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恐怖の五十キロ行軍

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恐怖の五十キロ行軍

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   「森 その2」

 笹奈 紅鵡(ささな・こうむ)は、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)の横に座った。今日の彼女は後ろで髪を一くくりにしている。
 飯盒の蓋にビニール袋をかぶせ、そこに魚と山菜が乗っている。魚は一人二匹だから、紅鵡やリカインぐらいの体型なら十分な量だった。
「大丈夫? 疲れてない?」
 紅鵡は蒼空学園の生徒だが、ソルジャーだ。リカインよりは体力もある――つもりだったが、この歌姫、見かけによらず結構逞しい。
「平気よ」
 あっさり言ってから、しんとした静寂に気がついた。口を動かす音だけがやけに大きく聞こえる。世渡り下手なリカインも、これはまずいかしらと思った。空気が重い、暗い。
 リカインは蓋を置き、立ち上がった。何事かと紅鵡は見上げた。コホン、と一つ咳払い。
「私、リカイン・フェルマータと申します。激励として、一曲披露したいのですけれど、よろしいでしょうか?」
 紅鵡がわーと小さく拍手をした。
 が、
「やめた方がいい」
 冷静に言い放ったのは氷室 カイ(ひむろ・かい)だ。え、とリカインが戸惑ったようにカイを見た。
「あーうん、それはやめといた方が……」
 琳 鳳明(りん・ほうめい)も苦笑しながら言った。リカインも紅鵡もきょとんとしている。
「えーとつまりね、ここ、静かでしょ? 暗いでしょ? ちょっとした音でも明かりでも目立つんだよね」
「現に俺たちの食事の音は響いているし、懐中電灯も明かりを絞っている」
 先端にブラックテープを巻き、辛うじて手元を照らせるようにしてある。鳳明はそうしていた。リカインは慌てて懐中電灯の明かりを絞った。
「あのね、たとえば煙草を吸うでしょ?」
 軍人にヘビースモーカーは多い。余談だが、ヘンリー中佐もそうだ。しかし、状況中はそうもいかない。
「ちょっと高いところで吸っただけでも、低い位置から見るとバッチリ丸分かり」
「煙草の火が!?」
 日の光の下で、煙草の先端が赤いと認識する者は少ないだろう。だが、真の闇の中では懐中電灯の細い明かりも、煙草の火も、格好の標的となる。
 カイは教導団ではないが、その知識はあった。が、実際に闇へ沈んでいく周囲を眺めていると、空恐ろしい。【ダークビジョン】でもなければ、戦闘は不可能だろう。
 と、そう思った瞬間、カイと鳳明は同時に上空を見上げた。
「どうしたの?」
とリカイン。シッ、とカイが口元に指を当てた。
「何かいる……」
と鳳明。【殺気看破】に何かが引っ掛かった。リカインと紅鵡がさっと戦闘態勢を取る。
 シャン、シャン、シャンとリズムよく鈴の音が響く。
「……今、十二月だった?」
 リカインがぽかんとして尋ねた。彼女たちの上空を横切ったのは、紛れもなく、ソリとトナカイだった。
「夕食時に奇襲とはまたえげつない作戦を」
 トナカイに乗った乃木坂 みと(のぎさか・みと)が嘆息すると、
「三百六十五日二十四時間、敵は待ってくれんからな! みと、魔力全開での魔導砲撃で援護せよ! 私は……降下する!」
 パートナーの相沢 洋(あいざわ・ひろし)は、トナカイから飛び降りた。パワードインナー、パワードヘルム、パワードアーム、パワードアーマー、パワードマスク、パワードレッグ、パワードレーザー、パワードバックパック……全身をパワードスーツに包んだ洋は、降り立つなりパワードレーザーを構えて言った。
「教導団開発の強化装甲服パワードスーツセットだ。既に旧式となりつつあるが、現行装備としてはまだまだ主力! このレーザーの砲撃を……止められるか!」
 回転しながらレーザーを拡散させる。幹が削れ、枝が折れた。リカインたちは慌ててその場に伏せたが、洋は辺り構わず撃ち続けた。時間にして十五秒ほどだったろう。反撃はなかった。
「どうした? この程度の攻撃を防げねばエリシュオンの主力部隊、龍騎兵、龍騎士に勝てんぞ!」
【歴戦の防衛術】を持っていた鳳明は辛うじて無傷だった。【バーストダッシュ】で闇雲に逃げた紅鵡は、身体のあちこちを木にぶつけたが、これも無事だった。だが、咄嗟にリカインを庇ったカイは、もろにレーザーを食らっていた。出力を抑えているとはいえ、ダメージは決して軽くない。
「ッツ……!」
 腹部を押さえ、カイは唸った。
「大丈夫!?」
 リカインは倒れたカイの傍にしゃがみこんだ。はらり、と長い髪が落ちた。結んでいたゴムが切れたらしい。
「しくじったようだ……あんたは?」
「私は平気」
 カイはフッと微笑んだ。「なら、いい」
「他校生のようだが、なかなか立派な行為だ。我が校に欲しい人材ではあるな」
 洋は心の底から敬意を表し、すぐに衛生兵を呼ぶことを約束した。
「だが今は、撤退する!」
「分かりました。今、大きいのをいきますわねー」
 上空のトナカイから、みとが大声で言った。
「そうはいくか!」
 紅鵡が弾幕を張った。みとは【雷術】で洋の撤退ルートを確保しようとしたが、下が全く見えなくなった。
 そしてリカインが【咆哮】を上げた。洋は咄嗟に両耳を塞いだ。隙が出来た。
「今だ!」
 鳳明の回し蹴りが、洋の頭に炸裂した。パワードヘルムが吹っ飛んだ。
 みとの視界が晴れたとき、縛られた洋の姿が彼女の目に飛び込んできた。
「洋さま!」
 みとの叫び声が森中に響いた。
 洋を心の底から愛してやまないみとが、彼を置いて逃げられるわけもなく、彼女はあっさり投降した。
「馬鹿め。逃げれば奪還という手もあったものを」
 洋に叱られ、みとはしゅんとなった。
「女性に対して、そのような口を利いてはいけませんわね」
 縛られた二人にプラスチックのコップを差し出したのは、セシル・フォークナー(せしる・ふぉーくなー)だ。迷彩服だが、なぜか頭に白いフリルの付いたカチューシャをつけている。わけを問うと、メイドですから、ということだった。
 二人の傍らにはカイが寝せられている。セシルは彼も【ナーシング】で治療した。おまけにコップの中身はインスタントコーヒー。まさに至れり尽くせりで、メイドの鑑だ。
「お二人とも、頑張ったんでしょう?」
 セシルがにっこり笑った。
 洋は咳払いを一つした。
「……そうだな。考えてみれば、片方が捕虜になった時の行動を考えていなかった私にも責任がある」
「そんな、わらわがいけないのです。もっと早く動いていれば……」
「いや、私が――」
 自分が自分がと言い合う二人であったが、むしろそれは微笑ましい光景であると言えた。セシルはカイの様子を見た。すーすーと寝息を立てている。周囲も皆、眠りに落ちたようだ。
 これが【メイドインヘブン】の効果であることを誰も気づいていなかったし、セシルもそれでいいと思っていた。メイドはしゃしゃり出てはならないのだ。それが本分なのだから、と。

・氷室カイ、脱落。

・相沢 洋、捕虜。
・乃木坂 みと、捕虜。