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【神劇の旋律】其の音色、変ハ長調

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【神劇の旋律】其の音色、変ハ長調

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     ◆

 一方――別室にて。
二人が小さな丸テーブルに向かい合い、ひたすらに思考を巡らせている。片や真剣そのもので、唸りながらも空を仰ぎ、それを見ては再び唸る。手は顎に当てられ、開いた方の手ではひたすらにそれへと指を向け、それでいて何か呪詛の様な物を唱えながら、ずれてくる眼鏡をそれへと向けていた指でくいと持ち上げると、再び唸る。唸る唸る。考えに考える。唸って考えて、漸くそれへと手を差し伸べた。
「……これでどうだろう」
 相手には聞こえない様な小さな声で、しかしまとまった考えに些かの自信を含みながら、彼はその手を引込めた。
「次は貴様の番だぞ……やれるもんなら――」
 彼の言葉はそこで停止する。自分が随分と思考時間と労力を動員して導き出した結論に、対面する男はにやにやと笑顔を浮かべ、足を組み、外を見ていた男はしかし、すぐさまその結論を否定しにかかる。それへと手を伸ばし、鼻歌交じりさながらに、陽気にそれを動かすのだ。
 まるで思考していないかの様に。
 それこそ殆ど出鱈目が如く。
 大凡この世の中において“思考は不要”とでも述べる事さながらに。
彼の手はすぐさま動き、再び停止する。

 詰まる所――二人はチェス盤を挟んでいた。

「ハデス様……お言葉ですけど」
「煩い、黙ってみていればいいのだ!」
「いやしかし……はあ……わかりました」
 二人の戦況をまじまじ見ながら、ハデスの横に立っている彼――十六凪は以降口を閉ざし、ため息だけをつき始まる。どうやら彼は、今のこの状況を優勢とは思っていない様だった。

 ハデスの残存勢力――戦力値は三十四。
内訳を挙げれば、歩兵(ポーン)二つ、騎兵(ナイト)を一騎上げられただけの状態だ。
一方、彼の対戦相手であるウォウルの残存勢力――戦力値は二十八。内訳は歩兵(ポーン)を五つ、騎兵(ナイト)、僧侶(ビショップ)をそれぞれ一つずつ上げられている。
誰がどうで見ても、ハデスが優勢なのは目に見えてわかるのだが、しかして彼の隣にいる十六凪。どうやらそれが腑に落ちないらしい。
「ぐぬぬ……またしてもこの膠着状態か……
。おいウォウルとやら。貴様やる気があるのか!?」
「ありますよ? やだなぁ」
 優勢のはずであるハデスの方が疲弊しているのは、恐らく長考が故。対してウォウルは思考する時間を有していないので、疲れはおろかその局面を楽しんでいた。
「ふっ! まさか悠々と勝負に挑むからな、もっと手ごたえがある相手だと思ったがしかし……此処まで私に推されているとは。貴様さては、初心者だな?」
「そうですね。僕はこういうゲームが苦手なんですよ。貴方の様に頭が良くはありませんから。尊敬しますよ、プルートウさん」
「惜しいが違う! 確かに同一存在だが名称が違うわ! 私はハデス! ドクター・ハデスだ! 馬鹿者が!」
 言いながら。声を荒げながら、彼は再び駒を拾い上げ、それでもってウォウルの駒、歩兵を新たに取り除く。
「そうでしたか。いやはや、惜しかったですね。すみません。人の名前を覚えるのは苦手なものでね」
「ふん! わかればいいのだ。それより……この勝負の約束、わかっていよう? 貴様が負ければあのハープは我々の物だぞ!」
「ええ。そこまで深読みしなくて結構です。まさか勝負が決まった段階で『そんな約束しましたっけ?』なんて野暮な事は言いませんし、今のはその為の伏線でもなんでもありません」
 思考が交錯するのと同様に、言葉もチェス盤上を飛び交っていたりする。
「ハデス様……お言葉ですけど、大変失礼とは存じますが、勝負に集中してくださいよ」
 ため息をつきながらにツッコミを入れる十六凪。ハデスは返事のかわりに一度「わかっている!」と言った意味合いで鼻を鳴らした。
と、其処に――。丁度そのタイミングで。
彼等の居る部屋の扉が開かれた。何者かの手によって開かれ、そして三人が入ってくる。
「失礼するぞ」
「がぅ! ぎげぅがぅ!」
「………」
 三人が三人で、文字通りに文字の並びそのままに、三者三様。その言葉を述べながら、部屋に現れたのは、テラー・ダイノサウラス(てらー・だいのさうらす)クロウディア・アン・ゥリアン(くろうでぃあ・あんぅりあん)サー パーシヴァル(さー・ぱーしう゛ぁる)
「おやおや、これはこれは、クランディランさん。昨日はどうも」
「どうやったら我輩の名をそう認識できる……。最初しか合っていないではないか……。まあいいが……。それで? 昨日我輩が持ちかけた提案はどうするか、決まったかね? 無論、昨日の言い通りに無償とは言わん。こちらもそれ相応の対価は支払うし、どうやら今この屋敷で巻き起こっているお祭り騒ぎもそなた等に味方しよう? どうかね?」
 扉からハデス、ウォウル達までの座標までの最短距離を結びながら、三人がやってきて言った。
「それがねぇ、困った事に僕の持っているハープ、凄い人気が高くてね。困っているんですよ」
「そうだぞ。貴様等が何者であれ、この場に置いては私達が先約だ。この勝負が終わってからにして貰おうか」
 考え込み、目を盤面に落としたままで、ハデスは三人目掛けて言葉を述べた。
「ふむ。それも良い。そうすれば商談対象が変わるだけの話。良いぞ、我輩とてそこまで心根の卑しき者ではない故、待ってやるとしようか」
「がぅ! ぎゃげぅ! がぎゃうががっ!」
「……クロウディア殿。テラーの言う通り、先約はこちらなのですから、一応の応答は効いた聞いた方が良いでしょう」
「そうか? まあそれで相手が納得するのであれば、それもよかろう。我輩は一向に構わん。手に入ればそれでいいのだから」
「そうですか。わかりました、ならばあちらの長机にどうぞ」
 手でその机を指し、立ち上がろうとしたウォウルに睨みつけたハデスが、随分と低い声で彼へと呟く。それはもう、殺意にも似た何かでもって。
「おい待て貴様。まさかこの勝負から、この真剣勝負から逃げる気か? そのような勝ちで私が喜ぶとでも、思ったか?」
「ハデス様?」
「黙っていろ。 どうなんだ? ウォウルとやら」
「逃げませんよ。まさかまさか。だからね、貴方、ちょっとこっちに着て貰えますか?」
 立ち上がり、笑い続けるウォウルはそこで、ハデスの隣に立っていた十六凪を手招きする。
「………?」
 不思議そうに自分へ指を指した彼。そのままウォウルの元にやってくると、彼の肩を持って自分が今まで座っていた席へと十六凪を半ば強引に座らせた。
「代わりは彼が打ってくれますから」
「何を!? え!?」
「それでは意味がなかろう! 私は貴様との勝負をだな――」
「貴方。つかぬ事を伺いますけど、棋譜は読めます?」
「……一応」
「ならば結構――。では僕が今から読み上げる棋譜通りに動かしてください」
 暫く十六凪へと耳打ちしたウォウルは、全てを言い終えると彼の肩を数回叩き、テラーたちの座る席へと向かって行った。
「……ハデス様?」
「煩い! 奴から指示を得たのだろう! ならばゴタゴタ言っても始まらん! 相手が貴様だろうが構うものか! 続けるぞ!」
「言っておきますけが、ハデス様」
「何だ」
 それは苛立ちにも似た声色。それに対して十六凪は、ひたすら苦笑を続けるだけだった。
「一切に置いて自分の手は打ちません。これはあの男からの指示であり、彼の読みです。ハデス様が勝てば、それはあの男に勝利した事になりますよ。手心は加えません。どうにも……」
「……どうした? 十六凪」
 苦笑だった彼が。十六凪が、何とも言えない表情を浮かべて盤面を見つめる。
「あの男の底が――読んでみたい」
 そう言って、右端にあった城壁(ルーク)を指で抓む。
「行きましょうか、ハデス様」