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わたしの中の秘密の鍵

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わたしの中の秘密の鍵

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【十 変形】

 フェンザード邸付近に残ったのは、天音、ブルーズ、唯斗、真人、キャンディス、司、サクラコ、理沙、セレスティアの九名であった。
 勿論、邸内に居座るというような危険は冒さず、邸の外側、少し離れた位置に広がる小高い丘の森に場所を移して、メギドヴァーンの接近を目視しようというのが彼らの計画であった。
「もうそろそろ、来る時間ネ」
 天音のタブレット型端末KANNAを脇から覗き込みながら、キャンディスがいつに無く緊張した様子で、誰に語りかけるとも無く呟いた。
 少し離れたところでは、真人が目を細めながら、満点の星に包まれた漆黒の空を見上げている。
「物事には、結果があれば必ず、原因があります……それを因果と呼びますが、しかしまさか、このような因果がラーミラさんの体に潜んでいようとは」
 感慨深い、というよりも、思わぬ展開に内心で戸惑っているといった方が正しいかも知れない。しかし隣でフェンザード邸を凝視する唯斗は真人とは異なり、今にも出現しようかというメギドヴァーンに対して、現実的な思考を巡らせていた。
「理沙から貰った情報に因ると、メギドヴァーンってのは、規格外の体格を誇る超巨大ワイヴァーン、ってことらしいですな。それも、二対の馬鹿でかい飛行翼が特徴的だとか」
 唯斗が理沙から聞いた話では、最大まで広げた両翼の先端間距離は、100メートルを越える、ということであった。勿論これは、バンホーン博士が発見した古代文献に記されている情報をそのまま信じれば、という話になるのだが、恐らくかの文献は正確な記述が大半を占めているだろうから、メギドヴァーンのこの巨大さも、恐らくは信ずるに足る情報なのだろう。
「単純に見積もっても、通常のワイヴァーンの、ざっと四、五倍といったところか。ドラゴニュートとしては、是非見ておかねばならん相手だな」
 ブルーズの、幾分楽しげにも思える笑みを湛えた声に対し、天音は真剣な面持ちで、タブレット型端末KANNAのコンソールに映し出されるレーダー映像をじっと凝視し続け、視線をぴくりとも動かさない。
 蒼空学園のイコンドック内レーダーから直接送られてきている映像を見る限りでは、もう間も無く、メギドヴァーンが姿を現す筈であった。
 そしてレーダーは、矢張り正確だった。
 サクラコが声にならない叫びをあげながら、闇色の天を指差す。他の全員がその指差す方向に面を向けると、果たして、巨大な翼を左右に広げるドラゴンの如き巨影が、悠然と天を舞う姿が見えた。
 50メートル近い巨躯を誇る超巨大ワイヴァーンが、二対の大型飛行翼をはためかせて、フェンザード邸上空をゆっくりと旋回している。
 と思った直後には、全身を陸地に向けてほぼ垂直に立て、一気に急降下してきた。
 あれだけの巨躯である。轟然と大気を押し退けながらの垂直落下は、フェンザード邸周辺に嵐の様な気流を生み出し、丘の上の森に身を隠している九人のコントラクター達ですら危うく吹き飛ばされそうな程の強風が、辺り一帯を容赦無く襲った。
「始まるぞ!」
 唯斗が短く叫ぶ。
 メギドヴァーンによる破壊行為が、フェンザード邸を瓦礫の山へと変じさせる――誰もがある種の覚悟を持ってその光景を凝視しようとしていたその瞬間、一同の目を疑わせる事態が生じた。
「えぇっ!? 一体、何!?」
「あれは……!?」
 理沙とセレスティアが激しく動揺した、悲鳴に近い声を上げた。
 フェンザード邸の正面に降り立ったその姿は、先程までの超巨大ワイヴァーンなどではなかったのである。
 一体いつの間に、そのような姿に変じたのかは、誰にも分からない。
 だが、今彼らの前に姿を現したのは、ワイヴァーンの強固な鱗で全身を覆い尽くし、二対の翼がそのまま変化したような背面装甲を背負った、巨大なひとの姿――それはまさに、巨人であった。
 ドラゴンを思わせる魔獣型の頭部と、全体に非常にマッシブな体型を誇るその姿は、ある意味、イコンをすら連想させる。だが、30メートルを越えようというその巨体は、通常のイコンを遥かに凌駕する規模を誇り、その滑らかな動作ひとつ見ても、パイロットによる操縦を必要とする機体とは明らかに異なり、俊敏性にも富んでいるように思われた。
「なぁ……確かにさっきまで俺達が見ていたのは……超巨大ワイヴァーン、だよな?」
 司が、半ば呆然と呟く。
 それは、この場に居るほとんどの者達の思いを代弁していたのだが、ただひとり、サクラコだけは違った。
 彼女の獣人としてのよく発達した視力は、メギドヴァーンが巨人体型に変形するその瞬間を、捉えていたのである。
「あの怪物……一瞬で、巨人体型に変形しました……本当に、一瞬、でした……」
 サクラコの脳裏に焼きついていた巨人体型への超速度の変貌は、イコンS−01の変形速度を上回っているとさえ思われた。
「何ということだ……」
 天音が表情を厳しくして、唸るように低く呟いた。
「ラーミラは……あんな化け物に狙われている、というのか」

 そのラーミラはというと、大勢のコントラクター達の護衛を受けながら、ツァンダ領に接するシャンバラ大荒野西部領境付近で、バンホーン調査団と合流を果たしていた。
 フェンザード邸は既に、巨人体型に変形したメギドヴァーンに破壊し尽くされたとの連絡が入っており、住み慣れた邸宅を失ったことでラーミラは酷く動揺していたが、今はそれどころではなく、ともかく一秒でも速く、ドロマエオガーデンに到達することが先決であると諭される始末であった。
 一方、メギドヴァーンが変形したという情報は、バンホーン調査団内に驚愕をもたらしたのも事実ではあったが、ほぼ同じタイミングで、蛇々とアールが猛と共に漁っていたイコン資料の中にフレームリオーダーに関する記述を見つけ、そこに変形についての情報が記されているのを白竜に報告していた。
「フレームリオーダーとは、つまり……太古のイコン開発に於ける変形機構ロジックだったという訳ですか」
 蛇々とアール、そして猛が白竜をキャンピングカー内に呼び出し、キャビン内に広げた数多くの資料の中から一冊を取り出して、そこに記述されている内容をかいつまんで説明したところ、白竜はいささか驚いた様子で、これに応じるしか無かった。
「フレームリオーダー(Frame Re−Order)、つまり構造再配置っていうのは、イコンの各構造ユニットの位置を組み替える……即ち、変形を意味する古代イコン開発の用語だったらしいの」
 蛇々は自分でも信じられないといった面持ちで、フレームリオーダーの何たるかについて説明を加えた。
 このフレームリオーダーは、しかし、変形前と変形後ではあまりにも構造変化が激しすぎる為、設計段階から実現が難しいとされており、結局、完成には至らなかったという。
「現在のイコン設計思想から見ても、その有効性はともかくとして、実現性はほとんど皆無に等しいんだよね。でも、その変形機構を完成させていたのが……」
「あの巨大サイボーグ生物達だった、って訳だ」
 アールが蛇々の言葉を継いで、古代文献に記されていた伝説の魔物達の正体を告げた。
 あの魔物達は、古代イコン開発の現場ではその変形能力から、フレームリオーダーというそのままの呼称で呼ばれるようになっていたらしい。
「ちょっと待ってくれ……じゃあ、プロトオーダーというのは、一体何だ? フレームリオーダーとは別種の何か、という意味で良いのか?」
 同席していた輪廻が、戸惑いがちに訊いた。
 この問いかけに対しても、蛇々は明確な回答を用意していた。
「フレームリオーダーとは対になる用語で、変形出来ない初期型配置機構のことをいうみたい。半年前、空京に現れた二体のメガディエーターは、このプロトオーダーだったの。実際、巨人型戦闘形態には変形してなかったしね」
 だが、とここで輪廻が更に疑問を呈す。
 巨大サイボーグ生物は、元々から圧倒的な戦闘力を誇る存在であるというのに、何故巨人型に変形する必要があったのか?
 しかしこの疑問に対しては、白竜がかぶりを振りながら自らの推測を口にして応じた。
「それは矢張り……彼らがイコンを敵に廻すに際して、巨人体型の方がより有効に、イコンと戦うことが出来ると判断したからではないでしょうか」
 白竜のこの推測を裏付けるかのように、蛇々が別の資料の一角を指差した。
 そこには、ブラド・ファンダステンによるフレームリオーダーの所見が記されていた。輪廻は思わず、その箇所を食い入るように見詰める。
「……成る程、巨人体型ならば両手が自由に使えるようになる上、蹴り技や高速転進といった、二足歩行ならではの利点が得られるからか」
 恐らく、巨大サイボーグ生物達は魔獣形態のままでイコンと戦う限界を熟知していたのだろう。イコンが人間と同じ体型で挑んでくるというのであれば、自分達も――という発想は、決して間違ってはいない。
 だがそれ以上に、輪廻はあの巨大サイボーグ生物達がフレームリオーダーを獲得しようと考えただけの知能を持っていたことに驚いた。
 単なる魔獣かと思っていたら、実はそれなりの自我を持った存在である、ということか。
 輪廻がすっかり感心して低く唸っていると、不意にキャビン内の内線からコール音が鳴り響いた。慌てて白竜が受話器を取ると、羅儀が珍しく焦りの篭もった声でまくし立ててきた。
「どうしたんですか?」
『白竜か! 拙いことになった!』
「拙いこと?」
 白竜が訝しげに小首を捻るのと、蛇々がキャンピングカーの窓から外を眺め、小さな悲鳴を上げるのが、ほぼ同時だった。
『敵だ! メガディエーターが、追って来ている!』
 受話器の向こうから響く羅儀の叫びに、白竜の表情がさっと緊張に強張った。一方で、蛇々も窓の外から車列後方の上空に、視線を釘付けにしている。
 決してそう遠くない、夜明け前の薄暗い天空に、巨大な鮫のシルエットが浮かび上がっていたのである。

 小型飛空艇でバンホーン調査団の車列と併走しているコントラクター達は、即座に後方へと転進し、メガディエーター迎撃へと向かう。
 赤ロア、レヴィシュタール、魔ロアの三人はそれぞれ、小型飛空艇ヘリファルテを駆って、徐々に高度を落としてきている巨大鮫の正面に位置を取った。
 ところが。
「駄目だよ! あいつの前に居たら、音波兵器で蹴散らされるよ!」
 十数メートル右手の位置で、淵が操るヘリファルテと併走する空飛ぶ箒シュヴァルベに跨ったルカルカが、血相を変えて赤ロア達に警告を発した。
 半年前にメガディエーターと遭遇した経験のあるルカルカでなければ、知り得ない情報であった。
「ルカ! ダリルはどうした!?」
 カルキノスが迫り来るメガディエーターの巨影に獰猛な唸りを漏らしながら、大声で訊いた。ルカルカも同じく、巨大鮫の鋭い歯列を遠くに眺めながら、しかしその声は極めて冷静に応じる。
「ダリルは、ラーミラさんと一緒にドロマエオガーデンに行って貰うことにしたの! ここでバティスティーナ・エフェクトを持つひとを、戦力として足止めさせる訳にはいかないから!」
 成る程、とカルキノスは頷いた。
 現段階に於いては、ダリルは除去後の魔導暗号鍵を処置することが出来る、数少ない人材のひとりなのだ。対メガディエーター戦に駆り出すのは、得策ではない。ルカルカの判断は、理に適っているといって良い。
「来るぞ!」
 赤ロアが、短く叫んだ。
 いつの間にかメガディエーターの巨大な影が、一同のすぐ目の前にまで迫ってきている。大きく上下に開かれた顎の中から、鋭い三角形の歯列が歯茎ごと飛び出してきて、コントラクター達に襲い掛かってきた。
 秒速数十メートルという、ほとんど突風に近い速度で突撃してきたメガディエーターの巨躯を、コントラクター達は間一髪のところで何とかかわした。
「どぅわぁ! あ、危ねぇ!」
 淵が、悲鳴に近い叫びを上げたものの、その言葉には攻撃をかわし切ったという安堵感に近い響きが、僅かながら感じられもした。
 しかしその直後、かわしたと思った一同を絶望に追いやる事態が生じた。
 小型飛空艇ヘリファルテや空飛ぶ箒シュヴァルベで編成された一隊が、左右に展開してメガディエーターの巨体をやり過ごした直後、そのメガディエーターの巨大鮫としての肉体が突如バラバラに組成を組み替え始め、ほとんど一瞬にして全く別の形態へと姿を変えたのである。
 表面は鮫特有の硬い皮膚で覆われており、両腕の肘から手首に当たる位置には、直前まで上下の顎の中にあった筈の鋭い歯列がずらりと並んで接近戦用の武器と化し、胴体後方から尾鰭にかけての部位が屈強な下半身へと変形し、二本の強脚でしっかりと大地を踏みしめる。
 まさに、巨人。
 イコンを遥かに上回る超大型の巨人型戦闘形態へと変貌を遂げたメガディエーターが、その列車の如き豪腕を左右に振るい、かつては顎の中に収められていた歯列を下腕部の武器として、ヘリファルテ隊に叩きつけた。
 この突然にして一瞬の変形と、思いもよらぬ方向からの轟然たる攻撃に、赤ロアとレヴィシュタールのヘリファルテが撃墜された。
 魔ロアとカルキノス、そして淵のヘリファルテは辛うじて難を逃れ、ルカルカのシュヴァルベも何とか攻撃をかわしたのだが、圧倒的な戦力差は如何ともし難く、一同の表情に焦りの色が見え始めた。
「んもう! こんなの、反則だよ!」
 ルカルカが、吐き捨てるように叫んだ。
 残った戦力だけで、果たしてこの巨人型戦闘形態へと変貌したメガディエーターを、どこまで足止め出来るのか――この場に居る誰しもの心の中で、その思いは強烈な疑念へと変わりつつあった。
 しかし、彼らのそんな危機感をまるで嘲笑うかのように、メガディエーターは大地を豪快に蹴って宙に舞い、ほとんど一瞬にして、再びあの巨大鮫形態へと変形した。
「しまった!」
 魔ロアが慌てて、ヘリファルテの操縦桿を後方に切る。
 メガディエーターにしてみれば、小うるさい障害物の群れを蹴散らしさえすればそれで良かったのである。再び巨大鮫形態に戻り、全速力でバンホーン調査団本隊を追えば、残りのヘリファルテやシュヴァルベが後から追いすがってこようが気にも留めない、という訳であろう。
 以前は見事に撃退したメガディエーターだが、今回は完全に翻弄されている――ルカルカが内心で歯を噛み鳴らしたのも、当然であった。