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【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 脱ノ章

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【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 脱ノ章

リアクション


chapter.10 相克 


 虚無僧である神海は、普段から絶えず深編笠を被っており、その顔を見た者は多くない。
 ――もしやそれは、晴明らさえもそうなのかもしれない。
 ファトラは、そんなことを思っていた。そこからファトラは洞察する。
 仮に神海が裏切り者であった場合、落盤で生き埋めになっていることにすれば容易く地下城から脱出できるのでは、と。編笠を取り、服装を変えるだけで別人を装えるからだ。
「けれど、何かが違う気が……」
 ファトラはもう一度呟いた。推理を進めた彼女は、しっくり来ないものをどこかに感じていた。まだ何か違う可能性が、神海からは考えられるのではないか。
「……」
 しばし目を伏せ脳だけを動かす。そしてファトラは、もうひとつの新たな可能性に思い至った。
「生き埋めになったことにする、ではなく、既に神海という人物が死んでいたとすれば……?」
 そう、ファトラの頭に浮かんだものは、神海の入れ替わり説であった。
 もし神海が落盤で命を落とし、顔や全身が潰れていたとすれば、本人だと判別するのは困難だろう。となれば、服装を変えさえすれば神海に成り代わることも可能だ。
 ハルパーを奪った「誰か」がその手段を用い、神海に成り代わっていたとすれば、それに気付く者はほぼいないだろう。後はハルパーを隠すなり錫杖に偽装するなりして、誤魔化せば良い。これなら、犯人は自分の姿を晒すことなく地上へ出ることが出来るというわけだ。
 ファトラは、じっと神海の持つ錫杖に視線を向けた。が、それだけでは偽装されているかどうかは分からない。
「少し、お話させていただきますわ」
 ファトラはすっと近づいて、声をかけた。が、その相手は神海ではなく晴明だった。
「ん?」
 振り向いた晴明に、ファトラは自分の推理を伝える。もし自分が裏切り者の立場だったならば、神海に成り代わって地上を目指すだろうと。が、晴明の反応はそれを重く受け止めたものではなかった。
「何年も一緒にいるんだ。さすがに声や雰囲気で、本人かどうかは区別できる」
 それを聞いたファトラは、ただ黙って晴明の前から去った。晴明がそう言うのならそうなのだろうという諦観か、伝えたことで自分の役割は終えたという判断かは分からない。
 ただ、現時点で深守閣の瓦礫撤去及び救出作業はほぼ終了しており、そこから神海の遺体が上がっていないことも事実であった。故に、ファトラの考えは杞憂である可能性が極めて高かった。
 しかし、それと神海がどの立場の者なのかはまた別の問題である。



 ――やっぱり、なんだか怪しい。怪しいっていうか、苦手。
 心の中でそう呟くのは、由乃羽だった。彼女の眼前には、前を歩く神海がいる。先程は大人しく頭を下げた彼女だったが、やはりというべきか、敵意はなくなっていないようだった。
 深編笠を取らないのが、やましいことがある証拠。由乃羽は、頑なにそう信じて疑わなかった。そこで彼女は、ある行動に出た。
 す、と動かした手から放たれたのは、由乃羽の式神だった。
 それをサイコキネシスで細かく動かし、神海に気付かれないよう袈裟の隙間に忍ばせる。何か不審な動きを見せたら、すぐにでも対応できるようにという警戒心からの行動である。
 とはいえ、現在のところ神海に攻撃してくる気配や殺意は感じられない。揉め事も特に起きないまま、彼らは地下一階への階段まで進んでいく。

 彼らが、細長い廊下に差し掛かった時だった。廊下はトの字の状態になっており、直進するか右折するかの二択を彼らに迫った。
「確か、こっちから来たよな……」
 晴明が往路を思い出しながらそう言って、真っ直ぐ進もうとする。その時、彼の五感が何かを察知した。直後、その正体が明らかになる。
「!?」
 晴明、いや、一同の前に突然湧いて出たのは、灰色の煙であった。
「煙幕、か……?」
 もくもくと立ち上がるその煙を浴びそうになった晴明は、咄嗟に右の道へと身を翻す。潔癖である彼にとってそれは、自然な反応であった。そして、その反応を読んでいた者がいた。
「ようやく余計な者が消えたな」
 そう言いながら通路の向こうからゆっくりと近づいてきたその人物は、高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)だった。
「……誰だ。なんでこんなこと」
「黙れ! 貴様は黙って僕との勝負を受ければいいんだ。恨むなら、安倍晴明である自分を恨め!」
 玄秀が木で出来た刀――十二天護法剣を構えた。その様子から、対決は避けられないという強い思念を晴明は感じていた。
 目の前の彼が、探索隊の中にいた裏切り者か?
 一瞬晴明はそう思ったが、それにしては様子がおかしい。彼は自分との勝負を優先しており、ハルパーについては触れてもいない。事実、玄秀はハルパーにさして興味がなかった。誰の手に渡ろうが、誰を信用して誰を疑うのか、それらは彼にとって興味外のことだった。
「どうしても俺と戦いたいのかよ……だったらせめて、その理由くらい聞かせろよ」
 晴明が懐から式神を取り出しつつ言う。玄秀は鋭く晴明を睨みながら、彼に告げた。
「養父は、陰陽師だった。本来ならば本流であるはずなのに、安倍の家にそれを奪われた。ならば貴様を倒せば、陰陽道の頂点に立つのが道理だろう!」
 玄秀はそれだけを言うと晴明の言葉を待たず、剣で空に印を結んだ。すると結界が晴明を包み、彼の動きが制限された。
「くらえ……っ!」
 同時に、呪詛を放つ玄秀。晴明は呪詛が自分に到達するまでの僅かな時間で、持っていた紙を式神化させた。
「振動する空間(コリジョン)!」
 晴明が叫ぶと、小さな爆発が起こった。

 煙の向こうでふたりが激しく術をぶつけ合っている時、通路の手前では玄秀のパートナー、式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)が彼らの戦いに邪魔立てが入らぬよう、行く手を塞いでいた。晴明の近くには彼を守ろうとする者も少なからずいたはずなのだが、彼が護衛を切り離し、それを妨害しているようだった。
「玄秀様もお人が悪い。このような時に我を足止めに使われるとは……」
 誰に言うでもなくそう漏らした広目天王の前には、晴明の護衛として控えていた沢渡 真言(さわたり・まこと)と、魔鎧である無銘 ナナシ(むめい・ななし)をまとった永井 託(ながい・たく)がいた。さらに、真言のパートナー、マーリン・アンブロジウス(まーりん・あんぶろじうす)沢渡 隆寛(さわたり・りゅうかん)グラン・グリモア・アンブロジウス(ぐらんぐりもあ・あんぶろじうす)らも、そばで広目天王と対峙している。
「誰がどのような行動に出るか分かりませんでしたが……まさかこのようなことになるとは」
 広目天王の巻いた煙幕には、しびれ粉が混ぜられていた。それによって本来の動きを封じられた真言は、そう言いながらマーリンと隆寛に目配せをする。
「確かに……このままじゃ事態は好転しないからな。ルーカン」
「はい。マーリン殿と共に、対応致しましょう」
 言って、マーリンと隆寛、そして託までもが広目天王に向かって飛び出した。対する広目天王も、単身で勝てるほど甘くはないと思っていたのだろう。通路は塞いだまま、トラッパーによって周囲に仕掛けていた罠で時間を稼ごうというのが行動の主軸だった。
 が、契約者とパートナーたちのこの数に対して広目天王が仕掛けることが出来た罠の数は、あまりにも少ない。
「ナナシ、もし防ぎきれないような攻撃がきたら、頼んだよ」
「そう簡単に我が必要になる攻撃を受けたりはすまい」
「まあ、頑張るだけ頑張るけどねぇ」
 ナナシとそんな会話をしながら、託は広目天王の脇を抜け、晴明のところに向かおうとした。が、仕掛けられた罠が発動したのか、床板が急にめくれ上がり、物凄い速度で彼の顔面を襲った。
「おっ……と。危ないねぇ」
 あわや顔面を殴打するところだったが、託は己の持つチャクラム型光条兵器、「流星」で板を真っ二つに割り、進路を逸らした。
「今のうちだな」
 託が罠を破壊した一瞬の隙に、マーリンは何かの術を唱えようとする。その間を逆に突かれぬよう、隆寛は盾を前面に押し出した。そのまま彼は広目天王に突進し、斬り込んだ。
「……さすがに、戦力差がありすぎたようだ」
 間一髪それを防いだ広目天王だったが、彼らのコンビネーションは防衛戦を既に突破しかけていた。マーリンがとどめに術を放とうとする。
 その時、広目天王の背後、通路の奥からもうひとりの影が現れた。
「……ん?」
 術の発動を止め、目を凝らすマーリン。そこに立っていたのは、玄秀のもうひとりのパートナー、ティアン・メイ(てぃあん・めい)だった。
 マーリンが攻撃の手を止めたのは、彼女が自分の所属するイルミンスールの制服を着ていたからだ。
「すみません、そこを通してもらえませんか?」
 真言が声をかけると、ティアンは今にも泣きそうな顔で言った。
「それは……出来ないの……!」
「そうは言ってもねぇ、晴明さんがさ、ほら」
 冷静に託が話そうとする。が、ティアンが発したのは、悲痛な叫びだった。
「だって……だってしょうがないじゃない! 私の居場所は……!!」
 堪えきれず、涙をこぼすティアン。その言動から、おそらく今していることが彼女の本意ではないのだとその場にいた者たちは察した。
 彼女の心は今、とても脆い状態であった。そうさせたのはおそらく玄秀なのだが、悲しいことにその玄秀に彼女は依存していたのだ。ティアンは、罪の意識に苛まれていた。
 とはいえ、そこで足止めをさせるわけにはいかない。真言らや託は、広目天王とティアンを潜り抜け、晴明の元へと急ごうと気を入れ直した。

 一方で、晴明と玄秀の戦いはより激しさを増していた。
「氷雪比翼!」
 玄秀が唱えると彼の背に氷の翼が出現し、宙へと運んだ。その状態から彼は氷の刃を立て続けに放つが、晴明も負けじと新たな式神で応戦する。
「前兆なき消失(ウェアー・ドゥ・ユー・ゴー)!」
 人型の式神が晴明の周囲に浮かんだかと思いきや、それらは氷の刃を包みこみ、敵の攻撃ごと消滅させた。
「なるほど、一筋縄ではいかないか……ならば力比べだ!」
「いい加減に……しろよ!」
 再度氷を打ち下ろした玄秀に、晴明が式神を飛ばした。触れたものを爆発させる「コリジョン」だ。ふわりと掴みどころのない動きで空に舞った式神は玄秀へと向かい氷翼に触れるが、爆発する寸前で玄秀はその身を翻し、床に着地した。頭上で起こった爆発に視線すら送らず、玄秀は晴明を見据えている。
「こんなもので倒せると思ったか?」
 挑発気味に言う玄秀。しかし彼は、予測していた。自分のパートナーだけでは、長時間の足止めは不可能であろうと。その予測は外れることはなかった。
 カッ、とシルバーナイフが晴明と玄秀の間の床に刺さる。それは真言が投げたものだった。
 広目天王とティアンによる通行止めを突破した彼らが、晴明の前に到着したのだ。
「ここまでです」
 真言が告げると、グランがアイスフィールドを展開させ、氷の盾を生み出した。その様子を見て、数的不利を悟った玄秀は晴明に背を向けた。彼らには聞こえなかったが、歯軋りの音を鳴らしながら。
「広目天よ、戻れ!」
 玄秀が声を荒げた。同時に彼は、九曜星を模した光陣を頭上に描く。
「憶えておけ……貴様を倒すのはこの僕だ!」
 そう叫んだ次の瞬間、光陣から雷が降り注ぎ、彼らの視界をくらました。
「……っ!」
 通常の視界を取り戻した彼らの前に、もう玄秀はいなくなっていた。絡んでおきながら不利を察した瞬間逃走した彼に、晴明は腑に落ちない表情を浮かべていた。そこに、真言が声をかける。
「無事で良かったです、はるあきさん」
「……晴明だって言ってるだろ」
 苦笑いを浮かべつつ返事する晴明。辺りを見回すと、神海の姿はちゃんとそこにあった。今までの経験から、この騒動でまた姿をくらませてしまうのでは、と不安になっていたのだ。そしてそんなことを思う自分が、嫌だった。
「災難であったな、晴明。さあ、先を急ぐぞ」
 神海がかけた声に応じ、晴明は大きく頷いた。しかしその胸中には未だ、いくつかの懸念も残っている。言うまでもなく、まだ姿を見せない宗吾や、いなくなった千住、お華の行方である。
「ハルアキ殿、不安そう?」
 そんな雰囲気を察したのか、グランが声をかけた。
「いや、心配いらない」
 答える晴明だったが、それは強がりだろう。
「ハルアキ殿が大好きな人たちなら、きっとハルアキ殿と気持ち、一緒。だから、大丈夫」
「……晴明だって何回言わせんだよ」
 もう一度、晴明が口元を緩ませる。そんな他愛のないやり取りが、彼の心を少しだけ軽くした。