校長室
【2021修学旅行】ギリシャの英雄!?
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話は一旦グルメから離れ、温泉に行く。 実はイタリアは日本に並ぶ温泉天国である。 日本と同様火山の多いイタリアでは、古代ローマの時代から人々は温泉(テルメ)を楽しんできたのだ。 中でも、有名なのはイスキア島(カンパニア州)、アーバノ・テルメ(ヴェネト州)、モンテカティーニ・テルメ(トスカーナ州)、フィウッジ(ラツィオ州)である。 このうち、ローマから車で行けるほんの二、三時間で行ける距離にあるのが、トスカーナ州とローマを首都とするラツィオ州のはざまにある『サトゥルニア温泉』。 ここは、温泉療法エステの施設を備えたホテル『テルメ・ディ・サトゥルニア』が ある、知る人ぞ知るトスカーナ温泉リゾートのひとつ。 そんなテルメで幸福な時間を過ごした三人がいた。 「温泉と言うより、温かいプールですねえ」 そうのんびり呟いたのは、灰色のパーカーと海パン姿の神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)である。温泉の縁に腰掛け、湯に浸けた足をゆっくり動かす。いつもは掛けている伊達眼鏡も流石に今回は掛けていない。 「昔からあるみたいですね? この温泉は」 翡翠の傍で同じ様に足を浸けているのは、赤いパレオ付きの水着を着た柊 美鈴(ひいらぎ・みすず)である。 美鈴は翡翠が先ほどから足だけを浸し、中々湯に浸からない事を気にしていた。 「気にしていたら、負けです。せっかく来たんですから、楽しみましょう。レイスみたいに……」 美鈴と翡翠が目をやると、温泉に浸って極楽を満喫している青い海パン姿のレイス・アデレイド(れいす・あでれいど)がいた。いつもは美形なレイスの顔も、温泉の影響かから少しふやけている。 「……すげ〜広いんだが、眠くなりそうだぜ。気持ち良過ぎて……はぁ……」 レイスから目を離した翡翠が美鈴を見て苦笑する。 「ですが、入っていても背中の傷が気になって……」 今はパーカーで隠している背中にある十字の傷。そこは翡翠の弱点のため、その傷に触れられると気絶してしまうのだ。 そうは言いつつも、三人でイタリアの温泉を楽しもうと言ったのは翡翠であり、少しの躊躇いを残しつつ、ついにパーカーを脱ぐ。 他の温泉客が翡翠の背中の傷を見て、驚いたり、或いは見ないふりをしたりして通り過ぎていく。 「う〜ん、視線が痛いですねえ……あまり見られたく無いんですけど」 そう言いながら、翡翠が温泉に全身を浸ける。 「あぁ……でも、本当にいい気持ちですね、美鈴?」 「はい、マスター」 翡翠が入った途端、スペースを開ける様に離れていく温泉客達がいたが、翡翠は気にしない事に決めた。そういう展開は以前にも経験したことがあるのだ。 また、翡翠と共に入浴した美鈴も当然、彼の背中の傷の事は知っていた。 心の中では「マスターの傷……見るたびにあの時の事を思い出します」と考える美鈴であるが、レイスもいますので、その事にはふれない。 そこに温泉の中で二人を待っていたレイスがスゥーっと近づく。 「翡翠、折角温泉に来たんだ……その、背中を見られたくないなら俺が何とかしてやるから……」 「レイス?」 「背中合わせで動けば、見えなくて済むだろう?」 「……あぁ、なるほど!」 「レイス、考えましたわね!」 翡翠と美鈴が納得の顔で同時に頷く。 最も、レイスもただの親切心だけで、このアイデアを提供したのではない。 「(あ〜、翡翠のあの傷を見るたびに、責任とあの時の事、思い出して、ちと、へこむかも……待てよ? なら、俺が翡翠と背中合わせになれば、見なくて済むし、翡翠も見られなくて済む!? おおっ! 一石二鳥だぜ!!)」 決して顔には出さないレイスの心模様はいざ知らず、翡翠はこれで温泉をのんびり堪能する事に成功したのである。しかし、レイスは視覚的には見えなくなったものの、やはり背中に感じる翡翠の傷跡を意識せざるを得なくなってしまう。 「背丈も殆ど同じですし、助かりましたよ。レイス」 背をくっつけているから、翡翠の声が頭の直ぐ後ろから聞こえる。 「あ……ああ、いや……まぁ、悪いな」 「は?」 「き、気持ちいいなって言ったんだ!」 「ええ、本当にいいお湯ですねぇ。レイス? 寝たら溺れますよ?」 特に、レイスの言い直しに気付かない翡翠が、ハァーッと幸せそうな顔を見せる。 「マスター、これ見て下さい」 美鈴がグレーグリーンな色の泥(ファンゴ)を持ってやって来る。 「それは何ですか? ……泥?」 「ええ、向こうの底にあった泥ですわ。何でもお肌がすべすべになるそうです」 「へぇ、それは良いですね」 翡翠の言葉に美鈴が微笑み、 「マスターにも塗って差し上げますわ」 「自分もですか?」 「勿論ですわ。男性だってお肌が綺麗になるに越した事はありませんし。ね、レイス?」 その時、美鈴がレイスを覗き込み、「あら?」と小さく声をあげる。 「レイス? 顔、赤いわ。大丈夫なの?」 「あ……ち、違う!? こ、これは……」 レイスが美鈴の言葉に過剰反応する。 「……ノボセたって意味ですわよ? 私とマスターは先程浸かったばかりですが、レイスはずっと湯の中に居たでしょう?」 「……確かに。やべ、目が回ってるかも……」 先ほどまで翡翠を背中越しに支えていたレイスが、ドボンッと湯に沈む。 「レ……レイス? 大丈夫ですか!? レイス!!」 ブラックアウトしていく意識の中、翡翠の声だけが聞こえるレイスであった。 次にレイスが気づくと、心地よい風が顔に当たっていた。 「うっ……あぁ? ここ……は?」 「レイス? 気が付きましたか?」 「ん……翡翠か? ……俺は一体?」 「あまり、長い間じゃなかったですけど、のぼせて気絶していたのですわ」 美鈴が扇で風を送りながら呟く。 「うわ……悪い。オレ、ずっと寝ていたのか?」 段々クリアになっていくレイスの視界に映る、見慣れた翡翠の微笑む顔。 「焦りましたよ。いきなりのぼせて倒れるんですから、珍しい事も有りますねぇ」 「本当、悪いな……」 「いいえ、別に良いですけど」 そう呟き、微笑む。 「?」 レイスが違和感を感じる。 「翡翠、温泉で顔がでかくなったのか?」 「は?」 「マスター、レイスはまだ少しのぼせているみたいですわね」 「では、美鈴。もう少しこのままにしましょうか?」 半開きだったレイスの目がゆっくりと大きく見開かれていく。 自分の視界に映る。翡翠の胸、顔、そしてその奥に見える建物内の天井のライト、頭の後ろに感じられる柔らかい感触……。 これらの事から推測出来る自分の位置は……。 「……悪いがまだ駄目みたいだ。もうしばらくこのままで……いいか?」 「ええ、勿論。先ほどはレイスに背中を貸して貰いましたからね。今度は自分の番ですよ?」 至近距離で翡翠の微笑みをノーガードで受けたレイスは、顔を何とか真面目に保ち、目を瞑る……。 翡翠に膝枕で介抱されるレイス。 目を瞑っていても口元が上がって来るレイスを見ていた美鈴が、小さく微笑み扇で風を送るのであった。 「よし! 復活だ。迷惑かけたな!!」 灰色のパーカーと紺のジーンズ姿で温泉施設から出てくるレイスが、思いっきりノビをする。声のトーンから何やらご機嫌な様子である。 「良かったですね、レイス。すっかり元気になったみたいで」 「ええ、マスター」 黒のジャケットと黒のジーンズ姿の翡翠と、水色の布地に南天模様の着物を着た美鈴が、レイスの後から出てくる。 「それで、次はどこへ行くんだ? 修学旅行はまだまだ続くんだろう?」 「では、街でピッツァでも頂きましょうか? イタリアに来たんですから、食べておきませんとね」 「ええ……あら、マスター? 眼鏡はどうされました?」 美鈴がいつも翡翠が掛けている伊達眼鏡が無い事を指摘する。 「あれ? ……無いですね」 翡翠が衣服のポケットを探しだす。 「ロッカーに置き忘れたんじゃないのか?」 「……そうかも。すいません! 少し戻って見てきます!」 翡翠が再び施設の中に消えていくのをレイスと美鈴が見つめる。 「レイス、元気になって良かったですわ。……それにしても昔みたいでしたわね?」 「幸せすぎるだろう。んな事(膝枕)なんて、めったにねえし」 「あの時のマスター、すっかり慌ててしまって……私に『どうしましょうどうしましょう?』って聞くんですもの。それで……」 その光景を思い出したのか、美鈴がクスクスと笑う。 レイスが、そんな美鈴を見て、ハッとした顔で尋ねる。 「まさか、美鈴が?」 「ええ、のぼせたあなたを膝枕すれば、きっとよくなりますわって。それにしても、マスターの膝の上であなたがウトウトと寝ころび、私がそれを覗いていたのを思い出したわ」 「……感謝するぜ。あ〜、昔は……そうだったな……しかし、顔がにやけるぜ」 レイスが頭を掻いて苦笑する。 「でも、マスターには秘密ですわよ?」 「んな事わかってるぜ……それに、恥ずかしいだろ?」 レイスと美鈴が顔を見合わせて笑う中、 「すいませ〜〜ん! 有りました〜〜!」 温泉施設から伊達眼鏡を掛けた翡翠が、走って二人の元にやって来るのであった。