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■幕間:文化人類学 IN パラミタ大陸

 シャンバラ地方の地図が黒板に描かれている。
 主要都市や地理的に重要な地域名も明記されており、これだけでパラミタ大陸の一部でしかないというのだから世界は広い。
 優里たちの前、教壇にいるのは男女三人だ。
 左から白砂 司(しらすな・つかさ)藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)サクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)。いずれも熟練の冒険者である。藤原は義足をしているようで、調子が悪いのか、白砂の肩を借りて近くの椅子に腰かけていた。手にしたノートをめくりながら講義を続けている。
「――というように首狩族には干し首といった習俗が残っています。地球の裸族にも昔から受け継がれている祭礼などもあるわけですし、彼らと意思疎通を図るには『郷に入らば郷に従え』の精神を持つべきですね」
 ニコッと微笑みながら白砂を見やる。その視線は彼の首筋に向かっているようだが、当人はそれには気づいていないようだ。ただ白砂は頬を赤く染めてそっぽを向くのみであった。
 何やら過去にあった様子である。
「今教えたことを忘れずに実践できれば、シャンバラに住む少数民族と交流をするとき、失礼がないよう振舞うことができるはずです。依頼によっては現地人の協力が必要なこともあるので恥ずかしがらずに頑張ってみましょう」
「頑張るって……」
 言いよどむ優里に風里がスパッと答えた。
「脱ぐのよ」
「脱ぐのっ!?」
「脱ぎますよ」
「……その話題は止めにしないか?」
 何とも言い難い表情を浮かべると、白砂は教壇に立っているサクラコに視線を向けた。軽くうなずく。講義を進めるように促したのだ。
 サクラコはこほん、と咳払いをすると口を開いた。
「藤原さんが話してくれた少数民族も含まれますが、地域ごとに伝わる伝承というのは重要な情報となります。特に近づいてはならないだとか、祟りだとか、厄災だとかは魔物などの外敵を意味する場合もあります」
 真剣にノートに書き写していく二人の手が止まるのを待ってから続ける。
「たとえば神話というのは風習の根底にあるもので、自然や先祖、神や魔物への恐れや敬いが形になったものです。一見お爺さんお婆さんがフガフガ言ってるだけにしか見えなくても、よーく聞いてみるとその土地で重要視されていることというのがわかってきたりするものです。さっき話したようにヤバい魔物が潜んでるところとか、それの退治の仕方とかも伝わっているかもしれません」
 つまり、と言葉を区切り二人に視線を向けた。
「ま、人の話はよく聞きましょうってことですねっ!」
「そこだけ聞くと当たり前のことですよね」
「それが出来ない人もいるんですよ」
 なるほど、と優里は隣の席を見る。
 風里がぶすっとした顔で優里を睨んだ。
「なにかしら?」
「いえ……なんでも」
「お二人は仲が良くていいですね」
 サクラコは言うと教材をしまう。
「あれ? もう終わりですか」
「ええ、少数民族の話が長かったですからね」
 ちらっと風里は白砂を見た。
「ああ、俺が講義をしてないからか。今日はサクラコたちの様子を見るだけのつもりだったんだが……まあいいだろう。要点だけだから手短に済むしな」
 言い、白砂がサクラコに代わって教壇に立った。
 深呼吸をすると優里と風里に視線を送る。
 帰ってくるのは好奇心を覗かせる視線だ。
 パラミタに来たばかりで何を聞いても楽しいのかもしれない。
「薬師の俺はもちろん専門は薬草学だ。だが薬草学と一口に言っても、
 何が安全で何が危険な植物なのかを知るところから、有用な薬草を栽培して多く手に入れる方法、症状に応じて薬草から薬効成分を抽出する技法、さらには化学のように反応させて薬を得る方法までと色々ある。これらは生存する術として便利な知識だ」
「さ、さすがにそれを全部は覚えられませんよ」
 白砂は苦笑すると続けた。
「いきなり全部覚えるのは無理だな。というわけで、だ。生存する術の要点だけ言えば、一番人間に必要な薬は『水』だ。水を手に入れられるようになれば生存術は及第点と言えるだろう」
「話すことがたったそれだけなんてとても有意義な時間だわ」
「フウリってば!」
 風里の気の抜けた姿を見て白砂は告げた。
「もし水場が近くにない状態で水が足らなくなったらどうする? 水場があったとしてもそれは細菌を含んでいたり、毒の可能性もある。飲み水を確保する術ってのは大事なんだ」
「――むぅ」
 反省している様子の風里に頷きながら白砂は話を続ける。
「水は高いところから低いところに流れるが、植物はそれを持ち上げる。
 水を蓄える性質の植物の類を覚えておけば、最悪の事態でも多少は生き延びられるかもしれん。多少はな」
「調べておきます!」
「よろしい。このあとは青葉たちによるパートナーロストの講義だ。これは二人にとって最も重要な知識になると思う。しっかり聴講するといいだろう」
 そう言うと三人は教室から出ていく、代わりに一組の男女が入ってきた。
 青葉 旭(あおば・あきら)山野 にゃん子(やまの・にゃんこ)の二人だ。
 青葉は数枚の資料を手にしている。
 それを優里と風里に手渡すと教壇に立った。
「今配った用紙にパートナーロストに関しての概要が書いてある。それを踏まえたうえで重要なことをこれから話していくから、しっかりと聞いてくれ」
 配布された資料を読んでいた優里の視線が止まる。
「――えっ?」
 そこには契約者死亡時におけるパートナーの心身的欠損に関する事例が書かれていた。それは優里の知らない知識である。彼は身体を細かに震わせながら隣、風里を見た。だが彼女にはこれといった変化は見られない。
「では――」
「待ってくださいっ!」
 青葉の話に割り込んだ。
 そこにあるのは悲愴にも似た表情だ。
「な、なんですか。この死亡って、僕が死んだら……か、風里が――」
「ああ、死ぬかもしれない」
 ガタンッ、と音を立てて席を立つ。
 指先が震えているのを見た山野が近づき、そして話す。
「大丈夫。ワタシたちは優里ちゃんたちを死なせないために、大切なことをこれから知ってもらうためにここにいるのよ。だから落ち着いて話を聞いてちょうだい」
「優里。前に言ったでしょう。私たちは契約したら一蓮托生だって」
 風里の言葉に優里は怒鳴った。
「風里は……このことを知ってて黙ってたのっ!?」
「そうよ」
 告げる彼女の顔は能面のようであった。
「私は貴方を守るために生きているのよ。そう約束したから――」
 ふっ、と笑みを浮かべる。
 青葉たちには分からないかもしれないが優里には彼女が笑っているのが分かった。それは微かな変化すぎて察知するのが難しい。それほどに彼女の顔には変化がないのだ。
「知らないならなおさらだな。よく聞いておくんだ」
 優里は意気消沈した様子で席に着いた。
 彼の様子を心配してか、青葉は普段よりも意識的に柔らかい物腰で話し始める。
「パートナー同士は何かしらの要因で深く結びついているらしく、片方が死亡した際にはもう一方の心身がダメージを受ける。程度には個人差があるが、最悪死亡する。これは大切なことなので常に念頭に置いてほしい。つまりどんな時でもパートナーと自分の身の両方を守ってほしいということだな」
「命の危険がある時にパートナーだけ逃がしても駄目ってことよ」
 山野が補足する。
 青葉が頷き、そして続けた。
「一度契約したらそれをなかったことにはできない。過去に例外もあったが、これは異例中の異例だ。不可能と考えていいだろう」
「……一蓮托生」
「まさにそのとおりだ」
 青葉の講義は続く。
 一蓮托生、その言葉の重みは講義が進むにつれて重くなっていった。
 だがそれは同時にパートナーとのつながりも強くなることを意味する。
「にゃん子は旭くんに大きな借りがあるのよ。だから旭くんを見飽きるまでは生きてるつもりよ」
 そう話した山野の言葉が優里の頭のなかをぐるぐるとまわる。
 契約した理由……このパラミタで生きている地球人は皆、色々な理由で契約したのだろう。契約相手もしかりである。
 二人がどのような気持ちをこの講義で抱いたのか。
 それを知るのは当の本人たちだけである。