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【重層世界のフェアリーテイル】魔術師達の夜宴(後編)

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【重層世界のフェアリーテイル】魔術師達の夜宴(後編)

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   1

 午後八時。
 石畳をデッキブラシで擦りながら考え事をしていた安芸宮 和輝(あきみや・かずき)は腰を伸ばし、ふうと息を吐いた。
 昼間の戦闘を思い浮かべることが出来ぬほど、スプリブルーネの街は静寂に包まれている。
「シルフィー、【アシッドミスト】を頼みます」
「【アシッドミスト】は洗剤じゃないんですけれど……」
 まあ、きちんと酸性度と範囲をコントロールすれば綺麗になりそうですわねと思いながら、クレア・シルフィアミッド(くれあ・しるふぃあみっど)は【アシッドミスト】をピンポイントに発動した。
 ほんの何時間か前、闇黒饗団(あんこくきょうだん)の下っ端連中を迎え撃った和輝たちは、地球から持ち込んだシュールストレミングの缶詰を使った。「世界一臭い食べ物」として有名なアレである。
 魔力に劣る和輝たちとしては有効な戦闘方法だったが、この缶詰はもろ刃の剣であった。
 あまりの臭さに闇黒饗団の魔術師たちを倒すと同時に、和輝ともう一人のパートナー、安芸宮 稔(あきみや・みのる)もが深いダメージを負ってしまったのだ。
 幸いにして被害を免れたクレアがしばらくして戻ってくると、気絶していた魔術師たちは姿を消していた。和輝と稔もようやく目を覚ましたが、周囲には悪臭が漂ったままだった。
 このままでは朝、何も知らない住民たちが家を出るなり被害が拡大してしまうと考えた和輝たちは、せっせと掃除に勤しむことにしたわけである。
 もっとも一心不乱というわけでなく、和輝はこの第二世界と自分たちの世界の繋がりや、魔術師たちの魔法についてあれこれ考えていた。
 どうやら闇黒協会の魔術師たちは、パラミタで言うところのメイガスやシーアルジストと同じような術を使うらしい。だが、物理攻撃を無効にする自動発動の防御術式などは、この世界にしかない。一体、どこが違うのだろう? メイガスであるクレアにも、それは分からなかった。
 一方、稔は民家を訪ねていた。人払いの術式は住民に「家から出る気を起こさせない」だけで、訪ねることは可能だ。掃除道具を貸してほしいという名目で訪れた稔から漂う異臭に顔をしかめながらも、「魔法協会の用事で」と言い添えると、住民は決して断ったりはしなかった。
 稔は、最近何か異変が起きていないか尋ねた。
「異変?」
 住民はおうむ返しに尋ねた。
「何か魔法的な……泉が出た、地下水位が下がった、最近雨が減った、地震が増えた、矢鱈と行方不明者が出ている……そんなところですか」
 いいやと住民はかぶりを振った。
「変なことなんて、ありゃしないよ」
 とはいえ、今現在、外に出ようとしない彼らの身に起きていることこそ「異変」であろうが、本人は全く気付いていない。
 となれば、彼らの意見は全く当てにならないだろう。
「ああ、でも」
 ぽん、とその住民は手を叩いた。
「今夜は確かに異変かもしれないな」
「え?」
「今夜は魔力が増大する。俺たちですら、何でも出来そうな気がするしな」
と、彼が腕を動かすと、立てかけてあったブラシがふわりと浮いて稔の手元に落ちた。
「な?」
 住民は窓から外を眺めた。
「見なよ。禍々しいほどの色じゃないか?」
 遠くに、真ん丸な月が浮いていた。
 真っ赤な、血のような月が。


 ぴちゃん、と水がどこかから滴り落ちた。
 地下水か、それとも水路の水か、とシュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)は思った。
 ここは闇黒饗団の本部である――らしい。
 というのは、魔法協会から撤退することになり、「手記」たち饗団に協力した者は団員と一緒にこの場所へいきなり転送されたからだ。ここがどこなのか、全く分からない。
 ただ、四方を古い石壁で囲まれていること、星や月の光が差し込まないことから、「手記」は地下であろうと推理した。
 そして好奇心と言う免罪符を振りかざし、疑われない程度に歩き回ったところ、どうやら水路か地下道らしきものに繋がる箇所を見つけた。ただし、どこに繋がっているかは分からない。
 石壁の強度は低く、下手をすれば崩落する。魔法は使わない方がよさそうだ、と「手記」は考えた。
「やってられない」
と呟いたのは、牢獄内――ちなみに後から作ったもののようだ――の于禁 文則(うきん・ぶんそく)だ。彼女はパートナーのフィーア・四条(ふぃーあ・しじょう)と共にやってきた。何でも第三世界と間違えたらしい。そして古代遺跡に飛び出した途端、闇黒饗団に捕まった。その上、あろうことかフィーアは文則を置いて逃げてしまった。
「逃げてやるっ」
 息巻いているが、なぜか壁に向かってだ。その上グラップラーでは、そうそう力も発揮できないだろう。
「手記」は文則の前を通り、手足を拘束され、椅子に座っている女性の前に立った。長い金色の髪が、目元を縛る布にかかっている。美しかった。
 たとえこれが魔法協会のナンバーツーであろうとも、協会が人質一人のために「鍵」を渡すことはないだろうと「手記」は考えた。
 拘束具には何らかの術がかけられているのか、文則と違って閉じ込められているわけでもないのに、逃げ出す素振りを見せることはなく、ぐったりとしている。
「手記」は、自分の衣から四つに折り畳んだ紙を取り出し、そっと彼女のローブに差し込んだ。
 それを牢番の魔術師が見咎めた。
「恋文じゃ」
 しれっとした答えに、魔術師は怪訝そうな表情を浮かべる。
「一目惚れですか?」
 傍らのラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)が尋ねた。
「まあ、そんなところじゃの。美しいではないか」
 ラムズは力の抜けたメイザースを見た。目隠しと猿轡のせいで、顔もよく分からない。これで一目惚れ?
「我が初めて書いた『恋文』じゃ。必ず目を通しておけ。……我らの言葉は読めんかもしれんが」
 生憎、パラミタや地球の契約者たちは、読むことは出来てもこの世界の文字を書くことは出来ない。
「読めないラブレターを書いたんですか」
「気持ちを伝えられればそれでよい」
「……愛ですね」
「まあ、そうじゃな」
 二人の会話を聞いて、若い牢番も納得したようだった。彼にも想う相手がいるのかもしれない。
 実のところ、その手紙には文字は一つもなかった。抜け道らしき場所へと通じる、簡単な地図が線だけで描かれている。
 気持ちを伝えることが愛であるなら、この手紙は正しく恋文。間違っているわけではあるまい、と「手記」は思った。
 ラムズは、
「……まあ、そういう恋愛もあるんでしょうね」
と頓珍漢なことを呟いた。