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第5章 ビアンカ・カヴァルロの正体

「カステラーニ……カヴァリエリ……カヴァッツァ……」
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)の指先が分厚い紳士録の文字を辿る。つい行き過ぎてすぐ戻るが、何度見返しても、目的の文字は書かれていなかった。
「カヴァルロが……ない……」
 紳士録。それは現役の貴族名士の名をまとめた書物。カヴァルロが本当に貴族であれば、載っている筈の、載っていなければならない書物。
 この出版社のものだけに載っていなければ、たまたまだったかもしれない。けれど彼の脇に積み上げた図書館所蔵の最新版紳士録には全て、その名がなかった。
「メシエ」
 エースは向かいに座るパートナーのメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)を小声で呼ぶ。新聞記事を丁寧に追っていた彼は、ゆっくり顔を上げる。
「ないよ。名前が。カヴァルロっていう家が……」
「そうか。……何を驚いているのかな? 予測が裏付けられただけのことだよ」
 ビアンカ・カヴァルロ──豪奢なドレスに美しい宝石類を付けた彼女は確かに羽振りが良さそうだった。マナーも一定の水準に達している。
 しかし長い間支配者層の一員であったメニエから見れば、生粋の貴族が叩き込まれていてしかるべきものがない。些細な動作には、常に違和感が伴っていた。テーブルマナー、話し方、歩き方、全ての立ち居振る舞いなど、貴族らしからぬ雰囲気が漂っているのだ。一言でいえば、貴族のご令嬢という触れ込みにしては品がなかった。
「生粋の貴族じゃないとすると、養女とかかなとか思ったんだけどね、載っていないとなると……」
「この記事を見てくれないかな」
 メシエが机を滑らせて差し出したのは、古い新聞をまとめた本だった。彼が拾ってきたのは、二十年程前の記事。
「なになに、『新薬開発』……? カヴァルロ家当主ニコロ氏の多大なる援助により……?」
「紳士録に載っていないということは、社交界の一線を退いたということだね。貴族としてのカヴァルロ家はもう存在しない」
 メシエはもう一つ、これよりも近年の記事を見せる。そこには、ニコロ・カヴァルロなる男による、郊外の素敵な家庭菜園が特集されていた。
 メシエが拾ってきた二つの内容を総合するとこうだ。
 難病の新薬が開発された。カヴァルロ家の当主ニコロは末娘が同病にかかっていたため、治療のために財産の殆どを投げ打って研究に援助し、また自身も勉強を続けていたらしい。そして同じ名の男が今郊外に住んでいる。
「つまりはこういうことさ。このニコロ・カヴァルロは娘のために貴族をやめた。今頃は田舎の小金持ちといったところだろう」
 メシエは席を立つと、古い紳士録を持ってきた。めくれば確かにカヴァルロの名。そしてカヴァルロ家に生まれた三人の娘は全て嫁いでおり、当然のように苗字は消えてしまっていた。
「ということは、ビアンカはその名前だけ勝手に借用している……? わざわざ身分を偽って、ディーノに援助を……」
 彼女の正体についてはモヤモヤがたまっていて、白黒つけたいと思っていたエースだが、ここで新たな謎に突き当たったようだ。
「いや、違う。彼女はディーノに近づくために嘘をついたんだ」
「彼と親しげだったとは言うが、恋愛沙汰でそこまでするとは思えないね」
 では、他の目的は何か。
 バルトリ家失脚──その言葉が彼らの頭をよぎる。二人は視線を合わせて、
「そうだね。桜井校長とクロエさんに連絡して、皆にも伝えてもらうよ」
 エースは立ち上がると、図書館の閲覧室を早足に出て行った。

 その頃、当のビアンカ・カヴァルロはというと、屋敷を訪れた商人と話していた。
 商人は玄関でメイドと押し問答を続けていたが、興味を持って顔を出したビアンカを見つけるとぱっと顔を輝かせた。
「お嬢様でいらっしゃいますわね! こちらの口紅をご覧くださいませ、空京で今流行の最新色ですのよ。こちらのお色なんてとっても良くお似合いですわよ」
「そうかしら……? 私、品質が確かなものしか付けないことにしているの」
「まぁまぁ! そんな事仰らず…ちょっとお試しになってくださいませ! 今なら初回は無料、しかもメイクと美肌マッサージのサービスもついていきますのよ?」
 商人に扮したロザリィヌ・フォン・メルローゼ(ろざりぃぬ・ふぉんめるろーぜ)は強引に扉の内側に身を滑り込ませる。
 ビアンカは呆れたようだったが化粧品を見る目は少女のそれだ。誘惑に抗いきれずに受け入れてしまった。これは何かあったら自分で対処できるという自信に裏打ちされるものでもあったのだが。
「仕方ないわね、上がって」
「それでは遠慮なく……おほほ」
 ビアンカの後をついて屋敷に上がりこんだロザリィヌは、お屋敷は珍しいですわーと言いながら屋敷内を観察した。
 屋敷は二人暮らしのせいか広くはないものの、豪華な調度品が数多い。ただそのテイストはとても統一されているとは言い難かった。
(頂き物なのかしら……センスがありませんわね)
 でもそんなことはロザリィヌには関係なかった、というのも、別に潜入捜査をしに来たわけではないからだ。
 長椅子に座るビアンカの体をたっぷりじっくり眺めるつつ、鞄から化粧用具を取り出す。形ばかり見せるためのパレットや筆を机に広げると、コットンとクレンジングで彼女の化粧を手早く落とす。
 そして目的を──ビアンカの首筋に手を触れたかと思うと肩に滑らせ、そのまま指にひっかけたドレスを床に落とした。
(ここまできたら、わたくしのテクニックでっ! 盛大にたらしこむだけですわ〜! おーほっほっほ! 男のコトなんて考えられないカラダにしてあげますわーっ!」
「……何か言った?」
「いえいえ、こほん、こちらのことですわ」
 どうやら考えが口に出てしまっていたらしい。慌てて咳払いして誤魔化す。
 彼女としては、「百合に目覚めれば男に対する興味も薄れる、浮気して妻を泣かせるアウグストとの縁が切れて奥様のためになる」と考えてのことだったが、どう見ても趣味が半分は入っているようだ。
 勿論趣味が入っている分真剣に、肩から背中へ腕へ、そして胸へ。いつものごとく美肌だけとは言えないマッサージを開始する彼女だった。
 が……、ビアンカは動じなかった。
 甘い声を上げることもなく、むしろくすぐったそうに身じろぎするわけでもなく、まるでなにもされていないのと変わらない様子だ。
(どうしてですの? こうなったら……ここは如何かしら?)
 しかしどんなに念入りに彼女のテクニックを駆使しても、動じないどころか余裕の表情を浮かべていた。
 そして、「あら、もうお終いかしら」と微笑を漏らす。その声に満ちた余裕と自信に、ロザリィヌは女好きのカンで、一つの結論に思い至った。
(もしかしてこの方……!)
 再び周囲に目をやれば、予想は確かに当たりだと分かった。であれば──迷うことはない。単刀直入に聞けばいい。マッサージを続けながら彼女は問う。
「ところで、こちらのお屋敷にアウグストとかいう男性が、通っていると思うのですけれど」
「そうよ、お客の一人。貴方にも素質があるかもしれないわね、良かったらどうかしら?」
(やはりそうでしたの。でも……何てこと仰るのかしら。わたくし、男に興味はありませんのにっ)
 結構ですわ、仕事がありますから──あくまで商人を装いつつ、まだ何とかならないかと頑張る彼女。その腕がそろそろ疲れてきた頃合いになって、玄関のノッカーが鳴った。
 隣の廊下をメイドの足音が通っていく。
「あら、もうそんな時間かしら」
 ビアンカは余計な装飾だらけの時計を見やった。針が示す時間は午後六時。
「今日は予定外に早いお着きのようね。困ったわ、支度しないと」
 ビアンカは化粧を直していただけるかしら? と言い、ロザリィヌはこれ以上の質問とマッサージを諦めてそれに従った。