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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

リアクション

     ◆

「おいラナロック……お前まだ意地張ってんのか? なぁ」
 騒ぎの所為だろうか。もう誰もいない街中、アキュートの声が辺りに響き割った。
「のう、ラムズ。あの男は何故あそこまで熱くなっておるのかの」
「それはまぁ、心配だからでしょうね」
 冷静に、二人はそんな事を口にしながら彼等の後を追っている。
「アキュートよ、そんな大声を出さずとも、恐らく御嬢さんは聞こえているぞ」
「そうだよー。僕さっきから耳が痛くなってきちゃったよー」
「じゃあなんであいつは止まんねーんだ?」
 先へ先へと勝手に突き進むラナロックを懸命に追いながら、ハルとウーマに尋ねるアキュートはしかし別段二人に返事を求める事もなく、それは一種独り言に近い。
ラナロック、アキュートたち、そしてその後ろをラムズたちが歩いている、更に後ろ。彼女、鳳明は神妙な面持ちでその光景を見ていた。
「あのさ……ラナさん。無茶する気かな」
「(さぁ、どうだろうね……。でもあの様子だと、やりそうな気がしないでもないよね)」
「だよね……あの時の――誕生日の一件もあったし、ウォウルさんの身が危ないって聞いたら、多分彼女――」
「それはないな」
 天樹に向けていた筈の声に、ふと返事が返ってくる。前方から、その言葉がやってきた。
「その……ウォウル、とやらだったか。彼はどうやら、ラナロックの意識の中には入っていない」
 『手記』の言葉。
「どういう事?」
「私怨、じゃよ。あやつは私怨に近い感情を持っている。故に、ウォウルとやらがどうなるかが問題ではなく、あくまでもその矛先はドゥング、そのものじゃ」
「……だって、あの時は――」
「以前はどうかは知らぬ。知らぬがしかし、ドゥングだったか、がウォウルに殺意を持ったと知った時、ラナロックの様子がおかしくなった。それこそ、皆が気付かぬ程の変化ではあるがの」
「だからそれは、ウォウルさんが危ないって知ったからで……」
 が、そこで二人の会話が止まる。
「いきなり止まるなラムズ。鼻がつぶれたではないか」
「い……いえ」
「おい、おいラナロック! お前さん一体何をやらかそうってんだよ」
 ラムズが指を指し、鳳明たちが前を向くとアキュートに羽交い絞めにされているラナロックの姿があった。手には銃を握りしめて。初めは暴れていた彼女ではあったがしかし、どうやら観念したのか手にする銃を地面に落とす。
「………私が、私がいるから……」
 その言葉に対し、アキュートがため息をつく。
「まだそんな事言ってんのか。お前さんが気にしてどうするよ。そんなもん、気にしなけりゃいいじゃねぇか。俺たちぁそんな細けぇ事をうだうだ言わねぇよ」
「そうだぞ、ラナロック嬢。そなたが自ら命を絶っても、何も変わる事はない。そなたが此処で息絶えようが、ウォウル殿はあの男に命を狙われる。それは変わらなぬ」
「折角仲良くなったんだよ? 早くあの人を倒して、またみんなで一緒に遊べばいいじゃない」
 ウーマの後、恐る恐るラナロックの顔を覗き込みながら、ハルはそう呟いていた。懸命に彼女を励まそうと、必死に彼女の顔を覗き込んでいた。
「ラナさん。私ね……思うよ。貴女はきっと、此処で挫けちゃいけないんだって。確かに辛いよね、苦しいよね。でもそれから逃げてちゃ、駄目なんだと思う。笑おうよ、今は無理でも。笑おう? 全部終わったら、それが無理でも、明日でも明後日でも良いから、兎に角笑おうよ! 私も、皆も、笑える為に頑張ってる。明日って言う日を、これからって言う日をみんなで笑える為に、今日を、辛い事を、悲しい事を頑張ってる。だからラナさん、ラナさんも逃げちゃ駄目なんだよ」
「くふっ……くふふふふっ!」
「ど、どうしたラムズよ」
 静寂が、ラムズの不思議な笑みによって破られた。
「いえ。笑ったんです。ちょっと無理やり笑った試しがないので変になってしまいましたが、笑ったんですよ」
「ラムズよ、別に今でなくとも――」
「恐らく笑うのは、今なんじゃないですか? こんな時だから、笑ってやればいいんじゃないですか。僕はね、ラナロックさん。貴女や他のみなさんが、ある種羨ましく感じる時がある。何故なら貴女たちは皆、過去を持っているから。先程、まだあの施設にいた時、コアさんは言っていましたよね、貴女に。過去がない、と。彼の気持ち、少しわかります。私はね、断続的に、それこそいつまでも過去がないんです。此処にいる『手記』に記してみても、それは私からすれば紛い物の記憶に思うんです。何故ですか? それはその時の感情を、その時の情景を、私が持っていないから。文面を見れば想像出来る。言葉を辿れば空想出来る。だけどそれは、果たして私の記憶と言えるのか。私にはわからない」
「…………」
 一同が静かにその言葉に耳を傾けていた。
「貴女には忌まわしき記憶がある。消したくても消えない記憶があり、同時にそれは過去と言う形で縛られている。でもね、私はそれすらも味わえない。皆さんが苦しみ、喜び、悲しみ、時にその命を絶ってしまおうと考える程の過去を、私はいつまでも持つことが出来ないでいるんです。それがどういう意味だか、貴女にはわかりますよね」
 やはり誰一人、口を開く事はしない。
「だから私は今、笑いました。どうせこの記憶は、時と共に薄れ、流れ、零れ落ち、そしていつしか完全に、跡形もなく消えてしまう。だから私は笑うんです。今この時を、皆さんの事を覚えていて、尚且つ今この渦の中にいるこの時を、最大限にまで一人の人間として体感する為に、笑うんです。明日が来ないかもしれない。今の自分はすぐに消えてしまう。だからこそ、笑うんです。そして私が一日で多く、今日の事を覚えていられれば、私はその余韻に浸りたい。折角覚えていられた事が、辛く、悲しい事は御免です。だから笑うんです。皆さんが共に力を合わせてくれている、その事を感謝し、喜びを感じて笑うんです」
 彼は無表情だったに違いない。現に、言葉に入っている抑揚は僅かな物であって、だから聞き手は彼の感情を理解することが困難で。しかし、彼女はくすくすと笑った。
俯いたまま、何がおかしいのか笑い始め、顔を上げる。瞳一杯に涙を溜めて。笑う。見ている人間が痛々しく思う程の笑顔で笑った。
「貴方たちの言う通り、ですわね。考えれば、皆様に迷惑をかけておきながら、一方で少し、『嬉しい』…『楽しい』って思う自分がいます。いるんです。確かに此処に――。だから私は、笑います。辛くっても、悲しくっても。笑う事にします。ありがとう」
 ゆっくりと立ち上がった彼女は、アキュートたちに頭をさげ、そしてその場の全員に頭を下げた。「ごめんなさい、そして、ありがとう」そう呟いて。再び目的地へと進む彼女につられる様にして進む一同を見送り、アキュートは足元に転がる銃を拾い上げる。
「ラナロック――か。随分とおかしな姉ちゃんと知りあったもんだ。過去への贖罪……か。ふん、なんの因果かは知らんがよ。神様、もしもあんたがまだ俺を見限ってねぇってんなら、ある意味この縁、最高のプレゼントなのもかも、な」
 拾い上げた彼は、それを握りしめて小走りでラナロックの横に並んだ。
「おい、ラナロック」
「……はい?」
 恐らく落ち着いたのだろう。もう彼女の瞳に、涙はない。突然呼び止められて驚いている彼女に向かい、アキュートは銃を突きつけた。
「ほら。これ」
 冗談だ、とでも言いたげににんまりと笑みを浮かべる彼は、人差し指に銃をひっかけて数回程回し、グリップを彼女に向けて差し出す。
「お前はこれ――なんだろ?」
「………」
「事情は知らん、これに対するこだわりがどんだけのもんかも知らん。知らんけどな、だったらそのこだわりを、お前を、お前自身を平然と置いて行くのは良い事だとは、思わねぇぜ?」
「アキュートよ、どうした。そなた熱でもあるのか?」
 彼は無言のまま、三度ウーマを裏拳で叩き落とす。
「確かに行き過ぎんだよ、お前さん。『捨て身になれば誰かを守れる』なんて程、世の中甘かぁねぇんだよ。今の自分が何を出来て、何が出来ないのか、良く考えてみな。で、俺が思うにこれを握る事が、まずはお前さんに今出来る事だ。違うか?」
 グリップを握り、ただただ銃を見つめる彼女は、何処か不思議そうな顔をしていた。
「逃げたって構いやしねぇよ。だがな、それで一体何人の奴が救えるんだ? 強制じゃあねぇよ、強制じゃあねぇが、お前さんが絞るその引き金ってなぁ、そうそう軽いもんじゃあねぇと、俺はそう思う。逃げられるほどに、軽いもんじゃあ出来てねぇんじゃねぇか?」
 握る手に、力が籠った。それをただ、力強い瞳で見つめている面々の思いを乗せて、銃を握り、彼女はそれを、進行方向へと向けた。
「私は――」
「脳ミソ融ける位考えて、その引き金の重さぁ理解したら、覚悟決めてぶっ放しゃあそんで良い。そしたらそん時は、俺等……お前の傍に居る奴、が守ってやるよ」
 悪戯っぽく笑った。ラナロックがふと周りを見回すと、彼等も同じく笑っている。「任せればいい」――。言葉のない、無言の会話。
「さ、行こう! ラナさん。皆で乗り切って、そしたら後は大声で笑ってやれば良いじゃない!」
 力強く頷いた彼女は、にっこり笑って一度――向けた銃口をそのままに引き金を引く。
「この重さ。私は忘れませんわ。皆様の、優しさと絆の重さ――」
 驚きつつも、再び笑顔を浮かべた彼等は、再びその足を進めるのだ。ドゥングがいる病院へと向けて。


彼等はもう、公園を捉えられる距離まで来ているのだから。





     ◆

 彼等は静かに、その光景を見つめていた。

そこには一体何の意味があるのか。 ――恐らく彼等は知っている。
そこには一体何の意味があるのか。 ――恐らく彼等は知っていた。

刀真と月夜、そしてゼクスは、ひたすらに息を、気配を、その全てを消してただただ物陰からその光景を見ていた。
「刀真、あれじゃあ無暗に攻撃出来ない……どうするの?」
「まだだ、まだ様子を見よう。出来ればさっき、ラナロックが単独で先行していた時が良かったが、それも僅かな時間だったしな」
 淡々と、まるで大した事はないとでも言いたげに、彼はそう言いながらも手にする漆黒を握りしめる。やはり彼の信念は、揺らぐものがなく、そしてそれは同時に、ある種使命感にも似た物だ。その姿を、ゼクスは何とも面白くなさそうに見つめているのだ。それが彼等の常であるように、彼等は尚もその状態を維持し続けていた。
「移動するみたい。どうする?」
「ついていけばいい。どうせ目的地は知っている」
 そう言うと、彼はタイミングを見計らって通りに姿を現す。
「病院、よね」
「あぁ」
 簡潔に会話を閉じる二人の後ろ、彼もまた、何か意を決した様に二人の前に躍り出た。
「……どうした、ゼクス」
「やっぱり駄目だ」
 言葉が出る。口を開く。何も言わなかった彼が口を開く。
「どうしたの? 何が駄目なのゼクス」
「ラナロックという人を、殺してはいけない」
「何を言っている。あの女を殺さなければ、もっと辛い思いする人間が増えるだけだ」
「でも駄目だ」
 悲痛な叫び。
「殺しちゃ駄目なんだ。あの人は、ラナロックさんは辛い思いをしてきたんだ」
「辛い思いをしたから、更に辛い思いをさせてもいいのか? それはおかしいだろ」
「でも駄目なんだ、彼女は……彼女は幸せにならなきゃいけないんだ。折角生まれて来たんだから」
 悲痛な叫び。
「生まれて来た。そうだ、あいつは生まれた。生まれてきたってことは、それなりの覚悟と責任を持たなければならない。そうだろう? お前が一番知っているはずだ」
「……………」
「ちょっと、刀真」
「良いか? 生まれてくると言うのはそういう事だろう。無自覚に生まれるのは当たり前だ。無責任に生まれるのも当たり前だ。でもな、そこから徐々に自覚して行かなければならない。そうじゃなければ命を落とす。それはみんな一緒だ。そうだろ?」
「……………」
 ゼクスは何も言い返さない。
「なのにあいつは、ラナロックだけは生きていて良い道理はない。そうだろ?」
 残忍な言葉には、しかし優しさが含まれていた。『ゼクス、お前は違うだろう?』――そう、言っている様で。だから自然、ゼクスは口を紡いでただ、俯くだけ。
だからこそ、刀真はその姿を見て、以降何も言わないままに彼の横を通りすぎていった。答えは自分で出すのだと、彼はその重要性を知っているから。
「刀真、ちょっと言い過ぎじゃないのかな。あれ。まだゼクスには荷が重い気がする………」
「駄目なんだよ」
 彼を置き去りにしながらも、しかし数回振り返る月夜。彼女の言葉に短く反論した彼は、暫く考えながら言葉を繋いだ。
「あいつは俺たちと、いや……俺と、か。考え方、そのものが違う、違い過ぎている。まだ純粋で、まだ無垢で、それが凶器となる事を知らない。でも、それでもいいのかもしれない。こんな状況が日常茶飯事の此処で、あいつは純粋を貫いている。それもまた、良いのかもしれない。でもな、だからこそ、俺やお前はあいつを導いてやることは出来ないんだ。言い換えれば、誰も助けてやれない。後ろ盾もなく、道しるべもなく、あいつは一人で歩く事になる。その横に俺やお前がいるとしても、心はいつも独りでいなければならない事になる。だからこそ、今、あいつは考えなければならないんだ。多分、そう言う時なんだろう。それ以外、俺は言葉を持たんよ」
 それは一種、彼なりの優しさであり、厳しさであり、ゼクスの尊厳を守り、それでいて何処か冷淡に徹している、彼なりの考えだった。
だからこそ、月夜は笑う。穏やかに笑う。自分は本当に、この樹月 刀真と言う人間と契約出来て良かった、と、心の底から思うから。だから彼女は短く、それでいて穏やかに笑う。
「ゼクス、気付くと良いわね。自分の道に」
「あぁ。まぁ俺には、関係のない事だがな」
「ふふ、そうね。貴方には関係ない事、よね」
 真剣な面持ちの彼と。
 柔らかな笑顔の彼女。
二人は同じ歩調で歩く。その後ろを歩くゼクスを引っ張る先導として、彼等はひたすらに歩みを進めるのだ。