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【四州島記 外伝】 ~ひとひらの花に、『希望』を乗せて~

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【四州島記 外伝】 ~ひとひらの花に、『希望』を乗せて~

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第八章  〜 『想いの白雪』 〜

 白く冴えた月の下、澄んだ歌声が、遮るもののない白峰の山肌を、静かに流れていく。
 ミヤマヒメユキソウの咲き誇る谷を一望する、断崖の上。
 その切っ先に一人立つ五十鈴宮 円華(いすずのみや・まどか)の口から、歌は生まれていた。
 この歌こそが、ミヤマヒメユキソウに魔力を与える秘儀、『想いの白雪』なのだ。
 今はもう言葉の意味すらわからず、ただ音のみが五十鈴宮家に口伝されている。

 歌い続ける円華の声に、途中から円華のボディーガードのなずなの声が重なった。
 円華の幼馴染である彼女は、円華の呪術をサポートするための訓練を受けている。
 2人の音程の違う声がハーモニーとなり、歌はさらにその調子を上げていく。
 円華が胸元に構える五十鈴宮家伝来の女王器、『産日(むすび)の鏡』の放つ光が、どんどんと強くなっていく。
 月からの光を、鏡が増幅しているのだ。
 歌声が一際大きくなった時、円華が鏡を、ゆっくりと頭上に差し上げ――。

「ドカァン!」

 突然、円華となずなの立つ断崖が、大爆発を起こした。


 爆発で巻き起こった粉塵に紛れ、高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)は円華に向かって走る。
 玄秀は、円華が何処で術をかけるかを聞き出すと、《ベルフラマント》で気配を隠して、《機晶爆弾》を仕掛けておいたのだ。

(この爆発で仕留められれば儲けものだが、そう上手くは行くまいな……)

 円華たちがいた断崖に立つ玄秀。
 だが、そこにあるのは爆発で吹き飛んだ瓦礫ばかりだ。

(やはり逃げたか――!)

 足下からの気配に、崖下を覗き込む玄秀。
 ちょうど、円華を抱きかかえたなずなが、崖下に着地するのが見えた。
 二人に、負傷したような様子はない。

「チッ――」

 舌打ちする玄秀。
 追撃しようにも、円華たちとの距離はだいぶ離れてしまった。
 かといって下に降りるのは、敵の只中に飛び込むようなものだ。

「たかつきぃ!」

 背後から迫る殺気に、咄嗟に身を翻す玄秀。
 一瞬前まで玄秀の立っていた岩の大地に、三船 敬一(みふね・けいいち)の《パワードアーム改》が突き刺さる。

「おまえかっ!『獅子身中の虫』ってのは!」

 力任せに拳を引き抜き、玄秀に殴りかかる敬一。

「ガッ!」

 だが振り上げた敬一の拳に、激しい痛みが走った。
 まるで何か見えない壁にでもぶつかったようだ。

「申し訳ありませんが、まだ捕まる訳にはいかないのでね。しばらく、そこでおとなしくして下さい」
「なにっ!?」

 いつの間にか敬一は、玄秀が《十二天護法剣》で造り出した結界に、周りを囲まれてしまっていた。

「【闇導術『玄武』】」

 立て続けに術をかける玄秀。
 何処からともなく現れた、悪意に満ちた『闇』がエヴァルトを包み、その身体を蝕む。

「ぐ……グガァッ!」

 食いしばった敬一の口から、抑えきれない悲鳴が漏れる。


(これで、少しは保つはず……。上手くやれよ、広目天王……)

 実は、玄秀は囮である。
 円華を襲う事により警護の目をそちらに向けさせ、その隙に式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)にミヤマヒメユキソウを焼き払わせるつもりなのだ。
 だが、玄秀の願いとは裏腹に、広目天王は苦戦を強いられていた。


「ハーアッ!」

 【歴戦の飛翔術】で、気合の声と共に天高く跳び上がった小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は、そのジャンプの最高点で身体をひねると、【バーストダッシュ】の加速で威力を増した必殺の飛び蹴りを、広目天王に放った。

「ムウッ!」

 広目天は必死に避けようとするが、広目天王は《奈落の鉄鎖》の力で、思うように動くことが出来ない。
 美羽の蹴りが、広目天王の胸板を捉える直前、ガーゴイルが間に割って入った。 

「ウソッ!?」

 ガーゴイルの石の身体が、美羽の一撃で粉々に砕け散る。

「まだだっ!」
「逃がしませんっ!」

 ガーゴイルが身を盾にして守った事により、かろうじて一命を取り留めた広目天王。
 だがそこに、二人の忍者が殺到する。
 あっという間に、広目天王の背後を取る紫月 唯斗(しづき・ゆいと)
 その身体の周囲に漂う大量の《不可視の糸》が、広目天王を絡めとる。

「我流仙術雷光発剄『斬手』」

 身動きの取れない広目天王の脇腹を、唯斗の手刀が深々と刺し貫いた。

「トドメです!」

 フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)は《移動忍術・縮地の術》で、一気に広目天王の前に立つと、【一騎当千】で極限まで威力を高めた必殺の一撃を見舞った。
 【魔障覆滅】による、《忍刀・明鏡止水》と《鉤爪・光牙》の5連撃。
 広目天王の身体は、一瞬でズタズタになった――かに見えた。

「エッ――!?」

 驚きに目を見張るフレンディスの前で、広目天王の身体が溶けるように消えていく。
 戦いの不利を悟った玄秀が、広目天王をすんでのところで喚び返したのだ。
 
「さすがね、美羽」
「お見事でありんした。唯斗、フレンディス」

 三人の勝利を御神楽 環菜(みかぐら・かんな)ハイナ・ウィルソン(はいな・うぃるそん)が褒め称える。
 元々三人は、環菜とハイナの護衛である。

「有難うございます、総奉行」
「あと一歩という所で、仕留め損ねました。残念です……」

 唯斗とフレンディスが、ハイナに頭を下げる。

「環菜!円華さんは?」
「大丈夫です。なずなさんのお陰で、傷ひとつありませんでしたよ」

 御神楽 陽太(みかぐら・ようた)が答える。

「じゃあ『想いの白雪』は!」
「ええ。もう一度かけ直すそうよ」
「良かった……」

 円華と、ミヤマヒメユキソウと、両方を無事守り通すことができた事に、美羽は安堵の吐息を漏らした。


「さあ、皆さん。『想いの白雪』はかけ終わりました。輝いている花なら、どれでも構いません。想い人に届けたい『想い』を心に念じながら、花を手折って下さい」

 術をかけ終えた円華が、皆に呼びかける。
 無事に術を掛けられたミヤマヒメユキソウは、光を反射して砂糖細工のように輝いている。

「皆さん!列からはみ出すと、滑って危険です!絶対に列からはみ出さないで下さい!」

 サミュエル・ユンク(さみゅえる・ゆんく)が、参加者に大声で呼びかける。
 ミヤマヒメユキソウの周りの地面は、不審者の侵入を防ぐために、サミュエルが《トラッパー》でアイスバーン状に変えているのだ。

「いいですか!手折っていいのは、一人一輪だけです!沢山取っても効果はありませんから、決して取らないで下さい!」

 ギュンター・ビュッヘル(ぎゅんたー・びゅっへる)が皆に注意を促す。
 人々は、皆東野公回復の願いを込めながら、花を手折っていった。
 



「へぇ〜!術をかけると、ミヤマヒメユキソウはこないになるんやなぁ〜」
「ね!すっごいキレイでしょ?」
「ホンマ、めっちゃキラキラしとるで〜」

 日下部 社(くさかべ・やしろ)は、術を掛けられたミヤマヒメユキソウをまじまじと見つめた。
 その隣では五月葉 終夏(さつきば・おりが)が、花と社とにかわるがわる目をやりながら、ニコニコとしている。
 社は『想いの白雪』を体験するのは初めてだが、終夏は以前一度体験したことがある。

「ホント、キレーよねー。それでマスター。マスターはコレ、誰にあげるの?」

 響 未来(ひびき・みらい)が訊ねる。

「あ〜、それなぁ〜……。みんなは豊雄様にあげるために取りに来た訳やけど、オレはやっぱり御上先生にあげようかと思っとるんや〜。いくらシラミネイワカズラが見つかったゆうたかて、ミヤマヒメユキソウもあった方が早う良くなるのは間違いないんやし……。オリバーはどうするんや?」
「私も、御上先生にあげようかなって」
「あら、そうなんだ?ワタシはてっきり、マスターはオリバーにあげるのかと思ってた」
「ええっ!わ、ワタシ!?」
「ウン。だって、こんなにキレイなんだもの。ワタシなら、きっともらったらチョー嬉しいな〜」
「ナニ言っとるんや未来?おまえ円華さんの話ちゃんと聞いてなかったやろ?花を摘む時、オレらがこれまで感じてきた、ツライやら嬉しいやらいう強い『想い』が、この花んなかにこもるんやで?御上先生のためにこれまで頑張ってきたのに、そないな『想い』の詰まった花、オリバーにあげてもしょうがないやんか」
「でもマスター、この登山間じゅうずっと、オリバーの事全然考えなかった訳じゃないでしょ?なら、それが伝わるんじゃない?」
「アホゥ!そないな中途半端な想い、オリバーに伝えられるかいな!」
「イタッ!」

 未来のおでこに軽くデコピンを入れる社。

「オレがオリバーに伝えたい想いは、そんなついで仕事じゃ伝わらん!ええんや!わざわざ花になんかに頼らなくても、オレの想いはオレ自身が毎日直接本人に伝えとるから!」

 どや顔で言い切る社。

「や、やっしー……」

 隣では、終夏が少し恥ずかしそうにしている。

「へーへー。それは余計なお世話でしたねー!どうもごちそうさまでした!!」

 未来は社に向かってあっかんべーをすると、走り去っていった。 

「全く……。ナニしに来たんや、アイツは……」
「そ、それじゃ、お花摘もうか。やっしー?」
「おう。そやな」

 二人は、並んで咲くミヤマヒメユキソウを手に取ると、御上回復の願いを込めて、二人一緒に花を手折った。




「牙竜、何をしているんでありんすか?」

 ハイナ・ウィルソン(はいな・うぃるそん)は、花を摘む人々から離れ、一人せわしなく手を動かしている武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)の姿を認め、声を掛けた。
「ああ、ハイナ校長」

 牙竜は、顔を上げる。
 その手には、色鉛筆と、書きかけの絵が握られている。

「スケッチでありんすか?」
「はい」
「見ても?」
「え、ええ――どうぞ。あまり、上手くないですけど」

 少し照れながら、スケッチブックを差し出す牙竜。
 そこには、月夜に照らされて輝くミヤマヒメユキソウの園と、花に祈りを捧げる女性が描かれていた。
 これから、花を手折る所なのだろう。

「まあ、ステキでありんすね……」

 本人は『上手くない』などと言っているが、中々どうして味のある絵だ。
 ハイナがパラパラとスケッチブックをめくると、白峰や、山を登る人々を描いた絵が、次々と出てきた。

「牙竜にこんな特技があるなんて、知りませんでした」
「そんな大したもんじゃありませんけど……。この素晴らしい景色を、少しでも何かに書き留めておきたくて」
「わかります。人も、自然も、とても美しいですものね」
「はい――ハイナ校長」
「なんでありんすか?」
「もし良かったら、このスケッチブック、受け取って頂けませんか?」
「これを……わっちに?」
「ハイ。元々、ハイナ校長に提出する資料の一部として書き始めたモノなのです」
「資料?」
「はい。白峰や白峰大社、それに白峰輝姫とその祭祀などについて巫女の方々に聞き取りしたものを、まとめたんです」
「それは、面白そうでありんすね」
「まだ、出来上がっていないんですが、東野に帰ったら、すぐに完成させて送りますので」
「楽しみにしていますえ。では、あまり邪魔しては悪いでありんすからね――頑張ってくんなまし」

 にっこりと笑い、去っていくハイナ。
 牙竜はその背中を見送ると、改めてスケッチブックに向かった。 
 
 


「花を摘んだぞ、エヴァルト――これで、良いか?」
「ああ、よく頑張ったな白姫。さあ、山を降りるぞ」

 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、青い顔をしている白姫岳の精 白姫(しろひめだけのせい・しろひめ)からミヤマヒメユキソウを受け取ると、彼女を抱き上げた。
 いつもは「子供扱いするな!」とか色々口うるさい白姫も、今度ばかりは大人しくしている。
 エヴァルトの予想通り、火山である白姫岳の地祇である白姫には、雪山の神である白峰輝姫の力は合わなかったらしく、白姫は、アタックキャンプのあたりからすっかり元気が無くなってしまっていた。

「白峰輝姫の力なぞ、このわらわには通用せぬわ!」

 などと強気のセリフを吐いていたのだが、この辺りは遥拝所も程近い事もあって、やせ我慢もそろそろ限界のようだった。

「大丈夫ですか、白姫ちゃん?」

 五十鈴宮 円華(いすずのみや・まどか)が、心配気な顔でやってくる。

「円華さん。スミマセンがオレ、コイツと先に山を降ります」
「そうして下さい。きっと山を降りれば、白姫ちゃんも元気になると思いますので」
「はい。意地張ってないでとっとと降りればいいのに、全く……」
「バカ者……。わらわが苦労をすれば、その分東野公とやらの病が早く治るのじゃ……。これも全て、わらわの狙い通り……」

 荒い息でいう白姫。

「エヴァルト、わらわの花は……?」
「ホラ、ここにあるぞ」
「円華よ。このわらわがこれ程苦労して、手に入れた花じゃ……。きっと、効き目バツグンじゃぞ……。しかと、東野公に渡すが良い……」
「……ありがとう、白姫ちゃん……。必ず、豊雄様にお届けしますからね」

 目に涙を溜めながら、輝くミヤマヒメユキソウを受け取る円華。

「きっとじゃぞ……」
「それじゃ、円華さん。下まで送り届けたら、また戻って来ますから――」

 エヴァルトは、円華の護衛を務めている。

「私だったら大丈夫ですから、もし白姫ちゃんの具合が悪いようでしたら、側にいてあげて下さいね」
「ありがとうございます」

 エヴァルトはペコリと頭を下げると、早足でその場を後にする。
 円華は二人を見送ると、白姫から託されたミヤマヒメユキソウを、そっと押し抱いた。




「良かったですね、お爺さん。無事に、花を手に入れることが出来て」
「おお、おお。それもこれも、皆お嬢さんのお陰じゃよ。本当に、有難う……」

 老人はミヤマヒメユキソウを手に、何度も何度もイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)に頭を下げる。
 キャンプを出てから急に体調を崩した老人を、イコナは励まし、手当した。
 その甲斐あって、老人はミヤマヒメユキソウを手にすることが出来たのである。

「死ぬ前に、豊雄様の役に立てた。こんなに嬉しいことは無い」

 老人は、涙まで流して喜んだ。
 そしてイコナも、その老人の喜びを、まるで我が事のように喜んだのだった。


「イコナ。これ……」
「なんですか、コレ?」

 源 鉄心(みなもと・てっしん)の手のひらの上に乗る、ミヤマヒメユキソウ。
 ティー・ティー(てぃー・てぃー)は、それを、キョトンとした顔で見つめる。

「いや、その。なんというか……。まぁ。前のお返しと言う事で……」

 照れくさいのか、下を向きながら、ボソッと言う鉄心。
 鉄心はマレンツ山に登った時に、イコナから『想い』のこもったミヤマヒメユキソウをもらっていた。
 今回は、そのお返しと言う訳だ。

「え……。お返し……?」
「『イコナちゃんにあげる』って事ですよ」

 未だ話の飲み込めないティーの耳元で、イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)が囁く。

「え……!エエッーーー!て、鉄心が!鉄心がわたくしに!?」
「そんなに驚かなくてもいいだろうに……」

 飛び上がらんばかりに驚くティーに、鉄心が不満気に呟く。

「ど、どどどどうしましょうティー!鉄心が、鉄心がわたしにミヤマヒメユキソウを!?」
「どうしようって……。素直にもらったらいいんじゃないですか?」
「で、でも、コレは豊雄様の――」
「鉄心はもう、ティーへの『想い』を込めてこの花を摘んでしまったよ。今更、他の人に上げる訳にはいかないでしょう?」
「そ、そうですわね……」

 ティーにそう諭されても、まだ花を受け取ろうとしないイコナ。
 普段『鉄心に邪険にされている』という思いが強いのか、今ひとつ実感が沸かないのだ。

「いらないの?イコナちゃん。いらないなら、私が食べちゃいますよ〜?」
「だ、ダメ!」

 鉄心の手から、ひったくるように花を取るイコナ。

「冗談よ!良かったわね、イコナちゃん!!」

 イコナの頭を『ナデナデ』してあげるティー。

「夢……、じゃないですわよね……」

 改めて、手の中をマジマジと見るティー。
 ミヤマヒメユキソウは確かに、イコナの手の中でキラキラと輝いていた。

「食べてみたらどうです?そうすれば、夢かどうかわかりますよ?」
「そうですわね――」

 そう言って、花を口に運ぶイコナ。
 しかし、花が口に入る直前、その手が「ピタリ」と止まる。

「やめます!」
「ナニ!?」
「やっぱり、やめますわ!!食べようとして口に入れた途端、夢から醒めるに決まってますもの!!」
「だから、夢じゃないと何度言えば――って、お、おい!何処に行くんだ!?」
「秘密です!!」

 両手で花を包んだまま、走り去っていくティー。

「な、なんだ、ありゃ……」
「恥ずかしいんですよ。鉄心の前で、花を食べるの。食べたら、きっと泣いちゃいますもの。――鉄心だって、そうだったでしょ?」
「そ、そんなコトは――忘れた」
「まあ、テレちゃって」

 赤くなってそっぽを向く鉄心に、思わずクスリとするティーだった。




「あ、あったあった!アレが遥拝所ね!」

 彼方に、雪をかぶった巨石を見つけた藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)は、その歩みを早めた。
 その懐には、『想いの白雪』がかけられたミヤマヒメユキソウがある。
 優梨子は、『白峰輝姫(しらみねのてるひめ)』にミヤマヒメユキソウを供物として捧げるために、この遥拝所までやって来たのだった。
 遥拝所は、ミヤマヒメユキソウの谷よりも数百メートル上、歩く距離で言えば、数キロ先に存在する。
 決して近いという距離ではないが、【レビテート】で浮遊し、手荷物の多くを入れた《リュックサック》を【物質化・非物質化】でしまい込んでしまえば、さほどツライ道のりでもない。
 それに何より、遥拝所をこの目で見れるという好奇心が、彼女の歩みを軽いものにしていた。

(ん……?何かしら……。誰かいる……!?)

 行く手から、風に乗って人の話し声が聞こえてくる。
 どうやら遥拝所には先客が、それも複数いるようだ。

(こんな所に人がいるなんて……。雪崩に巻き込まれた、金鷲党の生き残り……?)

 優梨子は身をかがめると、巧みに斜面を利用しながら、声のする方へと近づいていった。


「いくら探してもいないと思ったら、こんな所にいるとはな……。ココで何をしている?」
「お前を待ってたんだよ」

(アレは……、クリストファーさんと……由比 景継(ゆい・かげつぐ)!?)
 
 そこにいたのは、クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)と、危険人物として、何度も写真を見たことのある人物――由比景継だった。

「ほう……。賞金首に嫌気がさして、直接儂の首を狙いに来たか?」
「それも中々にステキなアイディアだけど、その前に一つ、確認したいコトがあってね」
「確認したいコト?」
「東野各地で破壊され、汚される神社と結界。そして、去年東野を襲った大洪水。みんな、お前が引き起こしたことだろう?」

(エエッ!ちょ……それって本当なの!?)

 クリストファーの衝撃的な言葉に、景継の顔を見る優梨子。
 その顔に、一瞬驚きの表情が浮かぶ。

「なるほど……。腕だけではなく、頭も切れると言う訳だな」

 クリストファーはかつて、景継に深手を追わせたことがある。
 その傷跡は、景継の身体に醜く刻まれていた。

「南濘の大湿地には炎の魔神が眠り、北嶺には魔神を封じるために召喚された白峰輝姫がいる。そして白峰から南濘までの各地には、白峰輝姫の力を伝えるための結界が点々と施されている。お前は、それを破壊したんだ」

 実際、クリストファーのパートナーのクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が、この冬の北嶺藩の気温が、平年よりも高いことを、突き止めていた。
 つまり、白峰輝姫の力が、既に山の下まで伝わらなくなっているのだ。

「それだけじゃない。お前は神社や首塚なども破壊して、そこに封印、あるいは慰撫されていた怨霊を解放して、自分の手下に加えていった。結界の多くは、神社などの神域の中にあるから、ついでに襲うには都合が良かったはずだ。違うか?」
「如何にも。貴様の言う通りよ」

 景継は、素直に認めた。
 その態度には、ふてぶてしさを通り越して、誇らしさすら現れている。

(そ、それじゃ、私が見た首塚名神を破壊したのも……。あの亡霊が言ってた『あの男』って、由比景継のコト……?)

 優梨子は慌てて、以前首塚明神で手に入れた髑髏(しゃれこうべ)を取り出した。
 この髑髏の主が、『あの男を倒せ』と言っていたのだ。
 優梨子は、その髑髏を景継の方へと向ける。
 その途端、髑髏の顎が「カ、カカカカ……」と音を立て始めた。
 まるで、優梨子の推測を肯定するかのように。


「実際、感心したよ。四州なんて辺境の島で洪水が起こったって、誰も気に留めやしない。お前は誰にも邪魔される事無く、幾千幾万の魂を手に入れたって訳だ……。お前がここに来たってコトは、ここにも結界があるんだな?」
「ソレを聞いてどうする?貴様一人で、この儂を止められるとでも思うているのか?」

 景継は、一歩、足を踏み出す。

「以前のように不意を打つのでもない限り、貴様に勝ち目はない」

 景継の背後にぼおっとした影が幾つも姿を現した。
 景継が使役している、怨霊たちだ。

「大人しく引き下がると言うのであれば、この場は見逃してやらんでもないぞ?今日の儂は忙しいのでな」
「そいつはどうも。でも、オレもみすみすあんたを取り逃がして、挙句結界まで壊されたとあっちゃ、みんなに会わせる顔が無いんでね」
「命よりも名誉を選ぶか」
「残念、両方。こう見えて、結構欲張りなんだよね、オレ」
「世迷言を――死ね」

 クリストファーを指差す景継。
 彼の背後に揺らめく怨霊たちが、クリストファーに殺到する。

「今だ!」
「ハイ!どっりゃぁーーー!!」

 背後から聞こえた怒声に、振り向く景継。
 そこには、遥拝所の巨石を天高く担ぎ上げる、一人の少女の姿があった。
 景継の上に、黒い影がさす。
 少女が、巨石を景継目掛けて放り投げたのだ。 

「な、ナニっ!」
 
 転がって、巨石を避ける景継。
 
「ズウンッ!」

 景継の身体スレスレの所に、巨石が地響きを立てて落ちる。

「もらった!」

 姿勢を崩した景継目掛け、《スピアドラゴン》で突きかかるクリストファー。
 景継の支配がゆるんだのか、怨霊たちはその場に立ち尽くしたままだ。

「ハアっ!」

 【ランスバレスト】の一撃が、景継の身体深く突き刺さる――と見えた途端、景継の身体が溶けるように消えた。

「な――消えた!?」
「馬鹿め。この儂が供も連れずに敵の前に姿を現す訳がなかろう」

 頭上からの声に、天を振り仰ぐクリストファー。
 そこには、何もない虚空に浮かぶ景継の姿があった。

「貴様のその頭の冴えに免じて、その結界は壊さずにおいてやる――今日は、中々楽しかったぞ。また会おう、クリストファー・モーガンよ。貴様がその時、死体になっていないといいがな!ハッハッハッ!」

 宙に浮かぶ景継の姿は、やはりかき消すように消えた。

「クソッ、幻影かっ!」

 悔しそうに、地面に槍を突き立てるクリストファー。

「だ、大丈夫ですか!?」

 巨石の向こうから、一人の少女が駆け寄って来る。
 高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)だ。
 雪崩に巻き込まれる直前、咄嗟に《覚醒型結界》を張った咲耶は、窒息こそ免れたモノの気を失い、ここまで流されてしまった。
 それを発見し、救助したのがクリストファーである。
 咲耶から一部始終を聞いた彼は、話の前後関係から、彼女たちが誤って引き起こした大雪崩が、偶然とはいえ金鷲党の撃退に大きく貢献した事を悟った。
 そこで、彼女たちオリュンポスがココにいた事を秘密にする代わりに、自分に協力する様頼んだのである。

(幾らオレたちを騙した奴等とはいえ、役に立ったことは間違いないんだし、かといってタダで見逃すというのも気前が良すぎるだろう)

 というのが、クリストファーの考えだった。

「ああ、オレはなんとも無い。そっちこそ、済まなかったな。病み上がりなのに」

 わざわざ自分を心配して駆けて来た咲耶に、笑い返すクリストファー。

(このコ自体はいい子なんだよな、このコは……)

 そう思うと、改めて咲耶に同情してしまう。

「いえ。私は大丈夫です。さっき美味しいゴハンをお腹いっぱい食べさせてもらいましたので、元気モリモリです!」

 ガッツポーズを取る咲耶。
 しかしその身体には、雪崩に巻き込まれた時の傷が、至る所についている。
 一応クリストファーが治療したが、やはり痛々しい事には変わりない。

「そうか……。なら、すぐにここを離れた方がいい。今の騒ぎを聞きつけて、下から仲間が上がってくるからな」
「は、ハイ……って、エエッ!」

 クリストファーは背中から《氷雪比翼》を生やすと、咲耶の返事を待たずに彼女を抱きかかえ、飛んだ。
 そのまま数百メートルを滑空し、登山道から離れた所に咲耶を下ろす。

「悪いが、オレが送ってやれるのはここまでだ――気をつけてな」
「ハイ。後は兄さんに連絡して、迎えに来てもらいますから大丈夫です。色々、お世話になりました」

 ペコリ、と頭を下げる咲耶。

「それと、ヤツ――景継の話を、キミの兄さんにもしておいてくれ。この際だ。味方は、一人でも多いほうがいいからな」
「分かりました!四州があの人の思い通りになってしまったら、兄さんが征服するドコロの話じゃなくなっちゃいますからね!」
「そういう事だ」

 笑いあうクリストファーと咲耶。
 しかしクリストファーは、景継の高笑いが、いつまでも耳について離れなかった。