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わたしの中の秘密の鍵

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【九 迫り来る巨影】

 深夜のフェンザード邸に、ケルンツェル屋敷からの車両部隊が到着した。
 天音からの要請に従い、レティーシアは単にジープやトラックなどを寄越してきただけではなく、ケルンツェル屋敷で一晩宿を貰っていたコントラクター達を乗せてきていた。
 これも念には念を入れてということで、天音がレティーシアと話し合って下した結論に因る措置だった。
 いささか荒れ気味の庭先には幾つもの篝火が焚き出されており、その一角だけが、真夜中とは思えない明るさに包み込まれている。その庭先に停車した車列から、大勢のコントラクター達が表情を若干強張らせて、次々と降車してきた。
 彼らは全員、邸内の応接室に呼び込まれ、既に参集していたフェンザード邸の家士や従者、そしてカズーリ、ラーミラ、ラムラダといった面々が座を占めるテーブルを囲むような形で、立ち姿の輪を構成した。
「既に連絡が各自行き届いていると思うから詳細は割愛するが……メギドヴァーンがこちらに、接近してきている模様なんだ」
 レティーシアを介して蒼空学園のイコンドック内レーダーで確認して貰ったところ、矢張り大型の未確認飛行物体がフェンザード邸に急速接近している旨の回答を得ている。
 推定到達時刻は、今から30分後であるらしい。最早、時間的余裕はほとんど無いといって良い。
「バンホーン調査団からの報告じゃ、魔導暗号鍵除去装置ってのがドロマエオガーデンで発見されたって話だから、ラーミラさんをあそこへ連れて行くって流れになるのかな?」
 理沙が銃型HCのコンソールを眺めながら、戸惑った様子のラーミラを覗き込みながらいう。
 既に魔導暗号鍵による精神支配下から解放され、自我を取り戻していたラーミラは、実のところ事情をあまり理解していない。
 カズーリとラムラダ、そしてフェンザード邸の家士・従者達に至ってはいわずもがなであろう。
 ドロマエオガーデンが危険な場所であるということは、敢えて教えていない。下手に説明すれば、ラーミラを連れて行く為に、カズーリやラムラダに対して懇々と説得しなければならなくなる。
 メギドヴァーン接近の報を受けている以上、無駄な説得作業に時間を費やすのは愚の骨頂といえた。
 以後の予定としては、すぐにフェンザード邸を発ってドロマエオガーデンを目指すことになるのだろうが、途上でバンホーン調査団と合流する予定であるという。
 但し、今回用意したジープやトラックでは、全員を乗せていけるだけの余裕は無い。また、フェンザード邸に残ってメギドヴァーンの姿形や戦闘能力を確認し、情報としてバンホーン調査団に伝達する役割を担う者も必要となってくる。
 尤も、カズーリ、ラムラダ、そしてフェンザード邸の家士・従者は即刻、ケルンツェル屋敷に避難する手筈を整えなければならない。
 よって、ラーミラと共にドロマエオガーデンに向かうチーム、フェンザード邸に残ってメギドヴァーンを確認するチーム、そしてカズーリやラムラダ達をケルンツェル屋敷へ誘導するチームの三部隊を構成する必要があった。
「ここに残る者は、ある程度自衛能力に長けた者でなければならないな……まずは、僕が残ろう」
 天音が最初に手を挙げると、当然ながらブルーズも同じくフェンザード邸に残ることになった。
「私は……ドロマエオガーデンに向かった方が良いのかな?」
 リカインが困ったような表情で小首を傾げると、ダリルがうむ、と頷く。
「円とオリヴィアの調査によれば、ラーミラの体内から除去した後の魔導暗号鍵を安全に消去するには、バティスティーナ・エフェクトが必要だということらしい。まぁこれはヴィーゴ・バスケスの調査結果によるものだからあてに出来るかどうかは分からんが、それでもそういう情報がある以上は、一緒に来て貰わないと困る」
 ダリルの説明に、円とオリヴィアは追認する形でリカインに頷きかけた。
 そこまでいわれるからには、もう従わざるを得ない。リカインはヴィゼント、アストライト、サンドラ達に振り向く。
「全員で行くのは無理っぽいから、私だけで行くわ。悪いけど、こっちに残って避難誘導してくれない?」
「お嬢をひとりで行かせるのは心配ですが……ま、今回は仕方ありませんな」
 ヴィゼントが小さく肩を竦めると、アストライトとサンドラが笑顔を見せて胸を張った。
「こっちは任せといてくれ。それよりも、あっちにゃスナイプフィンガーが居座ってるかも知れねぇから、十分に気をつけてな」
 リカインは渋い表情で腕を組んだまま、小さく頷く。あまり耳にしたくはない名前を聞かされて、少々気が滅入ったようだ。

 邸内がそれぞれの準備に追われて、慌ただしい空気に包まれ始めた中、ダリルはカルキノスと淵を応接室の端に呼び寄せ、エオリアからの問い合わせについて説明を加えた。
「フェンザード家の歴史についてある程度は調べがついたといっていたな……祖先についてはどうだ? ファンダステンという名が、出ていなかったか?」
 ダリルが問い合わせ内容を説明している間にも、淵は公立図書館での調査結果を纏めたノートを広げ、フェンザード家の家系に関する情報を記したページに視線を落としていた。
 カルキノスが傍らから覗き込むと、そこには確かに、ファンダステンという名が記されている。もう数千年前というから、フェンザード家は余程に由緒正しい家系と呼ぶべきであろう。
「ビンゴだな。ってことは矢張り、ラーミラの体内にあるっていう魔導暗号鍵は……」
「巨大サイボーグ生物達を封印した暗号コードを解除する為の鍵……と見て良さそうだな」
 淵の台詞を、カルキノスが継いだ。
 ここまで分かれば、もう十分である。矢張りメギドヴァーンの狙いは、ラーミラひとりにあると考えるべきであろう。
 そのラーミラはというと、応接室の別の一角で、司がレティーシアに用意させた装備を身に着けるかどうかで随分と迷っている素振りを見せていた。
「大丈夫だ。君に直接、戦えといっている訳じゃない。ただ、もしもの場合に備えて、武器防具は装備しておいた方が無難だ、といっているだけだ」
 司の説明に対し、ラーミラは随分と混乱した様子で、サクラコが抱えている軽量装甲の鎧や長剣等を眺めている。
 実際のところ、自分に使いこなせるのだろうか――そんな自信の欠如が、ラーミラの決断を鈍らせているようであった。
 司は尚も言葉を尽くして、ラーミラを説き伏せようと力を込めた。
「何も問題無い。身体能力測定の結果からも、君がコントラクターの装備に十分耐え得る体力の持ち主だということは証明されている」
「そうですよ〜。だから、自信を持って!」
 サクラコがラーミラを安心させようと、笑顔を湛えて鎧と長剣を差し出す。それでもラーミラは今一歩、決断するには至っていない。
 司は両の拳を腰に当て、小さく溜息を漏らした。
「君は自分自身の能力を疑っているようだが……そりゃ確かに、ひとは嘘をつく。サクラコが測定の際に手加減していたことは認めよう。しかし、数字は決して嘘はつかん。君が示した身体能力の測定値は、間違い無くコントラクターに匹敵している。そこは俺が保証する」
 司のこの説得がようやく功を奏し、ラーミラは腹を括ったようである。彼女はおずおずとした仕草ながら、サクラコから装備一式を受け取り、幾分青ざめた表情ではあったが、しかし力強く、頷き返した。
「分かりました……そこまでいって下さるなら、信じましょう。ところで、あなた方はどうなさるのですか? ドロマエオガーデンなる場所に、ご一緒してくださるのでしょうか?」
 ラーミラの問いに、司はかぶりを振った。サクラコも残念そうな笑みを浮かべ、頬を指先で軽く掻いた。
「俺達は、メギドヴァーンの姿をこの目で確かめる。奴の戦闘能力を直接見ておくのとそうでないのとでは、雲泥の差だからな」
「そう……ですか」
 ラーミラは、酷く残念そうに頷いた。自分を励まし、力づけてくれた司とサクラコが一緒に来てくれないというのが、頼り無く思えてならなかったのだろう。
 その一方で、逆にこの場に残れといい渡されて困り果てていたのが、理王と屍鬼乃のふたりである。屍鬼乃はまだそれ程でもなかったが、理王が正子から居残りを命じられた際の落ち込みようは、ひとかたならぬものがあった。
「なぁ正子……そんなに、オレと一緒に居るのが嫌なのか……?」
「誰もそんなことはいっておらんだろうが」
 理王の落胆した声に、正子は心底呆れ返った反応を示した。
 と、そこへ理沙が傍らにするすると寄ってきて、意味ありげな笑顔を正子に向ける。
「このひとさ、正子さんをお姫様抱っこしたくて仕方無いみたいだよ……ね、ご褒美にお姫様抱っこをさせてあげるってのはどう? 勿論、きっちり仕事を果たしたら、って条件付きで」
 流石に、その程度のことは許してやらねばなるまいか――正子は深い溜息を漏らしてから、理沙の提案に乗る旨を口にした。
 すると理王の表情が、見る見るうちに輝きだしてきた。現金なものである。
「そういうことなら、受けよう! ここのひと達は間違い無く、ケルンツェル屋敷まで送り届ける!」
 半ば叫ぶような勢いで弾けるような笑顔を見せる理王の傍らで、屍鬼乃がノートパソコンに、早くも正子のデータを入力する為の雛形を作成し始めていた。

 かくして、ふたつの大移動が始まろうとしていた。
 まずフェンザード邸の庭先に停めてあるトラック内に、カズーリやラムラダを始めとして、邸内の家士と従者達を荷台に乗せ終えると、護衛のコントラクター達も数名、同じく荷台に乗り込み、発進の合図を待った。
 トラックの荷台内は絨毯が敷き詰められ、低いベンチとシートベルトも設置されており、荷台とはいえ、そこそこ快適に過ごせるように工夫が為されている。
 カズーリやラムラダといった上流貴族を迎える以上、最低限この程度の設備は必要だろうと考えた天音が、事前にレティーシアに用意させていたのである。
 この辺は、日頃のセンスが大いに発揮されたといって良い。
「座り心地は、どうですか?」
 カズーリの正面の床、絨毯に直接腰を下ろしている歩が問いかけると、カズーリは柔和な笑顔で小さく頷き返した。
「お心遣い、感謝致しますわ。失礼ながら、コントラクターと呼ばれる方々を単なる荒くれ者と誤認しておりました……矢張り直接このようにお顔を合わせてみないと、分からないものですわね」
 歩は、カズーリの素直な感想を受けて、何となく嬉しくなった。
 まだまだシャンバラ人の中には、コントラクターに対して心を許していない者が大勢居るのも確かである。それが、このような形で徐々に打ち解けていければ、との思いが歩の中で芽生えようとしていた。
 歩と共に、フェンザード邸のひとびとを護送する任務に指名された日奈々が、歩の隣で柔らかな笑みを浮かべた。
「歩ちゃん、良かったね。こんな形で少しずつ、色んなひとと分かり合えていけたら……もっと楽しい世界が、広がってくる、よね」
「そうだね……それにラーミラさんも、メルケラド家で上手くいけそうな気がしてくるよね。最初はお互いのことが分かんなくても、時間が経って双方が大事に思い合えるようになれたら……素敵ですよね」
 歩のこの独白に近い台詞に対し、カズーリはにこやかな笑みを返してきたが、ラムラダは複雑そうな面持ちで俯いてしまった。
 丁度その時、北都が荷台の転落防止板をロックし、準備完了の合図を送ってきた。
「よし、良いよ。モーベット、出してくれ」
「……了解」
 北都の指示を受けて、モーベットがトラックの運転席でハンドルを握り、アクセルを踏み込む。片や北都は、自前の足である小型飛空艇オイレに跨り、機晶エンジンを起動させた。
 トラックを上空から護衛しようという意図だが、他にもアイリーンが機晶姫の飛行能力を駆使して、メイド姿のまま北都と併走する形で宙を舞っている。
「失礼致します。私もコルネリアお嬢様の命により、お供させて頂きます」
「あ、そ、そう……宜しくね」
 北都はいささか面食らった様子ではあったが、それでも冷静に応じる辺り、矢張り相当な精神力の持ち主であるらしい。
 一方、アイリーンに上空からの護衛を命じたコルネリアは、美奈子と共にトラックの荷台の中に居た。コルネリア自身は随分と静かに腰を下ろしていたが、美奈子は北都やアイリーンと同じく、上空を舞うレティーシアの姿にすっかり興奮してしまって、もうそれどころではなくなっていた。
「コ、コ、コルネリアお嬢様! た、た、大変ですわ! レティーシア様が……レティーシア様が、あんなに慎ましやかに、そ、空を飛んでおいでですわ!」
 トラック内でひとり浮いている美奈子に、コルネリアは頭痛を感じたらしく、眉間に皺を寄せ、拳を額に当てていた。
「まぁ……随分と楽しそうにしてらっしゃいますのね」
 カズーリが妙に感心した様子で、美奈子の絶叫をそのように評した。
 歩と日奈々は引きつった笑みを浮かべて、互いの顔を見合わせる他は無い。
「申し訳無いが、少し静かにしてくれないか? 通信が聞こえん」
 運転席から、モーベットが苦情を申し入れてきた。つまり、美奈子の絶叫はそれ程までに凄まじかった、という訳である。
 荷台の家士・従者達が迷惑そうな顔を見せているのも、道理であった。