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第1章 盛り上がれ闘技大会 6

 陽のように温かな光に包まれて、男の傷は徐々に回復していく。血は少しずつ消えて、傷跡は時間をまき戻すように再生される。やがて、男の傷が全て癒えきったとき、光を与えていた少女はバシッ――と男の背中を叩いた。
「はい、これでよーし!」
「いっつつ……も、もうちょっと優しくしてくださいよ〜。こっちは怪我人なんすよ?」
「はいはい、だからこうして救護室でちゃんと手当てしてあげたじゃないですか。さっ、次の試合も頑張ってね」
 少女――ミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)はそう言って男に笑顔を見せた。
 ぶつくさと男は文句を言うものの、彼女のさっぱりした性格と明るい気性にはとても救われている。救護室に集まる闘技大会の参加者たちにとって、今回のスタッフであるミルディアは心の面でも癒したる存在だった。
 もちろん、それは彼女だけではないわけで……
「はい、終了!」
 ゴキャ――
「いってえええぇぇ!」
「さ、さすがイシュたんさんだぜ……まさかとどめを刺そうとは……」
 ある意味、救護室のアイドル化しているミルディアのパートナー、イシュタン・ルンクァークォン(いしゅたん・るんかーこん)も傷ついた参加者たちに治療(という名の関節技)を施していた。
 首をありえない方向に曲げたままわめく男。さすがにあんな目にはあいたくないと男たちが思うのも当たり前であって――イシュタンではなくミルディアのほうに治療を求める男たちの列が出来ているのも必然であった。
「もー、こんなことしてないで闘いたいよぉ!」
「……まだあきらめてなかったの? いしゅたん」
「闘いたい! 闘いたい!! 闘いたぁい!!!」
 首を曲げられてこんなこと呼ばわりされる患者には同情を覚えるところだ。
 さながら駄々をこねる子供のように、ばたばたと両手両足を振りまわして暴れるイシュタンはすこぶる虫の居所が悪い。
「なにがそんなに不満なのかなぁ……こんなにたくさん魅力的なはだ……ごほん、いやいや、えーと……そう、人の役に立つとっても素敵なお仕事なのに」
「ミルディ……いまハダカって言おうとしなかった?」
「まっさか〜。あはははは」
 イシュタンにジト……と見られて、ミルディアは乾いた笑い声をあげた。決して、合法的に男のハダカが見れるお仕事ばんざーい、とか思ってるわけではない。
「ミルディアさん」
「あ、班長……どうしたんですか?」
「手が空いてたら、こちらの方のマッサージお願いしてもいいかしら?」
「はいはーい、了解しましたー」
 ミルディアがいかにスリムでありながらも引き締まった筋肉で構成される魅惑の上半身を見て、ニヤ……と気づかれないように笑みを浮かべていようと、それは断じて違うのだ。――たぶん。
 むーっとふくれっ面になるイシュタン。
 そこに、おどおどと青年がやってきた。どうやら、急を要してイシュタンのところにやってきたようだ。
「あ、あのー、イシュタンさん、治療……お願いしてもいいですか?」
「……はい、そこに座って」
 不安を抱きながらも座る青年。その背中に走っている傷跡に――イシュタンは思いっきり消毒液をぶっかけた。
「ひぎああああああぁぁぁ!」
「はい、男なら泣き言いわない! えーい、逃げるなー!」
 ガクガクブルブル……イシュタンの治療(という名の拷問)を受ける青年を見ながら、男たちは我が身に降り注がないことを祈って震えるのだった。

 今闘技大会の優勝賞品である高級創作チョコレート――その名も“天使の舞い降りた日”は、その精巧さと躍動感、そして何よりそこらの彫像のそれすらも越える美しさから、美術品としての価値も高いとさえ言われている。
 そのためか――琳 鳳明(りん・ほうめい)藤谷 天樹(ふじたに・あまぎ)の目の前では、たくさんの鑑賞客たちが一目でいいからチョコレートを間近で見ようと足を運んでいた。
(たくさん来てるね……)
「そうねぇ……これなら、誰かが紛れ込んでチョコレートを盗む……とかも考えられるけど」
 鳳明は天樹と声をかわす。
 だが……天樹の声は彼女の頭の中に響くばかりであり、天樹そのものの姿すらも彼女の傍にはなかった。はたから見れば独り言をぶつぶつ言っているようにしか見えない鳳明に、鑑賞客の怪しい人でも見るような目が注がれていた。
「それにしても……天樹、どこにいるの? こっちに来てから姿が見えないけど」
(……こっちはちゃんと鳳明も見えてるよ)
「へっ……? ど、どこ……?」
 慌ててきょろきょろと首を動かすが、天樹の姿はもちろん見えなかった。
(大丈夫。ただ、隠れて警備したほうが……良いかと思って……心配しないで)
「なら……いいけど」
 こうして鳳明とですら精神感応で話すぐらいの少年だ。何かと心配にもなるが、実力自体には信頼を置いている。あまり心配しすぎるのも悪いかと、鳳明はそれ以上何も言わなかった。
 そんなとき、自分が警備するチョコの周りでなにやら小さなイベントが起こっているのに彼女は気づいた。
「あれって……」
 目を起こした先でかごの中にたくさん詰めてあるチョコを一つ一つ配っているのは、燃えるように美しい赤い髪の青年だった。
「これは素敵なお嬢さん、チョコはいかがですか? それと……花をどうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
 青年に声をかけられて、若い女性たちは戸惑うように立ち止まる。丁寧に包まれたチョコレートと一輪の薔薇、それに青年の微笑を受けて、女性たちは顔を朱に染めて放心状態だった。
 女性たちに分け隔てのない微笑とサービスを配るその青年の名は、エース・ラグランツである。そして、彼がいるということは、
「お疲れ様です、鳳明さん」
「エオリアさん……」
 鳳明に声をかけてきたのは、エースのパートナーであるエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)だった。こちらを包み込んでくれるような柔和な微笑をたたえる彼は、カップにコポコポと美味しそうな音を立てて紅茶を注いだ。
 すっと、差し出されたそれからは、とても心の落ち着く香りがしている。
「これ……エオリアさんが作ったんですか?」
「作った……というよりは茶葉を選んだってだけですけど……」
 謙遜して笑うエオリアだったが、一度それを口に含むと、じわ……と舌に豊かな味わいが広がってきた。たとえ選んだだけにしても、これだけのものを厳選できるのは、とても洗練された素晴らしい舌を持っているからに違いなかった。
「……もしかして、あのチョコも?」
「えっと……一応、ですけど……あ、食べられました?」
「い、いえ、それが……まだなんです」
「あ、それじゃあ、よろしかったら……」
 エオリアは紅茶を傍にあったテーブルに置くと、懐から箱の包みを取り出した。それは、エースが配っているモノとは若干包みが豪華なようである。そのことに首をかしげている鳳明に気づいて、エオリアが付け加えた。
「知り合いの方には、こちらのほうをお渡ししてるんですよ。中身は同じなんですけど……親しみを込めて、ということで。せっかく、スタッフとして一緒になったんですから」
「あ、ありがとうございます」
 なるほど、親しみを込めて、か。
 そう言ってもらえると嬉しいものである。
 鳳明はさっそく包み箱を開けてみた。そこには、まるで宝石かなにかのように輝いてみえるとても丁寧なつくりのトリュフチョコがあった。ホワイトチョコで作っているのであろう飾り模様も、手先の器用さを伺わせる。
 ゆっくりと、一口。口の中で、チョコの濃厚な味がとろけていく。
「おいしい……!」
「ほんとですか? ……よかったです」
 思わず感動を口にした鳳明に、エオリアはとても嬉しそうな微笑を見せた。
 きっと、自分の作ったものが人に喜んでもらえるのが嬉しいのだろう。とても大人で、とても丁寧で、とても美しい、執事のようなエオリアの表情は、そのときだけ一瞬、子供のようにほころぶ。
「あ、鳳明さんにもチョコ渡したんだね」
「エース……ええ、渡しておきましたよ」
 かごの中のチョコがなくなって、エオリアたちのもとにやってきたエースは、彼女に薔薇を差し出した。
「じゃあ、こちらは俺からということで」
「はは……えっと、ありがとう」
 なんとなく、これまでエースからチョコをもらっていた女性たちの視線がすごく痛い。
 両手に花――とか思われてるのかなぁと、エオリアとエースを両脇に立つ鳳明は、静かに苦笑した。