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リアクション
第7章 ドナート邸
ヴァイシャリーのデザイナークロエ・シャントルイユがドナート邸を訪れたのは、その翌朝のことだった。
「クロエお姉様、こちらは新作デザインですかぁ?」
「そうよ。来季の主力商品になるといいわね」
用意された部屋で待つ間、姫野 香苗(ひめの・かなえ)が荷物の中からスケッチブックを発見して、ぺらぺらめくりだす。
新しいドレスや宝飾品に囲まれてはいるものの、そこにつまっているのは最新中の最新デザイン。年頃の、おしゃれに(正確にはおしゃれして可愛いと思ってもらって女の子にモテるのに)興味がある女の子とっては薔薇色の世界が広がっていた。
「素敵ですねぇ」
ほわわん、とドレスを着た自分を想像して香苗はうっとり。服を見立ててくれる、という約束のお礼として今日は手伝いに来たけれど……、
(頑張れば、既製品じゃなくって香苗のために素敵なお洋服を作ってくれるよね!)
最新デザインを目に焼き付けて、こんな感じのをお願いしようかなー、などと香苗が妄想を膨らませていると、侍女を伴って貴婦人が姿を現した。
「お待たせいたしましたわね、クロエさん」
ドナート卿の夫人は、小太りの愛想の良さそうな中年の女性だ。ひまわり色のドレスに、一粒のダイヤを指輪に耳に、そこかしこに付けている。
「ご無沙汰しております」
クロエが恭しい一礼をすると、ドナート夫人は朗らかに笑った。
「今日は楽しみにしていましたのよ。最近はめっきり寒くなりましたものねぇ、ドレスの他に、ショールに毛皮……そうそう小物も見せていただきたいわ。あら遠慮なさらないでお座りになって。クロエさんも助手の方たちも。そうそう、宜しければこちらの女性にも何かちょっとしたものを見繕ってあげてくださる?」
「かしこまりました」
クロエは再び一礼して、早速香苗を助手にして、運んできたいくつもの箱から、ドレスなどを次々と取り出して見せた。
が、香苗は中年の夫人よりまだ若い女性の方が気になるようだ。ぷっくりした唇に大きめの胸、可愛らしい感じのお姉さんである。
「こちらなどは如何でしょう」
勧めながらも俄かに抱きつきたい衝動が襲ってきて、ドレスを持つ指先がぷるぷるしだす。
(我慢我慢、がま……ん……。もし抱きついちゃったらいくらなんでも台無しで、約束なんてなくなっちゃうもんねっ)
きゅっと指を固く握り直し全力で煩悩を抑えると、視界からお姉さんを振り切って仕事に務めた。ストライクゾーンから外れた夫人だけを視界に入れて、彼女を褒めちぎる。
「奥様のブルネット、とてもお美しいですわね。絹のようにつややかでいらっしゃいますもの。きっとこのお色がお似合いになりますわ」
普段から女の子を追い掛け回し、気に入られるために誉めまくっていたので、褒めるのは苦ではない。美辞麗句を並べ立てると、簡単に夫人は気を良くしてくれた。
若い女性の小物はといえば、執事服で従者に扮した葛葉 翔(くずのは・しょう)が見立てていた。彼はドナート卿の嘘──脅迫状の件を何故か知っていたこと、そして昨夜の手紙などの証拠については、彼は知らないのだった──を見破ったため、訪問に責任を感じて、引き続きの調査である。
若い女性には仕事を忘れさせるために、すっと夫人とは反対側から近づき、彼女の視線を逸らす。
「このショールは最近若い女性の間で大変人気のあるお品でして……」
薄いピンク色のショールを広げてみせ、そっと肩にかける。
「大変、お似合いになるかと思いますよ」
端正な顔立ちの美少年に間近で褒められて、女性の顔に朱が差した。
「失礼ですがお仕事は何を? 侍女をされていらっしゃるんですか?」
「いえ、私はこのお屋敷で、お子様方の家庭教師を」
「でしたらこちらの日傘などはお勧めですよ。ところで……」
にっこり、微笑み。こっそり、耳打ち。
「ここだけの話なんだけど。 モニカって名前に聞き覚えはない?」
「いいえ、ありませんわ」
彼女はドナート家の侍女の名前までは知らないらしい。“嘘感知”でも今のところは違和感はない。
「お屋敷の人に内緒で他の使用人の人に聞いてみてくれないかな? うちのお嬢様は宝飾のデザインもやっているんだ、もし聞いてくれたら今度…… ね?」
目くばせをすれば、ますます女性は顔を赤くした。
そんな様子に、夫人は口元をほころばせる。
「あら、案外貴方照れ屋なのね。きちんと選びなさいな。それとも、クロエさん達にまた会いたいの?」
「奥様、おからかいにならないで下さい」
「いいのよ、暇なんですもの、クロエさんさえ良ければまたいらしていただきましょうよ。最近パーティによく呼ばれるんですもの、無駄遣いじゃないわよ。……それに、最近夫も留守がちで昼間は退屈だし」
「お仕事でいらっしゃいますか?」
クロエが無難に問うと、すっかり口が軽くなった夫人は、
「そうなの、最近何か新しいことを始めたみたいなのよね。それでも時々は外れにある若い女の家まで“遊び”に行く余裕があるんですもの……嫌になるわ。パーティだって知らない方ばかりですもの、もっと皆様方のお話を聞かせてもらわないと、私も困るのに」
「初対面の方でしたら、こちらの方が華やかで宜しいと思いますよ」
香苗がきらきら光るショールを見せると、夫人は目を嬉しそうに細めながら、
「素敵ね。でももう少しヴァイシャリー風の良さが際立つデザインがいいかしら……何しろ豪華さで勝負しようとしても、あちらはエリュシオンの貴族様ですもの、残念だけど格が違うの」
その言葉に、翔は家庭教師にどういうことか尋ねてみれば、
「エリュシオンの方々とのご交流が増えましたの。時々お屋敷にもいらっしゃいますわ。ですからお子様方にも、エリュシオン風の礼儀作法を身に着けるようにと申しつかっています」
その後の夫人と家庭教師の話を総合すると、最近ドナート卿はエリュシオンとのつながりを深めようとしているらしかった。
そしてドナート卿が時折“遊び”に行く若い女というのは、おそらくビアンカであろうことも。
翔はこれらの情報をまとめると、クロエに話した。そしてクロエを通じその後校長や、他の事件に関わりのある生徒達へと話は伝わることとなるのだった。
ところでこれは後日、今回の事件の解決後のことだが。
香苗の元には、商売と実家の立場を救ってくれたお礼にとクロエからオーダーメイドのドレスが届き。
翔にもまた、クロエから彼女が見立てた真新しい執事服が、彼女デザインのネクタイピンと共に届いた。
そしてドナート家の家庭教師の元には、翔がクロエのブティックで購入したエメラルドのネックレスが匿名で届いた。
家庭教師はしばらく翔との再会を願っていたが、叶うことはなかったという……。
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