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―アリスインゲート2―

リアクション公開中!

―アリスインゲート2―

リアクション

 そう運命づけられていたかのように、その男たちは出会うなり殴り合いを始めた。
「キョォオオオマァアアアア――ッ!!」
「ハァアアデェスゥウウウウ――ッ!!」
 ラッシュに続くラッシュからのクロスカウンター。キョウマ・ホルスス、ドクター・ハデス(どくたー・はです)の拳が互いの顎を捉える。
 そして両方共倒れ、息を切らして地面に這いつくばる。肉体派な挨拶が交わされた。この間わずか3秒。
「ハァハァ……鈍ってないようだ……な……」
「ゼェーゼェー……ハデスお前こそ……」
「インドアのくせに何やってるんですか。この致死性重症中二病重篤患者白衣」
 兄の頭を踏みつけながら高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)が罵倒を吐いた。よく踵で踏み捻る。
 
 彼らが尋ねたのは【グリーク】の国境に程近い商業都市にある軍事兵器及び電子機器開発企業RD社の一室、元軍事技術研究者キョウマ・ホルススのラボだ。
 ラボとはいっても会社の一室でしかなく、オリュンズにあった彼のラボをかつて訪れたことのあるエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)からすれば、この室内は設備の充実性はそれほどもなく、少々の機械いじりのできる小オフィスでしかない。壁の棚には本やファイルの代わりに戦隊物、美少女、ロボットのフィギュアが混在となっている。デスクにはハンダと工具類。流しの隣にレンジと張り紙の多い小型冷蔵庫、煩雑に仕舞われたガラクタ。
 デスクを置き場にして100mlビーカーにベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)が持ってきた炭酸飲料が注がれて配られる。お茶請けは空京まんじゅう。
「それで、今日は何の用事で来た。また改造して欲しいのか?」
 視線を向けられたエヴァルトは「勘弁して下さい博士」と断りを入れる。
「身体の調子は絶好調。特に異常もありゃせん。っと唯一心配なのは血ぃ流し過ぎたら機晶石もなくなるんじゃことなんですが」
 エヴァルトはキョウマの助力で首より下の身体の復元とそれに際し粒子結晶化した機晶石を血中に循環させている。これによって肉体の補強と維持をしている。つまりは出血により機晶石が体外に流出すると身体的機能の低下が起きる可能性がある。何かと流血沙汰の多い生活をしている彼としては心配の種である。しかし、
「俺の配合した機晶石粒子の血中濃度から鑑みるに、べつに血液の3000cc程度なら失っても問題はないはずだが」
「いや、それ明らかに致死量――」
「そうだ。つまりは出血で機晶石が失われる時は、死ぬ時だってことだ。未だに機晶石は機能しているのか?」
 勇気が高まればエヴァルトの身体は緑に発光する。それは今も変わらない。
「ああ、そうだが」
「1年以上経っても代謝で失われていない? ――細胞と同化したのか?」
 キョウマが口に手を当てて考え始めたが、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が目の前で拍手打って思考を中断させる。
「はーい、妄想はおしまいだよ。これじゃ何時まで経っても話が進まないよ」
 彼らは目的があってここに来ている。単なるお礼参りで来たわけではない。
 天樹 十六凪(あまぎ・いざなぎ)が話を切り出す。
「さて、キョウマ博士。僕たちが来た理由は、あなたの技術力を見込んで、アリサさんの能力に頼らない異世界間移動をする方法、その技術……それを共同で開発したいのです」
 フィンクス・ロンバートの話ではキョウマが異次元転移理論についての幾つかの学術的推論を立てていることと、近距離転移装置『テレポートゲート』の開発元であるRD社にいること。これらを考慮して十六凪たちはこの話を持ちかけることにした。
「それはつまり俺にオリュンズと同じゲートを開けと?」
 難しい顔をする。理論的には可能と記述したことはあるが、実際に出来るとは言っていない。かくいうオリュンズのゲートの再開扉の実験は失敗している。それは他の世界とこの世界を繋ぐための要素があまりにも不確定すぎるためだ。キョウマはそれを述べて答える。
「俺の考えから言えば、不可能だ。それを可能にするには幾つかの要素がいる。まずは、こっちの世界(【第三世界】)と向こうの世界(パラミタ)に同じ設備、つまり出入り口になる《門》が必要だ。テレポートゲートと同じ要領だ。向こうでもこっちと同じ物を再現出来ればいいからこれは難しくないだろう。問題は次だ。両方の世界に“同一の波動関数的振動を発するもの”“同位相のゆらぎを生じるもの”が必要――つまりは、全く同じ物質もしくは存在、それも時空間的に離れていても同じ動作作用で共鳴するものが必要となる。まずそんなものはありえない」
 美羽の頭からクエスチョンマークが飛び出る。
「つまり……どういう意味?」
 ベアトリーチェが補足する。
「つまり、両方の世界に同一の存在、例えば美羽さんが両方の世界に同時に一人づつ存在しないといけないというわけです」
「ああなるほど! ってそれ無理だよね!? 今私はここにいて、向こうにはいないわけだし、向こうにいたら私はこっちにいなくて、こっちにいながらむこうにわたしがいるにはえっとえっと――」
 美羽のハテナが破裂し彼女は倒れて思考が停止した。ベアトリーチェが慌てるのを尻目に、話が続けられる。
「となると、定量の物質プローブが必要か。この咲耶をクローニングして両方の世界に存在させてはどうだ? 我ながら迷案――」
「兄さん! それは倫理的にもメタ的にもダメです!」
 咲耶の言う通りクローンは禁止です。キョウマからも反論が来る。
「クローンを作ったとしても、元となる人間とクローンが同一の存在とは言えない。意志構造は同じになったとしても行動はそれぞれの環境によって異なるのが当然だ」
「では、意識や精神的に同調するってのはどうだ? 《精神感応》時は感応する同士の脳波に同様の波形が見られる! これを利用すれば……」
「待て待て、《テレパシー》も《精神感応》も同じ世界にいるもの同士でしか使用できないぞ。事実、今パラミタにいる知り合いにテレパスしてみろ。できないだろう」
 エヴァルトの言う通り不可能だ。それはこれらの能力的に長けているアリサでも異世界間の《精神感応》はできないように。
 一同頭を抱え始めた折、キョウマが問を投げる。
「ところでだ。お前たちはどうやってこの世界に来ている? 来る方法があるのならわざわざ新しくゲートを作る必要はないだろう」
 全くもってその通りだ。行き来するだけならアリサのゲート能力があればそれでいい。彼女に頼めば事足りる。機材搬入に対しても制限はほぼない。
 しかし。
「いや、必要だ! 毎度毎度アリサ……さんに頭を下げてこっちに来るのは面倒……心が痛む! 別の方法で来ないと悪事……慈善事業ができないではないか!」
「兄さん本音が駄々漏れです」
 思考の停滞から美羽が復活する。
「この悪人バカのことはいいとして。私としてはこの【第三世界】の人たちをどうにかパラミタに脱出させられないかと思うのよ。今も【第三世界】は少しずつ崩壊していつかは無くなるんだよね?」
 【第三世界】は周囲を『キンヌガガプ』という闇に少しずつ侵食されつつある。絹綿で少しずつ首を締め上げるように緩やかな死が迫っている。
「いつかっていうのもどれほど先のことかはわからない。計測のしようがない。だが、確実に利用可能な土地が狭まっていき、それによって食住の問題が発生するだろうな。そうなった時に、対立的な二カ国がどう行動するか。おそらくは土地をめぐって戦争をはじめるだろう」
 戦争により一方の国は消えて多くの人間が死に、代わりに勝国の国土が増える。それにより暫時的な問題の解消には成るだろうが世界の死から逃れられない。むしろ国家的に両国が早々な死を迎える事にもなる。
「そのアリサとかいうやつの力を使ってこちらの世界の住人をパラミタに移すってことはできるのか?」
 キョウマの問にはわからないとしか答えられない。それを試したことはないからだ。ただ、物質をパラミタへ搬出するのは不可能だとはわかっている。
 【第三世界】の人間がパラミタへ行けたのは重層世界の崩壊時だけ。それも限定的な人たちのみ。美羽が提唱するのは全ての【第三世界】の住人の脱出。
「ところで、博士はなぜ1年前にゲートを通ってパラミタに行かなかったのですか?」
 ベアトリーチェが思っていた疑念を口にする。彼は通れるはずの人間だった。今は奇跡的にも【第三世界】が残ってはいるものの、あの時に世界が本当に崩壊していたら彼の命は無かっただろう。それに、一度はハデスが崩壊するオリュンズから彼を助けてゲートへと送っている。なのに、キョウマはパラミタへの移住を拒否した。それは、
「嫌だったか……だ!」
 額に手を当てて上体を逸らし明言する。厭味ったらしい得意げな顔で。
「あの時俺は『まあ助かるならいいか』とゲートを潜ろうとした。だが、その時だ。近くで連れて来られたトロイア空兵の話が聞こえたのだ。『向こう行ったら何か記憶が消えちまうぞ』『まじで? それほんとかよ?』『まじまじ。あのマシュー中将に向こうで挨拶しに行ったんだけどよ。同じ部隊の俺らのこと忘れてるんだぜ? おれも何だかこっちでの思い出があやふやだしさ』『それやばくね? いや、こっちもやべえけどさ』『やべぇな。でも死ぬか、記憶が消えるかって言われたら』『おれらはこの記憶の消える方の扉(ゲート)を選ぶぜ!』――と言って彼らはゲートに消えていった。冗談じゃない! 俺の記憶、知識、技術、叡智、栄光、名声! ゲートを潜ったら全部パーだ! 記憶が消えるだけ? それだけなわけがあるか! それは人格的に俺が死ぬってことではないか! 肉体的に死ぬのと何が違う? それならいっそ『この世界が壊れない』ことに賭けるのが最もこの俺という存在を生存させる方法ではないかという結論に至った。そして、俺はその賭けに勝った! 故に天才は未だここに存在する!」
 芝居と熱弁にキョウマは息を切らす。ビーカーに入った知的炭酸飲料を飲み干し揮発性物質の刺激にむせる。
「ゲホゲホ……な、なんだこの飲料物は」
 ベアトリーチェの差し入れた、
「ドクトルフェッファーです」
「きつい炭酸に舌を刺激する香辛料の辛味。そして何よりも湿布様な臭い……なんて飲み物を――」
 罵倒を吐く口が止まり、博士の頭で何かが弾ける。
「精神波……固有振動……同じじゃなくても同じも波形を発する物があれば共鳴感知で異次元空間定数の値を割り出せるのでは……そう言えば大将が……」
 キョウマは慌てて耳小骨通信をかける。何処と連絡しているのかは周りにはわからない。だが、通信が終わるとこう切り出した。
「もしかしたらゲートを作れるかもしれないぞ。移動型特異点Aの協力さえあればな」
 彼の言う移動型特異点Aとは軍の名付けたアリサ・アレンスキーのことだ。
 得意げな笑みを再び浮かべ、お茶請けの空京まんじゅうを齧る。皆が注意するのを待たずキョウマは割れた餅皮の間から液状のアンコを噴出させた。