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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)

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第4章 ヴォルロスからの避難


「ねーフランセットさん、鯨の女王の見解が正しければ避難船を出すのってかえって危なくない?」
 旗艦となる機晶船、館長の執務室で、海図に厳しい目を向けていたフランセット・ドゥラクロワ(ふらんせっと・どぅらくろわ)は、その声に顔を上げた。
 地味で、ちょっとあどけなさを残したような印象の青年アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)が、眠たそうに言った。いや、いつも眠たそうな顔なのだが。
「うん?」
 アキラは手を広げて、身振りで示す。
「ヴォルロスに人いなくなる。避難船に人いっぱい。
 ……つまり残骸の島が標的を切り替えて避難船を追ってくる可能性があるということ。
 勿論避難船の方が足が速ければ問題はないけれど、避難が滞ったり間に合わないときは下手に守りにくい戦いづらい海上で戦うより陸上で籠った方が安全なんじゃね? っつー話」
「確かに君の言う通なんだが……ヴォルロスにいるのは、シャンバラ人のような、特別な能力を持たない人々だ。しかも商業が主流のため、農業が発達していないんだ。今しばらくは籠城できるが、万が一長期化した場合、籠城は厳しいのではないかと思ってな」
 と、言いながらも歯切れは悪い。
「勿論、ヴォルロス港を奪われるわけにはいかない。
 ……もし港が封鎖され、奪われた場合、何隻もの機晶船が入港できるような港は、せいぜいヌイ族の領地くらいになる。そうなればヴァイシャリーからの援軍が来たとして、補給できない。避難もできなくなる」
 アキラがとりあえず頷いて続ける。
「避難はさせたいってことね。……まあ、さっき言ったけど、狙われないようにするのがうちらの役目なんだけど。で、ここで提案が」
 アキラは、船が襲われたり樹上都市に目標を変更したりした場合に備え、自分が偵察に出ることを提案した。
「フランセットさんの側と港にパートナーを置いて、連絡できるようにしときますから」
 アキラの肩に座っていた可愛らしい人形が、言葉に合わせてお辞儀する。ゆる族のアリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)だ。
「情報はワタシがまとめて、フランセットサンと皆サンに渡すノネ」
 元々『不思議の国』のアリスモチーフのお人形のはずだったが、連絡係として早速籠手と銃のHCをはめ、通信用のサングラスをかけた姿は、何となく近未来SFのエージェントである。
「計画についても聞かせて欲しいワ。これでもチョットした知識ならあるノヨ」
 えへん、と胸を張った。
 その分猫の手も借りたい忙しさになることは予測できたが、ミャンルーを連れているのは今日は一人だけだ。
 セレスティア・レイン(せれすてぃあ・れいん)が、四匹のミャンルーの前で、ぱんぱん、と手を叩いている。
 泳げないのに海中に同行した彼女は、やっと水から上がれて――そしてこれから陸地に降りられるとあって、気力十分やる気満々だ。
「はい、注目〜! 残骸の島は危険ですから、今から皆さんには〜、街と避難状況の確認のお手伝いをしてもらいます〜」
「みゃー!」
「ミャンルー隊の点呼をしますよ〜。皆さん一列に並んでくださいね〜。はーい、ミケ、タマ、トラ、ポチ〜」
「みゃ!」「みゃ」「みゃ〜」「みゃー!!」
 セレスティアはまるで幼稚園の先生みたいだ。
「それでは出発〜!」
 上手に引率していくセレスティアを見て、ルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)は感心したようにほう、と息をついた。
「わしがあれだけ苦労したミャンルー隊を、うまく率いておるのだな」
「やってミル?」
「……いや、いい。わしはアキラと共に行く計画じゃろう」
 アリスの言葉に首を軽く振ると、ルシェイメアは、
「HCが通じなくなった時は“テレパシー”か携帯で送るからな。よろしく頼む。――さあアキラ、行くぞ」
 報酬分働かねばな、と彼女はパートナーを促して甲板に上がる。しかし、もし報酬が追加で出るなら、それはそれで。
(先日もイコンの修理費が痛かったしの、家計が圧迫されておる……アキラは計画性も貯蓄性もないからのう)
 アキラが自身の影から“影に潜むもの”を呼び出し、飛び乗ると、ルシェイメアが後ろに乗り込んだ。
 影から生まれた黒狼は二人を乗せて空を走り、残骸の島を目指した。
 船の上は薄曇りだったが、目指す空は分厚い黒雲、近づけば近づくほど、湿気と塩分をはらんだ風がじとっと二人の体にまとわりついた。
 次第に小雨になり視界が濁ってくる。高度を上げて雲の上に上がれば、逆に眼下には黒雲で覆われるだろう。
 ルシェイメアは目を細めた。彼女の“ホークアイ”が視界を遠くまで見渡し、“ダークビジョン”が暗闇を見通す。
「ううむ、まだかなり見にくいの。……島はやはりヴォルロスに向かってるか……かなり崩れておる死者もおるようじゃ」
 かろうじて姿かたちを保っているようなゾンビが霧の間から見えて、ルシェイメアは嫌そうな顔をした。しかもそれらの幾らかは、無理やり海中から引き上げたかのように、藻だか何だか、良く分からないものを、襤褸のように着ている。
 ルシェイメアは自身のHCを起動させると、アリスに情報を送った。





 アリスを通じてアキラたちの報告を受けたフランセットは、残骸の島の速度・進行方向などを議会に報告すると、共に避難船の進路を決定していった。
 住民の避難を取り仕切っているのは、ヴォルロス議会だ。
 彼ら商人と傭兵たちは、手分けして持ち場を決め、情報の発信と、船で避難する住民と籠城、或いは都市の外へ避難する住民の希望をまとめて誘導していた。
「誰かいる? いたら返事して」
 朱 慵娥(じゅー・よんえ)は、騒がしいヴォルロスの港周辺を、声をかけて回っていた。
 土地勘はないが、計画的に作られた街だけあって、大通りの方向さえ覚えておけば迷うことはない。
「誰かー、誰かいる? 早く避難して、怪物がくるのよ!」
 そう言いながらも、彼女の心中には、怪物について話した鯨の女王・ピューセーテールへの不満があった。
(生者を死者にしその魂を喰らう、ってそれこそ悪ではないの?
 生者には未だ、その先の未来があるわ。それを強制終了させて何が悪ではない、よ。そんなの赦されない綺麗ごとだわ。手前勝手な偽善よ、そんなの)
 慵娥は一通り地区を見て回ると、一旦状況を把握しに港に戻る。
 目印を付けた議会の傭兵たちが、避難の連絡を手分けしてやっていた。
「この周辺の避難は完了した。まだこっちの通りの住宅街に残ってる住民がいるかもしれない」
「はい」
 足が悪く動けない人のために、彼女は野菜を積み上げた台車を借りて、港へと運んでいく。
 港は騒然としていた。双眼鏡を怯えたようにのぞき込む船員を見て、彼女もにわかに曇って来た海へ目をやる。
(一人の漏れも、私は看過しない。誰も、死者になんかさせないわ、絶対に)
 港には、急遽避難船に仕立て上げられた漁船や観光船が停泊しており、人々が次々に乗り込んでいた。
 元々、ヴォルロスはシャンバラから移住した人々が住む街だ。できて日も浅く、ここで街に殉じるという人間ばかりではない。家族だけ避難させようという人々もいる。
 それでも、皆すぐここに戻ってくるつもりなのだろう。急いでいるということもあったが、皆軽装だった。
「樹上都市行きの皆さんは、こっちですよー!」
 とある船の前で、物々しい、黒光りする大砲の間を抜けて、皆川 陽(みなかわ・よう)が、引っ込み思案な彼に似合わず大きな声を上げて手を振っていた。
「ほら、もっと大きな声!」
 ユウ・アルタヴィスタ(ゆう・あるたう゛ぃすた)に激励され、陽は再び声を張り上げる。
「避難される〜方は〜こっちです〜!」
 二人は、樹上都市から一度、ヴォルロスまで戻ってきたのだ。
 族長補佐によると、受け入れの準備のためにも人数の把握と、船が海蛇なり他の怪物に襲われる可能性があるから一緒に契約者に乗船してほしい、ということだった。
(任せてくださいって言ってはみたけど、化け物と戦ったり出来るのかな自分)
 陽には自信がない。周囲を見回すと、ほとんど契約者はおらず、見える範囲には自分たちくらいだった。
 パーティで言えば後衛タイプの自覚がある彼は、一瞬弱気になりかけたが、思い直す。
(いやいや駄目だ。戦わないと。みんなが「契約者だ」っていう目でボクを見てるんだから、ちゃんとしないと!)
 一人で頷いたり首を振ったり、決意をしつつある陽を、ユウは一歩退いた位置で、観察するように眺めていた。そうしながら、如何に後戻りできないようにするか考えていたが、
(ここは宣伝して売り込まねばならぬ)
 決めると、避難のため集まってきた住民たちに向かって、両手を広げて陽をアピールし始めた。
「この船に乗ればもう安心ですよ! こいつこう見えて、実はけっこうちゃんとした契約者なんですよ!」
「えっ? そんな大声ださなくても!」
 戸惑って手をわたわたさせる陽に、ユウにやにやしてから、周囲に声を張り上げる。
「強いよ! 超強いから! 魔法のエキスパートだから! 怪我は直すし、敵は攻撃魔法でぶっ飛ばすし、まさに一騎当千だから!」
「誇張しすぎだから!」
「いや、恩着せがましく売り込んだ方が、『契約者』のイメージがアップするよ? 
 それが目的でしょ? 今のはその手段だってだけじゃん、役に立とうって思ったんでしょ?」
「そ、そうだけど、ホントに何かあったら……」
 ユウはしれっとして、
「いや、当人に自信がないだけであってオレはあんまウソは言ってないよ? キミがいろいろ出来るのはホントだし。それに、頼られた方が統率できるよ?」
 ユウの言っていることはウソではないが、陽と違って、別に契約者のイメージアップが目的ではない。彼の目的は最初から最後まで、陽を鍛えることなのだ。
 案の定、ユウの売り込みを信じた避難民たちが陽を取り囲む。
「何があっても守ってくれるんですよね?」
「お兄ちゃんが怪物をばーって倒してくれるんだよね?」
 陽はしどろもどろになりながら、
「……えーとえーと各種回復スキルあるんで、もし何かあって誰か怪我してもぱぱっと直すから心配しなくても良いですよー」
 ちょっと自信さげな言い方だな、と自分で気づいて言い直す。
「あと化け物がやってきても頑張って戦うから心配しなくても良いですよー。だからみんな安心してくださいー」
「言ったな」
 ユウが言質を取ったというようににやっと笑うので、陽は観念して肩を落とす。
「言った。……でも本当、ちゃんとやるよ」
 契約者が悪いことしたりして、自分にはそれが同じ契約者として怖くて。契約者として何か役に立つ事がしたいけど、自分に出来る事は契約者として得た力で勉強した魔法くらいしかなくて。
 それでも役に立つのなら……。一応、巨大な火柱を空から降らせることくらいはできるんだし。
「若いの、魔法と度胸は使いようじゃからな」
 避難者のおじいさんが陽の背中をバシンと叩いた。


 一方、議会場は別の騒がしさだった。避難状況の報告と確認と指示が乱れ飛ぶ。
「煩くて悪いな」
「大丈夫だよ。……それで、できるだけ海から距離があるところがいいね。この辺りはどうなってるの? ここを通って、こっちに籠城するというのはどうかな?」
 机の上に地図を広げて、指をさしているのはエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)だった。
「いい考えだな。あちらに地の利はない。海蛇がここまで来れるか分からんが、アンデッドにはいい障害物になるんじゃないか?」
「俺は植物と話ができる……最悪、抜け殻が森に到達したら木々から到達したと知る事が出来るからね。植物が傷つかないといいんだけど……動物たちもね」
 彼らが先ほどから話題にしているのは、有事の際の避難所の設置だった。
 自身の街を守るために怪物に抵抗しようとする者、籠ってやり過ごそうとする者、陸地が安全だと信じる者、船での旅に耐えられない者、まだことが起きると信じていない者……。
 住民にもそれぞれの思惑があり、この街に留まっている。
 といっても、バラバラに行動するより統率が必要で。
 エースが提案したのは、街から離れた場所に臨時の避難所を作るという案だった。
「今まで想定していた有事っていうのは、海賊が来たとかちょっとした怪物が出た時とかでなぁ……」
 備蓄や防衛のための設備・訓練は多少あるものの、街全体に巨大な怪物が押し寄せるような事態は予想外だと、男は肩を竦めた。
 街の外はあまり開発されておらず、のどかな牧歌的な風景と未開拓の森林が広がっているという。
「まずはここに、女性と、子供、お年寄りを優先に避難させよう。備蓄は小屋を建てて、確保して資材と、それから住民もトラックで……」
「悪いんだが、トラックはないんだ。馬車で運ぶことになるな」
「小型のトラックなら持ってきてるんだ、それを使うよ。
 大掛かりに思えるかもしれないね。俺も海軍と皆が何とかしてくれると信じているけど、万が一のことがあったら取り返しがつかないから、ね。最悪は想定しておこう」
 エースは軽く微笑むと、表情を引き締める。
 エースは計画の打合せを終えると、早速トラックと共に連れて来た施工管理技士に依頼して、小屋の建築作業を任せた。議会の傭兵たちも一緒だ。建築作業は勿論、野生生物が出るというから、それを追い払うためだった。
 パートナーのメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は神獣の神子に住民を乗せて、トラックの後を付いてくる。
 大蛇や狼出るということだったが、見慣れぬ光景にためらっているのか、遠巻きにして襲ってくる気配はない。
 二人はそれを良かったと思った。野生の動物たちも生きているのだから、無用な争いは避けたかった。
 目的地に着くと、エースは木々と動物たちに向けて話しかける。
「怖い存在が海の向こうから来るからお前達も避難しなさい」
「エース」
 メシエの呼びかけに、エースは振り返って笑った。
「人の言葉でも真摯に話せば同じ生き物だから通じるよ」