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リアクション
序 章 黒い呪詛
2022年2月――。
立春とは名ばかりの厳しい寒さが続く今日この頃だったが、その日は春を思わせるように暖かい日であった。
公園の中を散歩するカップルに、読書をする青年や、走り回る子供たち。
今日も平和な一日が過ぎていくのであろう。
だが、事件と言うものは突然起こるものだ。
それも人の予想を遥かに超える事件がだ。
「……キャアアアアアァァッ!!!」
それまで平和そのものであった公園に響き渡った劈くような悲鳴。
――その直後に現れたのは、宙を飛び回る謎の黒い恵方巻きだった。
世紀末を予感させざる得ない出来事である。
しかも、その恵方巻きを口にした者は頭に金色の角が生やして、次のような呪詛を呟いたではないか。
『恵方巻き、嫌いな奴はいねがー? 恵方巻き、食べてない奴はいねがー? お前、食えぇぇッ!!』
「グギャアアアアァァ! グボッアァ!!」
角を生やした男は、それまで和やかに談笑していた乙女を襲う。
白濁のコメ汁は嫌がる乙女のその小さな口を犯し抜き、その日の為にあつらえた美しい衣を汚していく。
だが、悲劇はそこで終わらない。一人が二人、二人が三人へと悪質なウィルスのようにその種子を伸ばしていった。
「かゆ……うま……かゆ……」
なんと言う悲劇であろうか。
その娘は、きっとおかゆが好きな女の子だったのだろう。
謎の言葉を残した乙女の筋肉は膨張し、身体を覆っている服を破りさる。
肉体は変異し、肌の色を朱に変化させた乙女は、角を生やした男と同じく、醜い身体に変貌を遂げていた。
その姿は魔物と呼ぶよりも――鬼と呼ぶに相応しい姿である。
☆ ☆ ☆
「んー、何コレ、おにぎり?」
驚くべき跳躍力で空飛ぶ恵方巻きを捕らえたのは、ヒカリ・コンバイン(ひかり・こんばいん)だった。
【また拾い食いかよ】と呆れる輝石 ライス(きせき・らいす)をよそに、ヒカリはかぶりつく。
美味い……ウナギとキュウリ等、七種のブレンドと言う素朴な味の裏に潜む、芳醇で濃厚な味わいは、まさに開運巻きと称されるに相応しい味である。
同時に頭に何かが突き抜けたような衝撃と痛みが走った。
その後、ヒカリの頭によぎったのは【こんなに良い物、みんなに食べてもらわなきゃ】と言う言葉だった。
「お、おい、何を! 何をしやがる!?」
気がつくと、輝石の口にも恵方巻きを突っ込んでいた。
意表を付かれた輝石は、もんどりうって転がると頭を打ち付ける。
美味い、痛い、美味い、痛い……美味い。
嬉しそうに見下ろすヒカリの前で、輝石の頭に角が生え、空から飛んできた恵方巻きが輝石の手に握られる。
『そうだ、この恵方巻きを食べさせなきゃな』
そう言って、笑う輝石から伸びる影は巨大な鬼そのものだった。
☆ ☆ ☆
「ア、アロイ! アローイッ!! ア、アローーーイ!!!?」
大柄で黒色な肌の男、南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)が道の真ん中で、タイ語「アロイ(美味しい)」を意味する言葉を連呼し始めた。
その澄んだ声はいわゆる良い声で、周りの人心の心を捉えていた。
隣にいたのは具材のウナギ……ならぬ、オットー・ハーマン(おっとー・はーまん)である。
オットーはまな板の上の鯉のように、ビクンビクンと飛び跳ねつつながら、己の身体に起こった変化を楽しんでいるようにも見えた。
「それがし硬骨漢であるが……こ、この……恍惚感は……お、おう?」
恵方巻きを口にした瞬間、五感が冴え渡り、己の能力が上昇したように感じた。
飛び跳ねる動きも次第に大きくなり、隣で恵方巻きを振り回す光一郎と揃うとかなり厄介な相手だろう。
☆ ☆ ☆
一言、鬼と言われても、誰も姿を想像できないかもしれないので説明しておこう。
その高さはゆうに八尺(約二・四メートル)を超え、人の身体を一回り近くも巨大化させた、まさに化け物である。
筋肉の付き方や腕の太さもオークやオーガに匹敵し、急激な成長に耐え切れなかった巻き毛の頭髪から覗く金色の角は圧巻だった。
『うぅぅ……恵方巻き、食べてない奴はいねがー?』
もちろん、大きさや形は多種多様だし、大きく変化した者もいれば、ほとんど姿の変わらなかった者もいた。
最初にフライングゲットした泉 美緒(いずみ・みお)、輝石 ライス(きせき・らいす)、南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)らの見た目はそう変化していない。
美緒の身体的な変化があったと言えば、頭に生えた角とQカップの爆乳がRカップに変わった程度である。
原因などはまだ不明で、謎の答えは【恵方巻き】が握っているのかもしれない。
『恵方巻き、嫌いな奴はいねがー?』
海苔を巻いた恵方巻きは、七種の具材を使った縁起物の食物である。
それがこのような悪夢を引き起こすとは……節分に起こるとは、いったいどんな因果であろう。
☆ ☆ ☆
後に事件の始まりを目撃した由乃 カノコ(ゆの・かのこ)が、不定期なテレビ番組のディレクターによるインタビューに答えている。
広く整った白い部屋の中、カノコはカフェインの入ったコーヒーを飲み干し、興奮した様子で語ってくれた。
その右手はプルプルと振るえ、額から流れ落ちる汗と、その言葉使いが当時の状況を物語っている。
「あ……ありのまま、起こった事を話すぜ! 今日のエフさんはモーレツにご機嫌やからお散歩に誘って、公園まで出てみれば……なんじゃこりゃっ! この恵方巻き、スーパーの方から飛んできちゃーるみたいやけど……ま、まさか売れ残った恵方巻きの逆襲け!?」
『仮想現実』 エフ(かそうげんじつ・えふ)は油乃の傍らに立ち、静かに(もぐもぐ)と口を動かしながら頷いていた。
カノコが空飛ぶ恵方巻きに驚く同時刻――金元 ななな(かねもと・ななな)が無線で援軍を呼んだその時だった。
☆ ☆ ☆
なななに呼び出されたのは、付近にいた精鋭たちだ。
中でも真っ先に動いたのは、公園の木の上で仮眠を取っていた瀬島 壮太(せじま・そうた)だった。
壮太は枝に逆さまにぶら下がると、顎を左親指と人差し指で撫ぜながら思考に耽る。
(恵方巻きが飛んでる……何でだ?)
数々の事件を解決してきた歴戦の壮太は、金色の脳細胞を回転させた。
下ではゾンビの群れのように恵方巻きを手にした鬼が動き回り、彼らの元へ飼いならされた鳥のように恵方巻きが飛んでくる。
どうやら恵方巻きの供給元は……。
(なるほどね。事件の真相が見えてきたな)
壮太はポケットに右手を突っ込むと、腹筋の力だけで上体を起こし、【リターニングダガー】を片手に今から向かう方向を静かに見据えた。
その表情は、難事件を目の前に緊張する探偵のようにも見える。
☆ ☆ ☆
同時刻――国軍の用事の為に空京に訪れていたセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は頭を抱えていた。
なななから別件で呼ばれ、朝から奇妙な胸騒ぎがしていたので気にはなっていたが、その悪い予感は当たったようだ。
案の定、公園の中は大混乱に陥っている。
「あはは……なななの行くところに珍騒動あり、って……笑ってる訳にもいかないわね」
おちゃらけつつも真っ先に被害の拡大を心配するのは軍人の癖かもしれない。
セレンは銃型HC弐式を取り出すと、周囲の状況を把握し始めた。
いくつかの生命反応を感じるが、対象の体温で判別する【銃型HC弐式】は反応が悪く安定した結果が得られない。
「……あら、まずいかも?」
「呆けてる場合じゃないわよ、セレン!」
セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)はセレンに蹴りを入れつつ、【幻槍モノケロス】で鬼たちを薙ぎ払う。
彼らはまるで生き物のように動きを止めると、こちらの動きを伺うように左右に身体を揺らした。
「へぇ〜、これは何の冗談かしら?」
カシャンッ! カシャンッ!!
国軍の用事の為、制服姿だったセレンは反り返るように身体を起こすと、両手を交差させながら前に突き出す。
そこには二丁の拳銃が握られていた。
「【殺し】はしないつもりだけど、外しちゃったらゴメン……ネッと!」
セレンは大きく舌を出すと、その引き金をゆっくりと引いた。
その大きな音がこの戦いのファンファーレとなったかどうかは、後にこの物語を語る人々に委ねよう。
どちらにしろ、この【空飛ぶ恵方巻き】には何らかの目的が存在した。
それがどのような目的なのかは、終幕までには語られるのであろう。
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