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夏の海と、地祇の島 後編

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夏の海と、地祇の島 後編

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 ──くしゅん。控えめな、そのくしゃみの音が生ぬるい周囲の空気の中に、響いていった。
 
「……すいません」
 言って、またもう一度、くしゅん。
 全身濡れ鼠の少女……詩壇 彩夜(しだん・あや)は、くしゃみを繰り返す。
「大丈夫ですか? ここはあったかいですけど……身体が濡れたままだと、風邪引いちゃいますね」
 自身の両腕を抱いて、縮こまるようにして後に続く後輩を、山葉 加夜(やまは・かや)は気遣う。
 サーモンピンク色をした、天井。壁。足元。さすがはクジラの胎内というべきか、気温そのものは高いのだけれど。
 水着姿の一行の中でも、彩夜はひと際目立ってずぶ濡れだった。
「ふむ。もう少しはやく気付くべきだったか。すまんな。ほれ、使え」
 ふたりの見せるやりとりと、彩夜の様子とに、前を歩いていた蒼の月が、タオルを投げてよこす。
「あ、ありがとうございます」
 加夜が受け取って、彩夜の濡れそぼった髪をわしゃわしゃやってくれる。
「それにしても。なかなか、クルーザー見つかりませんね? 蒼ちゃん」
「うむ、あれを見つけないことには──……あそこに残っておる者も、おるかもしれんからのう」
 彼女たちの乗ってきたクルーザーは、クジラに呑み込まれたどさくさでどこかに行ってしまった。
 いや、むしろ彼女たちのほうがクルーザーから投げ出されて、はぐれてしまったというべきか。ひとまず探してくると、先行していったこのクジラの中の住人、ラッコの耳をした獣人のリンの姿も今は、彼女たちの傍にはなかった。
 
「あ、いたいた。おーい」
「む」
 
 リンでは、ない。広い、けれどあちこち入り組んだ通路のようになっているクジラの胎内。その向こう側から、手を振ってこちらにやってくる影をみっつ、一行は見る。
 リンとともにクルーザーや、他の面々を探しに行った者たち──小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)に、レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)。そして、加能 シズル(かのう・しずる)
「見つけたよ、クルーザー。あっちあっち。もうちょい行ったところに、打ち上げられてる」
 加夜たち一行と合流した美羽が、自分のきた方向を振り返り指し示す。
 今は、ベアトリーチェが現場で待機してくれてるよ。無線を直せないか、少しいじってみるってさ。彼女の言に、他の皆はベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)の眼鏡をかけた温厚な顔を思い浮かべる。
「他の連中は、おったのか?」
「ううん。あいにく、クルーザーはもぬけの空だったよ。ミアも……ほんとに、どこいっちゃったんだろう。せっかく会えたっていうのに」
 クルーザーに乗っていて、はぐれた者たち。レキのパートナーであるミア・マハ(みあ・まは)もそんなひとりだった。
「ごめんね。元はといえば、ミアが迷子になっちゃったからだし。それを探すの手伝ってくれたからみんな、こんなことになっちゃって」
 申し訳なさそうに、しゅんとなるレキ。
 
「なーに、気にするでない」
 
 リンさんはもっと向こうを見てくるって。レキを気遣うように彼女の肩を叩きながら美羽が伝える言葉に頷いて、蒼の月もまたレキへと胸を張って声を向ける。
「こやつらがこの海から旅立っていく前は──遥か昔には。よくこうやってじゃれてきたこやつらの中を遊び場としたものよ。……さて」
 ぐるりと、一行を見回して。
「さすれば、まずはクルーザーのところに向かおうかのう。ベアトリーチェどのとも合流せねばだし、修理するのに我が見たほうがいいところもあろうしな」
 無論、一同異存はない。
 ただ、レキは小さく手を挙げて。
 
「ボクは別行動してみてもいいかな? もう少し、ミアを探そうと思うんだ」
「あ、だったら私が一緒に行くわ。ひとりで動くよりは安全でしょうし」
「そうですね。それがいいと思います」
 
 シズルの言葉に加夜が同意を示し、頭からかぶったタオルの下で彩夜も頷く。
「ただ、ふたりとも気をつけてくださいね。特に、例のコウモリには」
「うん、ありがとう。大丈夫だよ」
 水着をとられちゃったら、困るもの。レキは加夜の気遣いに微笑みで応えた。
「ならば、行こうぞ。クルーザーはあっちか?」
 そんな一行の先頭に、蒼の月が立って歩く。つられ、皆もそのあとを追う。
「そう、そう。もうちょっと行けば開けた場所に出て──……あっ」
「うん?」
 その中で、不意になにかに気付いたように、美羽が立ち止まる。
 きょとんと、一同は彼女に対し怪訝な視線を向ける。一体、今度はなにがどうしたというのだろう?
 
「あの、美羽先輩?」
 
 彼女のぎこちない表情の向いた先は、加夜に寄り添われてそう訊ねた、他ならぬ彩夜自身に対してであった。
 やおら、美羽は腕組みをして、考え込んで。しげしげとまた、彩夜の顔を眺めて。
「ええっと、その。なんで、そんなにわたしの顔見るんですか?」
 うーん、と額に指先を当てて、行為を決めるまでにそれから十数秒。
 よし、と頷いた彼女は彩夜の両肩に自身の両手を置いて、ゆっくりと語りかけたのだった。
「彩夜。しかたない。せっかくだしこの際、もうひと踏ん張り頑張ろう」
 ……なにが? と問うまでもなかった。すぐあとに、彼女は目的語を補足するように、言葉をつづけた。
 
「頑張って、泳げるようになろう。……ね?」
 
 きょとんとした顔の、カナヅチの後輩に対して。
 美羽はそう言ったのであった。