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パンプキンパイを召し上がれ!

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パンプキンパイを召し上がれ!

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8


 10月31日。
 ハロウィン。
 悪戯をおおっぴらに出来る……というと語弊だらけだが、大まかに言えばそんな日。
「ですから、今日こそマーリンを困らせてみようかと」
「日頃のお礼だね!」
「そうなりますね」
 ユーリエンテ・レヴィ(ゆーりえんて・れう゛ぃ)の無邪気な言葉に沢渡 真言(さわたり・まこと)は頷いた。別に嘘はついていない。日頃のお礼だ、諸々の。
 パンプキンパイを焼き、綺麗に梱包したら魔女の仮装に身を包み。
「行きましょうか」
「うんっ」
 向かうは空京、沢渡 隆寛(さわたり・りゅうかん)の家。
 

「おや、マスター。ユーリも来てくれたんですか」
 出迎えてくれた隆寛の手には、資料と思しき分厚い本が何冊か。
「ハロウィンだからね♪ ねえパパ、トリックオアトリートだよ!」
 にこにこと、ユーリが隆寛に向けて両手を差し出した。
「かしこまりました。カボチャのプリンとマフィンを作ってありますので、後ほどお持ちいたしましょう」
「わぁいっ。パパ、大好きっ」
 和やかな親子の様子を微笑ましく見ながら、真言が探すはマーリン・アンブロジウス(まーりん・あんぶろじうす)の姿。しかし姿は見当たらない。
「マーリン殿ですか?」
「えっ、あ、いえ。そういうわけでは、……」
 つい条件反射で否定してしまったが、思い返してみれば日頃のお返しにトリックオアトリートを仕掛けにきたわけなのだから。
「……はい」
 なんとなく肯定することを恥ずかしく思いながらも真言は頷いた。
「マーリン殿はあちらの部屋にいらっしゃられますよ」
「行ったら邪魔になるでしょうか」
「様子を見るくらいなら問題はないかと」
 言葉に後押しされたこともあり、真言はマーリンが仕事をしているという部屋に向かう。
 ノックをしても返事がなかった。集中しているのだろうか。音を立てないように気をつけながら、ドアを開く。
 部屋の中は静寂が支配していた。その中心に、マーリンがいる。
 やや背中を丸め、頬杖をついてペンを持ち。暗号文を見、ペンを走らせる。
 ――……いつもと全然違うじゃないですか。
 飄々とした態度も、余裕綽々の様子も、すぐに人をからかうとっつきやすさも何もなく。
 ただただ真摯な彼を見て、素直に尊敬する気持ちが生まれた。
 イタズラは、やめよう。
 イタズラをしたあとみんなで食べようと作ってきたパイは、差し入れにしよう。
 できることがあるなら、お手伝いもしようか。
 パイを切り分けるため、真言は一旦部屋を出た。
 真言が部屋に入ってきたことに、最後までマーリンは気付いていないようだった。


 紅茶の匂いと、パイの甘い香りを嗅いだ気がした。
 隆寛が差し入れに来てくれたのだろうか? 気配り上手というか、しっかりタイミングも計られているというか。
「丁度休憩したかったんだよな。サンキュ、ルーカン」
 礼を言いながら振り返って、
「……あれ?」
「すみませんね、隆寛さんではなくて」
 予想外の来客に、目を瞠る。
「真言? なんだその格好。魔女?」
「仮装ですよ。ハロウィンですから」
 淡々と述べ、真言がティーカートに乗せたティーポットから紅茶を注いだ。デスクの上にスペースを作ると、ことり、その場所に置かれる。
「サンキュ」
「パンプキンパイもありますが」
「いるいる」
 パイの乗った皿とフォークを受け取って、少し早めのティータイム。
 パイのほどよい甘さに舌鼓を打っていると、
「父さんからの頼まれ事だったんですね」
 暗号文を見た真言が、ぽつりと呟いた。
 ああ、とマーリンもそれを見る。数種類のルーン文字やらヘブライやら、複数の言語の混ぜ合わさった難解なものだ。
「大変ですか」
「んー、まあそれなりに。でももうある程度目処はついたし終わるだろ」
 遅くとも夜までには、と付け足すと、真言がほっとしたような表情を一瞬だけ見せた。真言に気付かれない程度に、小さく笑う。
「それよりその格好ってさ。イタズラしていいわけ?」
「手伝う必要もないみたいですし、失礼します」
 ツッコミも放棄して立ち去ろうとするので、
「待った」
 手首を掴んで引き止める。
「ハロウィンらしくちゃんとアレ言ってよ」
「仕事中でしょう」
「今は休憩中」
 それに言わないと離さない。
 考えていることが伝わったのか、数秒の逡巡の後、
「……トリックオアトリート?」
 小さく言われたので笑ってやる。
「俺、お菓子用意してないんだよな」
「えっ」
「ほらどうぞ? お菓子をくれなきゃイタズラするぞ、だろ?」
「え、でも、え……イタズラっていいましても、仕事中になんて……あ、でも今は休憩中、」
「今から仕事中」
「何なんですか貴方はっ。……何をしろと?」
 さて、問われるとそれはそれで悩ましい。
 何がいいかな、と考えて、
「ん」
 マーリンは自らの膝を叩いた。
「……膝の上に乗って邪魔をしろと?」
「その通り」
 ほらどうぞ、と半ば強引に招くと、真言は素直に膝の上に座った。
「お前小さいな」
「改めて言うことですか。そもそもこれってイタズラなんですか? ただの邪魔に思えます」
「イタズライタズラ。俺の集中力をかき乱す可愛いイタズラ」
「邪魔でしょう明らかに。……いいんですか、本当に」
「いいの」
 言い切ると、真言はもう何も言わなくなった。
 膝の上が落ち着かないのかもぞもぞしているのが、なんともまあ可愛らしい。
 これでやる気が出るのだから、そんな自分にも小さく笑い。
「さっさと終わらせるか」
 労いに来てくれた可愛い人の、相手ができるようにと。


「マコトもマーちゃんも、お部屋から出てこないねぇ」
 リビングにある椅子に座り、足をぶらつかせながらユーリエンテは呟く。一緒にイタズラをしようと思っていたのに思いがけず放っておかれたため、暇でしょうがない。
「そろそろ夕餉の支度をしなければなりませんね」
 懐中時計を見て、隆寛が言った。 
 遊んではくれないのだろうか。このままでは暇で死んでしまうかもしれない。
「なので、買出しに行こうと思います。どうですユーリ、一緒に行きませんか?」
「! 行くっ」
「きっと、街はハロウィンの催し事等で賑わっているのでしょうね。それを見てくるのも楽しいかもしれません」
「うん、ぜったい楽しいよ! ユーリが保証するよ!」
「それはそれは。では、行きましょうか」
 仲良く手を繋ぎ、家を出る。
「ユーリね、今日はバスケットいっぱいにお菓子もらうんだー!」
「零れ落ちてしまわないように気をつけないといけませんね」
「パパがいるから平気だよ」
「はいはい、仰せのままに」


*...***...*


 10月31日。
 本来なら、クロエからハロウィンパーティへのお誘いがきていたから、仮装のひとつでもして人形工房へ行こうと思っていたのだけれど。
 マラッタ・ナイフィード(まらった・ないふぃーど)が、
「ハロウィンだし、カボチャのマフィンを作ろうと思う」
 と言い出したことで事情は変わった。
 マラッタの料理は、いろいろと壊滅的である。
 そのことは契約者であるケイラ・ジェシータ(けいら・じぇしーた)自身が文字通り身をもって知っているわけで。
 まさかそんな危険なものを自分の家から出すわけにも行かず、また調理場も自宅でなければいろいろと惨状をさらけだしてしまうことになる。
 ので、
「じゃあ、今日はホームパーティだね」
 ケイラはそう言って、被害を最小限にとどめようと笑うのだった。


 最近は、料理をして出すゴミの量が減った。……ような気がする。
 失敗だって、少なくなった。……はずだと思う。
 ので、作ってみようという考えに至った。レシピブックを開いたままキッチンへ向かう。
 自分より料理上手なケイラがついてきて見ていてくれるのは歓迎するとして、ドヴォルザーク作曲 ピアノ三重奏曲第四番(どう゛ぉるざーくさっきょく・ぴあのとりおだいよんばんほたんちょう)――通称ドゥムカが来るのはよろしくない。
「ドゥムカはここから先、立ち入らないように」
 なので、マラッタはキッチンとリビングを隔てるドアを指差して告げた。
「なっ」
「出来上がるのを大人しく待っていろ」
 言い切るか言い切らぬかのうちに、ドアを閉めた。ドアの向こうから、ドゥムカが「誰に向かって言ってるんだ若造が!」と吠えているが返事はしない。
 ――書物なのだから火気厳禁だろうに。
 どうしてああも平然とついてこようとするのか。危なっかしくてしょうがない。
 やれやれとため息を吐きつつエプロンを着用し、冷蔵庫から必要な材料を取り出して計量。
「マ、マラッタさんが手際いい……!」
「少しは学んだ」
 併せて図った粉類を篩い、バターをクリーム状に練ってからグラニュー糖を加えて擦り混ぜる。続いて卵を少しずつ投入し、泡だて器で混ぜていく。
 がつっ、がっ、がっ。
「……えっ、何その音。ねえマラッタさん大丈夫なの? バターと砂糖と卵しか入れてないよね?」
「ケイラ」
「うん?」
「話がしたい」
「いやいやいや! 料理に集中しようよ! ていうか本当に異音何なの!?」
 異音? と首を傾げつつ、蒸してやわらかくしたカボチャ、粉を投入した。
「ふむ、なかなか手ごたえがある」
「ないよ! 普通マフィン作りで手ごたえなんて感じないよ!」
「それで話だが」
「あ、進めるんだ。……うん、マラッタさんって、そういうマイペースなところあるよね。わかってたはずだった」
 なにやらケイラが遠い目をしている。たそがれるにはまだ早いというに。
「精霊たちしかいない世界で生きてきた俺がケイラたちと出会って、契約して、今ここにいるわけだが」
 がちゃっ、ぐちゃ、がっっ。
 マラッタの声と、混ぜる音がキッチンに響く。
「最近は、人間のことを理解できてきたと思う」
「自分は今、マラッタさんのことが理解できないけどね」
「理解してもらえるように努力することも学んだ」
「でも到底理解できそうにないんだ。その調理能力とか」
「まあ、理解できないといえば、俺もお前のその女装が理解できないしな。わかりあえないところは出てくるだろう。人は個人個人違うのだからな」
 なんとか生地を混ぜ終えた。あとは型に流し入れ、余熱しておいたオーブンで焼くだけだ。
 女装かあ、とケイラがぼんやり呟き天井を見上げる。
「自分も、段々よくわからなくなってきたんだよね」
 生地の量を均等に、マフィンカップに入れて。
 天板に並べ、オーブンへ。
「この格好をすることで自分自身を支えていたはずなんだけど……これで、このままで、前に進めるのかなあって」
「変わらないと?」
「どうかな」
 わからないんだ、と再び繰り返してケイラが笑う。困ったような笑みだった。
「あ、でも可愛い格好はかっこいい格好よりも好きだよ。可愛い衣装は見たりするのも好きなんだけどね」
「ああ。アイドルの手伝いをしているのは趣味と実益を兼ねていたのか」
「そうなるね。結構楽しいし、機会をいただけてるから頑張ろうと思うよ……ってマラッタさん、オーブン! なんか中身、膨らんでるよ!」
 話が一段落したところで、ケイラが立ち上がって叫んだ。
「? マフィンとは膨らむものだろう」
「膨らみすぎだよ!」
「まあ、ありのままの結果を受け入れよう」
「なんで変なところで男前なの……」
 がっくりとうなだれ、ケイラは言った。
「疲れたか? 手伝わせてしまって悪かったな」
「いや、自分は何も手伝えないんだなって再確認しただけだから。大丈夫」
 それにしてもぐったりしている。具合でも悪いのだろうかと、マラッタは少し心配に思うのだった。


 マラッタの料理の腕が特別上がったわけではないことを、ドゥムカは知っている。
 調理を失敗しては、ケイラや響子に色々と手伝ってもらっていることを、見ていたのだ。
 それなのにこそこそ……というわけではないかもしれないが、キッチンに立ち入れないようにしたり、出来上がるまで待っていろと言ったり。
「横柄だ!」
 椅子に座り足を組み、不機嫌を声に乗せてドゥムカは吐き捨てる。
 いっそ覗き見てやろうか。そうしたら怒るのだろうか。それともぽいと放り出されてまた放置なのか。
 ――ああもう、大体どうして私がひとりで待たなければならないのだ!
 ――ここにリンスでもいれば話し相手にしてやったものを……なぜ奴はここにいない!
 考えると段々と腹が立ってきた。携帯を操作し、工房の番号を呼び出して通話ボタンを押す。
「私だ!」
『? ドゥムカ? どうかしたの』
「なぜここにリンスがいないんだ! リンスが来い! 工房をここに建てろ!」
『いや言ってる意味わからないんだけど』
 きょとんとしたリンスの声。そりゃそうだろうと思いつつ、
「八つ当たりだ!」
 半ば怒鳴るように、ドゥムカは言う。通話相手は、そう、と短く相槌を打ち。
『落ち着いた?』
 こちらがうっかり安心してしまうような声音で、問うてきた。
「お前はいつも冷静だな」
『俺まで取り乱したらパニックになっちゃうよ』
「そうだな。お蔭様で頭が冷えたよ」
『役に立てたなら何よりだ。元気そうなこともわかったしね』
 元気、か。
 今日、マラッタの作るマフィンを食べておなかを壊したりしなければ、そうなるな、と皮肉気に笑った。
「悪かったな、迷惑をかけた」
 謝って電話を切ると、リビングには静けさが戻ってきた。キッチンからは、かすかにだが断続的に調理の音が聞こえてくる。
 ――消し炭だろうがゲテモノだろうがなんでもいい。
 ――いいから、早くもって来い。
 ひとりきりだと、つまらないではないか。
 最近はわりとよく、マラッタが傍にいたから。
 待っている間が、……。
「寂しいはずあるまいよ」
 あえて言葉にして、ぬいぐるみを抱き寄せた。
 これでひとりじゃない。
 ひとりじゃないから、寂しくなんて、ない。
 ――早く来いと思うのは、空腹だからだな。
 そういうことにしておこう。
 焼成に入ったのか、ほんのりと甘い香りが漂ってきた。あともう少し、待てばいい。
 そう思うと気が楽だった。