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第五章 消え去りしタコへの哀歌

「……始めた、のか?」
 眼下の広場一面に神聖文字の魔方陣が浮かび上がる。
 魔方陣の端の方で人が団子状になって揉めている意外は、不安要素はない。鵜飼の詠唱が完了すれば、通信環境は改善するだろう。
 目視したところでは、客の避難はだいたい済んでいるようだ。所々に点在する人影は、それぞれ何かの事情、トラブルがあって留まっているものに違いない。
「ティー、イコナ。回線が回復次第、各所との相互連絡の確保、避難状況の確認だ」
「了解です!」
 頷いて踵を返しエレベーターに向かう鉄心を、イコナが振り返った。
「鉄心、どちらへ行かれますの?」
「下も人手不足のようだ。少し手を貸して来る。ここは頼んだぞ」
 エレベーターの扉が閉まる瞬間、イコナがちらりと不満そうな表情を見せたのが、鉄心は少し気に掛かった。

 イコナは、窓に貼り付いて下を見下ろしていた。
 ぼんやりと光を発していた魔方陣がひときわ明るく輝き、消える。
「……あ」
 ティーが小さく声を上げたのは、コンソールが一斉に反応し始めたからだ。
「あああ、回線パンクしちゃいますよぉ」
 慌ててぱたぱたと操作を始めるティーの視界から、イコナはそっと抜け出した。
 ティーの背中に視線を向けたまま、窓際に沿って、そろそろと移動する。はめ殺しに見える一面のガラスのひとつが、非常用の開閉可能な窓だと、イコナはちゃんと目を付けていたのだ。
 辿り着くと、後ろ手でストッパーを外す。
 ……やっぱり、鉄心を追っかけるのですー!
 イコナは微笑んだ。

『……スト中……マイクのテスト中、本日は、えーっと……たこ焼き日和なり、あーあー、聞こえてますかー』
 歪んだチャイムが消えて静寂を取り戻した園内スピーカーから、ティーの可愛らしい声が響き渡った。
 園内では、皆一斉にタワーを見上げていた。
『えー、通信環境が回復中です。これから順次回線を開きますので……』
 爆風に飛ばされて気を失っていた(あるいはその逆の)鬼龍貴仁が、むくりと身を起こした。
 両手でこめかみを押さえ、軽く頭を振る。
『……緊急の方は、チャンネルDをオープンに……』
 スピーカーから聞こえるティーの声を聞きながら、息をつく。
 ……何があったんだっけ?
 頭がぼんやりして、どうも記憶が朧だ。
 ……なんか、すごく変なことがあった気がするんだけど。
 意識を辿るように、空を見上げる。目の前にはタコヤキタワーがあった。
 てっぺんのタコ型ルームから、凄まじく名状しがたく美味しそうなナニカが勢い良く落ちてくる。
 貴仁は歓喜した。

 コンちゃんの目撃情報を求めて走り回っていた鉄心がなんとなくタワーを見上げたのは、何かを感じたからなのか、偶然だったのかはわからない。
 最初は、塔の上からイコナが落ちて来る……ように見えた。次第にスピードが落ち、浮遊するように着地するのを見て、イコナに飛行能力があることを思い出した。
「何をやってるんだ……」
 一瞬肝が冷えたことに軽く苛立って駆け寄ろうとすると、きょろきょろしているイコナを貴仁が呼び止めるのが見えた。
「……貴仁、無事だったのか」
 危険なメールを残して連絡を絶っていた貴仁がニコニコして手を振っているのを見て、鉄心はほっと息をついた。イコナもホッとしたように貴仁を見上げている。しかし……

「いやーーん」
 イコナは涙目で悲鳴を上げた。
「食べないでくださいぃぃぃ」
「……もぐもぐ」
「貴仁、何をやってるっ」
 飛んで来た鉄心が引き剥がそうとしたが、貴仁はイコナの小さな方にかぶりついたまま離れない。
 しかも、満面の笑みである。
「もぐもぐ」
「やですーーわたくし、美味しくないですーーー」
「……もぐ……イコナちゃん、いあいあー」
「離さんかっ」
「……おやおや、何かと思えば、さっきの愉快な奴ではないか」
 面白そうに声をかけたのは、術を完成させてタワーに戻ろうと通りかかった鵜飼衛だ。傍らで妖蛆も興味深そうに目を輝かせている。
「まあ、これは清々しいほどSAN値がすっからかんですわね」
 なんとかイコナから引き剥がした貴仁を羽交い締めにして、鉄心は喚いた。
「魔法陣が効いてないんじゃないのか!?」
 鵜飼は意外そうな顔をする。
「わしらが施したのは、正気度チェックを発生させない為の術じゃ。狂ってしまったものを正気にする効果はないぞ?」
「そもそもSAN値というのは、「回復しない」ものですし」
「……なんてこった」
 鉄心は絶望的に呟いた。鉄心の腕の中で、貴仁がバタバタしながら騒いでいる。
「もう一口、食べさせてくださいよー、っていうかみんなで食べましょう、桃の味で美味しいですよー」
「ほほう、桃の味か」
「ああーん、嘘ですぅ」
 目を輝かせる鵜飼に恐怖を感じたのか、イコナが涙声で抗議する。
 鉄心は深くため息をついた。
「……貴仁、許せ」

「あら? イコナちゃん、なんで……」
 今までここにいた筈のイコナが、気を失った貴仁を担いだ鉄心と鵜飼たちと一緒にエレベーターから下りてくるのを見て、ティーが怪訝な顔で聞いた。イコナはしょんぼりと項垂れる。鉄心も疲れた顔で、敢えて説明しなかった。
『……か? ……コントロール、聞こえるか?』
 歪んだノイズが吐き出されていたスピーカーから、ふいに意味を持った人の声が流れ出した。
 ティーはチャンネルを調整しながら、ホッとしたように応答した。
「こちら、コントロールです。感度良好」
『つながったさぁ!』
『おお、でかした!』
 スピーカーの向こうでも、ホッとしたようなやりとりが聞き取れる。それから、改めて言った。
「こちら、ファクトリーにいるキルラス・ケイさぁ」
「ケイ、来てたのか」
 鉄心が声をかけたが、スピーカーの向こうで微かに抗議の声が聞こえて言葉が途切れ、言い直す。
「キルラス・ケイとリリ・スノーウォーカーさぁ。園内を侵蝕中のネバネバの正体と弱点、もう情報は入ってっかねぇ?」
 緊迫感のない口調だが、聞き捨てならないことを言っている。コントロール・ルームの中が、さっと緊張した。
「何か、情報があるのか? こちらはまだ、確定的なことは何もわかっていない」
『おお〜、じゃあ俺ら、大手柄さぁ』
 のんびり声を上げるケイの手から携帯を奪い取ったのか、いきなりリリの声が飛び込んで来る。
『よく聞け。あいつらの主成分は小麦粉、ぶっちゃけ、たこ焼きのタネじゃ』
 それはいくつかの目撃情報からも推測できることだったが、次の台詞は違った。
『火で焼いても焦げるだけじゃが、油と適度な火加減でこんがり調理可能じゃ! 調理した部分は無力化され、再生もしない』
「……油?」
 妖蛆がハッとして顔を上げた。
「もしや、オリーブオイルですか!」
「……クトゥルヒか!」
 鵜飼も妖蛆と顔を見合わせて声を上げた。
『そういうことじゃ!』
 リリも嬉しそうに同意する。妙に納得した顔で頷き合う鵜飼と妖蛆に、鉄心は怪訝な顔を向けた。
「クトゥルヒ?」
「邪神の落とし子と呼ばれる異形です。蛸のような姿で、熱したオリーブオイルで調理が可能と伝えられていますわ」
「それはつまり、伝えた奴は……調理して食ったのか? 邪神を?」
「よくあることじゃよ」
 得心顔で鵜飼が頷く。
「日本にも、エビの味がする宇宙人の伝説があるではないか。いつの世にも、恐怖や危険よりも好奇心を優先させる愚か者がおるということじゃ」
 それで納得していいのだろうか。
 鉄心がその僅かな疑問に言葉を切っている間に、会話は進んで行く。
「ということは、その粘液だけではなく「本体」も調理可能と考えていい筈ですわね」
『うむ、むしろそっちが調理の本命じゃろう。いくらタネが豊富でも、「具」がなければたこ焼きにはならん』
「たこ焼きならぬ、邪神焼きじゃな。面白い」
 ……面白い、のだろうか?
『油はここに大量にある。園内の屋台にも若干はあるじゃろうが、ここに奴らを誘い込んで調理した方が効率がよいと思うのじゃが』
「……あ、でも、その……」
 今まで呆然とした顔で黙っていた園長が、おずおずと口を挟んだ。
「調理システムがダウンしておりますから……コンちゃんの持っているキーがないと、稼動できません」
「ティー、さっきコン……ちゃん、の情報があったな?」
 そう声をかけると、ティーは確認します、と頷いてコンソールに向かう。
 いろいろと納得しがたいことも混じっているが、今は事態の収束を優先させるべきだ。そう判断して、鉄心はリリに言った。
「園内のエネミーをそちらに誘導するよう、すぐに伝達する。調理システムの起動キーも平行してこちらで探す。そちらは、起動キーが届くまで持ちこたえられるか?」

「オッケー、具が届くまで、具のないたこ焼き作って頑張ってるさぁ」
「お、おい、安請け合いするでない」
 気軽に請け合うケイにリリは思わず抗議したが、通信は既に切れた後だった。
「二人でどうこうできる量とも思えんぞ……それに……」
 リリには少し、他にやりたいことがあった。しかし、この状態でケイひとりを置いていく訳にも行かない。
「大丈夫さぁ、きっと助っ人を回してくれるさぁ」
「……そうじゃろうか」
「そうそう」
 ケイに押し切られるように、リリは仕方なく頷いた。
「ではその助っ人とやらが来るまで、ここで共に、丸くない具なしたこ焼きを製造しておるか」

 実はコントロールルームでは、今ファクトリーに助っ人を回せる余裕はなかった。
 しかし、助っ人はやって来た。少し、意外なところから。