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リアクション
●メッセージ
見渡す限りの蜘蛛、それも、機械でできた体長二メートル近い蜘蛛。
その後方に控えるのは、これをはるかに越える大型の蜘蛛機械。胴の中央に女の首をつけた呪わしきキマイラ。
――悪夢だな。
堕冥の剣がついに折れたとき、樹月刀真が最初に思ったのはこの言葉だった。
斬っても斬っても蜘蛛は減らない。減ってはいるのだが、それでも増援が次々と現れる。
刀真は剣鬼となりおびただしいほどの敵を斬り伏せてきたが、剣が折れると同時に、四肢の力を失っていた。 とうに限界が来ているのに、気力だけでここまで来ていたのか。
その気力が、剣の喪失でついに尽きたのか。
汗で視界は曇り、手にはもう感覚がない。
ここまで道を共にして来た封印の巫女白花の姿も、今は遠くに見え隠れするばかりだ。彼女も蜘蛛に行く手を阻まれているのだ。
両手を地について周囲を見回す。
刀真の四方どの方向にも蜘蛛機械が見えた。刀真が倒れるのを待っているかのように、いずれも遠巻きに彼を見守るようにして手を出してこない。うかつに近づくと危ないと、ようやく学習したのかもしれない。
「刀真……」
幻聴だろうか。
しかしこのとき確かに刀真は聞いた。漆髪月夜が自分を呼ぶ声を。
――!
地に両手をついたまま顔だけ上げると空中、手を伸ばしてもぎりぎり届かないほどの位置に、漆髪月夜の姿があった。
彼女は顔をこちらに向け、悲しげな顔をしている。
いまにも泣き出しそうな。
――なんだよ、ここでそんな顔するなよ。ここで終わってもいいじゃないか、お前のところに逝けるんだから……。
「『お前の』? 駄目よ、選ぶのは私。私があなたのところに行く」
――無茶言うなよ、月夜、お前はもう……。
「私は?」
「死んでる」
刀真は口に出していた。同時に、燃えるように熱いものが両眼からあふれていた。
ところが月夜は首を振ったのである。
「違うでしょう? わかってるくせに……月並みな言い方だけど」
刀真は感じた。いつの間にか自分のすぐ隣、息がかかるほど近くに月夜がいた。
「刀真、私は、
あなたのなかで、生きてる」
動かぬはずの膝が動いた。樹月刀真は立ち上がっていた。
彼は顔を上に向けたまま右手を伸ばしていた。大空に昇っていく何か、あるいは誰かを、つなぎとめようとするかのように。
機械に本能があるのかは謎だが、少なくともこのとき蜘蛛たちが見せた動きには本能的なものがあった。
彼らは刀真に恐れをなしたかように、一斉にざっと一メートルほど後退したのである。
……そのため約半数の機械が巻き込まれた。
やってきたのは音、強烈な圧をともなう高音だ。
かつてこの世界に存在したイコンですら、この攻撃には大きなダメージを受けることだろう。
ソニックウェーブ、強力すぎる音がまっすぐに放たれたことで起こる衝撃波だった。
衝撃波の勢いは凄まじく、蜘蛛機械たちは薙ぎ払われ消し飛んでいった。そればかりではない、軌道上のアスファルトやタイルまで剥がれ、波飛沫のように跳ね飛んでいく。
「想像以上であります♪」
両耳を覆いながらスカサハ・オイフェウスが姿を見せた。
「お待たせしました。真打は最後に現れる。『あの子』の登場であります! さあさご覧くださいまし! こちらにおわすは現在のクランジτ(タウ)様、すなわちNEWタウ様であります♪」
スカサハの眼は輝いていたが、輝きすぎて異様な光を帯びていた。そのスカサハが帽子を取るような動き(実際には無帽にもかかわらず)をして紹介したのが、ソニックウェーブを吐き出した主、すなわち生まれ変わったクランジτなのだった。
オミクロンが首から下を失ったあの日、タウは自ら望んで、その体をオミクロンに提供した。この手術を執刀したのがスカサハである。さらにスカサハは高い責任感をもってタウの首を、死んだクランジπ(パイ)の体に移植したのだった。
「わわわ私は……」
タウはただ、泡を食ったような口調である。正装必須のパーティ会場に安っぽいカーディガンで来てしまったとでもいうかのような。
タウの眼はややカール気味の栗色の前髪に隠れ、あらわになっているのは口だけだったが、彼女は小柄な体をさらに小さくするようにして、自分の陥った状況に戸惑いを見せていた。これまで疑念なく総督府に仕えてきたのが、いつの間にかレジスタンス側に組み入れられていることに不安を感じているのだろうか。
「タウ様、もっと堂々とすればいいのであります! もっと胸を張っていいだけの能力と崇高さが、あなた様には揃っているのでありますから!」
スカサハは浮かれていた。熱っぽくグルグルと拳を振り回し、タウに新たな攻撃をうながす。
「さあ! さあさあさあ! 撃つのでありますよタウ様! その戦闘能力で新たな時代を築くのでありますよ!」
「わわ……はい!」
タウは眼をつぶると再度、その口を大きく開けて破壊力を持つ高音を発した。クランジπのあの技を。さらに、肩に装着したレールガンを巨大蜘蛛機械目がけて放つ。
耳を聾する射出音とともに空気が裂けた。ずん、と下腹に響くような反動をあげ、ゼータの首をもつ機械に弾丸が命中している。
「超音波攻撃と速さに特化した体、サブウェポン用に調律改造した対イコン級レールガン……これはタウ様と契約したこと……オミクロン様を助ける代わりにスカサハに絶対服従してもらったことの結果なのであります♪」
「おい、それでタウにゼータを攻撃させるのは話としておかしいんじゃあないのか! クランジ同士の争いを招くだけで……」」
ヌーメーニアーが食ってかかるが、スカサハは平然と応えたのである。
「いいえ、朔様。これは必要なことであります。朔様を『直した』ときから考えていたのであります……スカサハなら大切な人たちを直し続けられると……。だからこそ、これよりスカサハは二つ名として、『生み出し直す者・クランジf(ディガンマ)』と名乗りたく思います。その呼び名にふさわしくなるべく、今日より行動を起こしくたく思うのでありますよ。壊せば作り直せばいいだけのこと! むしろ邪魔者はすべて破壊し、新たな世界にふさわしい姿に直してさしあげたいのです!」
しゃべりながら興奮してきたのだろう、スカサハはますます顔を熱っぽくしている。
「なお、NEWタウ様にはスカサハの一存で爆破装置を取り付けさせて頂いているであります! このスカサハ、いやさディガンマの命令ひとつで、彼女は歩く爆弾へと変わるのであります! どうです、この完璧さ! 新世界秩序はこうして生まれ……」
「違う!」
スカサハの言葉を中断したのはヌーメーニアーだった。
「断じて違う! 私の望みは、クランジと人間が対等になれる世界だ。破壊し尽くして憎しみの上に新たな秩序を生み出すというのは……断じて違う!」
ヌーメーニアーとスカサハの背後では、タウが次々と弾丸を放っていた。あいかわらず戸惑いを浮かべたまま。ブレーキもアクセルもハンドルさえも取り払われた暴走車の運転席に座らされたかのように。
ヌーメーニアーはそちらを指して声を上げた。
「見ろ! あの姿を! タウというのか……あのクランジは、蜘蛛機械にされたゼータとどう違う!? 目的意識だけは高いつもりかもしれないが、スカサハ、お前のやっていることは総督府の悪魔どもと同じだ!」
「ち、違うであります……スカサハ、いやディガンマは……」
それ以上の抗弁はスカサハにはできなかった。
突然、スカサハの体は麻痺したように棒立ちになったがそれも刹那のこと。
つづくひと呼吸の間にスカサハの首は刎ねられ、十歩ほど後方に飛んでいた。
暗月と名づけたアーム・デバイスが、ヌーメーニアーの腕から突き出ていた。
刃を振るった感覚が、ヌーメーニアーの腕にはまだ残っている。振り抜いたときの姿勢のまま彼女は動けなかった。
「すまん……スカサハ…………こうするしかなかった…………お前は化け物だ。私と同じように、化け物になってしまった」
もう涙も枯れたと思っていた。死に動じる心など干からびたと思っていた。
しかしこのとき、ヌーメーニアーの眼からは涙がこぼれ落ちていた。
「………けどスカサハ、嫌だよな……淋しいよな? 独りきりで逝くのは。……だから私がそばにいてやるよ……独りきりには、させない」
ヌーメーニアーは眼を遠方の敵に向けている。
「いけない!」
即座にその意思を察したのはアテフェフだ。しかしそのときにはもう、満月オイフェウスは駆け出していた。彼女は両腕を伸ばすとむしゃぶりつくようにしてヌーメーニアーに飛びかかり、その体を地面に押さえつけている。
「駄目! お母さん、駄目!」
「放せ……! 私は!」
「あの蜘蛛機械と心中しようというのでしょう! 絶対認めない………ここであなたを放したら、私、なんのためにこの過去に来たのかわからない……! 私は母さんを護るために来たのだから!」
ヌーメーニアーはなおも抵抗しようともがいたが、満月も必死で彼女を押さえつけた。
ありったけの声で満月は叫んだ。
「母さん! 聞いて! 母さん!」
それからすすり泣くような声で、彼女は言ったのである。
「……たとえどんな風になっても……私は、母さんのこと大好きだよ……」
いつしかヌーメーニアーは抗うのをやめ、地に顔をつけたまま黙って伏していた。
ずっと、そうしていた。