」
にこっ、と笑うと、「ある意味、らしい」と言われた。どういう意味だろう。
なので、意地悪で返してやろう。
「慣れたね」
「え?」
「ほら、だってここ八人部屋でしょ? 八人って、大勢でしょ? そこに平然と居られるなんて、人に慣れた証拠だよね☆」
「…………あぁぁぁ……」
言われてようやく気付いたのか、あるいは気付いてしまったのか。掠れ消え行く呻き声。じたじたともんどり打っているのが見ていて面白い。
けれど、
「点滴外れちゃうよ?」
腕を掴んで、止める。細かった。これは倒れてしまうのも頷ける。
「騎沙良が変なこと言うから」
「変じゃないよ。っていうか、今だってマイペースで体調が治ってきてるんだし。苦手なことでも急がないでゆっくり慣れていけばいいだけだよ。変に意識するから気になっちゃうだけだって。
……ところで」
腕を握っていた手を離して、そのまま髪に伸ばす。長い、綺麗な茶色い髪は、
「シャワー、使えなかったんだね。点滴だからしょうがないかな」
ベタベタだ。
自覚はあるのか、リンスも詩穂の手を振り払おうとする。
「よし、タオル二枚あれば誰にでもできることが見つかりました♪ 誰にでもできるので詩穂にもできます。というわけで、髪の毛拭いて乾かすよ」
手際良く準備を始める詩穂に、
「え、いいよ悪いし……」
言いよどむリンス。
「迷惑になっても嫌だし」
「迷惑? 迷惑に思ってたらそもそも言い出さないよ。お互いが心配かけつつ、それでも支え合うのが社会……じゃないのかな?」
カーテンを閉めて、濡らしたタオルで髪を拭く。
「身体はどうする? 恥ずかしいかな?」
「ていうか、性別……」
気にしろよ、こんな見た目でも男だよ俺。と言うリンスに、「どうでもいいよ」と詩穂は言い捨てた。
「髪とか、身体とか、汚れていて。それが辛そうだなぁって思ったから、言ってみただけ」
「……、じゃ、上半身だけ」
病院着をゆっくり脱いでいく。白い肌。浮いた鎖骨。
詩穂は、首筋、肩、背中、と丁寧に拭いていく。
「詩穂に出来ることなんて、あんまりないんだよ」
ぽつぽつ話してしまうのは、話しやすい相手だからだろうか。
「でもね、無いものねだりしても仕方ないし。詩穂にできないことがリンスくんができたり、逆にリンスくんにできないことが詩穂にできたりとか、あるでしょ?」
だから、そうやって、人は人を支えて、支えられて、生きていく。
性別とかなんとか、そういう煩雑なことはどうでもいい。
「入院という形だとしても、ここに集まった皆とは必ずどこかで縁が繋がっているんだと思う。難しいことはよくわかんないけどね☆ はい、できたよ」
病院着をかけてやって、もう一度髪をタオルで拭いて。
それからようやく、リンスが言った。
「ありがと」
だから、お互い様だって。
「どういたしまして」
詩穂は笑って、カーテンを開いた。
*...***...*
リンスが倒れたと聞いてから、毎日来ていたから。
ちょっとした変化くらいなら、すぐにわかる。
「あれ? なんだか今日、綺麗になりました?」
火村 加夜(ひむら・かや)は、ベッドに上半身を起こしたリンスへと笑いかける。うん、と素直に頷いたのが微笑ましい。
「髪の毛拭いてもらった」
「綺麗にしてると、気分違いますもんね」
「ね、そう思う」
「じゃあ、帰ったらリンスくん喜んでくれますかね? 工房、掃除してきたんです、今日」
「あ、それは助かる」
倒れた時のことなんて、リンスは覚えてないと思うけど。
恐らくは、救急車を呼ぼうとしたクロエがいろいろとひっくり返したのだろう。工房の中はひどい有様だった。いつも綺麗にされている陳列棚さえ、しっちゃかめっちゃかで。それだけでなく、普通に汚れてもいたし。
「結構、ひどかったですよ?」
茶化すように言ってから、パイプ椅子に腰掛けた。
「ごめんね。ありがと」
「いえいえ。さて今日の手土産です」
鞄から、手作りの栄養ドリンクと栄養たっぷりのお菓子を取り出し、「召し上がれ」笑む。
「今日も自信作ですよー」
飽きさせるのも嫌で、毎日味を変えて作るお菓子を、リンスは喜んでくれる。だから毎日作るのも厭わないで済むし、何よりちゃんと食べているのをこの目で見られるのが、良い。
「倒れたって聞いた時、心臓が飛び出そうになるぐらいびっくりしたんですよ?」
いくらなんでも、食事を忘れるほど仕事に集中するなんて。
「これはもう、見張り役が必要ですね。ちゃんとご飯を食べているかの見張り役」
「じゃ、火村来る?」
「さすがに毎日は行けませんー」
「たまに?」
「なら、いいですけど」
じゃあそういう方向で。と言って、リンスは加夜が作ったお菓子を食べて。
「美味しい」
飾り気のない、シンプルな褒め言葉。
「いいお母さんになれそう」
「? お嫁さんじゃなくて?」
「うん、だってお菓子を喜ぶのは子供でしょ」
「じゃあリンスくんは子供なんですね」
「……あ。違う、そういう意味じゃない」
墓穴を掘る彼に、くすくす笑うとそっぽを向かれた。
しばし、沈黙。
「あの」
「ん?」
「以前教えてもらった刺繍。ありがとうございました」
「ああ。どう? 上手くいった?」
「はい、喜んでもらえたようです」
御神楽 環菜の誕生日プレゼントで送った、刺繍入りの手袋。その刺繍を教えてくれたリンスにやっとお礼が言えた。
どういたしまして、と、少し気恥ずかしそうに言うから、言ってよかったと思う。
「自分で作ったものが、人に喜ばれると嬉しいですね」
「ね。……だから早く帰りたい」
「それはダメです。この入院は、神様が『休め』って言ってるんですよ。リンスくんは働き過ぎだ、って。とにかく、今はしっかり休んでくださいね?」
お姉さんっぽく、言ってみたりして。
だけど、ここ数日でわかったこと。
同じ病室の人も面白そうだし、リンスだってお見舞いの客へとツッコミを入れたりなんかしていて。
「この調子なら、早く治りそうですし」
笑みがこぼれる。
「何笑ってんの」
「いえ、別に? 元気が一番ですよね、って!」
*...***...*
一方その頃。
クロエは、病院内を見て回っていた。
先程ルオシン・アルカナロードに注意されたから、走らないようには気をつけて――いたのは別れてしばらくするまで。
注意を忘れたわけではないけれど、お見舞いを必要としている人がいるかなと思うと、早足になり、そして走り出し。
てこてこ、てこてこ、走ってしまう。
「うぅ、ぐす」
風邪を引いたらしかった。
やはり季節の変わり目は油断できない、とミーナ・リンドバーグ(みーな・りんどばーぐ)は思う。
そうしてやってきた、病院の外来。椅子に座って名前を呼ばれるのを待つ。
待っている間、暇だからと辺りを見ていると、病院が盛況であることに気付いた。みんな、風邪なのだろうか。体調には気をつけなければいけない。
と、ぼやけた視界に一瞬写ったものに気を取られた。
何か、天使のようなものが見えた気がしたのだ。
「……あ、きれいな白衣の天使さん……だ」
白衣の天使――泉 美緒を見て、ふらふらと立ち上がり、その後を追う。追ってどうするつもりもなかったのだけど、引き寄せられるように近づいて。
角を曲がろうとしたときに、
どんっ!
「きゃっ」
「きゃぁ!」
走ってきた誰かにぶつかって、倒れた。
したたかに腰を打ち、何よと思うと相手は小学校低学年くらいの女の子。
「こーらー。病院で走っちゃ、だめでしょー?」
「ごめんなさい、おねぇちゃん。おけがはない?」
深々と頭を下げる少女。……幼いのに、こうしてきちんと謝れるならどうして走っていたりなどしたのか。
内心の疑問が外に漏れたのか、少女は「あのね」と口を開く。
「お見舞いに、まわっていたのよ」
「お見舞い? 誰の?」
「だれかの。ひとりでいるのは、さみしいから」
見知らぬ誰かが、一人で心細くしているのを想って。
この広い病院内を、見て回っていたのかと思うと。
「偉いね」
思わず、褒めていた。
「走るのはよくないけど、お見舞いしようとしているあなたの姿は、とっても素敵だよ」
「ほんとう?」
「本当だよ。ねぇ、お名前なんていうの?」
「クロエよ。おねぇちゃんは?」
「ミーナ。クロエ……なら、くーちゃんだね」
あだなをつけて、頭を撫でるとくすぐったそうに笑う。
「わたし、くーちゃん?」
「そう、くーちゃん」
「なんだか可愛いのね」
嬉しそうに笑うクロエの顔が、ぼやける。
あれれ。
ぐらぐら、する。
天井が回る。床がうねる。
あれあれ?
「おねぇちゃん? ミーナおねぇちゃん?」
クロエの声も、遠い。
あれ、もしかして、ミーナ結構やばい状態?
今倒れちゃったらくーちゃんに心配かけちゃうなぁ、と思いつつ。
意識がブラックアウト。
「おねぇちゃんがたいへん」
クロエは、辺りを見回す。目の前には倒れたミーナ。
彼女を放ってどこかに行くことはできないから、ただおろおろとするばかり。
「どうかしたんですか?」
そこに美緒が現れて、声をかけてきた。「おねぇちゃんが」と言うと、察してくれたらしい。人を呼んで、ミーナはベッドで運ばれて。
その手際の良さを見ながら、クロエは思う。
「わたしはまだまだなんだわ」
人ひとり、満足に助けられないなら。
「もっと」
役に立たなくちゃ。
てこてこ、てこてこ。
走らないよう、気をつけて。
てこてこ、てこてこ。
病院内を、見て回る。
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