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第1章 盛り上がれ闘技大会 2

「あ、リーズ、こっちこっちー」
 人でひしめく観客席の最前列で手を振っていたのは、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)であった。その隣には、彼女のパートナーであるダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)の姿も見える。
「うわー……また、よく観える席をとったものね」
「ぬふふー、もっと褒めていいわよー」
 彼女のもとまでやって来たリーズが感嘆した声をあげると、ルカはそのやたらと豊満な胸を張って誇らしげだった。
「ま、なにはともあれ一回戦突破おめでとう」
「ありがと。でも、まだとりあえずは……ってところだけどね」
 賞賛の声をかけられて、リーズは自分を律するように返答した。そんな堅苦しい彼女の気持ちをほぐすように、ダリルがルカから続ける。
「なに、それでも勝利は勝利だ。それに、あの七枷陣を破ったのだから、胸を張っていい」
「そうそう。喜べるときはまず喜ばなくちゃっ。じゃないと、気持ちが損しちゃうわよ〜」
「……ありがと」
 くすっと笑って、リーズは彼女たちの隣に座った。腰に挿していた剣はそのままだが、背中に担いでいた荷物と大きな鞘ががちゃりと傍らに立てかけられる。
 大会は順調に進んでいるようで、現在、リーズたちの見下ろす武舞台ではいままさに対決の決着がつこうとしていた。
「さって……この次に出てくるのは……お、ラルクかー。やっぱり残ってるのねー」
「ラルクって、確かあの格闘家の……。知り合いなの?」
「ま、ね」
 どれ実力のほどを見てやろうか、といわんばかりに、ルカはわくわくとした表情で次の試合を待ち遠しく待った。と、彼女の目は、リーズの隣に立てかけられていた鞘に止まる。
「あれ、それって……」
 腰に挿している長剣と違う代物であることは確かだ。鞘の見た目は古臭いものであるが、そこから垣間見える力の波動はそこらのものとは比べ物にならない。
 強張ったように目を見開いたルカに、リーズが思い返す顔で口にした。
「お祖父ちゃんの剣なの」
「お祖父ちゃん……?」
「集落の英雄、ゼノ・クオルヴェル。かつて森を滅ぼそうとした魔獣を封印し、集落を守り続けた剣士。これは、そんなお祖父ちゃんが残してくれた剣よ」
 そう、そして――再び、封印から解き放たれた魔獣を倒した剣。いや、魔獣であった過去の忘却を倒した剣だ。いま自分は、そんな魔の楔から解かれた彼を探している。
 彼を見つけて、どうしようというのかは分からない。
 ただ、会いたかった。聞きたいことがたくさんある気がした。いまはただ、それだけで旅を続けている。
「……お祖父ちゃんの剣か。それは、闘技大会では使わないの?」
 リーズのどこか遠くを見るような瞳が何を見ているのか。ルカはそれを尋ねることはなかった。
「これには、お祖父ちゃんの光の力が込められてるから……できれば、この大会では使いたくない。自分だけの力を試したいってのもあるし、それに……みんなが一生懸命闘うこの場で、お祖父ちゃんは剣の力で闘うことを望んでないと思うから」
 それは、闘う者の誇りでもあった。きっと、彼女も望んでいないことだ。
「……うん。そうだね」
 ルカはうなずいた。
 そうか、だから私は彼女を応援したいと思えたのか。
 うれしそうな笑みを、浮かべて。

 目を見開くラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)の前方にて構えるのは、見紛うことなき美少女――にしか見えない対戦相手、御剣 紫音(みつるぎ・しおん)だった。
 さらさらの黒髪をなびかせて、両手に握る剣を冷厳に携えている。はて、俺の対戦相手は女だったか? と疑問を見せるラルクに、紫音がむっとした表情になった。
「あんた……もしかして俺が女だとか思ってないか?」
「あれ、違ったのか?」
「相手の性別ぐらい、対戦表にも載ってるだろ。俺は正真正銘男だよ」
 なるほど、確かに声色は男のそれである。
 しかし、透き通るような声質とその容姿は……つまり、美形、美少年の類というやつだろう。
「まあ、どちらにせよ関係ねぇ」
 ラルクは不敵に笑った。
「男だろうと女だろうと、この拳で全てを切り拓いて見せるぜ」
「……だから、男だって言ってるだろ」
 紫音は呆れたような目を向けるが、ゆっくりと会話をしている暇はなかった。
 既に実況の前フリは終わっている。なにやら付け髭の実況者は、「なな、なんと! 紫音選手は男だったのです!?」などと分かっていたことを驚いているが、それも実況者としての盛り上げ方か?
 そうこうしているうちに――闘技場の観客がどよめいた。
「ぬおっ……!」
「見た目で甘くみるなよ?」
 今度は、紫音がラルクの耳元で不敵な声を発した。一瞬のうちにラルクの懐に入った彼の剣が、一気に振りぬかれる。しかし、それをかわせぬほどラルクはでくの坊ではなかった。
 その速度には一瞬驚きを隠せなかったが、すぐに彼は頭を冷静にして紫音の攻撃から逃れた。振りぬかれた剣の下にもぐりこんで、即座に反撃の拳を繰り出す。
 紫音は自らの剣がかわされたことを知ると、刹那の瞬間に地を蹴っていた。
 一瞬の攻防戦――華麗な舞台に、観客がわっと湧いた。
「……やりやがるぜ。確かに、見た目で甘くみるもんじゃあねえな」
「だろ? ……ま、あんたもその図体にしては、なかなかの速さだよ」
 二人はお互いに構えを解かぬまま、牽制しあうように声を交わしあった。すると、そんな二人のもとに、観客席からひときわ大きく張りをあげる少女たちの声が聞こえてきた。
「紫音〜、負けてしもたら、ゆるさへんさかいにー」
「ふふ……風花の言うとおりじゃ。しょうちせんぞ、主様」
「我は主が勝つのを信じておるのじゃ」
 綾小路 風花(あやのこうじ・ふうか)アルス・ノトリア(あるす・のとりあ)アストレイア・ロストチャイルド(あすとれいあ・ろすとちゃいるど)――並んでそれぞれに身を乗り出したり落ち着き払ったりと応援をしているのは、シオンのパートナーたちだった。
「仲間か?」
「まあ、これでも契約者だからな。しかし、まったく勝手なことばっか言ってるぜ……」
「ふん……だけど、それがいいんだろ?」
「……まーね」
 契約者同士……ラルクの言葉に、紫音は微笑を浮かべて返答した。その笑みには、彼女たちを誇りに思っているであろう……そんな色があった。少なくとも、ラルクにはそう思えた。
 応援する者がいる。声をかけてくれる人がいる。それは強さとなるだろう。だけど……俺にも、譲れない意地と力がある。
 構えてはいるものの、対峙したまましばし動かざる二人を見下ろして、観客たちに困惑が広がり始めていた。……だが、それも終わりを告げる。
 ラルクの呼吸が、強く息を吸い込んだ。
「さぁ、かかってこいや!!」
 地を震わす声が響き渡ったその瞬間――土煙を前方からかけ離れ、背後より迫った鬼のような烈気に紫音は飛びのいた。
「…………ッ!」
「ついてこれるか!」
 神速の速さで繰り出される幾多の拳と蹴りが、紫音を追い詰めてゆく。剣でそれをはじき返そうとも思うが、脅威の速度に肝心の腕が追いつかない。
 くっそ、なんて速さだっ!
 滲んだ汗を振り切って、紫音は大きく飛びのいた。
「まだまだあっ!」
 再び、烈風のごとくラルクの姿が捉えきれないほどの速さと化した。だが……考え方を変えろ、紫音。速さについていけないなら、その一歩先を見通すまで!
「…………っ!」
「ビンゴッ!」
 ラルクの拳に突き立たんとしたのは、攻撃を読み解いていた紫音の剣先だった。寸前で軌道を修正するも、拳から腕までが削るようにして斬り裂かれる。
「ぐ……おぉっ!」
 なんとか体勢を立て直して、ラルクは勢いそのままに飛びのいた。
 再び、対峙する二人。ラルクは、苦渋の表情のまま血を垂らす腕を見下ろしていた。そんなラルクに、紫音は自らの腰から提げていた布切れを投げ渡した。
「使いなよ。なにかあったときの治療用やつだけど、あんたにはちょうどいいだろ?」
「…………」
 ラルクは口元を持ち上げるのみでそれに答え、ありがたく布を腕に巻き始めた。
「やったやった、アルス! 紫音がやったー!」
「は、はしゃぎすぎじゃ、風花」
 普段はおとなしく紫音の傍らにいる風花であるが、パートナーの一撃が決まったことで珍しくはしゃぎ飛び跳ねている。それをなだめるアルスだが、その表情を見るに、彼女もきっと風花と同じ気持ちなのだろう。
「し、しかしこれなら、もう買ったも同然じゃよな。紫音のほうが一歩上というわけじゃ」
 アルスは余裕の笑みでそう口にした。だが、そんな二人よりも冷静な目で状況を見るアストレイアが、
「さて、どうじゃろうか」
 心配そうにそんな言葉を返した。
「え、ア、アストレイアは紫音が、か……勝てへんと思ってるん?」
「いや、そうではないのじゃ。我とて、主が勝つことは信じておる」
 アストレイアはふいに泣きそうな顔になってきた風花に力強い微笑を見せた。
「じゃが、どうにもあのラルクという格闘家がこれしきで終わるとは思えんのでな。……紫音が足元をすくわれなければよいのじゃが」
 いかんせん、実力はあるくせに調子が乗るクセも持っているのが紫音である。
 観客席に美少女でもいた日には、そっちに目がいく心配もある。特に、いまはどう考えても紫音が有利だと言える立場。……事実、紫音はわずかに余裕を垣間見せる不敵な笑みでラルクと対峙していた。
(闘う者としては、向こうのほうが一枚上手かもしれんのぉ)
 痛みをこらえているせいか苦しそうな顔に見えなくもないが、ラルクの目には紫音以上の余裕が映っているような気がした。紫音との違いであり、恐ろしいところは、それを内に秘めて悟られないようにしていることにある。
 ……そしておそらく、紫音はそれに気づいていない。
「待たせたな」
「構わねって」
「んじゃ……」
 ラルクは再び姿勢を低くとり、攻めへの構えに移った。それに準じて、紫音の剣も掲げられる。
「……行くぜぇ!」
 再び、攻防戦は始まった。迫りくる無数の拳と蹴りを、徐々に下がりながら紫音は避けてゆく。傷を負ったせいだろうか、傷ついた左腕だけは、動きが鈍かった。
 それでも……鋭い速さは相変わらずだ。
 再度――ラルクの速さが絶頂へと駆け上った。紫音の背後に回りこんだ彼の拳が、優男の顔目掛けて飛ぶ。しかし――
(罠というわけじゃな)
 紫音の口元に浮かび上がるは確信を持った笑み。背後へと振り返る瞬間、その手に握られる剣の刀身は、先刻同様、見事にラルクの――しかも、今度は右腕を狙っていた。
 激しい金属音。どよめく観客たち。
 驚きの声をあげたのは、ラルクではなく紫音であった。
「…………なにッ!」
「……二度も同じ手を食らうと思ってんのか?」
 紫音の剣は確かにラルクの腕を捉えていた。だがいまやそれは、無謀にも強烈に硬い何かに向かっていったように、ラルクの拳とぶつかり合っていた。
 硬質化、だと……!?
 まるで龍の鱗がそこにあるように、ラルクの皮膚は人の硬さを越えていた。
「さぁ、攻めといくぜッ!」
 驚愕に次なる一手を戸惑ったその瞬間――ラルクはその巨体を大きく回した背面回し蹴りで、紫音の身を蹴り飛ばした。それだけではない。ぶっ飛んだ紫音を追って地を蹴ると、そのままの勢いで渾身の力を込めた拳を繰り出した。
「うおおおおぉぉ!」
 鳳凰の拳――左右から繰り出される連続したそれが、紫音に穴を穿つような衝撃を与えた。
 衝撃を受けた勢いでぶっ飛んだ紫音の意識は、なんとかかろうじて持ちこたえているという程度に過ぎなかった。 
「く、あ……」
 痛みをこらえて半身を起こすも、身体はまるで拒否反応を示しているようで……彼は、それ以上起き上がることはできず――倒れた。
「勝者! ラルク・クローディスウウゥ!」
 勝利の宣告を受けたラルクは、倒れた紫音を見下ろして腕を差し出していた。闘った者への、敬意を表して。
「……あー、すっげーいてー。いてーよー、ケーキと美少女とミルクがねぇと起き上がれないよー」
「ぼやいてねぇでさっさと掴まれ。じゃねぇと置いてくぞ」
「いたいよー、疲れたよー」
「…………」
「あ、あぁ! ちょちょ、ま、待って! 掴まります掴まります! …………マジで置いてくなんてひどい!」
 ……敬意を、表して。