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誰が為の宝

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誰が為の宝

リアクション

 
<三>

 そこは、自然の浸食に寄るものか、モンスターが巣として設えたのか、巨岩のそそり立つ岩山の中でもひときわ巨大な岩の根元を刳り貫いたような造りになっていた。
 あまり奥行きのないその「巣」の女王を守るように、次々と湧いて出る、岩の塊のようなイレイザースポーンの攻撃を凌ぎながら、なんとか「女王」を巣から誘き出して一撃を加えようと、厳しい戦いが続いていた。
 ウィニカが戦闘の混乱の隙をついてここに辿り着いたのは、執念と言う他はない。
 重火器を避けて入り乱れる人間とモンスターの姿の向こうに、雑魚の倍はある巨大な紅いモンスターの姿を見て取った。
 そして、そいつと同じ色をした。足元の岩……。 
 誰も気づいていないんだろうか。
 あれが、「紅蓮の機晶石」だってことに。
 皆、戦っている。
 開拓の安全の為、依頼の報酬の為、それぞれに理由があっても……ウィニカのために、あえて危険で面倒な戦略を選んで戦っているのだ。
 だけど。
 それは、あの言葉と同じだ。

「あなたのせいじゃない」

 ウィニカを一番苛んだ、あの優しい言葉と。
 あたしは、そんなふうに気遣ってもらえるような人間じゃない。
 あたしのせいで、友達を壊し。
 その失敗を取り返す為に、べつの友達を傷つけ。
 必死で戦ってくれている人たちを目の前に見ながら、それでも、あたしはただ「紅蓮の機晶石」が欲しい。
 あたしは、それだけの人間なんだ。

 岩に貼り付くように身を屈めて、じっとモンスターの足元の岩を睨みつける。
 「女王」はまるで卵を抱くように、その岩の上から動こうとしない。
 目くらましの攻撃に一歩前に出、また一歩退く。その度に、巨体が地面を揺るがし、衝撃で崩れた岩や石が周囲に降り注ぐ。
 そんな中でも、ウィニカの視線は、釘付けになったようにそこから動かなかった。
 あの、赤。
 あれを、僅かでも削り取ることができたら。

 ファニー・メイ。
 あの子を、今度こそ、もう一度……取り戻せるかもしれない。

 その考えが浮かんでしまった時から、ウィニカの視界には、もうその一点しか見えなくなっていた。
 
 そのとき、まるで奇跡のように、それが動いた。
 素早く横に回り込んだ誰かの動きを追って、モンスターが体を僅かにそちらによじった。
 そして、無理なバランスをバランスを保つ為に、右足が一歩、前に踏み出されたのだ。
 それが天の采配か悪魔の囁きか、考える余裕はウィニカにはなかった。

 今しかない……!

 ウィニカは、何も考えずに岩陰から飛び出した。
 手にしているのはただのスパナ一本だが、あの部分を叩き割り、破片を拾うことはできる筈。
 意識の外で、自分の名を呼ぶ声を聞いたような気がしたが、無視した。
 ウィニカはただ一直線に「紅蓮の機晶石」へと駆け寄った。
 そして手にしたスパナを振り上げ、振り下ろそうとして、気がついた。
「……え……?」
 光線の具合だったのか。
 或いは、展開されているスキルや術式の鑑賞による錯視だったのか。
 輝くばかりの鮮やかな緋色に見えた石の表面が、鈍くくすんで見える。
 これが、本当に「紅蓮の機晶石」なのだろうか。
 ウィニカは凍りついたまま、呆然と立ち尽くした。
 さっきから頭の中で鳴り響いている耳障りな雑音が何であるか、把握することもできなかった。

 ウィニカ。
 ウィニカ。
 ……ウィニカ、逃げて!

 それが意味のある言葉としてウィニカの耳に届いた時、ウィニカの体は激しい衝撃とともに地面に叩き付けられていた。
 一瞬、目の前が真っ暗になる。
 肺が圧迫されて息が詰まり、少し遅れて背中から全身を激痛が走った。
「……っつ」
 思わず意識を手放しそうになったウィニカを、別の声が呼び戻した。
「ウィニカ、立て!」

 立つ?
 こんなに痛いのに、立つ?
 何を言ってるんだろう。
 体が重い。
 立つなんて、無理。
 だってほら、こんなに、血が……。

 それは多分、一瞬のことだったのだろう。
 ウィニカは、体の重さの原因が、自分の上に多いかぶさってぐったりしているアイシァだということに気づいた。
 そして、自分の手をべったりと濡らしているこの血が、誰のものなのか……気づいた。
 ウィニカの瞳が、見開かれた。
 蒼白になった唇が、何か言葉を紡ごうと弱々しく震える。

 ウィニカの混乱を見て取った天音は、ウィニカ自身の回避が不可能だと判断した。
「ヤツを止める……救出を」
 短く言って天音はモンスターに向き直ると、緊張の為か僅かに表情を強張らせて口を開いた。
 細く優雅な指の先で、そっと自分の喉に触れる。
 同時に、歌が紡がれた。
 場所が場所ならば心を蕩かすような歌声だが、それを堪能できる状態の者はその場にはいなかった。
 もちろん戯れに歌った訳ではない。
 その喉に宿った【聖詩篇】を発動させ、ウィニカとアイシァを守っているのだ。
 まさに二人を踏みつぶしかけていた巨大な足が弾き飛ばされ、モンスターがバランスを崩してまた一歩前に出る。
「ウィニカ、アイシァ!」
 笹奈 紅鵡(ささな・こうむ)が叫んで駆け寄り、アインス・シュラーク(あいんす・しゅらーく)と共に二人の少女を強引にモンスターの足下から引きずり出した。
 二人が助け出されるのを確認して、天音はようやく歌をやめ、喉から指を離す。
「……天音」
 軽くよろめいたように見えたその体を素早く支えて、ブルーズが気遣わし気に声をかける。
「存外、パワーを使うね。ちょっと頑張りすぎたかな」
 そう言いながら、天音の微笑は余裕たっぷりに見える。こんな時でも内心を読ませないパートナーに、ブルーズは少しだけ苛立ちを覚えた。
 動きを止めていた雑魚が、一斉に向かって来る。
「キャンプまで撤退する! 誰か……」
「……僕が援護するよ!」
 北都が叫んで飛び出し、素早く弓に矢を番えた。
「足止めは任せろ。絶対にこは抜かせねーよ」
 同時に昶が足下の岩を蹴って駆け出す。そして集まりつつあった雑魚モンスターの、正面の一体の足下に向けて飛び込み、刀の一撃を加える。
 ガッと鈍い音がして刀が弾かれた。
 しかし、その一撃の重みはモンスターにとって大きなダメージだった。膝が砕け、その一体が前のめりに倒れると、後ろから襲いかかろうとしていた数体も足を取られて倒れ込んだ。
 その集団に向けて、北都が更に矢を放つ。
 モンスターの注意が二人に向いた隙に、ウィニカとアイシァを連れて一斉に撤退した。
 放たれた矢を受けたモンスターの、苛立ったような叫びが周囲に響き渡った。
「無理はするな。君らも様子を見て退いてくれ」
「はーい、ご心配なく」
 次の矢をつがえたままで、北都は肩越しに片目をつぶってみせる。
「……って、余裕があればだけど、ね」
 モンスターの爪をひらりと躱した昶が、肩をすくめる。
「そうだな」
 昶の声と同時に放った矢が、モンスターの足元を抉った。