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死いずる村(前編)

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死いずる村(前編)
死いずる村(前編) 死いずる村(前編)

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■5――一日目――22:00


 拳銃で穴が穿たれた掌へ、まかれた包帯には血が滲んでいる。
 暗い闇夜では、その紅もまた、黒く見えるようだった。
 来訪者に簡単な食事を用意した六角要は、寺の外れにある神社で、静かに井戸から水を汲んでいた。その食事を皆が食べているのか、アユナが毒味をしているのかは、未だ彼は知らない。
 カラン、カランと滑車が回る音が辺りに響く。
 ――だから彼は気がつかなかった。
「まぁ、何だ? これも運命だと思って諦めてくれ。中々この体も慣れれば楽しいぞっと!!」
 谺した声に要が目を見開いたのと、彼の頭部に衝撃がはしったのは、ほぼ同じ瞬間のことだった。
 ドラゴンアーツを取り入れた格闘術で、背後から襲いかかったのはラルク・アントゥルース(らるく・あんとぅるーす)である。ラルクは、神速で素早く動き、立ち上がって逃げようとした要の腕を、ねじり上げた。そして、鳳凰の拳を撃ち込んだ。
 要の掌に開いた穴へと指を伸ばすと、ラルクはそのまま生気を吸い取った。
「ごちそうさまでした。中々美味だったぜ……って、さっきまで持ってたアンプルは一体何処にやったんだ? まぁいいか。悪いな」
 短い金髪を揺らし、彼は精悍な顔つきで笑った。
 虚ろな表情に変わった要からの解答はない。
 木の葉を踏みながら、殺気は抑えたままで、ラルクは林の方へと歩いていく。
 ――逃げなければ……。
 地に這い蹲った状態で、要はそう思っていた。
 だが、意識が朦朧として、端から端から別の、己のモノではないような考えが、浮かんでくる。
 ――生気、だ。生気を得なければならない。
 虚ろな様子で立ち上がった彼は、ふらふらと森の中へと入っていった。
 それから。
 どれくらい歩いたのかは彼自身にも分からなかったが、遠くに人の気配を感じて、要は 顔を上げた。最早自分が逃げているのか、生気を求めて彷徨っているのかも、彼には自覚できない。
「――……っ」
 そうして歩いてくる要の姿に、アンジェラ・クリューガー(あんじぇら・くりゅーがー)が気がついた。
 彼女は、手持ちの爆薬、ワイヤーを駆使して、膝下辺りにワイヤーが来るよう張り巡らした罠を点検している最中だった。ワイヤーが切れたら爆薬が爆発する仕組みになっている。
 その虚ろな様子に、一見して『死人』だろうと、彼女は確信した。
「人でしょうか……?」
 思案するようにリース・バーロット(りーす・ばーろっと)が呟く。仮にそうであるのだとすれば、未だ距離があるのだから、今の内に対策を講じるべきである。
 ――外で騒がれると厄介だ。
 だから、執拗に突破を試みる者にはアンジェラと連携して遠距離攻撃をし、追い払うのではなく殺すようにするというのが、二人の中では、これまでの間に決められていた。
既に一人、騒がしかった村人を手にかけて、室内へと運んでいる。
 しかしその際に、体を晒すような事はしないようにと決意して、二人は行動していた。
また単なる通行人であり、先方が逃げたらそれ以上の追撃はしない点もまた、確認済みだった。
「そうは見えない」
 アンジェラが言うと、リースもまた頷いた。
「死人のようですわね――確保しましょう」
 密やかな声で二人は話し合い、死人になった六角要を捕まえる事にした。
 二人は、空き家である旧山場医院の中にいた戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)に声をかける。
 彼は、迷彩塗装とベルフラマントで気配を消しつつ、周囲に自分達以外には『死人』が一人しかいないことを、注意深く確認した。
 ――姿を見せて積極的に動くと、他から勘違いされて狙われる可能性が高いですからねぇ。
 内心そんな事を思いながら、小次郎は、静かに両手の拳に力を込める。
 そして自分達に気付いた様子もなく、ふらふらと歩いてくる要の隙を見て、不意打ちを食らわせた。
「!」
 木の葉が覆う林道に、要の体が倒れこむ。
 押さえ込んだ小次郎は、それから死人の手と足、そして口を縛った。
 その時にはもう、死人は意識を失っているようだった。

 ――ポタリ。

 水の滴る音が辺りに響いた気がして、要はうっすらと目を開けた。
 最早今となっては頭の中には、生気が欲しいという願望ばかりが募っていく。
 しかし少しは体が慣れたのか、生前と変わらぬ思考が、少しずつ戻り始めてきてもいた。
 ――そうだ、自分は死人に襲われて……死人になったのか。
 ――死んだ、ということなのか?
 募る疑問を口に出そうとした時、漸く彼は、口を布で縛られている事に気がついた。

 ――ポタリ。

 再び響いてきた水の音に、瞬時に背筋を怖気が走り、拘束されて自由にならない体で、周囲を見渡す。
 するとそこには、淡々とした表情で見おろしている戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)の姿があった。
「死人を判別する方法を確立するためです。悪く思わないで欲しい」
 彼が立つ位置の向こうには、もう一つ寝台があった。
 そこには、山場分校で教員をしていたはずの、眼鏡をかけた青年の亡骸が見える。
 彼は口うるさい事で評判だったから、林を逃げ回っている生徒の事を、夜遊びをしているとでも勘違いして、非難しに来ていたのかもしれない。死人の存在など、信じる性格の教員ではなかった。

 ――ポタリ。

 その時、再び響いてきた水音に、要は息を飲んだ。
 ――まさかアンプルを使われたのだろうか。点滴にでも混ぜ込んで……。
 そう考えて辺りを見回すと、寝台わきにそれは無造作に置いてあった。
 要の視線に気がついたのか、小次郎が腕を組む。
「アリクトからのアンプルは基本用いない。正直彼の話が何処まで信用できるかわからないですからね。また、そのアンプルが死人達の増強剤であったら、積極的に襲われる可能性もある」
 小次郎の言葉に僅かに安堵した要は、ではこの水音は何なのかと、再び戦慄した。
「今回の私の目的は、良くわからない死人の特徴を調べ、生者との区別を付けられるような方法を確立する事です――何も考えずにドンパチするのも好きなんですけれどもね」
 苦笑するように、小さく表情を変えて笑って見せた小次郎は、それから要の両手をそれぞれ一瞥した。
「兎に角意識が戻って何よりです――これで、痛覚を調べられる」
 怪我をしている要の手から、包帯を取り去りながら、小次郎が言った。
 傍らではリースがそれを受け取り、半透明の薄い手袋をはめた手で、ダストボックスへと投げ入れる。それから彼女は正確に記録するように、小次郎の隣で、死人の患部を見据えた。
「――!」
 唐突に傷口にメスをねじ込まれて、要が目を見開く。拘束されている口元の布越しから、ぐぐもった悲鳴が上がった。
「生前についた傷は治癒しないんだな……いや、時間をおけば、通常の生体レベルでは完治する事もあるかも知れないが。痛みもあるらしい――右手の方はどうだ?」
 ――右手?
 右手には怪我などしていない事を思い出しながら、けれど左手では間断なく疼く痛みに呻きつつ、要は何度も瞠目した。そして気がついた。先程から、ポタリポタリと滴っている何かは、右手の甲に落ちているという事に。そうと気がつけば、ジュワジュワと何かが熔けるような音がしている事にも気がついた。
「表面こそ熔けますが、すぐに治癒するようですわね」
「硫酸が劣化していると言うことはないだろう。手首の数珠は、正確に熔けている」
「今気がついたというような顔をしていますし、痛みも無いのでしょうか」
「そうだろうな。あっても鈍くなるんだろう――その上、数珠をつけていて平気だと言うことは、宗教的なものに拒否反応を示しているとも考えがたいですね。十字架も平気らしい」
 小次郎は、側にあったトレーから、金属製の十字架を手に取り、死人の顔の上にかざしてみる。しかし、目立った反応はない。
「銃痕だからという事はありませんか?」
「やってみよう――リース、その手の他には、目立った外傷はなかったんですよね?」
「ええ。小次郎様と一緒に検分した限り」
「もし死人が生気を吸う上で、人間に外傷が必要なのだとすれば、その手の傷から生気を吸われたと言うことになるんですかねぇ」
 一人頷きながら、小次郎は銃を取り出して、要の無事な右腕を撃った。
「っ」
 衝撃に死人は目を見開いたが、そこに苦痛の色はない。
「足止めや格闘は、衝撃を与えて転倒させるという意味では可能なのでしょうが――やはり痛みはあまり無いらしいですし、傷は治癒してしまうのか」
 塞がっていく右腕の傷を眺め思案するように瞳を揺らしてから、小次郎はリースへと振り返った。
「まずは、死人と生者を区別する明確な方法を見つけなければ」
「どうやるのです?」
「個人的には、傷の治りが早い事を利用できるのではないかと思っています。それが一番可能性があるのではないかな――ライターを用意して欲しい」
 小次郎はそう言うと、金属製の十字架を手に取った。
 そしてリースの手からライターを受け取ると、小十郎は、それをあぶり始めた。
 ――死人は傷が治る。だからきっと焼印も残らないはずである。
 小次郎は、死人・人間問わず、体に焼印――火傷痕を入れることで見分けが可能になるのではないかと推測したのだ。
「――やはり、推測通り傷は残らないな」
 続いて彼は己の手の甲に焼き印を入れようとしながら、手を止めて思案する。
「人間の手にも焼き印を入れて、例えばこれを聖痕と称する事が出来ればいいんですがねぇ。死人との区別に使えるようにできればなぁ……少なくとも、現在、その相手が死人か否かは、明確化できる。ただ……」
 ――焼き印を入れた後で、死人になった場合は、どうなるのか。
 現状、生前に付いた傷に関しては、治癒しているとは認めがたい。
「小次郎様?」
「――いや、何でもない。ひとまず、死人と生者を区別する方法は分かりましたね。後は、弱点が分かれば良いのですが」
 冷静に述べた小次郎は、それからメスを手に取った。
「ある一部分を破壊しない限り活動し続ける――そんな、物語上で出てくる特徴が当てはまるかどうかを確認しましょうか。リース、まずは光術で、灯りに対する反応を調べてもらっても良いですか」
「ええ、わかりましたわ」
 しかし死人は、光術にも目立った反応は示さなかった。
 その様を頷きながら監察してから、小次郎は死人になった住職の僧服を正面から開き、露わになった腹部へとメスを向けた。
「まずは血管――そして心臓」
 ぐちゃりねちゃりと音が響く中、小次郎は一つ一つの部位を切り離していく。
 血のような紅い粘着質の液体が、血管の中を流れているらしかった。
 だがそれが血液なのかどうかは、此処には確認する術がない。
「再生しているようですわね」
 リースが言うと、小次郎が頷いた。
「心臓の破壊は、この程度では意味を成さないらしい」
 その後小次郎は、手首を切り落としたり、足を切り離したりしたが、すぐにそれらの部位は再接着した。眼球を潰してみると、その破片が集合し、再び一つの球体となる。瞳までもが再生するらしかった。ほとんど痛覚があるようには見えない。
続いて電動のこぎりを額に宛がい、電源を入れる。
「!」
 流石にその衝撃と、頭部への打撃には恐怖があるのか、死人が目を見開いて、ガチガチと奥歯を鳴らす。震えている死人には構わず、小次郎は頭部の骨を取り除いて、脳を見た。
「……スポンジ状、とでも言うのか、穴が開いていますね……」
「確かに……元々持病があったのか、それとも死人の脳は変容するのか」
「変容したと考える方が良い……血管の中に満ちていた何らかの液体と同じものが、いくつかの空洞から見て取れる」
 小次郎の言葉に頷きながら、リースが記録を始めた。その後彼らは、脳を切除したりもしてみたのだったが、死人が息絶える様子はない。
「後は――脊髄を破壊してみますか」
 近くにあった斧を手に取り、小次郎が振りかぶった。
 骨の折れる鈍い音が、静かな室内に響き渡る。
 瞬間、死人の首が離れ、寝台から転がり落ちた。その双眸は、見開かれている。
「――動きが止まりましたね」
 力が抜けたようにぐったりとした、首のない体躯が寝台の上に横たわっている。
 首が、胴体に接着することもない様子だった。
 床へと落ちた頭部は、傍らにあった台を揺らし、その上に置いてあったアンプルと注射器が、丁度死人の頬に突き刺さっている。こちらは、小次郎達が意図した結果ではなく、偶発的な事故だった。
「だとすると、脊髄に、死人の体を動かす何らかのものが……」
 小次郎が呟いたその時のことだった。
「小次郎様――!」
 リースが蒼い顔をして、両手で口元を覆う。
 六角要だった死人の首、その切断面から、赤黒いドロドロした液体が漏れ始めていた。
床まで緩慢に落ちたソレは、一つにまとまったまま、粘着質な様相を呈して、何かを探すように蠢いている。その一部分には、人間の顔にそっくりの凹凸があった。その凹凸が、先程まで寝台の上にあった要の顔と同じモノである事を覚り、小次郎は身構える。
 その赤黒い液体は、床を滑るように進むと、もう一方の寝台の上に寝かせてあった、『人間の死者』――『死人として動いたことのない遺体』の方へと流れていき、そしてその顔を目指して進んでいった。山場分校の教員の動かない体の上を、赤黒い液体が覆う。それから、耳口目鼻、その他の人体が持っている穴の中へと、その液体は侵入していった。
「まさか……そんな事があるはずは……」
 何事も無かったかのように、寝台の上で教員が起き上がった。
 小次郎とリースが息を飲む。
「なるほど。死んで間もない人間の体や……もしかしたら生きている人間の体も、ドロドロの状態になると、乗っ取ることが出来るのか。だから教授先生は、ドロドロが上れないように、閻羅穴に、わざわざ死体を投げ込んでいたんだな。首を落とすだけじゃ駄目なのか。首を折られると動けなくなるみたいだけどな」
 自分ではない他者の体を確かめるように、掌を見据えて何度か指を動かした死人は、それから小次郎達に向き直った。
「俺は死んでるけど、死にたくない――だから、お前等の生気を――」
 ゆらりと、要だったものが立ち上がる。
 身構えた小次郎とリースが一歩後退したその時のことだった。
「要するに、切断して、さっきのドロドロを外に出さないようにしながら、首だけへし折ればいいわけ、か」
 軽快な声と同時に、死人の後頭部に斧が突き刺さる。
 その勢いのままに首を絞め、死人の動きを止めたのはアンジェラ・クリューガー(あんじぇら・くりゅーがー)だった。
「助かった――ここも危ないかも知れないですし、一端離脱しましょう」
 小次郎はアンジェラに対して微笑すると、リースを一瞥してから、そう告げた。