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■3――一日目――20:00


 そろそろ夜が深まってくる。
 それは、死人の時間が訪れた事もまた意味していた。
 アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)は、民宿・ハナイカダにある借りの自室の一角で、ウルミと呼ばれる鞭のように扱う剣を片手に、疲れたような顔を窓の外へと向けていた。
 武器の調子を確認する。
 褐色の骨張った大きな掌が、外郭を覆うように取り付けられた、細くも洗練され頑強なダマスカス鋼製の細棒に抵触する寸前まで、剣の柄を握りしめる。
 ――これを用い、勢いをつけて、死人の首を刎ねるのである。
 ウルミとは、インドの武術――カラリパヤットで使われる柔らかい鉄で作られた蛇腹状の長剣だ。本来は、肉を切り裂くのに十分な鋭さを持っているが、タイトコイルのように巻きつくのに十分な柔らかさはないとされている。だが、アクリトの手にする得物は、死人の皮膚へと相応に密着した後、その首を骨ごと切断する程の威力を持っていた。
 一般にフレキシブル剣に分類されるウルミの柄には、外部装置がついている。
 此処へ来てから、既に彼は幾人もの『死人』の動きをコレで止めてきた。
 頭部を切断する事で、一時的に死人の動きを止める事が出来るのだ。
 しかしそれだけでは、完全に屠るには至らない。
 決定的な策は未だ無かったし、果たしてそんなものが存在するのかも、アクリトは知らなかった。だからこそ恐らく秘祭のみが、その可能性を持っているのだろうと思案する。
 ――その時、部屋をノックする音が響いた。
「……はい」
 僅かに身構えつつも、己の武器を用心深くしまいながら、アクリトは返答した。
 するとそこへ入ってきたのは、トリニティだった。ラスト・ミリオン(らすと・みりおん)を纏い、奈落人のグリード・クエーサー(ぐりーど・くえーさー)が憑依した状態の、ナイン・ルーラー(ないん・るーらー)である。
「今、時間はあるかな?」
「嗚呼。なんだね?」
「村の人たちに直接聞き込みをしようと思って、昼間、商店街の方を歩いてきたんだけど」
 状況を説明しながら、ナインは、酒店で会った井藤 礼夏の事を思い出していた。


 井藤 礼夏は、酒店の娘であり、秘祭の手伝いにかり出されて、ここの所神社や山場本家に度々出入りしているとの事だった。
「村のみんなも続々と帰ってきてくれているし、良い人ばかりですよ」
 それとなく山場弥美について尋ねたナイン達に、幼い頃からこの村で育ってきたという彼女は、朗らかな笑みを浮かべて言った。
「――だけど、死人が村に溢れかえっているみたいですが……」
 ナインが声を潜めて訊く。すると礼夏が、視線を落とした。
「聴きました……正直、私も、弥美さんの事が少し怪しい気がしているんです――あ、だけど、手伝いに来て下さってる弁天屋 菊(べんてんや・きく)さんも、都会から戻ってこられた山場愛さんや山場敬さんも、怪しい所なんか全然無いから……本家の人や関係者の方が、みんながみんな死人ってわけじゃないみたいです」


「というような、話しをしたんだ。もしかすると、彼女が言う通り、本家の人間皆が怪しいわけじゃないのかも知れないし、誰が『死人』なのか、特定を急いだ方が良いような気がするんだよね、僕は」
 調査結果を報告したナイン達を見て、アクリトが静かに頷いた。
「有難う。心にとめておこう」
 同意した元学長に、頷きを返してトリニティは、部屋を後にした。
 それから暫く歩く。
 民宿ハナイカダの廊下には、様々な武具が展示されていて、こんな状況でも無かったならば、鑑賞するのも悪くないように思えた。特にナインは、冒険や探索を好む陽気な性格をしていたから、ある種宝箱の中身を眺めているような気分になってすらいたかも知れない。
 その為か、無意識に、壁に備え付けられた展示用の機具に手が伸びる。
「――痛っ」
 すると木の端が、僅かに裂けていたようで、ナインは指に小さな傷を作った。
 紅い血が、ポタリと床に垂れる。
「大丈夫ですか?」
 そこへ通りかかった鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)が声をかけた。
「丁度絆創膏を持っています。良かったら、これを」
 ナインの指先の傷へと手を添えてから、真一郎は絆創膏を取り出した。
「あ、有難うございます」
 瞬間ナインは、なんとはなしに、体に気怠さを覚えた気がした。
 日中の間断無い聞き込み故に疲れてしまったのだろうかと、一人考える。
「あれ、どうかしたんですか?」
 その時、料理の用意で辺りを駆け回っているらしい、民宿の少年山場仁が声をかけた。
先程林の中で襲われそうになっていた彼ではあったが、少年なりに自分に与えられた仕事はまっとうしようと尽力しているらしい。
「嗚呼、丁度良かった、何か飲み物をもらえないかな」
 ナインがそう声をかけた時、不意に目眩にでも襲われるように、真一郎の体が傾く。
「大丈夫?」
 驚いたナインの声に、仁を視界に捉えないようにする風にして、真一郎はきつく目を伏せた。
「――いや……子供までこんな状況に巻き込まれると考えたら、不憫に思えてね」
 飲み物を取りに走っていく仁の足音が、遠ざかっていく。
「死人の能力がよく分からない。飢えに侵されているだとか……」
 呟いた真一郎は、迷うように瞳を揺らした。
「生者から死人にならない程度に生気を貰う――そういう事は出来ないのだろうか?」
 ――例えば、複数人から少しずつ奪うことは難しいのだろうか。
 内心で真一郎がそんな事を考えていた時、不意にナインの体が揺れた。
「どうかしたのか?」
「――……生気が……生気が欲しいんだ」
「っ」
 ナインのその様子に驚いた真一郎は、慌てたように、相手の体を床へとねじ伏せる。
 すると衣服の内側に、アンプルが見て取れた。
「すまない」
 真一郎はそう呟くと、ナインのアンプルを奪取し、立ち上がった。
 床に伏した状態のナインは、何処か虚ろな瞳で、周囲をぼんやりと見ている。
「……俺は何とか、事態を見極め、上手い対処が思いつくよう、神社でも散策してくるか……嗚呼」
 ナインにとどめを刺すような事はせず、真一郎はその場から姿を消した。


 その頃、生家である六角寺まで戻ってきた六角要は、鎮守の森を走る過程で汚れた額を、手の甲で拭っていた。
 ――疲れた。そもそも、呼び戻されて戻ってきただけだって言うのに、どうしてこんな事にまきこまれなきゃならないんだよ。
 そんな思いで彼は、境内の柱に背を預けると、煙草を口にくわえた。
 深く肺を煙で満たしてから、星の見えない暗い空に向かい、それを吐き出す。
「寺で喫煙なんて不謹慎なことをしてるから、こういう目に遭うのかもな」
 我ながら不信心だと自覚した彼は、取りだした携帯灰皿に、途中まで吸った煙草を入れた。そうした所で、神や仏が自分を助けてくれると思ったわけでは無かったし、一服することで心を静める方が、余程今後の行動指針を決める上で、冷静になれるような気もしたが、ひとえに気分の問題だった。
「僧服って事は、キミ、このお寺の住職さん?」
「わッ」
 そこへ唐突に声がかかったものだから、要は驚いて、携帯灰皿を取り落とした。
 無意識に、手首につけた数珠へと指先が伸びる。
 現れたのは、ニコ・オールドワンド(にこ・おーるどわんど)だった。
 その姿に深呼吸しながら、要は灰皿を手に取り、懐にしまう。
 ボサボサの銀髪を揺らして笑っている少年は、光学迷彩で姿を隠しながら、この寺でアンプルの効果を確かめていたらしかった。
「何やってるんだ?」
 しゃがみ込み、虫に向かって、アンプルの中身を少量注射しているニコの横に立ち、要が首を傾げる。
 ――自分のアンプルを、村の動物・虫に微量ずつ与えて観察している。
 それが真実だったが、他人の生死には興味がない彼は、ただ肩を竦めて笑って見せた。
「シーカーに貰ったアンプルに似たものを作り出せたから、ちょっとね」
「え? 何だって?」
「本物と、僕が作ったものの効果を比較してるんだ」
 全くの口からの出任せだったが、その声に、驚嘆するように要が頷いた。
「すげぇな……それで、どんな効果があるんだ?」
「ええとね、ちょっと待ってね――あ、その前に目を閉じて貰えるかな」
「なんでだよ?」
「――肩に毛虫が付いてる」
「ぎゃぁア!!」
 じたばたと暴れた要は、結局自分の手では毛虫を見つけることが出来ず、おずおずと目を閉じた。
 瞬間、ニコが足払いをかける。
「……え?」
「嘘だよ。丁度良かった、弱そうな村の人探してたんだ」
 後頭部にはしった鈍い衝撃に要が瞠目していると、その露わになっている首元に、迷うことなくニコが、注射器を突き立てた。
「……」
「気分はどう?」
 頭脳明晰な少年であるニコは、くふふと、どこか陰気な様子で笑った。その利発さを瞳に宿しながらも、何処か不気味な少年死霊術士に対し、体格ではまさる要だったが起き上がれない。体力的には、ヒキコモリ故に細身のニコの体躯をはねのけることは、そう難しいことでは無かっただろうが、漂う空気がそれを許さないようだった。
「……いや、別に変化は何も感じないけどな」
「ふぅん。やっぱり、シーカーの渡したアンプルは、本当に『死人』にだけ、効果があるのかな」
「って、お前今、虫に指した注射器で、そのまま俺を刺したよな? 変な病気になったらどうするんだよ!」
「さぁ。自己責任だと思うけどね」
 愉悦を含んだ表情で笑うニコを見ていて、要は頭痛を覚えた。
「もう俺、ヤだ。早く帰りたい……」
 要が思わずそう呟いた時、嫌な音が辺りに谺した。

 ――ザシュ。

 何かを切断するような、そんな音だった。
 続いて何かが、落下していく気配がした。
 目を見開いた彼は、何度か視線を左右に動かしてから、息を潜めて、寺の裏手へと足を進める。そこには、閻羅穴と呼ばれる、一度落ちるとあがっては来られない大穴があるだけのはずだった。
「!」
 顔を向けていると、血飛沫が跳んでくる。
 慌てて姿を隠した時、その穴の方へ、ふらふらと歩いていく人影が見えた。
 黒崎 天音(くろさき・あまね)である。
「あれは……『死人』か? それとも――」
 朦朧とした様子で微笑しながら歩いている天音の様子に、要が目を細める。
「恐らく死人だ」
「っ」
 そこへ唐突に声がかかった。瓜生 コウ(うりゅう・こう)である。その傍らには、ロイ・グラード(ろい・ぐらーど)常闇の 外套(とこやみの・がいとう)の姿もあった。
「吃驚させないでくれ――どうして此処に?」
「生者であることを証明する為には……嫌、夜の安全を確保する為にこそ、固まっていた方が良いと思ったんだ」
 コウの言葉に、要が嘆息した。
「俺には、二人が生者か分からない」
「それは俺達も同じだ――が、アンプルを持っていたニコと、それを注入されて無事な要は恐らく生者だ。違うか?」
 ロイがそう告げた時、丁度閻羅穴へと向かう新たな人影が見て取れた。
 宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)同人誌 静かな秘め事(どうじんし・しずかなひめごと)、そして那須 朱美(なす・あけみ)である。
「彼女達も死人でないかと考えている」
 コウが続けると、要が腕を組んだ。
「さっきこちらさんはアンプルの効果を確かめていたみたいだし、そちらの二人は、フィールドワークの教授先生と一緒に来た奴らを疑ってる、って事か……ようするに学者先生が怪しいわけだな」
「だからこそ、相応に信用できる人間で、まとまっていた方が良いと思うんだ」
 コウが言うと、後頭部で手を組み、ニコが曖昧に笑った。僅かに猫背気味である。
「正直、僕は団体行動とか興味ないんだけど――ただ、アイツ、シーカーが信用できない事には同意だよ。何事も正直には話さないだろうし、自分で探るしかないね。何より、良いように使われて裏切られるのはもう嫌だ。その点だけでは、利害が一致しないわけじゃない」
 その声に、要が頷いた後、首を傾げた。
「裏切られるって言うのは、俺はよく分からないが、兎も角今は生き残ることが重要だと思う。兎に角今夜を乗り切る術を考えないとな――確か、お前は『狂人』だったよな?」
 要はそう言うと、ニコを一瞥した。
「うん、そうだよ」
 再び口からの出任せを告げ同意した彼は、そう言えばこの住職が、己を『探求者』だと言っていたことを、不意に思い出した。そもそも狂人と告げたこと自体が嘘なのだが、この僧侶は、狂人の意味を分かっているのだろうかと、ニコは考えた。狂人とは、嘘しかつかない者の事である。『狂人である』というそのこと自体が、そもそも場の空気を見て適当に発言した嘘であるのだと、気がついているのか。それとも本当に、『役職者通知』というものが存在し、要はそれを受け取ったのか。聡明な少年は、暫しの間逡巡する。
 その様子を一瞥しながら、コウが言う。
「寝る時はなるべく一箇所に纏まって、くじ引きで選んだ最低5人程度の不寝番を立てる事を提案したい」
「悪くないんじゃないか」
 要が言うと、コウが続けた。
「クジは、『人間』である『共感者』が作るというのはどうだろう。――死者はモノにすぎないかもしれないので、スキルが機能しない可能性もある。だから、ディテクトエビル等は機能しない可能性がある」
「悪い、俺はディテクトエビル、無いわ」
 要が言うと、コウは頷いた。
「まぁ、反応がなくとも油断せず不寝番の際は壁を背に、SPリチャージで気力を補って数日眠らずいられるならそうしようと思うし、実際の遣り方は、クジを引いてから考えても遅くはないだろう」
 コウの声に、外套が笑う。
「俺様がいる。俺様は援護だ。ディテクトエビルやら殺気看破を使って周囲の気配を察知して、戦うなり逃げるなりするぜ。相棒がノクトビジョン装備してるし、闇術で周囲を暗闇にしちまうってのもいいかもなァ」
「確かに安心だな。そうだな、最低五人――今此処には、丁度五人いるのか」
 要がそう言い、顎に手を添える。
「ちょっと待ってよ、僕は同意するとは言っていないし、瓜生とグラードが生者かもわからない」
 ニコが言うと、コウが頷いた。
「その通りだな――ロイ、今から2人で自分のアンプルを自身に注射しないか? そうすれば、人間としての信用を、より得られる」
 再度コウが、ロイに対して提案した。アンプルを貰った直後にも、一度提案しているのである。
「なるほど、そりゃ良いな」
 納得したように要が頷く。
 その前で、ニコは合点がいったように腕を組んでいた。
 六角要が何を考えているのかは兎も角――瓜生 コウ(うりゅう・こう)は、少なくともロイ・グラード(ろい・ぐらーど)を心から信用しているわけではないのだろう。聡明な少年は、端正な面持ちのコウの黒い瞳が、意地悪く光る所を見逃さなかった。
 ――役職者通知がある、そう嘯くことを利用して、『死人』をあぶり出そうとしていたわけだね。
 ――仮にこの推測が間違っていないとするならば、少なくとも瓜生は、死人ではないはずだ。
「僕も『狂人』ポジションにいる人間として、気になるな」
 ニコはそう述べると、頬を持ち上げた。
「それはできない」
 だが、その時、きっぱりとロイが、コウの提案を否定した。
「『役職者通知』は、嘘だ」
「――……死人、なのか?」
 コウが尋ねると、双眸を伏せ、ロイが首を振る。長い髪が静かに揺れた。
「コウの生死を確かめたかったんだ。コウも同じだろう? ――その言い分から、俺はコウが生者だと信用する。だからこそ――無駄にアンプルを消費したくない」
「確かに、効果を確かめるのは、ニコがやっているわけだし、無駄打ちにならなくもないよな。信用できないが」
 要が目を細めながらそう言うと、ロイが顔を上げた。
「ああ。他に、有効に活用できることがあると思うんだ」
「例えば?」
 コウが訝しげにそう言うと、ロイが閻羅穴の方へと視線を向けた。
 そこには夜道を歩くアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)の姿がある。
「ここにいる皆は、アクリトに対して不信感を持っている。俺は、アクリトが死人か否かを判断する為に、互いにアンプルを打つことを交渉してこようと思うんだ」
 彼らがそんなやりとりをしていると、そこへ軽快な声が響いてきた。
「『やぁ、住職』」
「あ、お前は昼間会った――」
 現れたのは、鏡 有栖である。
 有栖は日中、村の様々な場所を訪れていて、その時に要とも遭遇していたのである。
「待って下さいよぅ」
 彼女の後を追うように、井藤 礼夏もまた寺を訪れた。彼女も、日中酒店の手伝いをしている折に、有栖に遭遇した一人である。
 有栖は、とても口が上手い。
 その言動に心を許し、共に行動する事を決めた人間もいるらしかった。彼女を信用している一人には、要もいる。
「『死人と人間を見分ける方法を見つけたのじゃ!』」
 有栖のその声に、一同が驚いたようにして視線を向けた。
「『占い師――予言者だから確実っすよ!』」
「それはもう、嘘だって事になったんだ」
 ロイが目を細めるが、有栖は構わない。
「『死人は、煙草の煙を吸うとだな……』」
「煙草?」
 意外な言葉に、要が懐から煙草を取り出す。
「『お主、それを吸うが良い』」
「お、おぅ」
 頷いた彼は、ボックスの箱から一本取りだし、フィルターを銜えた。カチリと、オイルライターで火をつける。暗い夜空の下、紫煙が静かに立ち上り始める。
「『死人は、煙に晒されると、鼻の頭に血管が浮き出るのですわ!!』」
「ま、まさか……!?」
 その声に、狼狽えたように、礼夏が両掌で顔を覆った。
 顔色を変えた礼夏の隣では、呆れた様子でニコが鼻の頭を撫でる。
「そんな馬鹿な……」
「『ハハッ、嘘に決まってるでしょー?』」
「そうだと思ったよ」
 何の変化もない鼻梁を傾けながら、ニコが苦笑混じりに吐息する。

「『でも、嘘に引っ掛かったマヌケもいるようですの』」

 ニコは、静かに響いたその声に、ハッとして礼夏を見た。
「そ、そんな――……嘘だっただなんて」
 狼狽えた様子の彼女に出来た隙を見逃さず、有栖は注射器を手に取り、アンプルの中身を礼夏へと注入した。
 瞬間、彼女の体が瓦解する。
「『汝は死人なりや?』」
 そう言って喉で笑った有栖の姿を、一同は驚いたように見据えたのだった。


「なんだか騒がしいようだな」
 閻羅穴に、死人の遺体を放り込みながら、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)が呟いた。
「見てきましょうか」
 宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)がそう言うと、アクリトが首を振った。
「私が行く。ここは頼んだ――信用できる相手は少ないからな」
 僅かに笑ってからそう告げ、アクリトは歩き出した。
 暫し進む。
 すると、茂みの影で、ユウガキクを熱心に見つめている多比良 幽那(たひら・ゆうな)の姿が、アクリトの視界に入った。
「ここでなにをしている?」
「あら、教授」
 植物学のフィールドワークに訪れた彼女は、顔を上げると首を傾げた。綺麗な緑色の髪が揺れている。
「植生調査に来たの」
「……この時間まで、か」
「嗚呼、もう夜なのね。熱中してしまって」
「宵の刻限は死人の活動が、最も盛んになる時間のようだ。君も早く、宿に戻った方が良い」
「死人? よくわからないけど、私にとっては植物が一番大切なの」
「その意気は、かうが……早く戻りたまえ。契約者は、パートナーの一人でも死人になれば、準じて死人になる。逆も同様だ。君が死人になれば、君のパートナーも皆死人になる」
 アクリトはそれだけ言うと、声が響いてくる寺の方へと向かい歩き出した。
 幽那は端正な唇を指で撫でながら、その後ろ姿を見送る。
 ――パートナーロストが関係しているのだろうか?
 そんな事を思案しながらも、彼女は言われた通りに、荷物をまとめて山を下り、宿へと戻ることにした。
「帰るわね」
 そして、伴ってきたアッシュ・フラクシナス(あっしゅ・ふらくしなす)へと声をかける。彼女は、キャロル著 不思議の国のアリス(きゃろるちょ・ふしぎのくにのありす)の事を心配しているようだった。
「そうだな――それにしても、アリスはどこに行ったのか……」
「私達が未だ無事なのだから、大丈夫だと思いたいけどね」
 死人について、何処か半信半疑といった様子で幽那が言う。
「所で、帰蝶は?」
 幽那は、織田 帰蝶(おだ・きちょう)の事を思い出しながら呟いた。
「宿に帰って眠っているのではないか?」
 アッシュが言うと、少し考えるように瞳を揺らしてから、幽那が頷いた。
「それもそうね」
 何せ、帰蝶は、惰眠を貪ることが何よりも好きな、ニートである。
 こうして二人は、山を下りることにした。

 実際、二人の推測は的を射ていた。

 帰蝶は、宿の一室で、寝台に体を預けていた。
 民宿・ハナイカダ
 その角部屋で、彼女はシーツにくるまり、安眠していた。
 唐突にその部屋の扉が破られたのは、すぐ後のことである。
「生気……生気を得なければならないんだ、僕は」
 入ってきたのは、ナイン・ルーラー(ないん・るーらー)である。――トリニティだった。ラスト・ミリオン(らすと・みりおん)を纏い、奈落人のグリード・クエーサー(ぐりーど・くえーさー)が憑依した状態の契約者である。
「生気を……」
 彼の手が、帰蝶へと伸びる。
 だが、彼女は目を覚まさない。
 廊下にあった鉈を手にしていたナインは、それで帰蝶の腕を僅かに傷つけると、そこに掌を宛がった。そうして生気を吸い取る。
 ――こうして、新たな『死人』が、増えたのだった。


「何をして居るんだね?」
 その頃、多比良 幽那(たひら・ゆうな)達と分かれたアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)は、六角寺へと訪れていた。
「『う……』」
 丁度その時、鏡 有栖が、まるで吐き気を催したように、口元を覆った。
 それは目の前で、体が崩れた井藤 礼夏を見たからなのかも知れない。
「丁度良かった。こちらから、出向こうと思っていたんだ」
 彼の姿に、ロイ・グラード(ろい・ぐらーど)が微笑する。
「――大丈夫か?」
 アクリトとロイを後目に、六角要が有栖に声をかける。
「『全然平気。大丈夫』」
 気合いとノリ、それらで理性を保っているような様子で、有栖が笑う。
「『――なんてな! やっぱり無理かもしれん! ちょっと向こうで休んでくるわ』」
 死人とはいえ、人一人屠るというのは、相応な重圧を精神に与えるものなのかもしれない。
 頷くと要は、有栖を見送った。
 彼女はふらふらと、ブナ林の方へと歩き出す。
 それには構わず、ロイが、瓜生 コウ(うりゅう・こう)ニコ・オールドワンド(にこ・おーるどわんど)をそれぞれ一瞥してから、決意したように口を開く。
「アンプルの効果が不明だ。死人に効果があると言うものの、実際にそれを確認したわけではない。そこで俺とアクリトが互いにアンプルを打ちあい、アンプルの効果の証明と、生死の確認をしたい」
「……私は、別に構わない。だが、断っておくが、私は既に、アンプルを打っている」
 アクリトはそう告げると、腕の注射痕を見せた。
「複数回の使用で害になるわけではないが、アンプルの無駄な消費になること、覚悟の上で言っているのであれば、構わない。それに、互いに――とは、要するに、私が持っている物と、君が持っているものを相互に打つと言うことか? 必ずしもその点には同意しかねる。私にアンプルを打つのは勝手だが、私は自分の分を無駄に消費したいとは思わない」
 その言葉に、ロイは、少しだけ考えるそぶりをした。
「確かにそれはそうだが――自分で自分に行うのは誤魔化す可能性がある。それに俺は、義手なので自分の腕に刺すことが出来ない」
 ロイがそう告げると、周囲に暫しの間沈黙が降りた。
「そう言うことなら、俺のアンプルを使うか?」
 見守っていた要が言うと、ロイとアクリトが揃って視線を向けた。
「教授先生は、自分の分を無駄にしたくないんだろ? で、俺は先生が持ってる奴が偽物じゃないって知らないけどな、自分が持ってる分は、少なくとも貰ったままの状態だ。だから、教授先生が俺のアンプルをロイに打って、ロイが自分のアンプルを先生に打てばいいだろ」
「それならば構わない」
 アクリトが頷くと、要がアンプルと注射器を差し出した。
 それを見守りながら、ニコが尋ねる。
「ねぇ、シーカーはこの村で、一体何をしたいの?」
 その言葉に、アクリトが簡潔に応えた。
「永遠になる瞬間を見たい」
「要するに、今、秘祭を阻止する気はないんだね」
「否定はしない」
 アクリトのその言葉に、ニコが腕を組んだ。
「所で――人間にもれなくアンプルを配ったみたいだけど、それってさ、人間と死人をシーカーが把握しているって事かな? 又は、死人にもいくらかアンプルが渡っているのかな?」
「――……ここまでの私の調査で、死人は日光に弱い事が分かっている。だがそれを今君達に、論理立てて証明する術は持たないが」
「結局さ、君はどちらの味方なの?」
「味方?」
「現状はどっちつかずに見えるよ。寧ろ、やや死人寄り、か? 本当に人間を案じるなら追い返せばよかった。大量のアンプルは人に渡さず、自分で使えば良いはずだよ」
 ニコのその言葉に、思案するようにアクリトが顔を歪める。
「僕たち契約者が、敢えて村へ行くのを黙認したのは理由があるのか? 秘祭に関係している?」
「――それは、そう思われる事は、当然だろうと考える。だが、ここに集まった者の来訪理由を、私は何も知らない。山葉君は兎も角、な。恐らく彼だけは、この村の人間に呼び寄せられたのだろうと思う。端緒は、私がこの事実に気がついた契機においては、こうした事態になるとは想定していなかった。嗚呼――単なる、科学的病いが蔓延しているのだろう事と、後はパルメーラの意思を尊重したかったに過ぎない」
 アクリトが言う山葉 涼司(やまは・りょうじ)と、パルメーラ・アガスティア(ぱるめーら・あがすてぃあ)の名に、ニコが目を細める。
「だったら、死人の――『手遅れの者』とは? 死人にはアンプルが効くはず……、キミを信用するとすれば、それは前提として、否定できない。――死人にも段階があるって事? 一定を越えると効かなくなるとか。それに結局、この村って何なんだろう。――閻魔、制止、遮止等……『山』の説も。色々と考えられるけど、黄衣の王がいたりして」
「非科学的だとは一概に言い切れないが――そうだな、嗚呼……段階があるのは、否定できない。私は、このアンプルを用意するに辺り、死人の協力を得た。単純に、肉体を滅する事に重点を置くのであれば、このアンプルは、いかなる段階の死人にも効果を発揮する。それは、保証しよう。だが既に死した彼らにおける、『死』。それは私達が持つ概念とは異なる――何を持って『生きている』とすべきなのか。それを考慮した時、仮に精神に宿りし何かへ着目するとしたならば……このアンプルに浸る液体は、必ずしも死人に安寧はもたらさない」
 そう述べてから、アクリトは服の袖をまくり、ロイの前へと腕を差し出した。

 ――契機だ。

 内心ロイはそう思い、彼の腕を手に取った。
 そして、非物質化していた機晶爆弾を露見させる。
「!」
 その光景に、ニコがいち早く気がついて声を上げる。
「逃げろ!!」
 少年のその声に、要とコウが距離を取ってから、林の中へと向かい走り始める。
 要は逃げる間際、強引にロイの手からアンプルを再び奪取する事を忘れなかった。
「非物質化か」
 悟っていた様子で、アクリトが双眸を細めた。
 しかしこの距離では、逃れることは難しいだろう。
 そう判断したロイが、自爆を決意する。
 だがこの一日の間に、未だ生気を得ていなかった彼は、その前に、アクリトの生気を無意識に求めていた。だが、生気を吸う為には、相手の体に傷がなければならない。
その思考の僅かな逡巡の間。
「させるかッ」
 そこへ凛とした声がかかった。
 本当に僅かと言える時を挟んで、ロイが自爆する。
 間一髪、アクリトの体を引き寄せ、その爆風から彼を庇ったのはクレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)だった。クレアは、影からアクリトの事を監視し、同時に守っていたとも言える。
 彼女はその歴戦の経験から、爆破による攻撃を予測していたのだった。
 辺りに立ちこめる煙の最中、常闇の 外套(とこやみの・がいとう)の体を拘束し、ハンス・ティーレマン(はんす・てぃーれまん)がアンプルを注射する。それは効果を確かめる為だった。瞬間、外套の体が瓦解し、溝が走った体からは、スライム状の液体が漏れ始める。
 一方、爆撃を直接くらい、四肢が霧散したロイの体は、肉片か次第に集まり、再構築されていった。
「なるほど――アンプルを直接用いなければ、再生するようですね」
 直後、四肢を取り戻したロイの姿に向かい、ハンスが呟いた。
 そのままロイと、液体と化した外套は、林の中へと消えていく。
「クレアさんの予測通りでしたね」
 パティ・パナシェ(ぱてぃ・ぱなしぇ)がそういって、クレアの端正な顔を見上げた。
 ――昼間から、クレアは警戒していたのである。

「私が死人なら、人が集まっているところに入り込んで、自分ごと爆薬で吹き飛ばすな」

 その第一位目標は、アンプルが真だとした場合、それを製造するアクリトだろう。
 そんなクレアの推測と言葉を思い出しながら、パティが微笑んだ。
「言ってましたよね。人が集まるなら集まるで。死人さんはそれに対処してくるって。それなら。こっちも『人が集まる場所で死人がやりそうなことに備えておくこと』が必要なんだって」
 その為、日中の彼女達は、罠の捜索と解除に明け暮れていたのだ。
 特に人気の多い所で、爆弾や罠が仕掛けられる事が無いよう、トラッパーや破壊工作、そしてディテクトエビルなどを駆使して、警戒をしていたのである。無論それは人混みにとどまらなかった。アクリトの周囲に対しての気配りも怠ってはいなかったのである。
「ポイントはとにかく、『我が身を省みず大量に人間を殺すにはどうするか』という点でしたよね?」
「ああ、そうだな」
 頷いたクレアは、アクリトを助け起こすと嘆息した。
「大丈夫か?」
「嗚呼。助かった――流石、国軍から派遣されてきただけの事はあるようだな」
 アクリトの声に、クレアが小さく笑み、吐息した。
「兎も角コレに懲りたのであれば、手間を増やしてくれるな。一人歩きは危険だ」
「――そうかもしれんな」
「かもではない。そう、なんだ。逆に言えば、一人歩きをしている人間は、怪しい」
 クレアはそう言うとエイミー・サンダース(えいみー・さんだーす)を一瞥した。
 彼女は本日、一人で行動している人間の監視をしていたのである。
 ――自発的に単独行動を取ったのは誰か。
 それを調査していたのが、エイミーである。
「全く。気をつけてよね」
 彼女のその声に、アクリトは微笑してから、しっかりと地に足をついた。
「今後は、気を配るとしよう――有難う」
「これは職務だ。礼を言われる覚えはない。だが――受け取っておこう」
 クレアはそう言って、少しばかり口角を持ち上げて微笑んだのだった。
「君達には、ついでに――閻羅穴の様子を見ておいて欲しい。あの場所は、『死人』を葬るにはうってつけの場所だからな」
「心得よう。だが、我々の任務は、この村の調査が基本だ。いつも貴方を護衛できるわけではない」
「分かっている。――助かった」
「ここは『ヤマ』の場か。つまり、嘘をつくと舌を抜かれるということだろう? その礼、本心からのものなんだろうな」
 揶揄するようにクレアが笑う。彼女は、ドイツに縁を持つ者だったが、博識により、東洋の伝承にも知識があり、詳しかった。
 これは、ヤマと閻魔をかけた軽口である。
 だが彼女の何気ないその一言に、アクリトは静かに息を飲んだ。
「――そうだな。君にも閻魔にも、舌を抜かれるような事はしないですごしたいものだな」
 そんなやりとりをかわしてから、彼らは別れた。


 爆破騒動から暫しの間。
 瓜生 コウ(うりゅう・こう)ニコ・オールドワンド(にこ・おーるどわんど)は、林の中を走っていた。
 六角要も一緒である。
「一体何がどうなって居るんだか……」
 コウの声に、煙草の弊害か体力がつきた様子で、肩で息をしながら要が声を上げた。
「兎に角逃げない事には――ここを抜けて、少し行けば、若宮神社がある」
「他の人達は何処に行ったんだろう」
 要同様息切れした様子ながらも、冷静にニコが言う。
「知るかよ。今は、他人のことより、生き残ることを考えないと仕方がないだろ」
 叫ぶように要が言った時、三人は、若宮神社へとたどり着いた。
 そこには工藤頼香の姿があった。
「どうしたの!? その格好」
 ボロボロの三人に対し、頼香は慌てたように駆け寄った。
「死人に襲われたんだ」
 コウが述べると、何度か頷いてから頼香が踵を返す。
「拭くものと、飲み物を取ってくるわね」
 それを三人が見送っていると、巨大な神木に背を預けていた鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)が、立ち上がった。
「苦労したようですね」
「死ぬかと思ったよ」
 ニコが言うと、彼は頷いて、それから手を差し伸べた。
「よく頑張りましたね。俺は、鷹村真一郎と言います」
 その手を取ったニコは、笑いながら、掌に感じた僅かな痛みに息を飲んだ。
「瓜生コウだ」
 続いて手を差し出したコウもまた、真一郎の掌から感じた鈍い痛み――違和感に、眉を顰める。
「――ああ、すみません。先程木材を弄ったものですから」
 二人の様子に、息を飲んで真一郎が手を引く。
 同時に彼は、ニコの姿を改めてみて、不意に顔を顰めた。
 コウとニコは、どちらともなく掌を眺めながら、体を硬直させた。
 そこには、小さな棘が刺さったようで傷口が出来ていた。同時に、そう、真一郎の掌を握ったその瞬間から、体を虚無感が襲ったように感じていた。
「このような事態になったこと、嘆かわしいですね」
 穏やかに言う真一郎は、続いて要に向かって手を差し出した。
 だが僧侶は、唐突に虚ろな瞳になったコウとニコを一瞥して、曖昧な作り笑いを浮かべる。
「悪い、手が汚れているから」
「気にしませんよ、こんな状況ですから」
「俺が気にするんだよ」
 朗らかに笑って見せた要は、ニコとコウから距離を取るように立ち上がる。
「生気……」
 その時、コウが呟いた。続いてニコもまた虚ろな眼差しをする。
「僕は、死者のよき友人、死者の王となりたい――そうだ、だから……危険な薬は処分しておきたいが、兎に角今は真偽を確かめたい。秘祭にも興味がある……けど、まずは――生気を……」
「やはり――……すこしずつ生気を得ることは出来ないのか……なんて事だ」
 真一郎が、泣くように呟いた。
 その表情を確認する前に、一目散に要は走り出した。
 此処へと辿り着いた林を避けて、石段を駆け下りていく。
「あれ? 皆さん?」
 虚ろな瞳の二人と、涙ぐんでいる真一郎の元へと、その時、頼香が戻ってきた。
「……」
 何も言えずに、真一郎は頭を振る。
「――一人、いないみたいね。逃げられたの?」
 実はとうに、真一郎と共謀していた、頼香が淡々と聴く。
「ああ……」
 ――本当は、死人になどしたくはなかった。
 そんな思いで、真一郎が唇を噛みしめる。
 その前で、虚ろな瞳のまま、コウとニコがふらふらと立ち上がった。
 生気を求めるように歩き出した二人を見送りながら、頼香が腕を組む。
「仕方がないわね……私が自分で、少し様子を見に行ってくるわ」
 彼女の声に、真一郎が顔を上げる。
「まだ貴方は、『人間』だと思われていた方が都合が良い事も有るでしょ?」
 頼香はそう告げると、たおやかな足取りで、神社の石段をおりていく。
 それを見送りながら、真一郎は唇を噛んだ。死人に協力する生者もいるのである。


 一人で石段を下りている頼香に、その時、駆け寄る者があった。
 各務ルイスである。
「嫌ぁあああああああ!!」
 頼香がわざとらしく絶叫すると、その前に山場仁が立ちはだかった。
 その姿に、ルイスは再び木々の向こうへと姿を消す。
「大丈夫ですか?」
「ええ……」
「俺の民宿にも、死人が出たんだ。多分、犯人は――鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)さんだ!」
 民宿に出た死人、ナイン・ルーラー(ないん・るーらー)の事を思い出しながら、直前に、まだ人であったナインと言葉を交わしていた真一郎のことを回想しつつ、仁が言う。
「! 彼なら、神社にいるわ!」
「本当ですか? 行ってきます」
 たいまつを持った大勢の村人と共に、仁が石段をあがっていく。
 俯いたまま、誰にも気付かれないように微笑して、頼香は村へと向かい歩みを再開しようとした。
 ――だが。
 社の方へと向かっていく大人達の後ろで、不意に仁が振り返った。
「……まさかとは思いますけど、頼香様は大丈夫ですよね?」
「ええ」
「アンプルはお持ちですか?」
「先程、死人に襲われた時に、割れてしまいました……」
 その言葉に仁は目を細めた。
 ――まさか。
 ――まさか、頼香様は、とうに死人になっているのではないのか?
「じゃあ、証明して下さい。疑って申し訳ないですが、それなら、割れた破片があるはずでしょう?」
 仁の声に、頼香が唾を飲み込む。
「どうしてそんな事を言うの? ――私は、村から逃げたい。けど逃げた後で起こる何がしかについて、気になるの。勿論そんなこと、私には関係ない。だからかどうかは知らないけれど、それでも逃亡を断念するかわりに、人間と死人の間で立ち回り、最後まで生き残りたいの」
 彼女のその声に、仁は何度か瞬いた。
「私を疑うの? 死人だというの? そう。そういう事なら、好きにすればいいわ。ファンの集いで死人を集めて此処に呼び寄せてやるんだから」
「頼香様……」
 彼女の不安を感じ取ったように、仁は視線を逸らした。
「……――俺も、上の神社の方に行きます」
 仁はそう言うと階段を駆けあがり始めた。
「若宮神社は、貴方は、俺達村人にとって心のよりどころなんです。だから、気を確かに」
 元々は、――誰かが私を死人だと思ってくれればしめたもの、そう考えていた彼女だった。アンプル一個を無駄使いさせられるかもしれないのだからと、死人を装って、他者に疑いの目を向けさせようと考えていたのが彼女である。
 ――最終的には生き残るのが目的だった。
 だからこそ、死人に関しての調査には積極的に協力しようと考えていた。
「アンプルは一本しかないし、死人相手に逃げることになったら雷術を目くらましにしたりして、なんとしても逃げ出さなきゃ」
 そう呟きながら、彼女は石段を下りていく。
 何故なのかその双眸からは、涙がとめどなく溢れてきた。
 理性では自身のその決断が最善で、正しいのだと言うことが、よく分かっていた。
けれど。
「どうして、こんな事になってるんだろう」
 彼女の消え入るようなそんな呟きが、空へと熔けていった。


「死人か!?」
 鋭い声が飛ぶ。たいまつに囲まれ、人々に追いやられた鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)は、山場仁の姿に目を細めた。中学生にしては幼い少年は、『子供』と呼ぶにふさわしい。
 元々の弱点が、『子供の相手』である彼は、目眩を覚えながら、立ち上がった。
「何を言うのですか、俺はただ、避暑に訪れただけで――」
 そう声をかけた瞬間、猛烈な吐き気に襲われて、真一郎はしゃがみ込んだ。
「じゃあどうして、宿に泊まってる人が、あんたと話した直後に死人になったんだ!」
 容赦のない仁の声。
 真一郎は、何か言おうとして唇を動かしたのだったが、上手く声が出ては来ない。
「別に俺は――……っ、誰かを殺そうと思った事なんて……」
 必死にそう言った彼だったが、村人も少年も、彼の声に聞く耳を持つ様子はなかった。
「死人だから、問答無用で襲ってくるんだろう!? だから、無差別に、みんなのことを襲ったんだろ!?」
 どうやら、少量ずつ精気を奪うことで、人々に害を与える量を減らそうとした真一郎のその行為自体が、裏目に出たようだった。
 途中で行為を止めた場合に関しては定かではなかったが、例え少量でも、生気を吸われた人間は死人になるらしい。
 だから、多くの者から少量ずつであっても精気を奪った彼の行動は、ただ死人を増やしただけであるようだった。
「食べる為なら、みんなを襲っても良いっていうのかよ!」
 仁の糾弾に、真一郎の心は痛んだ。
 ――何故、共存する道はないのだろう。
 情に厚い彼は、辛さを噛みしめながら立ち上がった。
「……良いとは思わない。だが、体が言うことをきかないのです」
 真一郎はそれだけ言うと、周囲の人混みを走り抜け、林の中へと姿を消した。


 その林の奧を、水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)天津 麻羅(あまつ・まら)が歩いていた。緋雨は、櫛名田 姫神(くしなだ・ひめ)を纏っている。
 日中の彼女達は、山葉 涼司(やまは・りょうじ)から聴いた情報を元に、村を散策していた。
 涼司から聴いた内容に沿った物や怪しい物に対して、罠の有無を確認しながら位置や地理の把握につとめていたのである。とはいえ、ひらけた場所は避け、遮蔽物がある所を選んでの移動だったから、このように林を進むことを余儀なくされていた。
「危ない!」
 麻羅が声をかけ、緋雨の体を唐突に突き飛ばした。
 気がつけば、それまで彼女が立っていた場所には、上から降ってきたと思しき斧が、地に突き刺さっていた。誰かが通ると、自動的に斧や鉈、鎌などが落ちてくるようになっているらしかった。直撃していれば、首が落ちていただろう。
 鈍く光る白い刃を一瞥しながら、緋雨が生唾を飲み込む。
 これまでにも死人対策なのか、何カ所かには、誰が仕掛けたとも知れない罠があった。
 他の木々にも仕掛けられているらしい罠に対して、姫神のスキル、トラップ解除を用いながら、緋雨は溜息をついた。
 それから、落ちてきた斧に対してサイコメトリを用いる。
 ――怖い。
 ――怖い、嫌だ、死にたくない。
 ――この村から逃げ出したい、悪いのは山場の奴らだ、ダムになんか村を沈めて、秘祭を行わなくなったから、きっとそうに違いない。
「どうじゃ?」
 麻羅の問いに、緋雨が曖昧に首を振る。
「事実か妄想か分からない。ただ、仕掛けた者は、怖がっていたみたいね。多分、この罠に似たものが林中に仕掛けられているようだから、だから至る所に武器になりそうな物が落ちているのかも知れない。一応、罠のこともみんなに知らせる為に記録しておいた方が良さそうね。武器になりそうな物があるって事も」
 緋雨は決意したようにそう口にする。
 ――殺される気はないが、殺される事を考慮して、出来る限り逐一情報を配信する事。
 これが彼女の大切な目的だった。
 その時、緋雨達の背後の茂みが動いた。
 現れたのは――夜薙 綾香(やなぎ・あやか)アポクリファ・ヴェンディダード(あぽくりふぁ・う゛ぇんでぃだーど)だった。
「複数いるようじゃな」
 姿は二人の者しか見えなかったが、気配を察して、麻羅がそう呟いた。
「誰?」
 警戒するように言った綾香が、先手を取るように襲いかかってくる。
 ――相手から襲ってこない限りは戦わない。
 それが緋雨の信念だったが、このような状況では、疑心暗鬼になる事は仕方がない。
 戦う事になってしまった為、彼女は、なるべく相手を殺さないようにスキルで無力化を試みる事にした。
 一方の綾香もまた、アポクリファに目配せをして身構えていたが、唐突の事に力を失う。
 それを確認した緋雨が、魔法のはしごと、のびーるウィッグの一部を切って、綾香を拘束した。ボディチェックを行いながら、緋雨が尋ねる。
「アンプルは?」
「無駄なのだよ、他のパートナーに持たせているのだからね」
 それを耳にしながら、麻羅と姫神は、アポクリファをと対峙していた。
 隠形の術で隠れながら緋雨に続くように戦う決意をした麻羅は、殺気看破で警戒し、一端相手から遠ざかった。そして、戦闘になった瞬間に、しびれ粉を使ったのだった。しかし効かなかったが、丁度その時、姫神が魔鎧の姿から人化したので、アポクリファの気がそちらにそれた。その隙を突いて、さざれ石の短刀を向けるが、アポクリファはそれをかわす。時間差で姫神がヒプノシスを使ったが、綾香を助けようと急いているのか、アポクリファには通じない。だが、再度さざれ石の短刀を麻羅がふるうと、アポクリファが石化した。
「良かった」
 安堵するように姫神が言う。彼女は、緋雨から拘束用の品を受け取り、アポクリファを捕縛してから、石化解除薬を使った後、ボディチェックをした。
 こちらも、アンプルは所持していない。
 その様子を確かめながら、緋雨が呟く。
「未だ応援が来るって事?」
「どうであろうな」
 綾香がそう告げた時、隠れていたアンリ・マユ(あんり・まゆ)が麻羅と姫神をかわして、緋雨に襲いかかろうとした。
「一度撤退した方が良さそうじゃのう」
 麻羅はそう言うと、煙幕ファンデーションで煙幕を張って、その場から離脱を皆に促す。姫神は、アンリの足元にエステ用ローションを撒いて、その後に魔鎧化する。緋雨はそれを纏うと、離脱した。アンリは地に手をつきながら、何度か咳き込む。
 煙が消えた頃、そこへヴェルセ・ディアスポラ(う゛ぇるせ・でぃあすぽら)がやってきて、綾香達の拘束を解いた。