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リアクション
アナスタシアの側に、その姿を見付ける。
喪服のような黒いワンピースに白いエプロン、襟に白いカフスを付けただけのレベッカ・ジェラルディ――妹のレジーナがレベッカとして葬られているのだから、その名は可笑しいかもしれないが、レベッカと呼ばれていた彼女のクローン――は、相変わらず表情と精彩に欠けた顔で、周囲のお皿を下げ、パンくずを払っていた。
「アナスタシアお姉様、レベッカさん」
藤崎 凛(ふじさき・りん)と、パートナーのシェリル・アルメスト(しぇりる・あるめすと)は側を通りかかった彼女たちに声を掛ける。
男装の麗人とお嬢様、といった風の二人の前はカレーが盛られているお皿があった。
「あら、カレーいいですわね。私も丁度休憩にしようとお呼ばれしたところなんですのよ」
「アナスタシアお姉様、進路相談お疲れ様ですわ。お姉様は専攻科を卒業されたら、どうなさるんですの? すぐにエリュシオンにお帰りになるのなら、寂しいですわね……」
胸に手を当てる凛に、すかさずシェリルがフォローを入れる。
「もしかしたら、留学経験を活かして外交的な役割を担う事だってあるんじゃないかな。寂しがるのはまだ早いよ」
「……ええ、しばらくシャンバラにいるつもりですの。外交官は考えていませんでしたけれど……もしエリュシオンに帰ったとしても、またお会いできると嬉しいですわね」
しんみりしてしまう空気を振り払うように、アナスタシアがカレーに目を止めて私も一口頂こうかしら、と言うと、凛は早速彼女の分も獲ってきた。
アナスタシアはカレーをぱくっと食べると――けほん、とむせた。
「あーあ、凛は辛党だからね」
気を利かせて辛いカレーを海軍の方でよそってくれたのだろうが、普通の味覚の彼女には刺激的過ぎた。
「これは激辛ですわよ」
「海軍さんのカレーは、本当に美味しいですわね」
凛はこともなげに食べているが、彼女の者は辛口カレーを一番辛くしてもらって、更に自分で持ち歩いているスパイスを入れた特製だった。
ふわふわ甘いもの好きそうな外見なのに、とシェリルは思う。むしろ甘いものは苦手で、お菓子や果物も取って来てはいるが、甘さ控えめのものばかりである。
凛はふとシェリルを見ると、
「シェリルももっと自由にしていいのに」
「君のことをご両親から任されているのだから……」
シェリルはもうくっついているばかりではなくなった凛を、嬉しく思いながらもそう言った。今日だけではなく、彼女と同じ道に進み、できるだけ側で見ていられるようにしたい。
少しずつ成長して、入学した時よりだいぶ変わってきた凛だけれど――それでも守る対象なのだ。
でも意味合いは以前とは違う。凛が変わっていったように、自分の気持ちも変わっていく。
今は、凛がか弱いからではなく、自分が守りたいのだ。
(でも、それもきっと少しずつ変わっていくんだろう。生きている限り、人は変われるんだ)
シェリルは、大人しくコーヒーをすすっているレベッカを見る。彼女だって、誰にでも攻撃的な態度はもう、してはいない。
「どれがお好きですか?」
凛はレベッカを気にかけて、あれこれとお菓子やお茶を勧めた。
「味には拘らないわ。何が美味しいとか、殆ど考えた事が無いし……味覚も鈍いから」
「そうですの……。こちらはいかがかしら?」
そっけない態度に見えるレベッカだが、こうやって話しかければ自分の事を答えてくれるくらいにはなった。そのことを凛は嬉しく思いながら、クッキーを取り分ける。
「私は短大の文学部に進学して、百合園には在籍し続けますけれど、同級生の中でも他の大学に行く方や、多くの先輩方が卒業されるので寂しいですわね。
レベッカさんともいつまでご一緒出来るのか……でも、こうして過ごしている時も『ムダなこと』なんて何もないと思うんですの」
いつかお別れする日がきても、私たちと過ごしたことを楽しかったと思って頂きたい……そう思う。
しかしレベッカは、カップを置いて、自分の胸元の首飾りのトップのガーネットをぎゅっと握りしめた。
「そう感じられるのは、幸せなことね。
私は、父が妹に生き返れと願うたびに、自分が何者でもないという気持ちに襲われた。……でも妹の墓石には……レベッカの名が……刻まれた。レベッカが死んだことになれば、では私は何者なのかしら? 最近は、私がもうレベッカになれないなら、私は別の名を探すべきなのかと考えて、レベッカと呼ばれて夢から目が覚めるの」
そうして彼女は首飾りを――凛がかけた時から、一度も外したことのない首から外して、凛の両手に握らせた。
「私が死んだら、これを……ほん……ほんもののレベッカの墓に……供えて欲しいの。そして私の墓に、私だけの名前を付けて」
寿命はもう長くないのだと、死期をレベッカは感じたのだと、凛は悟った。
「それから、これを」
もう一つ彼女がポケットから探って掌に載せたのは、小さな可愛らしい生花の――いや、生花を樹脂か何かで固めたものだった。両端に鎖が付いていたので、それがネックレスだと分かる。
「私には女らしい趣味なんてなかったけれど、ハーブは研究で育てていたから……。これを」
プレゼントには重すぎるそれを、表情に乏しい中で僅かに微笑して。
「私の生きた証」
その後、レベッカは生活のほとんどを個室で過ごし、時に百合園の中を歩き、観察する変哲のない日々を過ごした。
そして春になって間もなく――その四年に満たない短い生涯を終えた。
「……はー、やっと一息つける……」
お皿にアリバイ作りとばかりに少しばかりのお菓子を乗せて、守護天使がふらふらと誰もいない隅っこの席に着くと、隣にどかりと腰を下ろした人がいた。
また何かあるんじゃないか、と肩をびくつかせた彼だったが、彼女の顔を見るとほっと胸をなでおろす。
「あー、生駒さんじゃないですか。奇遇ですね。……そちらは?」
天御柱学院という彼の故郷からは最も遠い学校の、友人・笠置 生駒(かさぎ・いこま)は隣の守護天使の女性を見た。
生駒は、彼女をパートナーでシーニー・ポータートル(しーにー・ぽーたーとる)という名前だ、と紹介する。
シーニーの端正な顔立ちに大きな胸、陽気そうとくれば男性にとってとても魅力的に映るかもしれないが、
「よろしゅうな」
彼女のうろんな目つきと酒臭い息、そして生駒のパートナーである、という点が、守護天使の恋愛対象からすぐさま抹消された。
「……ところでアルカ<ピー>アさん、何か悩みが有るなら言ってくださいね」
「え?」
生駒は勘違いしている。この前守護天使が見せたあの目は、このままだと名前を誰も知らなくて存在が薄くなって消えてしまう気がすると思っているのではないか。と。
「ささ、飲んだ飲んだ」
シーニーは戸惑う守護天使の前に紅茶のカップを置いた。逃げられるとも思っていないが……これで腰を落ち着けて、話を聞いてくれるだろうという計算がある。
有難くいただきますと口を付けた守護天使は眉をひそめた。
「ん……何かお酒の味がするような……」
「気のせいやて。これラムレーズンの香りの紅茶やていうてたからな」
シーニーが高級そうな白磁のポットを指先でピンと弾きつつ言った。
……実は気のせいではない。紅茶1に酒が9という割合。しかも超有名銘柄の日本酒である、守護天使にはもったいない高級品だ。
「そうですかぁ? ……えーと、悩みといえば……」
酔いが回るのが早いのか、早速腕を組んで首をひねる守護天使を置いて、シーニーは生駒の耳元にささやいた。
「ここまできたら名前が解るのは『最後の時』やと思うで」
「ええ、名前ですね」
「そうや。たとえば今ここで名前を言おうとしたら何故か狙撃されて……最後の力を振り絞って名前を告げてガクッと逝ったりとか」
「ほほう」
「名前を告げた後光に包まれ存在が消えてゆくとか」
「守護天使ですからね」
「多分そんな感じになるんやで」
紅茶入りのお酒を飲み干した守護天使は、頬を赤く染めながら二杯目の紅茶を飲み干して、
「悩み……といいますと、実は僕には兄がたくさんいるんですよ……数十人も……それで末っ子なもんですから、今までもかなりどうでもいい扱いを受けてて……兄たちは優秀で、殆ど留学してるもんですから、だから僕は親にも名前を忘れられるんだなーと」
それから守護天使はくだを巻き始め、何やかや、自分の存在意義とか生まれた時の両親の喜びようとか、名前付け忘れられかけたとか、次第に酒によって自分探しの旅に出た彼だった。
シーニーが残りの酒を飲んでしまい、生駒がプロフィットロールのプチシューをイコンに改造し終えた頃、守護天使は戻ってきた。
「僕にも名前があるんですが……アルカ<がちゃん>アっていう」
彼が丁度話しかけた時、隣の席で音がした。女子生徒がお皿を割っていた。
「え?」
「ですから、アルカ<すいませーん>ア・ヴェラニディア」
今度は、「あ、すいませーん、お皿落としました」いう声でかき消される。
「も、もう一度」
「もう。ちゃんと聞いててくださいね。アルカディア・ヴェラニディアです」
二人は顔を見合わせて、同時に守護天使を見た。
「……?」
「それ、人名?」
アルカディア――それは、地名である。そういえば一度名前を聞いたけど、人名らしくなくてすぐに忘れてしまったのだった。
「なんか、どこかの神話の理想郷らしいですよー。牛と羊とかいっぱいいるのかなー。
まぁ、兄たちの名前はまともだったんで……ネタ切れだったんでしょうね。覚えにくかったらボブでいいです。付けた親本人が忘れる名前より、皆さんがつけてくれた名前の方が……」
守護天使改めアルカディアは、紅茶風味のお酒の入ったカップをいじりながら、いじけており――背後に黒ずくめの少女が立っていたことに、彼女たちは気付かなかった。
ラズィーヤの相談室に集まった――というより集められた静香とアナスタシアは、顔に疑問符を浮かべていた。
「休憩にしましょう」
と、集めた張本人・崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)は、銀製のトレイに載せたお茶とお菓子を軽く持ち上げて微笑む。
それぞれの前に自らいそいそとお茶のセッティングをしている姿は珍しい。
「崩城さんは、相談しなくて宜しいのかしら?」
何が始まるのか、と休憩を額面通り受け取れずに、アナスタシアは疑わしげに尋ねる。
「ええ。久しぶりにラズィーヤさん方とゆっくりお茶を飲みたいな、と思って」
余裕の笑みを浮かべる亜璃珠に、今度は静香がソファに腰を下ろしながら問いかけた。
「……ちょっとしたことでも、困ってることがあるなら聞くよ?」
「悩みと言う程のものなんて別に、私の未来は常に輝きに満ちていますわおほほ」
「だったらいいけど、無理しないでね」
静香はちょっと苦笑すると、亜璃珠が最後に自身のカップにお茶を注ぎ終わるのを待って、話題を変えた。
「もう卒業だね。卒業式までにみんなたくさんの思い出が作れるといいね」
「卒業式に集中できるようにするのが白百合会の役目ですわ。今年の卒業生は……まだ、少し落ち着かないようですもの」
アナスタシアの言葉にラズィーヤが頷く。
今まで百合園だけでなく、パラミタの学生たちは色々な危機を乗り越えてきた、けれど。まだ大きな危機が残っている。
「危機を目前に百合園――パラミタでのよりどころを失うというのは、不安に思う生徒もいるようですわ。
実際に、地球に戻って来いと両親に言われたり、自身で戻ることを決意した生徒もいますわ」
深刻そうな話題だった怪我、ラズィーヤは普段通りの口調で続ける。
「逆に、最後まで残って立ち向かう生徒も、パラミタを終の棲家と決めた生徒も」
「うん。どんな決断でも、地球からここにきてそういう重い決断を学生が迫られる……それに対して決断をした、ってことを誉めてあげたい」
静香は校長らしく、そんなことを言った。
亜璃珠は三人に訊ねる。
「そんな中でも、これから百合園やヴァイシャリーがどう変わっていくか、どうして行きたいか伺いたいわ。これからは私も協力する立場になるのかもしれないのだし」
ラズィーヤは小さく頷くと、きっぱりと答える。
「今の百合園が行こうとしている方向。わたくしが望む根本は今も昔も変わりませんわ。全てはシャンバラのため。それが、お兄様とわたくしの約束でもありますから」
「悪い方向にはならないと思う。少なくとも何年後か、皆で集まって笑顔でお茶会が出来るような学校にしていきたい」
静香そう答えてから、もう決めたの? と逆に訊ねた。
「それなら、進路相談……っていうか、校長としては聞いておきたいな。協力する立場っていうけど、亜璃珠さんは今年で卒業だよね?」
「ええ、専攻科からこのまま、ヴァイシャリーへの宮仕えを志願するつもりですわ」
「ヴァイシャリー家に?」
ラズィーヤが意外そうに問い返す。
「現場は好きだけど、だからこそあえて宮中でも有事に動ける――内外に顔が利く人間でいたいと思っていますの。出世はしたいけどヴァイシャリーはシャンバラの都市なんだから、あくまで地球人の私は弁えないといけない。
なら裏側であれやこれやと手を回してやればいい。現場と宮中の潤滑油か、或いはイロモノ志望ってところかしら?」
「私の下か、家そのものに仕えるか……決まったら、教えてくださるわね?」
ラズィーヤは笑っているが眼光は鋭い。わざと、だろう。そんな彼女の視線を遮るように、アナスタシアが口を挟んだ。
「私は、どんなか弱い女生徒でも、安心して過ごせる百合園であってほしいと思っていますわ」
「僕はどうしたいっていうより、このまま校長を続けられるといいなぁ……」
そう答える静香ののんきな、でも少したくましくなった顔に、亜璃珠は、
「……にしても静香さんは良くも悪くも、全然変わりませんわね」
思春期を百合園で過ごしたのだから、もっと男らしくなっていてもいいと思うのに、相変わらず女装が似合うままだ。
「ちゃんと生えてます? ラズィーヤさんも最近確認してますか?」
話題を振られ、ラズィーヤは意地悪く笑う。
「で、いつ切りますか?」
「藪蛇だよ! ううう、最近ラズィーヤさんが宦官って言わなかったから、安心してたのにー!」
部屋に静香の叫び声が響いた。
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