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リアクション
『これまでのこと。そして、これからのこと』
時たまちょっとした騒ぎはありつつ、基本的には平和な農場を、非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)はパートナーたちとのんびり散策の気分で歩きつつ、果実を採っていた。
「のどかで、平和ですね……。先日の『煉獄の牢』での戦いが、遠い日の事のように感じられます」
「あの時は必死でしたけど、思えば結構、凄いことやってたんですわよね。
あたしが、あたしの何倍も大きな相手と戦っていた……今思えばとても怖いことですのに」
ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)の脳裏に、自分がイコンに乗って戦ったあの時の、焼け付くような暑さと強いられ続ける緊張が蘇る。そんな、普段なら動けなくなってしまうような状態で、よくあれだけ考え、行動できたなぁと思い返す。
「戦いの場においては、常に高揚と恐怖が付きまとうものなのだよ。怖いと思うことは当たり前のことだ。我だって怖いぞ」
「まあ、そうなんですの? いつもイグナさんは勇敢で、恐れなど感じていないものと思っていました」
アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)の、少し意外そうな声にイグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)が頷く。
「もし勇敢だと思うなら、それは結果としてそうだっただけだ。ただ高揚だけでも、恐怖だけでも人は無謀な行動に走る。
勇敢な行動は、高揚と恐怖のバランスを上手く取った上で成り立つものと言えるな」
イグナの言葉を、アルティアが感心するように頷きながら聞く。
「ボクとしては、そんな恐怖と隣合わせの暮らしじゃなくて、ほんのちょっとした波乱くらいで、後は概ね平穏な日常が送れればいいと思っているんですけどね」
「いかにも近遠ちゃんらしいですわね。……でも、銃弾やら魔弾やら飛び交う日常よりも、たわしが飛んでくる日常の方が微笑ましいのは確かですわね」
その言葉で、一行は『共存都市イナテミス』での出来事を思い返す。楽しい祭りのひととき、酔っ払った旦那とそれを咎める妻のやり取り。血湧き肉躍るものでは決してない、時に退屈かもしれないがけれど平和な日常。結局はそれが、最も尊いものなのかもしれない。
「……けれども、アルティアがこうしている間にも、どこかでは争いが起きているんですわよね。
しかもその争いが、イルミンスールの寿命を縮めている……」
ミーナとコロンが話した内容を思い返し、アルティアが俯く。彼らが話したことは必ずしも真実ではない、けれど『今のこの平和な日常が、当たり前に存在している』のも真実ではない。
「手の届かぬものを憂いても、仕方がなかろう。大事なのは手が届く状況にあった時、何が出来るか、そうではないのか?
そしてその時は、そう遠い日の事ではない……まあ、これは我のカンに過ぎぬがな」
自嘲めいた笑みを漏らすイグナ、しかし彼女に限らず、近遠もユーリカも、さらには今日果実狩りを楽しんでいる者も少なからず、『これからきっと、何かある』という予感めいたものを心に抱いているかもしれない。
「……そうですねぇ。何も出来ないよりは、何か出来た方がいい、とは思います」
「あたしも近遠ちゃんに同じ、ですわ。何か出来るならした方がいい。戦うのも……怖いですけれど……必要ならやってみせますわ」
「我はこれまでと変わらず、我が護るべき者を護るだけだ」
「アルティアも同じにございます。出来る事を精一杯、ですわ」
近遠の言葉に続くように、ユーリカ、イグナ、アルティアが思いを口にする。
「……さて、もう少しだけ、果実狩りを続けましょうか。
それが終わったら、採れた果実を使ったデザートでも作ってもらいます?」
近遠の提案に、女性陣は好みを口にしつつ、全員一致で賛成したのであった。
『仲直り』
秋空の下、木々を吹き抜ける風に身を晒して、ベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)が忙しく過ぎ行く時間を享受する。
(もう、秋になっていたのか……グラキエスが今日、果実狩りに誘ってくれなければ、この一瞬のひとときを得られなかったかもしれない。
不甲斐ない私を、気遣ってくれたのだな……)
塞ぎ込んでいた時の何とも表現できない感覚が少しずつ抜けていき、身体に活力が戻りつつあるのを実感するベルテハイトの背後で、グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)はゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)に付き添われる格好で、彼の背中を見守っていた。
「ベルテハイトに、この景色を見せることが出来て良かった。元気を取り戻しているのが俺にも分かる。
……惜しむならば、折角の今日に体調を崩してしまったことだが――ゴホ、ゴホッ!」
ベルテハイトには聞こえないように口を塞いで咳を漏らすグラキエス、その背中をゴルガイスがさすってやる。
「グラキエス、体調はけして良くないのだ、無理はならんぞ」
「……ああ。大丈夫だゴルガイス、ゆっくり歩く。
ベルテハイトに楽しんで貰いたい。それに、以前の俺のように……とはいかなくとも、“仲直り”をしたいんだ……」
目の先に居るベルテハイト、彼が心を閉ざし引き篭ってしまった原因は自分にあるとグラキエスは思っていた。だからこそ彼を果実狩りに誘ったのだし、今日こうして体調が悪いのを押して農園に来ている。
(……やれやれ、本来なら我が言わずとも良いのだがな。早くグラキエスの苦しみに気付くといいが――)
そうゴルガイスが思いかけた所で、グラキエスの身体がぐらり、と揺らぎ、力が抜けたように地面に崩れ落ちる。
「おい、しっかりしろグラキエス」
「ぐ……う……」
助け起こそうとゴルガイスが肩を貸すが、グラキエスは呻くばかりで立ち上がろうとする気すらない。
「! グラキエス!?」
ベルテハイトもグラキエスの異変に気付き、彼の元へ駆け寄る。
「大……丈夫だ……少し休んでいれば……すぐ治る……」
心配をかけまいと、苦悶に歪む顔を無理やり笑みに変えて告げるグラキエスに、ベルテハイトは心を打たれる。
(こんなに弱っていたとは……。私は一体、何をしているのだ)
自分が腑抜けていた間に、グラキエスがこれほど弱っていたという事実は彼を大きく傷めつけ、けれども一つの、大切な事を気付かせる。
(弟を死なせた分……いや、グラキエスだからこそ助けると誓ったはず。
さあ動くのだベルテハイト、己の無力感にかまけている場合ではない!)
迷うことなく、ベルテハイトはうずくまるグラキエスを抱き上げ、身を休められる場所まで連れて行く。手近に実っていた果実を採り、グラキエスに食べさせてやりつつ介抱を続けていると、顔色も良くなり呼吸も落ち着いてきた。
「……あぁ、楽になった。ベルテハイト、心配をかけた……」
「気にするな、グラキエス。お前の思いが、私を目覚めさせてくれた……。
もう決して、お前を苦しませたりしない」
グラキエスの手を取り、ベルテハイトが誓いを口にする。
「お前は忘れているだろうが、これはお前が好きだった曲だ」
そう言い、ベルテハイトはリュートを構えると済んだ音色を響かせる。その音色がグラキエスの耳に届くと、心に懐かしいものを感じる。
「……そうだ、俺は……この曲を、知っている。
ベルテハイト……戻ってきて、くれたんだな……」
頬を一滴の涙が伝い、地面に吸い込まれて消えていく。二人の様子を見守っていたゴルガイスが、一件落着とばかりに酒を取り出し、彼らの関係修復と果実を肴に一杯やり始める。
『思い出のワンシーンを、キャンバスに』
「アムくんは、こっちでの果物狩りって、初めてですか?」
「うん、そうだね。地上の果実は種類が豊富で、見た目にも鮮やかだ。どれも被写体として魅力的だね」
「じゃあ、いくつかお土産に持ち帰りするのもいいですね。果物を盛り合わせた絵、私も見たことがあります。アムくんがどう描くのか、気になります」
「うーん、どうしようかな。色々な表現の仕方があるね。
……まあ、折角こんな美味しそうな匂いを漂わせてることだし、味わいもするけどね」
「ふふ。そうですね」
乙川 七ッ音(おとかわ・なつね)と魔神 アムドゥスキアス(まじん・あむどぅすきあす)の、ほのぼのとした雰囲気の会話が聞こえてくる。
「えっと、あれはリンゴだね? ザナドゥにも似たのがあるから覚えたよ。
七ッ音ちゃん、どうやって採るの? やって見せてくれないかな」
「え、えっと……間違ってるかもしれないですけど、それでもいいなら……」
アムドゥスキアスが見守る中、七ッ音は枝になっている林檎を落ちないように両手で支えながら、切り離して掌に収める。
「こ、こんな感じです……アムくん?」
少し恥ずかしそうに振り向いた七ッ音が、まるで遠くを見るような目つきのアムドゥスキアスに声をかければ、夢から覚めたようにアムドゥスキアスが目をパチパチさせる。
「ごめんごめん、七ッ音ちゃんが美しかったから見とれちゃってた」
「う、ううう美しいだなんて、そんな――あわわっ」
アムドゥスキアスに『美しい』と言われて激しく動揺した七ッ音の手から、林檎が弾かれたように転がり落ち、それは偶然にもアムドゥスキアスの元へ飛んでいった。
「あはは、今の七ッ音ちゃん、このリンゴみたいに真っ赤だよ」
「そ、それは……アムくんが美しいだなんて嘘、言うから……」
「嘘じゃないよ、ボクは本当の事を言ったまでだよ」
「ぁ、ぁぅぁぅ……アムくん、もしかして私で遊んでいませんか……?」
「そんな事したつもりはないよ。……楽しいとは思ったけど」
「もう……! は、恥ずかしいんですからっ」
プイ、と顔を背けて頬を膨らませる七ッ音へ、アムドゥスキアスが頭を掻きつつ謝りの言葉を口にする。
「怒らせたのなら謝るよ。お詫び……というのもおかしな話だけど、さっきの七ッ音ちゃんを描いてあげる。約束したしね」
そう言うと、アムドゥスキアスが絵を描くための道具を取り出し、描き始める。既に頭の中に先程の光景が刻まれているのだろう、腕にまったくの迷いがない。芸術に関しては並ぶ者無しと囁かれるアムドゥスキアスの片鱗が垣間見えた。
「はい、出来たよ」
瞬きの間に絵を完成させたアムドゥスキアスが、スケッチブックを七ッ音に見せる。そこに描かれていたのは、林檎を慈しみ、実りに感謝する女神。
「わ、私、こんな美しくないです。アムくん、大げさ過ぎですっ」
「そうかな、ボクとしては落書きながら、いい出来だと思ったんだけど。
今度は是非、七ッ音ちゃんを題材にちゃんとした絵を描いてみたいね。たとえば……ヌードとか」
「ぬ、ぬぬぬ――!!」
アムドゥスキアスの爆弾発言に、七ッ音の顔はまるで火が付いたように真っ赤だった。
「あはははは……ごめん、今のは楽しむ目的だった」
「もー! 私で遊ばないでくださいー!」
秋の空に、二人の声が吸い込まれて消えていく。
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