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4章 無謀
 
 1

 アトラスの傷跡の麓辺りに紫やらオレンジ色の巨大なテントが何個か設営されていた。
 テントの中では中型のキッチンスペースがあり、慌ただしくキッチンを移動している夜刀神 甚五郎(やとがみ・じんごろう)の姿があった。
 甚五郎は、中ぐらいの寸胴にお湯を沸かし大量のかつおぶしを入れていた。
「やれやれ。リュリネスの突っ込みのキレが最近鋭いから困ったものだ」
 大人数用のテーブルに座っていたカペルは、そう言いながらテーブルへと突っ伏した。
「お疲れ様です。お茶飲みますか? おしるこはいかがでしょう」
 突っ伏しているカペルをねぎらう様にホリイ・パワーズ(ほりい・ぱわーず)は注文を聞く。
「どっちもください」
 はぁ。とため息をつくと、カペルは腕に着用している腕時計を見た。
「十一時か。あと一時間で新年が来る……にしても、妨害の参加者が居ない事に驚いたな」
「一人もですか?」
 緑茶を入れた湯のみと、温かいおしるこの入ったお椀を乗せたトレイをテーブルに置くと、ホリイはカペルの座っている向かい側の席に座った。
「ああ。皆参加者の方に回ってしまってね。と……ふむ。これが日本式のお茶とおしるこか」
 そう言いながら、袴の袖から携帯を取り出すとカペルはお茶としるこの入ったお椀を写真に収めた。
 木の小さなスプーンでふっくらとした小豆をすくうと、口に運ぶ。
「んっ! うまい。このしること言うのは、実においしいな。この赤い豆はなんていうんだ?」
「それは小豆と言って、小さい豆と漢字で書くのだよ。この小豆を一晩水に浸して弱火でゆっくりと炊くとふっくらと舌でも潰せるぐらいに柔らかいあんこができるのだ」
 出汁を取っているかつお節を箸で取り除きながら、甚五郎が説明をする。
「で、こっちのお茶は緑茶というものか? たしか……砂糖とミルクを入れない方がいいんだったな」
 温かい湯気が登っている湯のみを覗くと、カペルは前日に緑茶について調べた知識を言った。
「うん。日本式の緑茶は何も入れないで飲むと苦いけどおいしいんだよ」
 カペルが食べているおしるこの匂いに釣られたのか、テーブルの下からじっと見つめているルルゥ・メルクリウス(るるぅ・めるくりうす)がカペルの知識の補足を言った。
「ルルゥもおしるこ食べる?」
 今にもよだれが垂れそうなルルゥにホリイは微笑むと、食べるかどうか聞いてみた。
 ルルゥは最初「紙が湿っちゃうと、甚五郎に怒られちゃうよ」と言っていたのだが、当の本人に「いいよ」と許可が出ると、わーい! と両手を上げてルルゥは喜んだ。
 ホリイはテーブルから立ち上がると、小さなお椀を取りおしるこを入れてルルゥの前に出した。
「うん。甚五郎が作ったおしるこおいしいよ」
 木のスプーンで一生懸命食べるルルゥの姿と笑顔に、思わず一枚写真を取るカペルであった。

 2

ツアー開始直後――

「スタート」の声と共に鐘が鳴り、ほとんどの参加者が空へと飛んでいく中一組だけ走り出したペアがあった。
 レオーナ・ニムラヴス(れおーな・にむらゔす)クレア・ラントレット(くれあ・らんとれっと)のペアなのだが、見るとクレアはすでに泣いていてレオーナに励まされているようだった。
レオーナとクレアの着ている服はこんな寒い日だというのに、額には赤と白のハチマキ・体操服・ブルマ・ニーソ・運動靴・背中にほうきをくくりつけている。
「ところでさ、空京の入口ってどこだっけ?」
 広場で参加者を見送っていたリュリネスにレオーナは聞く。
「ええっと……東門でいいんですよね。この大通りを右側に進めば見えてきますよ。というか、本当に走ってアトラスの傷跡まで行くのですか?」
「もちろんよ! このコースを走る事に意味があるんですから。パラミタ中の観客に見せてあげるわ」
 そう言ったレオーナの瞳の奥がメラメラと燃えている事に気がついたリュリネスは少し引いていた。
(テレビ中継とかしないんだけどなぁ……)
 と、リュリネスは思ったのだが、口にはしなかった。
「では、日の出時刻のAM6:50までには山頂に着いていてくださいね」
「了解よ。さぁ、行くわよ」
 やる気満々のレオーナは、まだ泣いているクレアの服をひっぱると引きずりながら走り始めた。
(本当にやりきるつもりみたいだ……)
 リュリネスの脳裏に、イラエットの言葉が蘇った。

 それは一週間前の事だった。
「一組走るって要望に書いて来た女性が居るぞ」
 参加者の情報が乗ったメールがプリントアウトされた紙の束が会議室の机を占領している時だった。
 そのプリントアウトされた紙を見ながらカペルはそう言ったのだ。
「え? 嘘でしょ。寒いのになんでわざわざ走るのよ。このツアーの趣旨間違えて応募した人なんじゃないの?」
 イラエットが、信じられない! と言いたげにカペルへと言ったのだが、カペルはその紙をイラエットに渡しただけだった。
「ほ、本当だ。確かに自分の足で走るって書いてあるわ」
「どうしましょう……」
 まさか、走る人が現れるとは思わなかったリュリネスは、不安そうに三人を見た。
「とりあえず、走れる所まで走らせたら後は時間を見て飛空挺で強制移動させるしかないかと」
 と、ダクレスがまともな意見を言ったのだが……
「リュリネス君に判断を任せるよ。このツアーの提案者なんだからさ」
「えー!?」
 なんと、カペルはリュリネスに向けて匙を投げたのだ。
「私達も他の参加者と対決が終わったら、リュリネスのフォローに向かうから、それまで頑張りなさいよ」
 イラエットの言葉に、「嫌です」と言えずに、「は……はぁ。がんばります」と言うのが精一杯だったリュリネスであった。

(とりあえず、ヘリファルテでレオーナさん達を追っていけばいいか……)
 そう思いながら、リュリネスは舞台の片づけを開始した。