リアクション
● 「あのー」 「ん?」 「これってやっぱり……人質ってことになるんでしょうか?」 のんびりとそんなことを聞いたのは、身体を縄でぐるぐる巻きにされているエンヘドゥだった。そのまま広場の巨木にくくりつけられている彼女は、どこか自分の現状を理解しているのかどうか謎だった。 火天 アグニ(かてん・あぐに)は、気まずそうにぽりぽりと頭をかく。 「うーん、まあそうなるなぁ」 「じゃあ、やっぱりアグニさんたちは私をだました、と?」 「わりぃ。そういうことだわ」 今のアグニはサングラスを気だるくかけた、いかにもチャラい若者にしか見えなかったが、先ほどまでは整然とした律儀な雰囲気の執事だった。仲間と一緒にエンヘドゥたちの旅にもぐりこんで、パートナー関係であると嘘をつき、隙を見てエンヘドゥを攫って行ったのである。 その肝心の、彼のパートナーというものを偽っていたリヒト・フランメルデ(りひと・ふらんめるで)は、現在エンヘドゥの護衛たちの足止めをしているというわけだ。 そして、今回の誘拐の首謀者が―― 「今頃は、リヒトが部屋に置いておいた手紙を読み、こちらへ向かっている頃合いだろう」 冷然の双眸を宿す娘が言った。 イェガー・ローエンフランム(いぇがー・ろーえんふらんむ)。右目は深くえぐられた傷が走っているが、左目のそれは、瞳の奥にさえも炎を灯しているかのように真っ赤な色をしている。――いや、瞳だけではない。髪、そしてマントさえもが、まるで炎を体現するかのように紅く燃え盛った紅の色をしているのだ。 その姿に、エンヘドゥはぞわりとした畏怖を感じ取った。 「あなたは……どうして、こんなことを?」 単なる興味だけではなく、目の前の女性の真意が知りたかったのかもしれない。そんなエンヘドゥの質問に、イェガーは冷たく微笑した。 「絆が、いかなるものかを見たかった」 「え……」 それがエンヘドゥの質問に応じた答えであったのかどうかは、定かでなかった。 呆然とエンヘドゥは声を洩らし、なんとか目の前の女性の心を見て取ろうとした。だが、それを図るよりも早く――イェガーが気配に気づいた 「来たな」 現れたのは、黒騎士の異名を持つ女だった。 とはいえ、もはや、その異名の元になった漆黒の鎧を纏ってはいない。すそ広がりのワンピースの上から、軽装の鎧を身につけている。その顔には、羞恥など欠片も表れていなかった。 同時に、まるで宙を飛ぶようにして、林の向こうからいくつかの人影が飛び出してきた。 「シャムスさん……っ!?」 まず声を発したのはフレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)だった。続いて、彼女のパートナーであるルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)らが着地する。 イェガーのもとにも、息のあがったリヒトが舞い戻って来た。 「ごめん、イェガーさん」 「……気にするな。遅かれ早かれ、いずれはこうなることだった」 そう言って対峙するイェガーに向けて、シャムスは剣の切っ先を向けた。無言の圧力は、揺るぎのない敵意を持ってイェガーを捉える。もはや言葉はいらなかった。エンヘドゥを捕える敵に向けて、シャムスは戦争からその後、初めて殺意というものを発した。 イェガーの唇が、不敵な笑みを形作った。 「さあ来い『黒騎士』――貴様の絆、見せてみろ」 シャムスは、地を蹴って飛んだ。 互いにぶつかり合うシャムスとイェガーのもとにフレデリカたちが向かおうとするが、その前をリヒトたちが阻んだ。 「邪魔は、させないよ」 「つーわけだ、消えてくれやっ!」 アグニもまた、フレデリカたちへと攻撃を仕掛けてくる。サイコキネシスで浮遊するチェリーナイフが飛び交って、フレデリカたちを狙う。 「どうして……こんなひどいことをするんですかっ!」 悲痛な声で叫んで、彼女は炎をまとった。蛇のように周囲を待った炎の渦が、ナイフを叩き落とす。彼女はそのまま、アグニたちの横を過ぎ去ってイェガーのもとに向かった。アグニはあわててそれを止めようとするが――その前に、今度はルイーザが自分たちの道を阻む。光の刃が、大地をえぐった。 「こんなことをして、どうなるというのです。申し訳ないですが、今日の所はお引取り願えませんか? でなければ、私が相手になりますよ」 ちらりと、ルイーザはフレデリカを見た。とっさの判断で、フレデリカの道を守るために壁となったのだ。だが、アグニとリヒト相手に一人で戦うのも無茶がある。 そんなとき――ルイーザとアグニたちの間の宙に、魔力の印が走った。 「なん……っ!?」 気づいた時には、すでに術式が完成している。視界を遮ったのは発光した光術だ。そして、その瞬間に無数の血から生まれた触手が、敵を襲っていた。 「ふむ……まぁ仕事とはいえ契約は契約じゃ。悪く思わぬ事じゃな」 そう言って、ルイーザのもとに降り立ったのはシュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)だった。先の尖った槍のようなスタイラスを手にして、不気味な笑みを浮かべている。 さらには、続いてラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)とクロ・ト・シロ(くろと・しろ)が同時に降り立った。 「スwwカwwーwwトwwwwwwマジかよwwあの黒い鉄の塊の中身が女で、しかもスカート穿いてるとかww……そりゃネルガルもぶっ倒れるわなww」 「あまりジロジロと見たら失礼ですよ?」 クロの意識はシャムスのスカート姿のほうに向いているようで、ケタケタと笑い続けていた。そんな彼を叱責しつつ、ラムズは緊張感のない表情でのんびりとアグニを視界に捉える。多勢に無勢になりはじめたことで、アグニはぐっと苦々しそうに声を洩らした。 「ありがとうございます、ラムズさん」 「いえいえ……私たちも一応ながら護衛ですので」 「そういうことじゃな。なぁに、苦しまぬようにつぶしてやるから安心してよいぞ?」 「おいおいwwwそれよりアレみてみろよwwスカートだぜあの領主さまwwww」 恐ろしいことを平然と言う手記に、いまだケタケタうざったく笑い続けるクロ。一見すればおかしな連中だが、先ほどの魔術を見ればその実力は計り知れようというものだった。そして、それが分からぬアグニではない。 「さあ、どうしますか……?」 ルイーザは構えたまま、詰め寄るように問いかけた。 「シャムスさんっ!」 「!?」 シャムスの剣と己が拳をぶつけ合っていたイェガーに、フレデリカの攻撃が割って入った。拳に炎を纏っていたイェガーへ向けて、ニーベルングリングの炎を弾き飛ばす。とっさに、イェガーの指が弾くよう鳴った。 指を弾くと同時に、イェガーの周りに新たな炎が生まれ、融合される。轟然と勢いを増した業火の炎が、ニーベルングリングの鮮やかで繊細な炎と絡み合った。 「どうして……エンヘドゥさんを捕まえたりなんてしたんですかっ!」 「双子の絆。それを確かめてみたくなった。それだけだ」 「そんな、そんな理由だけで……?」 イェガーの答えを聞いて、キッとフレデリカの双眸が結ばれた。炎を生み出す二ーベルングリングの輝きは、そんな彼女の心音と呼応するように煌々と光を増す。 「やっと姉妹らしく生きられる時間を手にしたっていうのに……そんな二人を邪魔するなんて、私は絶対に認めない!」 神炎『ブリュンヒルデの炎』――ミスティルテイン騎士団の名家、ヴィルフリーゼ家に伝わるニーベルングリングのクリスタルの中で、光のような炎が雄たけびのように吠えた。 瞬間。 クリスタルから形を結んだのは炎の槍だ。イェガーの猛々しく、全てを燃やしつくさんとする業火に対し、それはまるで神が降り立ったような浄化の炎だった。 「面白い」 相手の炎を見て、イェガーが不敵に笑った。 ブリュンヒルデの炎が生み出した槍と、地獄のような業火がぶつかり合い、絡み合い、そして広場の大地を焼き尽くさんとした。 だが、炎の使い手としてイェガーはそこにいるのではない。あくまで彼女は、双子の絆を確かめるという目的のもとにそこにいた。彼女の拳がぐっと握られると、ブリュンヒルデの炎を巻き込んで、その場にあった火炎という火炎が全て、弾けたように鎮火した。 「なっ……!?」 「あいにくと、遊んでいる場合ではないのでな」 炎を消しさるために自分の火炎さえも犠牲にしたが、それは致し方ない。 イェガーが、シャムスと向き直った。 「一発だ」 そう言って、指を弾く。指先に生まれたのは、手で掴めるぐらいの大きさの火球だ。それが、続いてぐるんと拳に巻きつき、炎の円舞を纏った。 「この一発と、貴様の剣。どちらが上か。試させてもらおう」 「そんなの……」 当然、フレデリカは止めに入ろうとしたが、シャムスはそれを差し止めた。剣を構えて、イェガーと対峙する。 「いいだろう」 「シャムスさん……」 呆然とフレデリカは彼女を見つめた。シャムスはじっとイェガーを見据えたまま、視線を外さない。向こうが一発であるように、こちらも一撃を与えるだけしかできない。それで、全てが決まる。 イェガーは薄く笑った。 「……感謝する」 呟かれたその声を聞いたのは、誰もいなかった。 そして。 一瞬の間に――剣と拳が交錯した。気づけば、二人はそれまで互いがいた場所を入れ替えたような立ち位置になっていた。 イェガーが、ほほ笑む。それはこれまでの微笑とも冷笑ともつかぬ、満足のいったような笑みだった。 ――炎を纏っていた拳からは、血が流れていた。 「私の負けだ」 そう言い残して、彼女はシャムスたちから距離をとった。その頃には、アグニたちのほうも決着がついているようだった。 「待……!」 とっさにフレデリカは彼女を追いかけようとする。だが、その前に横から飛び出て来た巨大な炎の刃が、その進路を防いだ。 「待たせたな、紅蓮道」 「…………」 それまで全く姿を見せていなかったもう一人のパートナー、那迦柱悪火 紅煉道(なかちゅうあっか・ぐれんどう)が身の丈以上はある大剣を手に立っていた。召還とともに現れたのだと、フレデリカは遅れて気づく。ということは、悪魔か……? 全く口を開くことはないが、彼女がイェガーに忠誠を誓っているであろうということは確かだった。フレデリカたちが一歩動くたびに、業火をはきだした衝撃波が大地をえぐるからだ。こちらが力をほとんど使い切っているのに対して、温存していた戦力だ。そう易々と太刀打ちできるわけもなく―― 「さらばだ、諸君。また会おう」 彼女はその場を立ち去った。 最後に振り返ったその瞳に映ったのは、エンヘドゥとシャムスの姿。その色が、なぜか少しだけ哀しげに思えたのはなぜだろうか? ――フレデリカには、分からなかった。 いずれにせよ、ようやくエンヘドゥを助け出せたシャムス。すると、あまり緊張感もなさそうに皆さん無事でよかったですわ、とか言ってるエンヘドゥを、彼女は黙ってぎゅっと抱きしめた。 「お、お姉さま……?」 「良かった。本当に……無事で、良かった」 「お姉さま……」 力強いその腕の感触が、今のエンヘドゥにはかけがえのないものに思えた。 ● |
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