イルミンスール魔法学校へ

シャンバラ教導団

校長室

百合園女学院へ

【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 脱ノ章

リアクション公開中!

【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 脱ノ章

リアクション


chapter.1 聞こえる 


 耳に届いたのは、名前を呼ぶ声だった。
「やーくん、やーくん!」
 明るい調子のその声に安倍 晴明(あべの・せいめい)は、苦笑しつつ応じた。
「そう遠くないうち名前変わるんだから、その呼び名じゃおかしくなるよ」
「ああそっか、安倍晴明になるんだもんな。じゃあ、なんか新しい呼び名考えないとな」
 ポリポリと頭を掻きながらそう言ったのは、参道 宗吾(さんどう・そうご)だった。まだその顔には、幾許かの幼さが残っている。
「……まあ、何でもいいけどさ」
「んじゃやっぱ、やーくんだ」
 からかうように宗吾が言うと、晴明は困ったように笑った。否、この時まだ彼は安倍晴明ではなかった。
 安倍八景(あべのやつかげ)。それが、生まれ持った彼の名だ。
「しかし、晴明を名乗れるってえことは、才能をばっちり認められてるってヤツかよ? え?」
「千住」
 大橋 千住(おおはし・せんじゅ)が話しかけてきて、八景は若干目を細める。
「お前は確かに陰陽師としては天才かもしれねえなあ。陰陽師としてはな。ひひ」
「何が言いたいんだよ千住」
「別にい。芸術家の言葉は大体人に伝わんねえもんなんだよ」
 その皮肉めいた言い回しは時に八景を苛立たせたが、同時にその珍妙な気質は彼を笑わせもした。
「おい宗吾、そういやあ神海の野郎はどこ行ったんだ?」
「ん? ああ、托鉢でも行ってんじゃないか?」
「ひひっ、物は言いようだよなあ。要は金くれよってことだろ?」
 噂をすれば影。宗吾と千住が話していると、神海(しんかい)本人が姿を現した。
「……拙僧は、物乞いではない」
「ああ? 聞いてたのか神海。相変わらず根暗そうで何よりだな」
「お主はその破天荒な振る舞いを少しは改めては如何か」
「ははは、元気だなお前ら」
「宗吾、これ元気って言っていいのか……?」
 陽気ではあるが今ひとつ心の底が不透明な宗吾と、憎まれ口を叩く千住、口数少なく冷静な神海、そしてどこか人と距離を置こうとする八景。そんな彼らの相性は、決して良いとは言い切れなかった。
 そしてそこにもうひとり、お調子者のお華(おはな)も加わる。
「みんな、騒ぎすぎだよー!」
「ん? お華が珍しく注意……」
「あたしも混ぜてよ!」
「……そっちかよ。ただ淋しかっただけじゃんか」
 八景が、駆け寄ってきた彼女に溜め息混じりで言葉を返すと、言われたお華も含め四人が笑った。
 相性は最良でなくとも、このようにいつの間にか集まっては騒ぎながら共に行動する。そんな間柄を八景はどこかくすぐったく、それでいて心地良く感じていた。八景は周囲を飛び交う会話に時々言葉を挟みながら、その合間に空を見た。彼の瞳がそこに映したのは、死に別れた母だった。
 時折吹く木枯らしが、四肢を温もりへと誘いこむ。季節は冬。今から三、四年ほど前のことである。
 その後しばらくしてから、八景は六十代目安倍晴明となり、他の四人と共に葦原明倫館へと籍を移した。



 そして今再び、耳に届くのは、名前を呼ぶ声だった。
「晴明! 晴明!」
「う……」
 昔とは違う自分の名。それを呼ぶのは、晴明と共に崩れた天井の生き埋めになっていた生徒たちだった。未だ瓦礫に埋もれたままの晴明は、意識を取り戻すと小さく呻いた。
 積まれた瓦礫の上では、何人かの生徒たちが注意深く歩いていた。どうやら他より早く瓦礫から這い出た生徒の一部が、救助活動を行っているようだ。もちろんその様子は、晴明からは見えないが。
 ここにいる。俺は、ここにいる。
 晴明はそう声に出したつもりだったが、生徒たちには届いていないらしく、彼らはまだ瓦礫の下から晴明を発見出来ずにいた。
 もっとも、救助の対象は晴明ひとりではない。
 まだ埋もれたままの生徒を助けるため、久世 沙幸(くぜ・さゆき)風祭 隼人(かざまつり・はやと)は献身的に人助けを行っていた。
「もう、急に天井が崩れてくるだなんて、一体何が起こったの……?」
 沙幸はこの状態を引き起こした天井の崩落に戸惑いつつも、それに巻き込まれた生徒を助けようと瓦礫に向かって声を投げかけていた。
「はぐれちゃった人はいない? いたら返事して!」
 とはいえ、暗がりの中での捜索は、そう容易ではなかった。沙幸は何回か呼びかけた後、はっとあることに気づいた。それは、自分のパートナーのことだった。
「ウィンディ? ウィンディはどこ?」
 慌てて顔を左右に動かす沙幸。目の前にある瓦礫の山に一瞬嫌な考えがよぎり冷や汗を浮かべる彼女だったが、それは無事杞憂に終わった。
「そんなに大声を出さずとも聞こえとるぞ、沙幸よ」
「えっ!?」
 沙幸に話しかけるその声は、確かにパートナーのウィンディ・ウィンディ(うぃんでぃ・うぃんでぃ)のものだった。直後、彼女は思い出す。魔鎧のウィンディを、自分で着ていたことを。
「お主、わしをまとったままなのを忘れておったのか?」
 沙幸をからかうように言ったウィンディは、さらに意地悪をした。
「それとも、存在を忘れるくらいお主の肌に馴染んでおったということかのう?」
「は、肌に馴染んだとかそういうこと言わないでほしいんだもんっ」
 なんだかくすぐったい感覚を覚え、沙幸は軽く身をよじらせた。が、すぐにそんなことをしている場合ではないと思い直す。
「……って、そんなことより今はこの瓦礫の山をどうにかしないと!」
 ウィンディも、その沙幸の言葉で冗談を止め、ディテクトエビルでもって彼女の周囲に意識を向けた。ウィンディがそうした理由は、おぼろげな不安からだった。
 この地下城に入り、地下三階で戦った鏖殺寺院の忍。その者たちと職を同じとするお華のことを、ウィンディは思い浮かべた。
 一旦怪しいと思えば、それらしき要素は浮かんでくる。しかし、推測を始めてはキリがない。そう考えたウィンディが万が一に備えた警戒を優先させたのは、自然な行為だろう。
 ウィンディを着た沙幸に至っては、疑いの気持ちすら持たず、「今もこの瓦礫の下で苦しんでいるかもしれないもんね」とむしろお華を心配していた。
「うーん、それにしても見つからないよ……」
 闇雲に探していたのでは、発見できないかもしれない。眉尻を下げ困った表情を浮かべた沙幸を見て、隼人が近寄って声をかけた。
「こういう時は、まず現状を把握しないとな」
「え?」
 聞き返す沙幸の目の前で、隼人は懐から小さな機械を取り出した。
「これで、瓦礫に埋まってる人の有無とか場所が分かるはずだぜ」
 言って、隼人が見せたのはハイドシーカーだった。彼はそれを早速起動させると、周辺の瓦礫に顔を向けた。
「どうやら、まだ埋もれてる人がいるみたいだな。こっちだ!」
 彼の使用したこの装置は、周囲にいる生物の存在を教えてくれるものだ。隼人はその機能を利用し、見えなくてもそこにいる者の存在を確認していた。
 もちろん彼がしていたことは、それだけではない。彼もまたウィンディ同様、二次被害に備え周囲の警戒を怠っていなかった。殺気看破やイナンナの加護で防衛本能を働かせていたのがその証拠であろう。
「このあたりに人がいるはずだ」
「このへんだね? ねえ、いたら返事してっ! 大丈夫?」
 隼人と沙幸が、瓦礫をどかしながら懸命に声をかける。と、何度か瓦礫をどけたところでふたりは数名の生徒を発見した。幸いにも大きな傷はなく、しっかり息もある。
「よ、よかったぁ……でも、一応手当てはしないとだよね」
「大丈夫だ、俺に任せとけ!」
 隼人は掘り起こした数名の生徒の前で、フラワシを発動させた。治癒力を持つ、慈悲のフラワシだ。もちろん、それは通常の生徒には見えない。
 隼人はそのフラワシの力で、生徒たちが崩落の際負ったと思われる切り傷や痣を治していく。
「すごおい……!」
 思わず感嘆の声を漏らした沙幸を横目に、隼人は次々と生徒たちを治していった。
「まだ他にも負傷者がいるかもしれないな。手遅れになんないうちに、続きをやろうぜ」
 手際よく隼人は再びハイドシーカーを使い、また遭難者を探し始めた。そばで沙幸も手伝おうと意気込む中、風森 巽(かぜもり・たつみ)もまた、埋もれた者たちの救出に精を出していた。
「皆、無事か!? 無事なら声を聞かせてくれ!」
 薄暗がりの中、ダークビジョンで目をきかせながら巽は救護活動を行っていた。隼人が道具を使う一方で巽は、超感覚を用いて、己の感を頼りに捜索をしている。
 しかしやはり隼人の方が効率は良いらしく、未だ巽は遭難者を発見出来ずにいた。そもそも自力で脱出した生徒が多く、埋もれた生徒がそこまでいなかったこともあるだろう。それでもめげずに、巽は辺りを歩き続けた。
 少しした頃だ。
 研ぎ澄まされた巽の耳が、通常であれば聞こえないであろう、微かな声を聞いた。
 ――ここにいる。
「はっ……今のは助けを求める声! そこか!!」
 巽が声の方角へと駆け寄り、瓦礫に手をかける。いくつか積まれた瓦礫の下からのぞいたのは、晴明の姿だった。見える範囲で大怪我こそ負ってないものの、気を失っていたのだろうか、その目はどこか虚ろに見えた。
「もう大丈夫だ! 我に任せろ!」
 巽は晴明の姿を発見するや否や、気力を戻させようと声をかけた。晴明から、小さく返事がくる。
「お前、は……?」
「我は味方だ。変……身っ!」
 突如巽が叫び、ベルトを装着したかと思うと何やらポーズを決めた。すると不思議なことに、巽はその姿をあっという間に戦隊もので見かけるようなヒーローのそれへと姿を変えた。
 変身したことで力が上がったのかどうかは不明だが、少なくともモチベーションは上がったのだろう。巽は次々と瓦礫をどかし、埋まっていた晴明を掘り起こしていく。そこでようやく、晴明の視界が開けた。
「さあ、我の手を取るのだ!」
 巽が晴明に手を差し伸べる。晴明は一瞬その手を取りかけるが、慌てて引っ込めた。この期に及んでも、彼の潔癖症はそのままらしい。
「どうした? 我を信じて! さあ!」
 巽がより奥へと手を伸ばすが、晴明はその手を掴まない。
 その様子を見ていたからかどうかは分からないが、すたすたと物怖じしない様子で彼らの元へと歩いてきたのは、緋姫崎 枢(ひきさき・かなめ)だった。
「まったく、酷い目に遭ったわねぇ……ん? 何してるの?」
「いや、我が手を差し出しているのに取ってくれなくて……」
 枢は、目の前のふたりを改めて見た。
 奥の瓦礫に足を挟まれ地に伏しているそれなりに美形な男と、それをおそらく助けようとしている謎の仮面男。
「ああ、そういえば潔癖症なんだっけ? こんな状態で汚れを気にするなんて、チキンね」
 言うと、枢は少し呆れたように巽をどかし晴明の前に進み出ると、その腕を強引に伸ばして晴明の手を掴んだ。突然のことに、晴明も反応できなかったのだろう。枢は一気に晴明を引き上げようとする。
「ほら、さっさと起きて……って、軽っ! ちょっと、軽すぎじゃない!?」
 枢がその感触に驚愕し、思わず声を大きくした。どうやら晴明の体重が思いの外なかったことに驚きを隠せなかったらしい。それもそのはず、彼の体重は、枢とほぼ同じであった。もちろん、彼女が特別重いわけではない。
「ちょっと、ちゃんとご飯食べてるの……?」
 疑問を口にしながらも、枢は晴明をそのまま引っ張り出した。案外すんなりとその身を瓦礫から抜けさせることができ、晴明はようやく四肢に自由を取り戻した。
「……」
 と、彼がじっと自分の手を見る。枢が掴んだままの手だ。
「も、もういいだろ、離せよ」
 ばっ、と晴明が枢の手を振りほどいた。しかし枢はそれを意に介した様子もなく、パートナーのナンシー・ウェブ(なんしー・うぇぶ)を呼び寄せる。
「ねえ、ヒール使ってあげてよ」
「うん? どれどれ……」
 晴明へと近づいたナンシーが、その全身をさっと眺める。足首のあたりに、少し切り傷が出来ているようだった。
「ああ、これ?」
 ナンシーが枢に聞くと、晴明がそれを拒もうとした。
「いや、これくらい大丈夫だからいいって」
 そうは言っても、見つけた以上は治療するのが普通である。が、ナンシーの場合は少し違っていた。
「……そうね、それくらい唾つけておけば治るわよ」
「ん? ん、あ、ああ……」
 これには晴明も若干面食らったのか、期待していたわけではないだろうがいざ相手にそれを言われると、返事に戸惑ってしまった。
 ただ補足をしておくならば、ナンシーは別に晴明の態度に拗ねたわけではない。元々こういった気質を、彼女が備えていたというだけの話なのだ。
「仕方ないわね、あたしが絆創膏でも貼っといてあげる」
 ナンシーが治療しないと察した枢が、晴明の足首に触ろうとする。もちろん晴明はそれを拒む。
「だから、大丈夫だって。ていうかさっきもお前手に……」
「どれだけ触られるのが怖いの? ほんとチキンね、チキン!」
「……」
 なぜか枢に罵られながら、晴明は立ち上がった。念のため足首を軽く回してみるが、異常はないようだ。自分の体に問題がないことを確認した晴明は、視線を足元から頭上へと移す。つい先ほどまでそこにあったはずの天井は吹き抜けになっていて、僅かに階上がのぞけた。
「千住……」
 小さく晴明が呟く。崩落寸前、確かに彼は、階上に千住の姿を見た。
 偶然あの場に居合わせただけならば、床が崩れた後、なぜ千住は五階に降りてこなかったのだろう。もし自分だったら、と晴明は考える。
 階下へ降った瓦礫の下敷きになった友人を助けるか、それとも探索隊として、ハルパーを優先して確保するか。
 いずれにせよ、地下五階に来なければ成し得ないことだ。ところが千住は、踵を返した。もちろん、今もこの深守閣に千住の姿は見当たらない。
「貴公、悩んでいるのか?」
 上を見上げたままの晴明に、巽が話しかけた。彼の方に晴明が向き直ると、優しく励ますのかと思いきや巽は説教を始めた。
「もし貴公が疑いの気持ちを抱えているのだとしたら、我は悲しい! 同じヒーローとして、実に悲しい!」
「え? ヒーロー……?」
 そう、地下城に入った時からどういうわけか巽は、晴明を含めた葦原五人組を戦隊ものか何かと思い込んでいる節があった。ちなみに晴明はレッドで、千住はグリーンらしい。
「グリーンが四階に残る時笑ったように見えていたのが気になっているのか? それは貴公を安心させるために、ここは任せろっていう笑顔を見せようとして、けれどそれがキャラじゃないことに気づいてやめようとしたら微妙な顔になったんだよ!」
「いや、あいつはキャラとか考えないと……」
「それかさてはアレだな! 崩落の時、助けに来なかったことを疑っているのだな!?」
「……」
 晴明が不審そうな顔で巽を見る。巽はきっとそれでも、先輩ヒーロー的ポジションとして晴明を熱く導きたいと思っているのだろう。
「なんで、ひとりじゃ助け出すのに時間がかかるから、地上に応援を呼びに行ったんだと思わない!」
 もちろん、その可能性も否定は出来ない。ただ晴明は、千住が簡単に人を頼らないであろうことを感じていた。さらにここでもうひとつの疑問が浮上する。
 沙幸や隼人、巽らがこうして瓦礫に埋もれた人たちの救出作業を行っているのに、宗吾や神海、お華らの姿が未だに見当たらないのだ。そもそもお華に至っては、この深守閣に着いたあたりから姿を見かけていない気もする。
 ひとりじゃ無理だ、とあの状況で感じたなら、地上に行くより無事な身内を探すのが自然な行為ではないだろうか。
「他の人の姿が見えないのが、不安なのか?」
 巽が、晴明の視線から心中を辿る。
「それだって、貴公なら大丈夫だと信じて、自分たちに出来ることをしてるに違いない! ここにいる誰よりも、他の四人を知っているのは貴公だろうが!」
 巽が真っ直ぐ晴明を見つめる。不安はある。不安はあるが、この時点でまだ晴明に宗吾や神海、お華を疑う気持ちはない。
「あいつらなら、その通り地上に向かってるのかもな」
 晴明がそう言葉を返した。任務を優先させたのだろうと、単純にそう思った。千住のことにしても、あくまで微かな疑念に過ぎない。巽はそれまで荒らげていた声の音量を落とし、こくりと頷いた後彼に言った。
「さぁ、なら行こうぜ主人公。友が上で待ってるはずだ」
「……ああ。言われなくても行ってやるよ」
 きっとブライドオブハルパーは、確保してくれている。だからこそ宗吾たちは地上に向かったのだろう。それは、彼らを信じることが前提の論理。晴明はそれに身を委ね、地上へ向かおうと足を一歩動かした。と、そこに枢の声がかかった。
「ねえチキン」
「誰がチキンだ。俺は晴明だよ」
「あの四人のこと、友達だと思ってるんでしょ?」
「当たり前だろ」
 晴明が小さく笑って答えると、枢は相変わらずキツめの口調で晴明に告げた。
「ならそれで充分ね。もし……これから会う人が敵だとしても、立場が違うってだけでしょ」
 ややもすると突き放したような彼女の台詞だったが、もしかしたら彼女なりに晴明を励ましたのかもしれない。
「敵だなんてことは、ないけどな」
 晴明は彼女の言葉にそう返事し、地下四階へ進む階段へと足を進めた。