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月下の無人茶寮

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月下の無人茶寮
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あの頃の話を


「ん? ……これが出てきたか」
 ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)は、テーブルの上に出てきた皿を見て、ちょっとおかしそうに呟いた。
 見た途端、その一品に纏わる諸々を思い出したからかも知れない。

 こんがり焼いたチーズで芋餅を挟み、ミルで挽いた黒胡椒をたっぷりかけたものである。
 熱を通して食べる時とろりとなるチーズと、香りの効いた胡椒の味わいが絶妙だ。

「うん、味も、俺が作ったのと同じ味だな」
 一つつまんで、ハイコドは頷いた。
「そういえば最近作ってなかったな」


「お、それか」
 同席する藍華 信(あいか・しん)が、ハイコドの皿を見て呟いた。
 信にとっても、その料理は思い出のあるものだった。
「俺の方はこれだよ」
 お前は? という視線をこちらに向けたハイコドに、信は皿を指して苦笑して見せた。
 パラミタオオキジの丸ごとオーブン焼きだ。
「またデカイな。いきなりお前の顔が見えなくなったと思ったら」
 でんと皿に載ったそれは、サッカーボールくらいありそうな巨大なキジだ。
「俺が弓で初めて仕留めたのを焼いたんだったな、これは」
 さすがの大きさに苦笑いしながら、しかし懐かしそうに信は言う。
 何事につけ「初めて」は、忘れ得ぬ思い出として人の心に刻みつけられる。これだけの大物を仕留めたのも心中密かに誇らしかった。
 それで、出てきたのだろう。
 味付けはシンプルに塩胡椒と何種類かのハーブだけ。よく肥えているだけあって、味はなかなかジューシーだ。
「また今度の休み、狙ってみるかね」



「しかし懐かしいな、こいつは」
 ハイコドは、自分に饗された芋餅のチーズ挟みの方に気を取られていてひとりごちた。
 ――まだ高校生だった頃に、珍しさから追われていた傷ついた白狼を助け、家に連れ帰って手当をした。一晩経ってそれが獣人だと分かった。
 その時に家にあるもので作って一緒に食べた料理だ。
 まだその頃は、自分とパートナー――妻とが、お互い、幼い頃出会っていたという記憶を失っていた時だった。
 けれども出会いは結果として運命だったと言えよう。その時にこの料理が傍にあった。



「そうか、本当に懐かしいな。
 あの頃はお前、敬語使ったりして、今みたいな感じじゃなかったよな」
 楽しげに回想する口調で信が応じる。
「そうそう、まだあいつのこと、さん付けで呼んでたりしたな。
 んで、こっちに来てすぐあったダンスパーティで、呼び捨てにするように言われて……」
 話しながら、ハイコドの脳裏には、あの頃の彼女の姿が甦る。
 ありありと、鮮明に。
 呼び方や話す時の言葉遣い、一緒に時を重ねていくうちに少しずつ変わっていって……
 そして、今がある。
「そうだ、あの時もこれを、店の人に作ってもらったな」
「はは、何だか酒飲んで昔話するおじさんみたいになってないか」
「茶化すなよ。あぁでも、酒飲めるようになってから食べたからか、こいつ酒のツマミに良さそうだな。
 ワインとか合いそうだ」
「それもいいな」
「そういや、お前と契約した時にも作って食べたな」
「あぁ、覚えてるよ勿論」
 そう言って、信は口に入っていたキジ肉を飲み込み、ほんの少しからかい混じりの軽い口調になって、
「二人目の奥さんにも作ってやれよ? 姉妹の旦那さん?」
 そう言われて、ハイコドは冷やかされたような感じにちょっと唇を曲げたが、すぐに穏やかに破顔した。
「そうだな。今日帰ったら二人に作ってみるよ。
 お前も食うか?」
「それよりこっち食ってくれよ。俺一人だと多すぎる」
 サッカーボール大のキジの丸焼きを指して、信が訴える。
「美味いけど量がヤバい」
「大きさだけならパーティに出す料理だなこれは」
 是非にと乞われてお相伴にあずかるハイコドである。
「野性味を生かした味付けだな。こっちは合わせるならビールだな」
「酒を入れるんだったら、もっとメンバーを募ってワイワイやりたいよな、こういう料理は」
「違いないな。代わりに俺のこれ、一口どうだ?」
 自分の皿を指して信に勧めたが、
「そいつを食うのはお前が作った時でいいよ。それよりこっちだ」
 笑いながら信は辞退した。
「美味いのは知ってるからな」



 今、傍にいる仲間や家族、大切な人達。
 無人茶寮で出てきたのは、彼らとの様々な思い出の場にあった料理だった。
 大事な人たちが笑顔で味わってくれたことを思うと、自然、またその料理はどこかで再登場することになる。
 そして料理を囲む楽しい時間の記録は、味に蓄積されていく。

 それを再認識すると、ハイコドは無性に、帰って2人の妻や子供たちに会いたくなるのだった。
 そしてまた、このチーズで包んだ芋餅を一緒に食べて。
 この料理に蓄積される思い出を上積みしていこう、と。 



「あー腹いっぱいになった」
 何とかキジも平らげ、皿が空になると、ハイコドは立ち上がった。
「んじゃ、帰るか」
 一刻も早く帰りたい気持ちに駆られ、遺跡を出たハイコドは『裳之黒』を用意して信を見た。同じ気持ちらしい信は、魔鎧となってハイコドに纏われた。
「キジの食い過ぎで重くなってないだろうな」
「ふん、どうかな、ははは」
 裳之黒を纏うと、黒い翼でハイコドは、家のあるツァンダ東の森へ、最高速度で空を疾駆していった。
 夜空は月明りで金の撒き散らした凪の海のようで、帰路には何の障害もなかった。