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誰がために百合は咲く 前編

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誰がために百合は咲く 前編

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第9章 休憩の時間


「あっちで……何かあったのかなぁ」
 銀のトレイを持ったまま、清泉 北都(いずみ・ほくと)が、パートナーの白銀 昶(しろがね・あきら)に声をかけた。
 ──甲板、船尾の目立たない一角に、そのオープンテラス風カフェはあった。アダモフが倒れた場所からは距離があり、人のさざめきしか聞こえてこない。
 昶は椅子に体を預けながら、北都首を振る。
「さあな。けどよ……」
 黒髪の間から突き出した、狼の耳をぴくぴくさせる。
「ピリピリしてた空気が、ビリビリってしたぜ。こりゃ良くないことがあったな」
「じゃあ、僕も頑張らなきゃねぇ。ううん、頑張るっていうのは違うかなぁ」
 どちらかといえば、ゆるゆるで。ふわっと漂う薔薇の香りのように。
 奇跡の薔薇の名を持つ執事が、極上の執事服に身を包んでお迎え。お出しするのは二種類のハーブティーとタシガン珈琲を、素敵な薔薇のティーセットで。
 だが、それはお茶会の来賓を迎えるための場所ではない。もしそうだったら、昶はのんびり座っていられなかっただろう。
 この数テーブルだけの小さなカフェは、北都が取り仕切っていた。そして彼にとってのお客様は、このお茶会に参加した、百合園の生徒をはじめとしたスタッフたちだ。
「これは百合園の試験だからねぇ。他校生の僕がお手伝いできるのは、これくらいがいいのかなぁって」
「──お、来たぜ」
 宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)が、緊張の面持ちの生徒会長候補アナスタシア・ヤグディンを案内している。それにもう一人の候補者日高桜子が続き、神倶鎚 エレン(かぐづち・えれん)と三人のパートナー、最後尾には高務 野々(たかつかさ・のの)がいた。
「いらっしゃいませ」
 恭しい一礼と共に、北都はさっそく給仕にとりかかった。
「どうぞ、ゆっくりしていってくださいね。もし悩んでいる事があれば、口にすれば楽になるかもしれませんよ」」
 緊張しているらしいアナスタシアと桜子の前には、心を落ち着かせる柔らかな香りのハーブティーのポットを置く。
 アナスタシアの左隣に座る祥子には、集中力を高めるすっきりとした香りのハーブティー。
 祥子と桜子の間に座るエレンたちには、タシガン珈琲を。
 野々は席には座らず、「メイドですから、お茶を頂くわけには……」と一旦断ったものの、
「休憩室だと思ってくださいね」と、北都は祥子と同じハーブティーを、野々にもサーブした。
 テーブルにはアンティーク調の砂時計が置かれ、中の砂がさらさらとハーブティーの抽出時間を刻んでいく。
 一通りの給仕を終えると、北都は下がった位置で彼女たちを見守った。昶の方は無造作に彼女たちと同じ席に座り、黙っている彼女たちに水を向ける。
「あのさ、何があったか知らねえけど、ピリピリした空気を感じるぜ。超感覚を使わなくても伝わるようじゃ、お客に伝わって交渉にも悪影響を与えるんじゃないか? リラックスしろよ」
「リラックスといっても、そのお客様が倒れられたのですわよ」
 アナスタシアはここにきてイラつきを隠さずに答えるが、昶は気にした様子がない。
「客は一人じゃないだろ。……必要なら狼変身してもふもふさせてやるぜ。気分を入れ替えて頑張って来い」
「も、もふもふだなんて、そんな恥ずかしいこと……!」
 カッとなって席を立ちかけるアナスタシアだが、自分の姿にすぐ恥じたのか、すとんと腰を下ろすと、北都に出来上がったハーブティーを注がれて、素直に口にした。
「……私はお客様が倒れられたのに、何もできませんでしたのよ。このままでは私に付いてきてくださった革新派の皆様にも顔向けできませんわ……」
「選挙はオレには関係ないけどよ。誰かの為にってのは無しな。自分の意志でやらなきゃ長続きしないし、人も付いてこないぜ?」
「……そうですわね」
 それでも落胆の色を隠せないようだ。
 実はアナスタシアは帝国の多くの人間がそうであるように──契約者ではない。
 優れた身体能力や特別な能力はない。一般人のレベルでの嗜み程度の剣の稽古と、エリュシオン人としての魔法の才能はあるが、高度なものは使いこなせなかった。
 エリュシオン帝国は強大でも、彼女自身は契約者に及ばない。知っていたつもりでも、それをまざまざと見せつけられ、自信を少々失ったようだった。もっともそれだけではなく、以前に指摘されたこと──帝国がシャンバラにしっぺ返しを受けた理由──を再び思い出したのだ。
 そしてもう一つ。何よりも、同じ“誇り高き”帝国の人間が、その主人を害する企みをしていたことがショックだったのだ。
「ねぇ、これはヴァイシャリーにある、百合園の試験よね?」
 口を開いて確認するように、祥子が尋ねる。
「勿論、そうですわよ」
「貴方の足が付いている地面はヴァイシャリーではなくエリュシオンでしょ?」
 何を言いたいのか、という訝しげな表情を、アナスタシアはした。
「何故百合園の生徒会に立候補したの? 話を聞く限り、どうも帝国の文化を百合園に入れたいってことだけど……文化は生活様式の中から発生する存在だから、優劣は存在しない。優劣を付けたがる人間は、その時点で相手を見下し対等の存在とみていないわ」
「ではあなたは、何故荒野の住人をシャンバラの人々もが蛮族と呼ぶと思いますの? 首を狩る風習を、野蛮だと、受け入れないからではありません? そもそも受け入れたら社会が成り立たなくなる、と考えてのことですわよね? それは自分たちの社会にとっての優劣を決めていることにはなりませんの?」
「攻め込んで行って改めようなんてしていないわ。でもあなたはそうしている。相手を見下し優劣をつける人間の改革が産むのは破壊……それが他国の人間によるなら在るのは侵略だけよ」
「──そもそも葦原明倫館のあなたが何故、百合園のことに拘りますの?」
「空京大学生よ。今はマホロバ史学を納めるために留学中。いずれ百合園の教師になるつもり。これで動機はいいかしら?」
「よろしいですわ、お続けになって」
「貴女と喧嘩したいわけじゃないわ。これ、私の連絡先。雑談相談くらいなら何時でもどうぞ」
 祥子は携帯の番号とメールアドレスが書かれたメモを、アナスタシアに差し出した。
「……百合園の生徒会長は教職を凌ぐ権限を持っていますの。あなたが将来教師になられるなら、誤解を招くことになりかねませんわ」
 彼女は注意深くアナスタシアの反応と言葉を待ったが、特別な違和感は感じ取れなかった。……虚勢が少々混じっていそうではあったが。
「それに、既に百合園に友人がおりますの。私は賛同者を求めているだけであって、皆さんを無理やり改革しようとはしていませんわ。選ぶ選ばないは、選挙で公正に決まることですもの。ですから」
 アナスタシアはメモを受け取ると、その番号に手早く電話をかけ、ワンコールで切った。そしてそのまま、メモを返す。
「私の話をお聞きになりたいときに、あなたからかけてくだされば嬉しいですわね」
 彼女の様子を見て、エレンは桜子に目を向ける。桜子はアナスタシアが苦手なのか、先程から黙っている。確かに、アナスタシアは典型的貴族令嬢らしく、プライドが高く口調も厳しく、とっつきにくい人物だ。引っ込み思案の桜子からすれば、できれば関わりたくない相手だろう──それでも生徒会長の座を争おうと立ったのだから、戦う気はあるのだろうが。
 そんな桜子は、アナスタシアの言いようがカンに障ったらしかった。
「……私は、アナスタシアさんのことを良く知っている訳ではありませんが……、そのような態度を取られるようでは、敵を作るばかりだと思います」
「あら、日高さんに会長の何がお分かりになるの?」
「生徒会長は、生徒の代表、です……。あなたのような方が会長では、……百合園はシャンバラで孤立してしまいます」
「何ですって?」
「私も百合園の教師を目指していますから、中立の立場で言いますわね」
 険悪な雰囲気になる前に、エレンは二人の口論に口を挟んだ。
「伝統という言葉に縛られていては時代の変化によってその本質を顕せなくなってしまうこともある。それでは本末転倒よ。そして時代に合わせて新しいカタチを作るということでも同じ。本質を考えず、ただ時代や流行に合わせたカタチでは、そもそもの意味がなくなってしまう。
 その伝統がなぜ伝統として守られてきたのか、その本質が何であるのかをよく考えさえすれば、伝統を時代に合わせて変えられる、むしろそれをよく考え変えていく必要があるわ。新しいモノを求める方も、古きモノを守りたい方も、本当に必要なモノが何であるのか、本当に守らなくてはならないモノが何であるのか、よくお考えになって、そしてよく話し合うことよ」
 エレア・エイリアス(えれあ・えいりあす)がたとえ話を出した。
「そうですねぇ〜。たとえば〜商売の目的は儲けることですけど〜、本質は〜豊かに〜なること〜、豊かに〜すること〜ですわよね〜。ですから〜、商売では〜、相手からただ搾取するということが〜良いとはされませんの〜。だってそれでは〜、単にそのとき儲けられるだけで〜、そのときの利益だけで終わってしまいますもの〜」
「そうですわね」
「はい」
 二人は頷く。それを見て、エレアは続けた。
「むしろ〜、時として損をしても〜、相手を儲けさせたり〜、富ませることもしますわよね〜。それは〜、そのときは利益が少ない〜、あるいは損をしたとしても〜、長期的にはその相手と〜、長く良い商売を続けることで〜、最終的には〜より多くの利益を得られるからですわ〜」
 フィーリア・ウィンクルム(ふぃーりあ・うぃんくるむ)が今回の交易の問題と比べて、エレアの話を具体的に
「短期で搾り取る、あるいは足元を見て不公平な商売をと考えられてしまうのは、その相手が長期的なものをまだ考えられぬ若造かうつけという場合と、こちらの命数が少ない、つまり長くは続かぬ勢力じゃと相手に判断されてしまう場合の二通りがあるのぅ。前者ならばそのような相手と商売などせぬことじゃ。後者ならば……そのように相手に思われていることを恥じて長く続く勢力となるようにせねばの」
「交渉も同じですよね。交渉をする際に、その交渉の本質を見極めてないと、お互いに納得できるような答えは出せません。またおもてなしも、形ばかりにとらわれて本質をおろそかにすれば、相手の方に不快な思いをさせてしまうことになるってことですね。本当に大切なのは形じゃなく本質で、ボクらが学院で礼儀作法などの形を学ぶのは、その形から本質を学び取って身につけるためなんですよね」
 アトラ・テュランヌス(あとら・てゅらんぬす)がエレアとフィーリアの話を補足し、総括した。
 まだ納得できないように、アナスタシアはエレンたちの言葉を確かめるように、
「つまり──百合園女学院の大和撫子の作法とは、“本質”を学ぶための手段、というわけですの?」
「そうなります。ですから、守旧と革新という名前・作法の形だけに拘っている方は、右か左かどちらかにずれているかの問題で、ずれているという点では一緒。拘れば、私から見れば言葉に縛られているように見えるわ。それが先ほど祥子さんが仰った、足が付いている地面ということと関わってくるんじゃないかしら? 何のためにその作法を採りたいか、という」
(──どちらにしても、ですよ)
 黙って静かにお茶を飲んでいた(メイドさんは使えるべき相手──この場合、役員立候補者たち──を邪魔してはいけない)野々は、ふと、カップを置いて。
 アナスタシアと桜子をそっと窺った。
 それぞれエレンたちの話に、考えるところがあったらしい。お茶を飲みつつ、押し黙っている。
(今回のお茶会で、候補者の皆さんを見れたらいいなと思いましたが。お茶会で、候補者もスタッフである以上、そういう気遣いをさせてはいけませんよね。それに)
 自分は今回、使われる者。でも、アナスタシアも桜子も、自分が何かをしたいと焦っているのか、野々を使いこなしてはいなかった。もう一つの目的。商工会議所の面々の顔をと名前を一致させる時間も十分にあった。
(大事なのはおもてなしの心構え、メイドの心得ですよ。例えばメイドなら家と主人を支えますし、お茶会ならその成功を支えるでしょう。支えるべきモノが見えないスタッフなんて、害でしかありません!)
 野々は心の中で想像を膨らませつつ憤慨してみたりして。
(……と、私を怒らせて階段の手すり磨き100回になる前に、きちんとゲストに「心からの」おもてなしをして欲しいものです)
 そうして本格派の彷徨うメイドさんは、休憩後に思いを巡らせるのだった。