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■1――一日目――18:00


 日没が訪れた。
 ブナ林の葉波が落とす影は色濃い黒へと変わり、山場村全体を覆っていく。
 一日中林の中を走っていたローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は、茂みが揺れる気配に息を飲んで足を止めた。あがった息を押し殺すように、音を出さないよう、酸素を求める。
 金色の長い髪が揺れる。
 その音すら、いやにはっきりと耳に付いたものだから、彼女は思わず唇を噛んだ。
 こめからみから首筋、そして胸の谷間へと汗が伝っていく。
 ――誰だろう?
 死人か、生者か。
 そんな事を考えながら、彼女は茂みの向こうを歩いている人影をうかがった。


「あーあ。結局、村からは出られないし、今夜の祭りは、神職の人たちが禊ぎをするのかぁ。これじゃあ、あたし達には関係ないし、取材にならないなぁ」
 暗い林の道を歩きながら河城 綾が、ぼやいた。新聞記者の彼女は、祭りの光景を是非とも、記事として切り取りたいと考えていたのではあるが、事はそう上手くは運ばない。三日目は兎も角、本日は、関係者以外立ち入れないらしかった。
「しかたがありませんよ」
 彼女に伴って訪れた朱芽 美鈴が、そう言って嘆息した。金色に染めた髪が揺れている。
 その時の事だった。
「――え?」
 美鈴は、背中に走ったズンという衝撃に、思わず目を見開いた。
 長い睫毛が揺れる。
「あ」
 何が起きたのか分からないまま、彼女は、無心に唇を動かして、新たな酸素を求める。
 おそるおそるといった様子で、美鈴は緩慢に視線を胸元へと下ろした。
 するとそこには、鈍く光る包丁の先端が見て取れる。
 彼女の白い服、その胸元に、じわりじわりと紅が広がっていった。
「どうかし――……美鈴!」
 背後から包丁で貫かれた様子の同僚の姿に、綾が声を上げた。
 ズズズとその正面で、包丁の先が深く美鈴の体を貫いていく。それに伴い、血飛沫が辺りに舞い散った。綾は、自身の頬が、何か生暖かい雫で汚れたことを意識する。それが、血だと気付いた瞬間、彼女は包丁を突き立てた相手――『死人』と正面から視線がかち合ったことを理解した。
 ――美鈴を助けなければ。
 ――どうやって?
 ――逃げなければ。
 ――どこに?
「あ……あ……」
 綾の声混じりの吐息が響いた。彼女は精一杯、何かを言おうとしたのだけれど、それは叶わない。
 白い繊細な手が、死人の両手が、綾の首へと伸びてくる。
 そのまま気がつけば、綾は体を地面に引き倒されていた。
 道に落ちていた石に、頭部を強かに打ち付ける。
 衝撃に、綾は一時、意識を失った。
「人間の生気を糧にしなければ、私達『死人』は、生きては居られないのです」
 倒れた二人の正面に立った水橋 エリス(みずばし・えりす)は、慈悲深い表情で微笑んだ。
 緑色の瞳が、金色の波打つ長い髪の合間から、倒れた二人を見据えている。
 美鈴の背に刺さった包丁を引き抜き、エリスは、『獲物』の身体を反転させた。
 まだ脈動している様子の心臓を外すようにして、再度振りかぶり、包丁を突き立てる。
辺りには再び血飛沫が舞った。
 小柄ながらも清艶さがある美鈴の乳房の狭間に、再び包丁が刺さる。
 青白い顔で、朦朧とした様子のまま、美鈴は虚ろな瞳で、エリスのことを見上げていた。
 衣服を暴き、その血を舐めとるように、エリスが艶めかしく舌を這わせる。
 そのまま傷口へと唇を寄せ、エリスは、美鈴の生気を吸い取った。
 昼の日光の日差しによる消耗と、空虚に似た空腹感が、一気に満たされていく。
「っ、痛――何? 何なの?」
 そこで、綾が目を覚ました。
 鈍く痛む頭部を抑えながら、彼女は、片手を地につき、半身を起こす。
 そして、美鈴の体から生気を貪っているエリスを視覚に捉えた。
「嫌――――!」
 綾の絶叫が響き渡る。それを封じるかのように、立ち上がったエリスは、華奢な片手で綾の首を締め付けた。
「くっ――誰か……っ、どうして美鈴を……」
 強引に同僚である美鈴を誘ってこの地に訪れたのは、綾である。
 この山場村にさえ来なければ――そうであったならば、美鈴がこのような目に遭うことは無かった。
 己の死への恐怖と、親しかった同僚に対する悔恨が、綾の胸中でひしめき始める。
「どうして? ――誰であっても構わないのですが」
 エリスは双眸で緑の瞳を静かに一度覆うと、それから唇の両端を持ち上げて、まじまじと綾を見た。そのまま、口角を持ち上げてから、エリスは綾の首筋へと噛み付いた。


 茂みから、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)が視線を向けた時。
 もう夜といってもおかしくはない刻限。
 林道の暗がりからは、じゅるり、じゅるりと何かを啜るような音が辺りに響きわたっていた。
「あれは……!」
 ローザマリアは、そこにいるのが、『死人』であるのだろうと確信した。
 女性――河城 綾の上に、馬乗りになって、水橋 エリス(みずばし・えりす)が、その首筋にかぶりつき血を吸っていた。
 すぐ側にはもう一人、朱芽 美鈴が仰向けになって倒れている。
 彼女の胸にも包丁が突き立てられていた事もあり――おそらく二人とも、もう生きてはいないだろうと、ローザマリアは客観的に判断した。
 ローザマリアは、この事態に巻き込まれてから、ずっと二つの事柄を調査しようと考えていた。一つは、死人の弱点を調べる事、そしてもう一方は、『死人』の攻撃方法を見抜く事だ。どちらも、その意図する所は同じである。
 そう――『死人』に勝つため、だ。
 一概には言えないが、ここで目にした限り、どうやら『死人』は、生者の肉体に『傷』をつけて、そこから生気を吸い取るようである。必ずしも経口摂取なのか否かは、現状では判断できないだろうと考察しながら、ローザマリアは生唾を飲み込んだ。
 ――一度離脱しよう。
 そう考えた彼女が立ち上がろうとした時、不意にエリスが顔を上げ、口元を手の甲で拭った。
「お恥ずかしい所を見られてしまいましたね?」
 側に転がっていた美鈴の体から包丁を抜き取りながら、エリスがそう告げて嗤った。
 ――クスクスクス。
 場違いな程明るい笑い声が、辺りにさざ波の如く広がっていった。
 緑色の彼女の瞳に、僅かに黒い光が差し込んだように見える。
 ――気付かれた。
 その事実を理解して、意を決してローザマリアもまた、茂みの影から立ち上がる。
 すると彼女を見て、エリスが人好きのする笑みを浮かべた。
「けど、ちょうど良いタイミングでしたよ、これっぽっちじゃまだまだお腹が空いてクゥクゥ鳴っちゃいますから……貴方、私に食べられちゃってくださいな?」
 そう言って、エリスは包丁を振りかざした。
 ローザマリアに襲いかかるように、『死人』であるエリスは、林道の土を蹴る。
 一撃目をかろうじてかわしたローザマリアは、そのまま後ろにいたパートナー共々、林の中へと向かい走り出した。
 ――誰かに、見つけた『死人』の攻撃方法を伝えなければ。
 そう考えながら、汗を拭いつつ彼女は走った。
 暫しの間走り抜き、彼女は大きな木の幹に背を預けて呼吸を整える。
 そうしていると、林の向こうに灯りが見えた。
「誰か居るみたい――良かった、助かった……」
 一人呟き彼女は、背後に『死人』の気配がないことを確認してから、一歩前へと歩き出した。
 すると、はらりと頭上から木の葉が落ちてくる。
「え?」
 驚いて顔を上げた彼女は、その時、枝の上から飛び降りてきた女性の姿に目を剥いた。
 そこにいたのは、つい先程、息絶えたはずだった河城 綾の姿だった。
「どうして……――!」
 呆気にとられ、僅かの時間気を抜いていたローザマリアは、肩に走った唐突な衝撃に、慌てて振り返る。するとそこには、包丁をふるっているエリスの姿があった。
「おいつかれた……」
 振り払おうと体を揺すったローザマリアの左腕を、虚ろな瞳をした朱芽 美鈴がきつく拘束する。胸部からは、未だ血を垂れ流したままだった。
「いただきますね」
 穏やかに笑ったエリスの口が、大きく開かれる。
 そしてローザマリアの白い首筋に、エリスの唇が貪り付いたのだった。


 鎮守の森は、日没以前から暗い。
 だが宵闇が、さらなる暗黒をもたらすのは間違いがないだろう。山場医院の女医である中谷 冴子は、白衣の袖を正しながら、おそるおそるといった表情で、林の中を歩いていた。
「資料があるなんて言わなきゃ良かったかなぁ」
 自分が生まれ育った村での出来事とはいえ、協力を約束してしまったことに、正直彼女は少しだけ後悔していた。
「どこに『死人』って奴がいるかも分からないし……」
 そんな事を彼女が呟いた時、丁度茂みが音を立てて揺れた。
「っ」
 咄嗟に身構え、彼女はしびれ粉の用意をした。しびれ粉とは、体の動きが鈍くなる毒粉を周囲に撒く事で、敵全体の行動速度を低下させるものだ。
「――ああ、人間みたいですね」
 そこへ現れたのは、貴宮 夏野(きみや・なつの)だった。
 偶然この村へと迷い込んでしまった夏野は、相手の警戒のそぶりから、恐らく生者だろうと判断して、そう声をかけた。
「貴方もそうみたいね」
 安堵するように冴子が吐息する。
 冴子は、資料を入手する為に、ブナ林の最中にある旧山場医院へと向かっている最中だった。
「此処で何をしているの?」
 冴子が尋ねると、夏野が黒い瞳を揺らした。
 その様子に、冴子が意を決したように尋ねる。
「申し訳ないんだけど、私は無心に人を信じることは出来ないの。――貴方が人間であるという証明に……アンプルを見せてはもらえないかしら」
 彼女の言葉に、服の中へと隠し持っていたそれらに、夏野が手を添えた。
 アンプルは――自分が人間であると証明する場合のみ使用する。
 今がその時であるのだろうと考えながら、夏野は頷いた。
「これが、そうです。失礼ですが、貴方のアンプルは?」
「私のは、コレ。そう……良かったわ」
 頷いて冴子もまたアンプルを取り出した。互いに見せ合ったことで、二人の間の空気が少しばかり柔らかくなる。
「先程の問い、だけどね」
 確認してから、夏野が伏し目がちに言う。
「帰りたいのが本音なんだけど、村からは出られないみたいなんだよね――だから帰るのは、諦めたんだ」
「村から出られない? 本当に?」
「うん。今日一日で、試してみたから間違いないと思うよ」
「そう……」
 悲痛さを表情に宿し、冴子が俯いた。
「だからそれもあるし、後は、ただ秘祭が終わるのを待っているのも暇だからねぇ。ついでに秘祭について調査しようと思ったんだ」
 夏野は考えるような眼差しでそう言った。
 ――『村は永遠になる』とはどういう状態になるのか。
 ――自分たちにどんな影響がでるのか。
 夏野はそれらを調べようと考えていた。
「その為には、秘祭を行うのに使用されている場所に侵入して調査するのが一番だと思うんだよね」
 頷きながら聴いていた冴子は、それから腕を組んだ。
「そう言うことなら、山場神社と、若宮神社――工藤様の所あたりが、適切かも知れない。後はそうね、祭りは代々水島の家が手伝っているから、行ってみると良いかもしれないわ。丁度、水島さんの所の跡取りが帰ってきているって聴いたし――ただ、水島さんの所は、村を嫌って、暫く離れていたから、何とも言えないけど」
「有難う」
 簡潔に礼を言い、夏野は、スキルである塗装迷彩と超感覚を発揮した。
 少しいびつな道ではあったが、機晶バイクを用意して、行き先を念頭におく。
 そして夏野がバイクを走らせようとした、その時のことだった。
「お腹が、お腹が減って仕方ないのです」
 そこへ、朱芽 美鈴が現れた。胸元の衣は、血で染まっている。
「!」
 突然の死人の出現に、冴子が目を見開く。
「どうしてこんな時に――っ」
 冷静に事態を考えた夏野が、その時スキルであるライトニングブラストを放った。
 ライトニングブラストは、機晶石から放射されるエネルギーを電力に変換する技術で、今のような戦闘中は敵一体に電雷属性の魔法ダメージを与える代物である。
「くっ」
 しびれる用に体を両腕で抱えた美鈴の前で、夏野が声を上げた。
「行こう!」
 真っ向勝負も挑んでも、勝てるかは分からない。
 ――死にたくはないので逃げの一手、だ。
「待ちなさい」
 そこへ、河城 綾の声がかかった。
 機晶バイクで走り出した夏野の行く手を阻もうとする。
 そこで夏野は、再びライトニングブラストを用い、退路を開いた。
「私は、あそこの光の所まで走るわ。そこで、合流しましょう」
 冴子が、遠目に見える灯りを示唆して、走り出した。
 頷きながら夏野もまた、バイクを走らせる。
 ――自分は秘祭の調査および生き残ることに集中するため、死人の殲滅は、他の人に任せよう。
 そんな思いが根底にあった。

 別々の道を辿り、二人は、旧山場医院へとたどり着く。

 そこには、アンジェラ・クリューガー(あんじぇら・くりゅーがー)の姿があった。
「嗚呼、良かった。逃げ切れたみたい」
 冴子がそう告げると、アンジェラが黒い瞳を細めた。
「そちらが、『死人』ではない証拠は? 先程、誰かと戦っていたみたいだけど」
 その声に、夏野が所持していたアンプルを見せながら、肩で息をした。
「自己防衛以外では戦っていない」
 この施設を守ることに注力しているアンジェラは、夏野のその様子に、少し考え込むようにしてから頷いた。
「貴方達こそ此処で何をしているのよ。此処は私の家の持ち物よ」
 冴子がそう言った時、リース・バーロット(りーす・ばーろっと)が姿を現した。
「そうだったのですか。失礼いたしました」
「別に良いんだけどね、普段は使ってないし。私は、ちょっと資料を取りに来たの」
 冴子はそう言ってから、改めて夏野を見た。
「そういう事だから、私は資料を見つけたら戻るわ。頑張ってね」
 そんな声に頷き、一息ついてから、再び夏野はバイクのハンドルを手にする。
「有難う、私は行ってくる」
 夏野がそう告げて、再び林の中へ消えていくのを一同は見送っていた。
 そして暫しの時間をおいてから、冴子がリースをまじまじと見る。
「所で、此処で本当に何をしているの?」
「――小次郎さんの手伝いを」
 リースは、戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)の事を思い浮かべながら嘆息した。
「そう。詳しいことは分からないけど……有効にこの場所を使ってもらえるのならば、有難いわ。あ、そうだ。私、さっきまで、アクリトの手伝いをしていたから――今の時点で分かっている事をまとめた資料を持っているの。もしも役に立つなら、使って」
 冴子はそう言うと、横掛けにした鞄の中から、一つ、A4角の茶封筒を取り出した。
「いいの?」
 アンジェラが尋ねると、旧医院の入り口のすぐ側にある棚の鍵を開けながら、冴子が微笑した。
「私の大切な村だからね、コレでも。それを、一緒にどうにかしてくれるって言う貴方達には、協力は惜しまないつもりよ」
 目的としていた資料を手に取りながら、冴子はそう言って笑った。
 帰路につく女医を見送りながら、旧医院の奧で作業に没頭する小次郎の邪魔をしないように、リースとアンジェラが顔を見合わせる。

 その帰り際――旧山場医院から、少し離れた場所で、中谷冴子が『死人』となった事を知るものは、その直後には一人しかいなかった。

「いない、いないんだ……一体、何処に行ったんだろう」
 冴子が頽れ地に伏した道のすぐ側を、黒崎 天音(くろさき・あまね)は歩いていた。
 女物じみた和装の合間から、色気有る鎖骨が覗いている。
 彼は、茂みの影に倒れている冴子の姿など、まるで視界に捉えた様子もなく、一切気がつく様子もなく、ただ暗い周囲を見回しながら、林道を歩いていた。
 ――まさか、ブルーズは、死人の手にかかってしまったのだろうか?
 そんな不安感が胸中を襲うからか、天音は冷静な判断が出来なくなっていたのかも知れない。だからこそ倒れている冴子にも気がつかなかったのだろう。
 麗しい女医の断末魔は、不幸にも、彼の意識には届かなかったようだ。
 否――正確には、信頼できるパートナーの姿が見えない不安感が、彼の全ての感覚を鈍らせていたのだろう。
 アクリトのフィールドワークに伴いこの地を訪れた彼は、心を許している愛しいドラゴニュートのパートナーの姿を探すあまり、客観的に見ても冷静な思考が出来なくなっているようだった。天音の頭を占めるのは、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)の事ばかりである。このような状況下にあるのだから、当然といえば当然なのかも知れない。
 彼の姿が見えないのである。
 いくらパートナーと言えど、一時でも離れてしまえば、それは、次に邂逅した時、親しい相手が『死人』と化している可能性を否定できないのだから。
「生気を――生気……お腹が減って仕方がないの」
 そこへ、起き上がった中谷冴子が歩み寄った。
「……――そう、そうか。君は、死人みたいだね。ねぇ……ブルーズを知らないかい?」


 まだ生者だった頃の、中谷冴子に示唆された水島家に、貴宮 夏野(きみや・なつの)がやってきたのは、それから暫くしての事だった。
 ――埃が舞う室内。
 けれど、色あせた記憶の中の光景と、あまり変わらない、懐かしい家。
 その一角で、水島 慎はアルバムを眺めていた。
 彼の両親が村を出る時に、恐らく迷った挙げ句に残していった代物なのだろう。
 そこには祭りを楽しむ、幼い慎の姿が映っていた。
「すみません、少々宜しいですか?」
 そんな時、唐突に玄関の扉が開く音が響き渡った。
 息を飲んだ慎は、隣にいた小嶋 咲を、無意識に腕で庇う。
 ――なんと返答したものか。
 慎は暫く逡巡していたのだったが、その後時間をおいても、それ以上の声がかかる事は無かった。


「好奇心旺盛なのは結構だけど、一人で歩くのは危ないのだよ」
 注意深くこの水島家まで訪れた夏野だったが、扉に手をかけた状態のまま、体を硬直させていた。
 くく、と喉で笑いながら、夏野の耳の下へと唇を寄せているのは、一人の少女だった。
 実年齢は定かではないが、十四歳くらいの年の頃に見える、長い黒髪をした美少女が、夏野の耳朶の下に犬歯を突き立てていた。きまぐれそうな青い瞳には、月明かりのせいか、冷徹さが宿っているように見える。どこか大人びている美少女が唇を離した瞬間、糸の切れた操り人形のように、夏野の体が、地へ頽れた。
 座り込んだ夏野の体に、今度は青く長い髪をした、8歳くらいの少女が手を伸ばす。
 口に限らず、指先あるいは他の身体部位からでも、死人は生者の生気を吸えるのだ。
「――操れないみたいですぅ」
 死人となった彼女達は、それまでの己のスキルの効能について、確かめようとしていたのであった。
「死人をネクロマンサーの術で操れるかしらべたかったんですぅ……だけど。出来ないみたいですぅ。よし出来ないから、協力要請ができるかも試すですぅ」
「お願い」
 そう言って黒髪の少女が、唇を手で拭った。
「さてさて、面白い状況ね」
 長く赤い髪を揺らしながら、夏野と二人のパートナーを一人の女性が見据えた。
「とりあえず、私のことは着ててね。ワタシは可愛い女の子専用のアーマーなんだからね!」
 ツインテールの魔鎧は、そう述べると、主の元へと歩み寄った。
 異質な出来事ではあるが、その出自を問わず、一度『死人』になると、契約している全ての者が、『死人』になるらしい。
「とりあえず、今日の分の生気は得たことだし――これからの方策は、また明日練ろうと思うのだよ」
 死人の少女は、唇の端を持ち上げて笑う。
 ――村人を孤立させてから手早く殺し、餓えを凌ぐ。
 ――……最低限に済ませるぞ……まだ、な。
 そんな思いで、手にかけた生者の体を、彼女は離す。
 4人の『死人』は、そんな事を話し合うと、水島家の前から、姿を消した。


「聞き間違いだったのか?」
 誰もさらなる声をかけてこない室内で、水島 慎が首を傾げた。
「まさか。私も確かに聴きました」
 綺麗な黒髪を揺らしながら小嶋 咲が言うと、慎が考え込むように目を細めた。
 ――それにしても、一体何が起きているというのだろう。
 ――祭り。
 ――永遠に続く。
「単純に考えれば、村人も供物――生け贄として使用する可能性があるな」
 両親の遺品の整理に来たというのに、大変なことに巻き込まれてしまったと考えて、慎は双眸を掌で覆った。このような事態になると知っていれば、咲を伴って来る事も無かったかも知れない。

「生け贄? 流石に、水島の人間だけあって、的を射た、面白いことを言うのね」

 その時のことだった。
 不意に、慎と咲がいた部屋の中央から、愉悦混じりの声が上がったのだった。
「貴方は――」
 そこにいたのは、山場弥美だった。
 供もつれずに唐突に現れた彼女に対し、慎は、背中に冷や汗が伝っていくのを実感した。
「私は頭の良い人間が好きよ。けれど、賢すぎる人間は、いつだって害になる」
「――……今、どうやって此処へ?」
 狼狽えるように慎が言うと、弥美が喉で笑って見せた。
「さぁ。そうそう、水島の家の貴方に、今日はお願いがあって此処へ来たの」
「俺は――もう、この村との関わりなど、ほとんどない」
「それでも貴方は水島の人間よ。それは永劫変わらない。祭りの成就の為に――貴方には水島の役割を果たしてもらわなければならないのよ。分かって」
「そんなもの俺は知らない」
「これから知っていけば良いのよ――そう、そうなのよ。嗚呼、祭りを成就させる為にも、閻羅穴から人を遠ざけて。いつもの通りに。これは村を総べる者としての命令だわ」
「閻羅穴?」
 聞き返した慎の顎へと繊細な指を伸ばし、弥美が顔を近づけた。
 彼女の爪が、慎の唇の端を傷つける。
 その僅かな痛みに彼が目を細めた時、出来た傷口に、弥美が唇を寄せようとした。
 ――だが。
「すみませーん!!」
 突如かかった声に、慎が視線を背ける。
「はい――! ……!?」
 返答した慎は、その時、弥美の姿がかき消えるように、無くなっていることを実感した。
 慌てて唇の端に出来た傷から流れる血を拭いながら、まるで一時自身の思考が停止していたような感覚に、彼は頭を振った。
 ――村を総べる長老、村長といえる人間からの厳命なのだから、こなさなければならない。
 どこかでそんな風に思考が騒ぐ反面、まるで今し方起きたことに現実感がない。
「慎、大丈夫?」
 傍らにいた咲が、心配そうに尋ねる。
「嗚呼……」
「誰か来たみたいだけど」
「行ってくる」
 慎はそう言うと、玄関へと向かった。そこにいたのは、六角要だった。
 有髪の破戒僧は、煙草を銜えたまま、面倒くさそうに辺りを見回している。
「なんだったか、秘祭が完成すると、ヤバいらしいし。それには、お前等水島だとか、神社の奴ら? そういうのが関わってるみたいだから、話を聴きに来たんだけど」
「残念だが――俺も詳しいことは知らないんだ。村から幼い時に外へと出たから」
「そうなのか。俺も、大分前にここから離れたんだ」
 慎の声に、嬉しそうな顔をした要は、それから僧侶服の袖をまくり腕を組む。
「俺はそんなこんなで、便りが来たから戻ってきたんだけど、お前もか?」
「――いいや、色々あって、遺品の整理に此処へ来たんだ」
「……亡くなったのか、水島のおばさん達」
「ああ、そうだ。両親のことを知っているのか?」
「まぁな。これでも、俺も村にいたからな」
「貴方は、契約者か?」
「契約者? いいや。今の俺はただの坊主だよ。って言っても、大学の仏教科を卒業しただけだけどな――なんて、まぁちょっとは、スキルを使えるけど。所で、入っても良いか?」
 携帯灰皿に煙草を入れて、要が言った。
 頷き、慎が招き入れる。
 二人が室内に戻ると、気を利かせて咲がお茶を淹れた。
「――で、なんでここに戻ってきたんだよ?」
 緑茶の浸る湯飲みを手に取りながら、要が言う。
 すると慎が、棚の中を渉猟しながら呟いた。
「遺品の整理にきたんだ」
「なるほど。それで久しぶりに村に来たわけか――それで、正直どう思う?」
「こんな感じだったかな? 昔と村の空気が違う気がするな」
 慎はそう呟くと、棚から守り刀を見つけ出した。
「俺もそう思ってる。なぁ、正直『死人』って奴についてはどう思う?」
「現状では、死人との区別が付きにくい」
「懸命だな」
「巻き込まれて死ぬのは、嫌ですから」
「それにしても、何なんだろうな、祭りって。俺はこれでも寺の人間だから、神事にはめっぽう知識が無い」
「祭りの目的は、単純なら不老不死のような気がします」
「不老不死?」
「この村の神道は何処か特殊な所があるからな――まぁ、祭りの方は、他の村人に手伝えと言われたら、準備を手伝います。そのくらいは、この村に縁がある人間として、手を貸すことに不満はない」
 慎のその言葉に、手首に嵌めた数珠を揺らしながら、要が頷いた。
 僧侶のそんな様子と対応に、けれど慎は疑念を持たずには居られなかった。
 彼が死人でないという確信を、慎は感じ取ることが出来なかったのだ。
「なんだか難しい事態みたいですね」
 しかし朗らかに、人を好意的に見る咲は、その限りではない様子で対応している。
「とりあえず、俺はお前等のことは信用しようと思う」
 要はそう言うと立ち上がった。
「互いに、健闘を」
 そういうと要は、水島家を出て行った。
 それを見送ってから慎は、咲を一瞥する。
「どうします?」
「さあ……」
 何が真であるのか思案するように、咲が俯く。
 その時のことだった。

「やっぱり、貴方達は邪魔になるかも知れないわね」

 どこかから響いてきたその声に、慎が目を見開く。
 彼のその首筋を、山場弥美は強く握り、歯を突き立てたのだった。
「な!」
 狼狽えた声を上げた咲の首筋にもまた、弥美の犬歯が刺さったのは、その数秒後のことであった。


 どこからか叫び声が聞こえてくる。
 それを幻聴だとして思考から振り払い橘 恭司(たちばな・きょうじ)は、ぼさぼさの黒い髪を揺らした。
「今は生者と死者を見分ける材料を探すか……」
 青い瞳で周囲を見回しながら、冷静に彼は呟いた。
 ――臭いや行動パターン、見た目で判断できれば一番良いんだが難しいだろうな。
 それらのいずれかが、『死人』である事を、証明しているとは限らない。
「仕方がない」
 彼は、とりあえず、『殺気看破』で周囲を警戒した。
 ――近づいてくる気配、特に害意を感じ取る事に優れたそれは、敵の隠れ身すら無効化できる。そんなスキルの琴線にふれる『死人』の姿があった。
「うりゃぁぁああああああああ!!」
 突如として襲いかかってきたのは、中谷冴子である。
 恭司は、歴戦の立ち回りで、その唐突な攻撃・状況に対応してみせた。
「死人か……」
 彼は呟くと、足に力を込めた。逃走――そして高所の移動は脚力をメインとし、距離を取る。襲いかかってくる、死人と化した冴子に対し、彼は跳躍して攻撃をかわした。バーストダッシュで飛距離を伸ばし、着地場所をずらす。
「!」
 そして相手の虚を突きながら、体勢を立て直した。
「逃さない」
 虚ろな瞳で冴子が言う。それを冷静に見据えながら、恭司は、同スキルで距離を取った。
「――恭司?」
 その時、そこへ彼の顔見知りから、声がかかった。
 それは友人の樹月 刀真(きづき・とうま)の声だった。
 散策途中に辺りの喧噪に気がついた彼が、その場へ姿を現したのである。
 だが恭司は決意していた。
 ――例え知人・友人が来ても油断せずに対応しなければ。
「信用していない訳じゃない。だが今は、キミも下がっていてくれ」
 恭司が叫ぶと、暫しの間迷うように瞳を揺らした刀真だったが、彼は頷いて踵を返した。
 それを確認してから、恭司は息を飲んで、拳を握る。
 冴子がすぐ側へと迫ってきていた。
「追いつかれたか――……だがな、このままやられるつもりはない」
 刀真が待避したことを確認した後、恭司は、冴子の足を潰した。
「う、ああああ――!!」
 女医の悲鳴が辺りに響き渡る。
「悪く思うな」
 恭司は青い瞳を細めると、近場に転がっていた得物を手に取った。
「生き残らなければならないんだ――っ」
 冷静な瞳に、何処か悲痛そうな面持ちを浮かべて、彼は転がっていた鉈を、冴子の心臓を狙って振り下ろした。女医の目が見開かれる。
「これで、急所は潰したな」
 人体の構造を脳裏に浮かべながら、恭司は動かなくなった冴子の肢体を一瞥する。
 見開かれた双眸には、まだ生きているような眼球がはまっていて、虚空を見ていた。
 それを確認してから、恭司は踵を返す。
 ――だが。
「どうやら死人になると、この程度では、害が無いみたいね」
 唐突にかかった言葉に、恭司は目を見開き、体を硬直させた。
 その首に、冴子の両手がかかる。
「私の餌になって貰うわ」
 そんな声を彼が認識したのとほぼ同時に――恭司の首筋に、鈍い痛みと冴子の唾液が滴ったのだった。


「騒がしくなってきたな」
 鎮守の森――その木の枝の上で、片膝を立てながら氷室 カイ(ひむろ・かい)が呟いた。
 膝の上に効き手を乗せて、彼はルナ・シュヴァルツ(るな・しゅう゛ぁるつ)を纏った状態で、紅い瞳を地上へと向ける。
 ――やはり、夜が『死人』の活動する時間なのだろう。
 そんな事を考えてから、カイはブナの葉の合間から見える星空へと視線を向けた。
 何事もなければ、この村は、長閑な良い村である。
「少しは寝ておいた方が良いのではないか?」
 未だ就寝時間には少しばかり早かったが、ルナは、カイを気遣うようにそう言った。
「眠るのは危険だ。だから起きて周囲の警戒をしながらにしようと思う」
 その声にルナが、同意するように吐息した。
「確かに、契約者とて信用は出来ない。誰にも気を許さず細心の注意をはらっておこう」
「そうだな。それに、少しでも何か調べた方が良いだろう」
 カイが言うとルナが同意する。
「何かを探すのなら我のスキルが役に立つだろう」
 二人がそんなやりとりをしていた、丁度その時のことだった。
「誰か助けて――!」
 山場仁が、林の中を走ってくる。
 中学生の彼は、無我夢中に助けを求めて泣き叫んでいるようだった。
 格好いい外見に反せず、情に厚い性格をしているカイはその光景に息を飲む。
「カイ――罠かも知れないぞ」
 普段は無口なる彼が冷静にそう言ったが、カイは頭を振った。
「そうだとしても――子供が襲われているのを見捨ててはおけない」
 そう告げたカイは枝から飛び降りると、走ってきた仁と、追いかけてきた貴宮 夏野(きみや・なつの)の間に立った。
「う、あ――生気……」
 まだ死人になったばかりである夏野が、虚ろな瞳をカイ達へ向ける。
「ここは、俺がどうにかするから、逃げろ」
 その声に、仁が頷いて走り出す。
 カイに纏われているルナもまた、神経を集中させた。
 それを意識しながら、冷静にカイが夏野の足を狙う。
 鈍い音が辺りに谺した。
 ――最悪足さえ切り落とせば死人だろうが生者だろうが追って来られないだろう。
 彼のそんな考えは的を射ていたようで、夏野はその場へと蹲った。
 ――アンプルは切り札として置いておくか。
 そんな風に考えながら、ルナを纏ったカイは走り始める。
 そうして暫く走った時の事だった。
「――?」
 目の前に現れた水島 慎の姿に、カイが足を止める。
「……処理をしないと」
「何?」
 聞き取れなかった慎の声に、眉を顰めてカイが聞き返す。
「弥美様の命令だから――遺体の処理をしないと」
「!」
 ――死人だ。
 そう理解したカイは、地を蹴って待避する。纏われたルナが辺りを警戒して、神経を集中させた。
「っ」
 ――だが。
 カイが着地したその瞬間、小嶋 咲が、彼の手を強く引き、その腕にかぶりついたのだった。瞬間、全身の力が抜けていく事を、カイは理解した。
 ――嗚呼、コレが『死人』になると言う事なのか。
 漸く合点がいったその事実を、けれど彼は誰にも伝える事が出来なかった。