イルミンスール魔法学校へ

シャンバラ教導団

校長室

百合園女学院へ

死いずる村(前編)

リアクション公開中!

死いずる村(前編)
死いずる村(前編) 死いずる村(前編)

リアクション





■3――一日目――09:00


 山場本家の数代前の当主が造った私設図書館。
 そこに――スウェル・アルト(すうぇる・あると)ヴィオラ・コード(びおら・こーど)、そして作曲者不明 『名もなき独奏曲』(さっきょくしゃふめい・なもなきどくそうきょく)の姿があった。
 本を保護する為、陽光が遮断された室内の奧で、スウェルは赤い瞳を書籍へと向ける。
「――そう、山場村の秘祭は、江戸より古くから有るのね」
 呟いた彼女の元へと、ヴィオラが新たな文献を運んでくる。崩れそうな本の山を、ムメイと呼ばれる事の多い、作曲者不明 『名もなき独奏曲』が支えていた。
「君達も、秘祭の調査に来たのかい?」
 黒崎 天音(くろさき・あまね)が尋ねると、スウェルが顔を上げた。
「ええ」
 端整な顔立ちで、相手が死人か否か確かめるように視線を向けたスウェルに対し、天音が朗らかに微笑んだ。
「僕らも、アクリトのフィールドワークを手伝いに来たんだ」
「僕ら?」
 ヴィオラが、静かに唇を舐めながら、周囲を見渡す。
「嗚呼、僕のパートナーのブルーズが一緒なんだけど――何処に行ったんだろう、あれ、おかしいな」
 天音は、女物に見える、浴衣に近いラフな和服姿で立っている。
「この本も参考になりそうだぜ」
 そこへムメイが、新たな本を持ってやってくる。
「あなたは、いつ此処へ来たの?」
 スウェルが尋ねると、天音が腕を組む。
「君より少し前にこの村にやって来たんだけど、着てた服が台無しになってしまってね。やっぱり似合わないかい?」
 そういって微笑んだ彼は、女物の和装の裾をただしながら、村長宅――山場本家から寄贈されたらしい文献を、いくつか手にしていた。席に着いた彼は、その資料を読み始める。
「古き『神』の復活か……」
 朝から室内に籠りがちな彼らだった。
 この場所は、人目にも付きにくい。
 ともすれば死人だと疑われてもおかしくはないだろう。
 彼らはそれぞれ、淡々と資料の渉猟をしていた。そんな中、天音が尋ねる。
「僕が死人か、人間か? ……さて、君にはどちらに見えるかな?」
 尋ねられたスウェルは、考え込むような瞳で、天音を見る。
 彼らがそうして資料を確認していた時、扉が開いた。
 入ってきたのは、斎藤 邦彦(さいとう・くにひこ)ネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)だった。
「キーワードはやはり秘祭だな」
 邦彦はそう呟くと、年相応の色気がある瞳で本棚を一瞥した。無論それは、外見や性格に起因するだけのものではない。これまでの経験に裏打ちされた、魅力というのがふさわしいだろう。一方のネルもまた、艶やかな女性らしさを醸し出している。凄惨な状況だからこそ、仕事の出来る二人の気配は、印象的なのかも知れない。
「いつの年代から、秘祭はあるのか」
「江戸中期の記録には見て取れる」
 そこにスウェルが声をかける。
「そうなのか」
 邦彦が声をかけると、コクリとスウェルが頷いて見せた。
「古い記録となると――……」
 ネルが結った長い髪を片手で抑えながら、いくつかの資料を探し出す。
 ――『山場御条目五人組帳』『山場拝借仕金子之事』『山場覚』『山場送り一礼』『山場割付一礼』等々。
 いくつもの古文書が、机の上に積まれていく。
「虚実が記載されているかも知れないが――伝聞よりは、信憑性があるだろうな」
 呟いた邦彦の正面で、ネルが頷く。
「私も、コレを読んでみようと思うの」
 スウェルの声に、ヴィオラが首を縦に振った。
「あれ、ブルーズはどこにいったんだろう。僕はちょっと探しに行ってくるよ」
 天音はそんな面々にひらひらと手を振ると、私設図書館を後にした。
 入れ違うように、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)同人誌 静かな秘め事(どうじんし・しずかなひめごと)――通称、静香、そして那須 朱美(なす・あけみ)が入ってくる。
 静香が考え込むようにしながら言った。
「秘祭というだけあって、お願いしても素直に文献を見せてもらえるとは限りませんが、やはり予め理解を深めておくのは祭礼への礼儀だと思われますので、重ねてお願いしてみて良かったです。この図書館に資料があるとのこと」
 その声に、祥子が頷いた。
「何から探そうかしら」
「特に除魔、輪廻転生、死、祭儀に関する記述を探して、まとめようと思います。資料検索は得意ですからね」
「わぁ、すごい。本が沢山」
 朱美のそんな声を聴きながら、静香が本棚を眺める。
「――秘祭の後の永遠とは、この地に集った死が、浄化され、輪廻の輪に乗って新たな生を得るか、天界に送られる事を指すのか……。どちらにしろ、何にしろ、気にかかりますね」
 そこに、ムメイが声をかけた。
「根詰め過ぎると後が辛いよー?」
 調べ物をしている皆に、レインボージュースの差し入れをして、ムメイは微笑したのだった。


 一方、山場村への正式な入り口といえる県道の外れには。
 氷室 カイ(ひむろ・かい)と、カイに纏われた魔鎧のルナ・シュヴァルツ(るな・しゅう゛ぁるつ)の姿があった。
「『山場の秘祭』、『死人』それに『永遠になる』か、気になることは多いが」
 幹に背を預け、人通りを伺いながらカイが呟く。
 大人びている彼の瞳が、死者と生者を判別するかのように静かに揺れた。
「――今回は『山場の秘祭』について調べてみるか」
「手分けして探るか?」
 ルナが尋ねると、長身の体を腕で抱きながら、思案するようにカイが首を傾げる。
「いいや」
 ――誰が死人分からない以上、今回は単独で動くか。誰かを信用すればそれが命取りになるだろうしな。
 ――それに1度離れたらパートナーといえど、死人になっている可能性もある。
 彼は内心そんな風に考える。
「ルナにはずっと、魔鎧の姿でいてもらいたい。そして俺が纏っていよう」
 思考を口に出したわけではなかったが、カイの言わんとする所が、ルナにはよく分かった。ここの所、カイの考えを少しずつ理解できるようになっていたからだ。
「では、我は主の魔鎧として、常に周りの警戒をしておこう」
 応えたルナは、それから一人思案する。
 ――契約者とて信用は出来ない。
 ――誰にも気を許さず、細心の注意をはらっておこう。
「嗚呼、頼む」
 その様子に頷いて、カイが静かに言った。それから彼は唇を舐めると、調査方法を考える。
「問題は、どうやって調べるかだな」
「この場所に来たのは、何か理由が有っての事ではないのか?」
「嗚呼、散り散りになった村人も招待しているらしいからな。こうやって村の入り口付近で待機して、祭りに呼ばれて来た村の関係者とやらに会うことが出来たならば、『山場の秘祭』について何か知っていることがないか聞いてみるのも良いかもしれないと思ってな。何かめぼしいモノがあれば、その話しを元に調査してみても良いだろう。きっかけは、つかめるんじゃないか?」
「一理あるな」
 二人がそんなやりとりをしていた時、そこに二人の人影が現れた。
 河城 綾朱芽 美鈴である。
 彼女達は、新聞記者だ。
「おかしいですね、どうして村から外に出られないんでしょう」
 美鈴が呟くように言った時、陽気な様子で綾が首を傾げた。
「お祭りはこれから三日間だし、未だ帰る必要はないと思うな」
「三日もあるなんて、聴いていなかったからです。肝心の三日目に、また来れば良いじゃありませんか。もう少しちゃんと、村人だったお祖父様から聞き取り調査をしてきた方が良かったと思いますよ……」
 二人のそんなやりとりを耳にして、カイとルナがどちらとも無く息を飲んだ。
 木の陰から姿を現し、意を決してカイが声をかける。
「おい、この村の関係者なのか?」
「え? あ、はい。祖父母が、この村の出身で」
 応えた綾は、驚いたように顔を上げる。
「山場の秘祭について、何か知っている事はないか?」
「何かって言われましても、私は付いてきただけなので」
 少し警戒するように首を傾げた美鈴の隣で、反して朗らかに綾が笑った。
「元々この村は、彼岸っていうのかな――違う世界と繋がりやすい村だから、それを鎮める為にお祭りが行われるようになった、って聴いたことがあるよ」
「確かにその様な由来はあるようですが、記者として昨日神社に取材でうかがった限りだと、どうやら神道にしては仏教色の強い祭りのようですから、伝承されていく内に、様々な見解が混合されていったのかもしれませんよ」
 嘆息しながら、美鈴が補足した。
 そこへ足音が響いてくる。やって来たのは、高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)だった。
「先程、村から出られないと仰っていたように聞こえたのですが」
 丁度会話が一段落していたこともあり、カイと纏われているルナ、そして綾と美鈴が揃って視線を向ける。
「ええ、そうなんです」
 美鈴が頷くと、玄秀が考え込むように腕を組んだ。
 彼の黒いポニーテールが静かに揺れている。
 ――すでに『ダムに沈んだ村』が現れたとの事。
 ――もしかすると、なんらかの結界が張られ、その中に過去の村を再現しているのではないか?
「結界かも知れないな」
「結界?」
 カイが聞き返すと、我に返ったように玄秀が顔を上げた。
「いや、なんでもない」
 ――他人は、誰であれ信用しないべきだ。
 一人再考した玄秀は、礼を言って会釈すると、その場を離れた。結界の有無を確かめる為に、村の外れまで行くつもりであるようだ。そもそも彼は死霊術を学び始めた所だったから、死人の村の秘祭に興味を惹かれてこの土地を訪れたのである。そこで、学術的な好奇心を満たす事や、この山場村で起きている騒動の真相を見極める為、行動するようである。


「仏教色の強い祭り、ですか。奇妙ですね――それに、結界?」
 話し込んでいた皆の様子を遠巻きに見守りながら、木陰にしっかりと身を隠し、静かな声で緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)が呟いた。彼は押し殺すように、短く呼吸する。
 短い黒髪が風に乱されている。
 その最中、真剣な色を青い瞳に宿し、彼は注意深く周囲に注意を向けていた。
「死人が出るということですが……どういう原理でそのようになっているか非常に興味がありますね……」
 まだ実際には死人と対峙していない遙遠は、辺りを一瞥すると静かに、アクリトから渡されたアンプルを取り出した。目の位置まで持ち上げ、その、日に透かすと僅かにオレンジ色に見える淡い液体をまじまじと見た。
 注意深くそれをしまった遙遠は、少し考えるように虚空を見据えると、小さく嘆息した。 ――喉が渇いた。
 そんな気持ちで、たまたま持参していたビタミン剤の浸る瓶を取り出す。
 キャップを捻って、舐めるように一口、また一口と、喉を潤しながら、彼は目を細めた。
「――そうだ」
 ふと思い立ったように瓶をしっかりと見据え、遙遠は一人頷く。
 ――死人が動くという、この『異常』の原因。
「それを解明できれば、この状況を打破できるでしょうから、それが第一目的ですね……ネクロとしての遙遠自身のノウハウにもなりそうですしね」
 ――それにしてもこの異常……くだんの秘祭の影響か、或いは別の要素があるのか……。
「……とにかく情報を集めていかないと話になりませんね」
 一人納得するように何度か頷いた彼は、それから未だ話している村に縁有る者達や契約者の姿を一瞥した。
「やはりまずは、村を色々まわって、死人や秘祭について調査したいですね」
 その為に自分に今できることを、遙遠はしっかりと考える。
 ――基本的には、遙遠に害する相手、全てが敵です。
 根本にはそんな強い思いがあった。
 だから彼は、基本は隠密行動を行い、他者の行動に聞き耳立てたり、こっそり監視したりしようと決意する。
「まぁとにかく情報を集めましょうか」


 波がかかった金糸のような髪を揺らし、少女は視界を覆う黒い布を風にはためかせながら、口元に微笑を浮かべた。
「そろそろ皆、動き始めましたか」
 鈴の鳴るような声で、愉悦混じりに呟いたのは中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)である。
「死人……ですか。ナラカやザナドゥの住民とは、また違う存在なのでしょうね」
 彼女の声に、魔鎧である漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)が、頷いた気配がした。綾瀬の纏う黒いドレスの端が、静かにはためいている。
「そして、この村に立ちこめている雰囲気……何やら面白い事になりそうですわ」
 ――これほど面白そうな見物、そうそうありませんもの。
 そんな思いで、綾瀬は微笑した。
「さぁ、私を楽しませて下さいな?」
 一言、かろやかな声が周囲に谺する。
 その瞬間、ドレスのスキルである地獄の天使によって、ドレスを纏っている綾瀬の体は宙へと飛び上がった。翼が、辺りの空気を緩やかに切り裂いていく。
 急速に空まで上昇した綾瀬は、太陽を背負うように、地上から見れば逆行で表情が伺えない状態で、再び頬を持ち上げた。陽光を受けながら、羽ばたく彼女は、山場村の四方で思い思いに行動している人々を眺めながら、楽しげに唇の両端を持ち上げる。
「私はただの傍観者ですわ……そう、今はまだ」
 流石に上空には未だ、綾瀬達以外の姿は、野生の鳥の羽ばたきを除けば、見て取ることが出来ない。
 傍観には最適の場所で、彼女は風にながれる乳白金の髪を片手で押さえる。
 彼女達がこの場所を選んだ理由は、整然としたものだった。
 ――理由は簡単。
 ――何者にも邪魔をされずに傍観を行いたいので、一番邪魔されにくい場所をキープすると言う事。
 ――そして万が一狙われる事を想定しても、空中に居れば敵は姿を隠して接近してくる事が、かなり困難なはず。
 綾瀬達のその考えは実際、的を射ていた。
「おや、地上のブナ林から上空を識るのは、中々困難でしたが、ここからは林道や鎮守の森、木陰もそれなりによく感じ取ることが出来るようですわ」
 黒い布で視覚を遮断している綾瀬は、気付いたその事実に、なんとはなしに嬉しくなって、微笑する。視覚情報が無くとも、彼女は五感を駆使して、外界の情報を得ることが出来るのだ。
 ――これから始まる生者と死人が演じる物語。
 綾瀬はその開幕を心待ちにしていたのだった。


 上空から見おろす者が居るブナ林――そこを抜けた先には、山場神社と六角寺の合間に広がる鎮守の森がある。
「アンプル――それに、死人って……なんだかよく分からないけど、怖いわ」
 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は、隣を歩くパートナーの腕をギュッと握りしめた。
 豊満な胸をした美少女、それがローザマリアの第一印象だ。
 長く華麗な金色の髪は、サラサラで、人々の目を惹く。
 青い瞳も宝石のように美しい。
 けれど彼女のその瞳は、今ばかりは不安そうに伏し目がちだ。
 自然と隣を歩くパートナーに絡める腕にも力がこもるというものである。
 ――少なくとも現状に限って言えば、怯えた美少女が、その様にして森の中を歩いているというのは、不自然な光景ではない。
 ハンガリー系のアメリカ人である彼女は、しかし、実の所、わざと目を惹くように『イチャイチャっぷり』を演出して、あえて人気のない場所を歩いているのだった。
 ――そこで敵の攻撃方法を見抜こう。
 それが、真意である。
 彼女は、政府の意向で極秘裏に立案された特殊幼年兵養成計画の一環として、バージニア州リトルクリーク海軍基地にて、14歳の時より特殊部隊訓練を受けた、海軍下士官兵適性区分コード所持者という経歴を持っている。最終勤務地はアメリカ海軍横須賀基地だった。
 そうして歩いていく二人連れを、木陰から一瞥している者が居た。
 月美 あゆみ(つきみ・あゆみ)である。
 彼女は草花の上に静かに座って、立てかけた日傘の影で、静かに指先に歯を立てていた。
白い指に、赤い雫が浮かび上がってくる。
 その指で唇を撫でた彼女は、その右端から、可憐な顎、そして首筋へと血が滴っていくのを意識した。次第に指先から流れる血液の量も増えていく。
 あゆみはそのまま血で汚れた手で、衣服を撫でた。
 赤が、紅が、彼女の愛らしい服を血で染めていく。
 ――死人らしく。
 一人様々な思いが巡る胸中で思考を整理したあゆみは、意を決したように立ち上がった。
「う、うらめしやっほー!」
 そしてあゆみは、枯れ葉を勢いよく踏み、木立をかき分けて、ローザマリアの前に姿を現した。
「お前も殺してやる。我こそは死人の姫なるぞー」
「ッ」
 突然の死人らしき相手の出現に、ローザマリアが息を飲む。
「みな、かかれ! 血の祭壇に奴らを捧げるのじゃー」
 あゆみが叫んだ瞬間、ローザマリアは慎重に距離を取り、パートナーの腕を引いて林の中へと走り去った。


 林の中を走っていく人影を、ブナの影から一瞥していた相田 なぶら(あいだ・なぶら)は、考え込むように腕を組む。
「大変な事態みたいだけど、なんとか生き残れるよう頑張らないとだねぇ」
 その為に必要なことは何か。
 黒い瞳に真面目な光を宿し、彼は険しい表情で思案した。
「まず死人達に打ち勝つには、死人を倒す手段をどうにか確立しないとなぁ」
 最も重要な事柄を、冷静に判別したなぶらは、静かに目を伏せる。
 ――死人を倒すにはアクリト先生の作ったアンプルが有効かも知れないけど、まだ実際に効果があるのかは解っていない。
 ――それに、アンプルは一人一個しかないから無駄うちも出来ない。
「アンプルの効果を立証するには、死人である事が明確な相手に対して打ち込み、その効果を見る必要があるだろう」
 アンプルが、死人に対する決定的な解決策になるのかも、同時に証明する必要があると、彼は判断した。
「でも、今現在は死者が誰なのか、どれだけいるかもわからない状態だ」
 顎に手を添え、なぶらは双眸を開ける。それからスッと目を細めた。
 ――アンプルの効果を試すためにも、数少ないアンプルを有効に使うためにも、まずは死者を見分ける方法を見つける必要があるだろう。
「さて、どうやって見分けたものかなぁ」
 呟いた彼の声が、静かに葉波のざわめきの合間に散っていく。


 その逆の林道を、新しい人影が進んでいった。
 黒い綺麗な髪を揺らし、歩いているのはクロス・クロノス(くろす・くろのす)である。
 彼女はスキルの超感覚を用いて、周囲の気配を伺っていた。超感覚の作用で、クロスの頭部には大きめの狐耳が、またその他にも、ふわふわの尻尾が見て取れる。
 ――死人の身体的な特徴が分からないため、彼女は、人の気配に気付きやすいよう森を歩いている間、スキルの超感覚を使っているのである。
「死人か生者かは分からないですが……最低でも、この近辺に五・六人の気配がありますね」
 クロスは呟きながら、正面に現れた泉の前で足を止めた。
 彼女は、狙われやすいように、一人で村の近くのこの森を歩いてきたのである。
 ――武器だと一見して分かるような物を持っていると、近寄ってこないかもしれない。
 そんな判断で、彼女は、遠目には本にしか見えないワルプルギスの書を手にしていた。
「単純ですけど、引っ掛ってくれるといいのですが……」
 死人を見つけられればという思いを胸に抱きながら、彼女は静かにしゃがんだ。
 そして泉の水へと手を伸ばす。ひんやりとした感触。ホッと一息つくのと同時に、その温度と共に、怖気が背筋を這い上がってきた。
「誰が死人か分からないことが怖い。疑心暗鬼になって殺し合いというのは避けられるといいけど……」
 彼女は未だこの森の中で、他者とは遭遇していなかった。
 ――疑いすぎるのもいけない。
 ――だけど警戒心は必要だと思う。
 ――なので人と会ったら、いつでも攻撃できるよう、相手に分からないように構えておこう。
 つらつらとそんな事を考えていた彼女は、ふと思いたって、しまっておいたアンプルのことを考えた。
「アクリト教授は前学長だったので、死人側である可能性は低いと思うのですが……、アンプルの使用はやめておきますか」
 理性が言う。
 ――アクリトが本当に人間側なのか、今の時点では分からない。
 ――アンプルの中身が人間を死人にする液体である可能性も否定出来ない。
 ――アンプルは使わないべきだ。
「注射器は色々と使えるので、取り出しやすい場所に入れて、と」
 手に入れた二つの品を、それぞれ最適と思える場所にしまいなおしてから、クロスは再び立ち上がることにした。


 その林を抜けた先、そこには移転する前の山場医院の跡地があった。
 跡地とはいえ、今でも資料置き場や、普段村内の側にある医院では使用しないような機具が置いてあるなど、きちんと医療施設としての体裁は保持している。
 処置室の寝台や、旧式の心電図などもあり、血液検査をする為の簡易キッドなども残っていた。裏手の小屋には、嘗て兼業農家だった名残か、農薬や鎌、鉈や電動ノコギリと言った農耕用の品もある。ただ無いもの――それは、人気だった。
 空き家、あるいは廃墟と呼ぶのがふさわしいのかも知れない。
「扉は開いているようですね」
 その古びた扉に手をかけたのは、戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)だった。オールバックにした黒い髪が、静かに揺れている。精悍な顔立ちの中で光るその茶色い瞳が、慎重に室内の様子を伺っていた。
「行きましょうか」
 彼は冷静な口調で、パートナーのリース・バーロット(りーす・ばーろっと)アンジェラ・クリューガー(あんじぇら・くりゅーがー)に振り返った。
「分かりましたわ」
 意を決したように、リースが銀色の髪を肩の後ろへと流し、生唾を飲み込んでから、小次郎の後に従った。普段は穏和さが滲む青い瞳が、この時ばかりは知的さの色を濃くし、懸命に周囲の様子を探っているようであった。
「安全な拠点を探すことは、大切なことですもの」
 リースはそう言うと、床に落ちて散らばっていた硝子片を、慎重に避けて歩く。
「良い所を見つけてくれて助かりました、アンジェラ」
 小次郎が振り返ってそう告げると、この廃医院を見つけ出したアンジェラが、長い茶色の髪を揺らしながら微笑んだ。
 そう、ここは、アンジェラが小次郎達の要望に応えて、村の中で探し出した施設なのである。小次郎達がアンプルを手に入れている間、彼女は黒い瞳を几帳面に光らせて、村の中の様々な場所を調査したのである。
 そして最適とも言えるこの場所を見つけ出したのだ。
「当然。私の実力、とくと見せてさしあげますわ」
 誇らしげにそう言ったアンジェラだったが、此処を用意するまでには相応の苦労があった。
 ――目標は、小次郎が意図する用途に応えられるような、的確な空き家の確保だった。
 だが、誰が死人であるか分からない以上、彼女は姿を晒す事を極力避けて、迷彩防護服とスキルのカモフラージュを用いて、辺りを調べあげたのである。
 元々は民家を探していたのだったが、彼女の実力からか、はたまた幸運からか、より最適な施設が見つかったのは幸いだった。
 見つけた後アンジェラは、続いて中に住人がいるかどうかを、殺気看破を用いて調べ、その後、実際に中に入ってみて確認したのである。
 それも全ての部屋をきちんと確認したのだ。その結果、無人である事が分かった。そんな成果を何度もしっかりと確かめてから、彼女は小次郎達に連絡したのである。
「私はこれから、念には念を入れて、辺りに罠を仕掛けてくるわ」
 大きな胸を抱えるように、両腕で体を抱きながら、アンジェラはそう告げて微笑んだ。
「頼りにしている」
 頷いた小次郎に微笑を返して、アンジェラは再び外へと出て行った。


 その頃、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)達も宿にしている、民宿ハナイカダの一室には、ラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)の姿があった。
「さて、今日はどうしましょうかねぇ……」
 生来からの几帳面さがうかがえる手際で、彼は荷物をほどいていた。
 ――古い伝統が残る山村、山場の秘祭に、『えいえん』と死人……興味は尽きませんが、まずは現状把握が先かもしれませんねぇ。
 そんな事を考えながら、ラムズは後ろで束ねた焦茶色の髪を揺らす。
 左利きの彼は、部屋の鍵を利き手で一端、机の上へと置いた。
 ――秘祭は、三日間。三日程滞在すると考えられる。
 そこでラムズは、宿にダミーの荷物を置く事に決め、アンプルを受け取ってから一度、滞在しているこの部屋へと戻ってきたのである。
 彼はその中に、空京大学新学長ティフォンの名を冠したスマートフォン――『ティ=フォン』を隠した。情報を残す手段を用意することは、とても大切だ。
「虎は死して皮を残し、私は死して知を……残せれば万々歳なんですけどね」
 そのように呟きながら、彼は部屋の入り口付近に『ショットガン』の罠を仕掛けはじめた。スキルのトラッパーを用いての行動である。
 それから暫し逡巡するように荷物を見据え、ラムズは金の卵を手に取った。
 金の卵は、ひとつ食べると、三日間空腹にならない。
 情報収集前のひとしきりの用意を終えた彼は、それから左手でルームキーを掴むと、部屋の外へと出た。
 するとそこには丁度、民宿の経営者の家族である山場仁の姿があった。
 ――無関係の人を巻き込んではいけない。
 そう考えたラムズは、仁へと歩み寄った。
「何があっても、絶対に部屋に入らないように」
「お出かけですか?」
「嗚呼、少し――兎に角、絶対に部屋には入らないよう、宿の人皆に伝えて下さい」
 ラムズの真剣な黒い瞳に、少し考えるような表情をした仁だったが、少年はすぐに愛想の良い表情で頷いた。
「宿のみんなに伝えに行ってきます」
 そう言って元気よく走り出した仁をラムズが見送っていると、背後で静かに隣室の扉が開いた。
「何かあったのですか?」
「嗚呼、少し部屋で作業を」
 ラムズが淡々と述べると、声をかけた鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)が穏やかに頷いた。
「しかしアクリト教授のアンプルというのも、なんだか」
 その声に、真一郎が懐に手を添える。衣服の内側に、アンプルをしまっているのだろうか。
 二人が居る二階は、山場村の様々な農耕・狩猟機具が展示されている為、劣化を防ぐ為の物なのか、遮光カーテンが暗さを強調している。その闇は、ラムズの色白さを煽り、一見すると死人のようにも見せていた。だが気にすることもなく、真一郎は静かに尋ねる。
「あなたは、どうしてこの村へ?」
「それをうまく説明するのは、とても難しいです」
 伏し目がちにラムズが言うと、真一郎が後ろで束ねた銀髪を揺らした。
「詮索するようなことではありませんでしたね」
 彼本来の優しさが宿る声に、ラムズもまた穏やかに微笑を返す。
「そちらは? どういった理由で?」
「鷹村真一郎です。俺は、避暑地で夏の強い日差しを避けようと、此処へ来たんだ――もう夏の日差しの下で、元気に走り回る子供じゃないからな。恋人と静かに観光を楽しめれば良かったんですが」
 揶揄するように笑いながら、階段を駆け下りていく仁の後ろ姿へと、真一郎が視線を向ける。
「それが、このような騒動に巻き込まれてしまった、ということですか。互いに、無事に乗り切れればいいですね」
 ラムズはそう口にすると、会釈して歩き始めた。真一郎はその姿を見送ってから、再び自室へと戻っていった。


 民宿から少し離れた場所、川の側で。
 黒いショートの髪が風に乱されるのを抑えながら、水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)が周囲の気配を伺っていた。
「死の匂いがする、昔に滅んだ村……嫌な感じがするから、まずは何としても生き残らないといけないわね。でも美人薄命か」
 あは、と呟いてから笑って見せた緋雨の隣からは、大きな溜息が響いてくる。
 天津 麻羅(あまつ・まら)だった。
「何を言っておるのじゃ」
 麻羅は、ショートウェーブの赤い髪を揺らしながら、周囲に気を配る。
「しかし――ふむ、きな臭い場所じゃ。出来れば穏便に済ませたい所じゃが、無理な場合は対応せねばな」
 軽快に話している場合ではないと暗に諭すように、彼女は緋雨へと視線を向ける。
「こんな状況だったら情報が一番大事よね。とりあえず何か事情を知ってるぽい山葉さんに根回しして色々聞こうかしらね♪ その聞いた情報を元に更に情報収集よ!」
 緋雨が、山葉 涼司(やまは・りょうじ)を念頭に置きながら、威勢良く声を上げる。
「そうじゃな」
 頷いた麻羅は、それから腕を組んで、櫛名田 姫神(くしなだ・ひめ)へと視線を向けた。
 すると姫神が真摯に頷く。
「生き延びるには、相手より先に見つける必要があり、不測の事態に対応でき、仕掛けられた罠に引っ掛からない事ですね。私はそのサポートをします」
 一同の中でそれぞれが、すべきことを確認した。
 どことなく緋雨に似ている容姿の姫神は、それから儚げな瞳で、死臭を孕んだ村の風と気配を確認するように、虚空を見据えた。
「無事に帰ることが出来ると良いですね」
 緋雨も麻羅も、彼女の言葉に、声を上げて同意したわけではなかったが、同じ気持ちだった。