イルミンスール魔法学校へ

シャンバラ教導団

校長室

百合園女学院へ

月下の無人茶寮

リアクション公開中!

月下の無人茶寮
月下の無人茶寮 月下の無人茶寮 月下の無人茶寮 月下の無人茶寮

リアクション

焦がれたものは


 酒杜 陽一(さかもり・よういち)が席につくと、そこは、ちょうど対面の席に窓から外の明かりが射しこむ、という位置だった。
 何だか無人が強調されてしまう、誰かが座っているのが相応しい感じだな、と苦笑しているうちに、白いテーブルクロスの上に皿が出てきた。

 ワンプレート――野菜のサンドイッチとミネストローネが、一つのプレートに載って出てきた。
 1品という話だったが、1つのセットとして出てきたようだ。


 あぁ、これは。
 懐かしさと、ほんの少しのほろ苦さに似た切なさが胸に満ちる。
 以前、シャンバラ宮殿の展望レストランで高根沢 理子(たかねざわ・りこ)と食事をした時のメニューだ。
「理子さん」
 ふと口に出して呼んでみると、あの時のことが胸の中にありありと甦る。
 空京の夜は都会らしく人口の明るさに遅くまで溢れていた。
 この『無人茶寮』の周辺は、他に明かりもなく、遺跡群を抜けてくる風の音が微かに聞こえてくるほど、静かだ。

 ――すっごく美味しいね陽一さん!

 あの時の理子の笑顔は胸に残っている。


「いただきます」
 噛むと柔らかなパンの間で、レタスがしゃりっと瑞々しい音を立てる。
 野菜中心のサンドイッチを食べながら、陽一は回想する。
 あの時の、理子との幸せな食事の時間。
 けれど、同時に心の中にある不安も口にした。
 ……ずっと長い間、胸の中に小さく巣食っていた不安だ。


 子供の頃、陽一にとって“我が家の食卓”は楽しい団欒の場所ではなかった。
 いつも、両親の目に怯えてびくびくしていた。
 妹に比べて出来の悪い自分は、両親に疎まれているのをいつも感じていた。冷厳な視線や棘のある言葉が飛んでくることを恐れながら、家族を顔を合わせて食事をすることには、楽しみも憩いも感じられるはずがなかった。むしろ日々の苦役にも似ていた。
 世間の大概の人は、「家庭の味」という言葉に安らぎや懐かしさ、変わらぬ愛情のようなものを連想してほっと和む。自分にはそういうものがなく、時々ではあるがそれをコンプレックスのように感じることもあった。
 理子との将来を思う時は、特に。


 あの時理子が美味しそうに食べていたメニューも覚えている。卵やカツが入ったサンドイッチと、鶏肉の入った玉子スープ。
 ふと、目の前の、月の光が射す席に理子が座っているような気がした。



「ん? 何、何でそんなに見るの?」
「……何でもないけど。理子さんがあんまり美味しそうに食べてるから」
「えー、なんかがっついてたみたいで恥ずかしいよ」
「そんなんじゃなくって。
 美味しそうに食べている理子さんを見てると、なんだか、幸せなんだ」
「……」
「……そんなに嫌?」
「そんなことないよ。でも、あたしも同じだから」
「?」
「あたしも、陽一さんが美味しそうに食べてるの見てたら、幸せ感じるよ」
「え……そうかな」
「そう、おんなじ」

「ねぇ、こんな風に思えることって、きっと凄く大切で、感謝できることなんじゃないかなぁ」


 
 その言葉は、理子がさりげなく、陽一の不安を幾らかでも拭おうとして言ったものだったのかもしれない。
 一緒に食べていて、幸せそうに食べている相手の姿に自分も幸せな気持ちになれるのなら、「家族の食卓」というものは共に築けるのだ、と。





(感謝……そうだ。感謝してる)
 誰かと食事することの中に幸せがある、と、あの家では教わることができなかった。
 家族といても、いつも心では独りで食べていたから。
(理子さんが教えてくれた)
 あの時、理子と食べた料理の味。
(あれが、俺がずっと欲しがっていた味だ)
 何という事はない普通の、だけど温かい食事。家族の団欒……
 笑い合って、温かな言葉を交わして。


(これからの理子さんにも……そしていつか生まれる子供達にも、この味を感じさせてあげないとな)
 強く、そう心に決めた時、笑いかける理子の顔が見えた。


 大きな責任を負う立場にある理子と、共有できる時間が思うようには取れないのは、これから先も変わらないかもしれない。
 それでも、この幸せの味を忘れずにいよう。
 一緒にいられるどんなささやかな時間も、ありふれた日々の中の一瞬も、宝物のように大切にしていきたいから。
 今夜はこの思い出の味を、理子の笑顔を思いながら食べよう。

 瑞々しい野菜をふんだんに挟んだ爽やかな味のサンドイッチも、野菜たっぷりの温かいミネストローネも、舌に美味しく、心地よく胃に溜まっていって。

 月の下で波ひとつ立たず静かに光る湖面のように、澄んで静まり返った心で、陽一は想いを込めて、小さく「ごちそうさま」と呟いた。