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●お泊まり、お泊まり新年会

 ファタ・オルガナ(ふぁた・おるがな)のテラスハウスでも、お泊まり新年会が開催中だ。
「ほれほれ、オーブンから目を放すでないぞ。頑張れ、もうじき完成じゃ」
 ファタの声援を背に受けながら、ミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)は何日もかけて作った渾身の料理の仕上げにかかっていた。このメイン料理は、ファタの指導を受けたとはいえ、すべてミレイユが単身で作ったものである。
「う、うん……もうすぐ……」
 作っているのはドイツの郷土料理、その名も『ザウアーブラーテン』だ。端的に言えば肉の蒸し煮、ただしその製作は非常に時間と根気を要するもので、牛肉を野菜、酢、赤ワイン、香辛料で数日間マリネしたものをオーブンで焼くという過程を踏んでここまで来た。マリネの時点でミレイユは、何度もファタの家に通い、下準備を済ませていたのだ。このオーブン焼きの時間も長期戦だ。通常四時間、肉が大きければさらに長い時間を要するという。ミレイユのサイズでは五時間ほど必要だった。なお、ファタの家のオーブンは、本宅石窯なので自動操縦とはいかず、最後まで気の抜けない五時間であるということも強調しておきたい。
「みれいゆ あじみ あじみ させて」
 ミレイユの頭上では、モス マァル(もす・まぁる)が大きな目でオーブンを見ていた。
「まぁる、ごめんね。これだけは完成するまで待って……」
 そう言ってミレイユがマァルをなだめていたその矢先、
「なあ、まだかかるのなら手伝うが……」
 レン・オズワルド(れん・おずわるど)が厨房に顔を出したのだが、ファタは彼を簡単に追い払った。
「わしの厨房に男は入れん! そっちで遊んでおれ!」
 言いながらファタもまた、スープなど他の料理をてがけるのだった。
「ふふ、良い香りがしておるのう。愛情がたっぷり籠もっているようじゃな」
「愛情!? え、えっと……そんな事言われると手元が狂いそうになるよぉ」
 照れつつも、ミレイユは真剣そのものの態度だ。
 それから一時間ほどして、ついにオーブン作業が完了した。ミレイユはオーブンから肉を取り出した。
「わぁ……!」
「うむ、良いぞ」
 ファタも太鼓判を押した。肉は理想的な状態で蒸し煮されていたのだ。これを、待っている間に用意したソースにつけ込むと、ミレイユは最後の仕上げにかかったのである。

 さて追い返されたレンは、大部屋に戻ってコタツに入ったものの、さっきからずっと待つばかりで退屈この上ないのであった。欠伸をかみ殺して、
「暇だ……」
 と呟くと、シェイド・クレイン(しぇいど・くれいん)も相づちを打った。
「レンさんも厨房から追い出されたようですね。どうも、男性は入室禁止らしくて」
「まったく、人出が多い方がはかどるだろうに……」
 などと話していたその場所に、
「おやぁ? ダンナ来てたんっスか。つーか暇そうっスネ? ならメシできるまでアタシと遊びません? 暴力的な意味で」
 ヒルデガルド・ゲメツェル(ひるでがるど・げめつぇる)が飄々とやってきたのである。口調こそふざけているが、ヒルデガルドの発言は深刻なくらい本気だ。
「やれやれ物騒な……そうだ、家から持ってきたものがあったな。ノア、出してくれ」
「ノアさんなら厨房ですよ。料理を手伝っているらしいです」
 シェイドが言った。
「ああ、そうか……ノアは女だしな。なんという男性差別……」
 仕方なくレンは自ら、ごそごそと荷物を解いた。

 その頃、ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)は確かに厨房にいたが、手伝っているとはいいがたかった。
「どう手伝いましょうか。メインはミレイユさんが一人でやりたいとおっしゃってますし……おっと、オードブルも揃ってますね」
 などと独り言しつつふらふらとしていたのである。気がつくと、ノアはあれこれとつまみ食いをしていた。ふと、ファタが声をかけた。
「……ノア?」
 ファタはまだ呼んだだけで何も言っていないというのに、
「た、食べてないよ! 食べてないよ!」
 反射的にノアは、オードブルで口をいっぱいにしつつ首を振った。その仕草に(「かわいい……♪」)とミレイユは和んでいた。
 ファタとしては、ノアのつまみ食いは許している。だが、
「ノル、てめーはだめだ」
 ファタは鍋に手を入れ、そこにいた黒い苔みたいな生物をつまみ上げた。
「あぁぁ、あて、なーんかええ匂いがする、って思って吸い寄せられただけなんやー!」
 ガタガタブルブル、震えるその生物は、ノル・フリッカ(のる・ふりっか)なのである。
「姐さん、折檻は堪忍やー!」
 とノルは主張するも、
「問答無用」
 ファタは許さず、これを、びたーんと音がするくらい強く、壁に放り投げ叩きつけたのだった。

 場面をコタツの前に戻そう。
「アン? ナニ持って来たってんだグラサン……ン?」レンが取り出した紙の箱を、ヒルダは見て首をかしげた。「モノポリーって書いてあるナ」
「知らんのか、長い歴史を持つボードゲームだぞ。プレイヤー同士、交渉しながら戦って、自分以外を全員破産させれば優勝というルールだ」
「モノポリーですか、懐かしいですね」
 シェイドはこのゲームをよく知っていた。やりましょう、と身を起こす。すると、
「なーんかギャンブルっぽくていいじゃん、アタシも混ぜてヨ。でもサー」目を輝かせてヒルダは、どしん、とコタツの上に新品のスピリタスの瓶を置いたのである。「ビリのやつはコイツ一気飲みナ」
「……おい、それ、アルコール度数96度なんていう狂った酒じゃないか」
 レンは難色を示すも、
「……ヒルダさんらしいです」
 別段動じることもなく、シェイドはその条件を呑んだのだった。
 しばし後、
「私が最初に破産ですか。負けてしまいましたね」
 シェイドがビリとなったのだった。
「はっははは、ダンナがビリっスね、ビーリビーリ♪ ダーイジョブ死んだりしねーって……ほレ!」はしゃぐヒルダは酒瓶を渡した。「ブッ倒れるかも知れネーけどサ」
 ケケッとヒルダが笑ったのも一瞬、シェイドは、
「ごちそうさまでした」
 あっという間に恐怖の酒を飲み干したのであった。
「……おい、大丈夫か?」
 心配そうなレンに対し、彼は、
「そうですね。強いて言えばおつまみがほしいです」
 けろりとした表情で答えた。なお、資金からしてレンの優勝でほぼ決定していた。
 そのとき、ファタがざんっ、と襖を開けて、
「よし、できたぞ。皆そこに控えるが良いっ」
 両手に料理皿をさげたミレイユを通したのである。
「ミレイユお手製のザウアーブラーテンのお通りじゃー!」

 乾杯の音頭はマァルが取った。
「あっけおーめ♪ こっとよーろ♪ かーんぱーいじゅー♪」
 いくつものグラスが掲げられた、カチンカチンと音を立て打ち合わされた。そしてマァルは、「しゅくはい じゅー♪」と、専用の丼に身体を浸したのである。元々が苔のマァルにとっては、身体から直接吸うのが飲み方の作法なのだった。
「あ〜 このいっぱいのために いきてるー」
 マァルは目を半ばまで閉じ、金粉入りの日本酒を味わった。文字通り『浴びるほど』呑んでいるというわけだ。
 料理を作っているときは気づかなかったが、ノルはここで初めてミレイユの存在に気づき、驚愕に目を見ひらいていた。ファタの後ろからマァルを観察している。
「うわ! なんじゃあの黒毬藻! もこもこしたのが喋っとるー!?」
「もこもこ? ほんみょう まぁるちゃん」
「うわこっち見た! うー……地祇なら特別にな、仲良くしてやってもえぇで!」
 言葉ばかり威勢がいいが、ノルはガタガタ震えているのだった。
「ちび ともだち なる? いいよ」
 自分のほうが小さいというのに、マァルはノルを『ちび』と呼ぶことにしたようだ。
 さて、柔らかく煮た肉を一口サイズに切ると、フォークを突き刺して持ちあげ、レンはしげしげと眺めた。
「このソースとの兼ね合いで肉の味が決まる」
 口に含んで、咀嚼した。
「……!? こ、このソースは!?」
 ドカン、彼は火を噴いた……というイメージでここからは読んでいただきたい。
「おぉぉーーーーーーーー!! 身体が言うことを聞かない。何という旨さだ!! そう! すべてはこのソースだ!このソースの秘密は!!」
 ピカーッ、レンの目の前でソースが黄金の光を放った……というイメージで、続けて読んでいただきたい。
「……何もかも判ったぞ。俺は恥ずかしい。こんなに素晴らしい料理を疑っていたなんて!!」
 うーまーいーぞー、と叫び転がり、レンの身体は爆弾のように破裂した……というイメージで以上、彼の強烈うまいぞアピール終了である。
 ミレイユはそっと、シェイドの様子を盗み見た。彼はレンの大騒ぎに苦笑しながらも、ゆっくりと料理を味わっていたのだが、やがて、
「懐かしい故郷の味です……作るのは大変だったでしょう? 料理は心、ですね。その気持ち込みでとても美味しいですよ」
 ありがとうございました、とミレイユに微笑みを見せたのだ。
「え……あー、そ、そんな大変じゃなかった……かもよ? どういたしまして……」
 もじもじと下を向く彼女を茶化すようにファタは笑った。
「何を言っておる? 下拵えに数日、それはそれは大変な料理だったじゃろうが。しかしその苦労も報われたのう。ミレイユの愛情は届いたようじゃ」
「あーもう、からかわないでぇ〜っ」
 顔が熱いよ……などと言ってミレイユはうつむいてしまった。するとますますファタは喜ぶ。
「これはこれは……、まさに『ごちそうさま』じゃな」
 シェイドも照れくさくなり、視線を逸らして空咳していた。ノアは料理に舌鼓打ちつつ、
「食べ終わったら皆さん、モノポリーで勝負しましょうね。モノポリー」
 と呼びかけた。さっそくヒルダが身を乗り出す。
「おー、いいぜいいっスネ? あたし、もうルールは覚えたからナ? 今度は、三回勝負とかにして、毎回ビリが服を脱がされるって決まりでどーダ?」
「めろんぱん ともだち あそぶ ちびもやる」
 マァルも名乗りを上げ、ノルを誘った。
「え、あて? いいけど、あては頭脳ゲームやと容赦せんでぇ〜。泣いても知らんでー」
 マァルやノルの小さな手で、うまくカードを切ることはできるだろうか。
 まだ顔を紅くしているミレイユの袖をノアは引いた。
「『鉄道王ミレイユ』さんも勝負ですよ! 今年こそギャフンと言わせちゃいます!」
「え……うん? じゃあ、頑張っちゃおうかな?」
 頑張っちゃおうかな、なんてレベルではなかった。三度対戦したが三度ともミレイユが大勝し、途中の順位はまちまちながら、なぜか徹底的にヒルダが敗北した。
「……へっ、呑んでっから暑くてちょーど良いっス」
 下着姿で、ふてくされたようにヒルダは酒を呷った。

 ちゃんと寝室は用意されていたものの、なんだかそのままグダグダに雑魚寝という形式になってしまった。
 深夜、皆が寝静まったあと。
 寝息を立てるレンの顔に、すーっ、と伸びる手があった。
「……ファタ」
 ぽつりとレンは呟いた。手を伸ばした姿勢のまま、ファタは硬直する。
 しかしレンは目覚めたわけではなかったようだ。曖昧模糊とした口調で言った。
「……ファタめ……その顔でその実年齢は詐欺だ……ルネッサンスは情熱……むぅー」
 寝言だ。ファタは胸をなで下ろすと、寝ているときまで付けているレンのサングラスを外した。さらに彼女は、彼の顔に唇を近づけたのである。そして、
「誰が詐欺じゃ、グラサンつけて就寝しとるようなやつに言われとうないわい」
 と、彼の耳に囁いて、自分が用意したサングラスと彼の元のサングラスを取り替えた。
 ――いや、サングラスではなくそれは、マジックでレンズを塗りつぶした安物の眼鏡だった。
 翌朝の彼の狼狽ぶりが楽しみだ。