校長室
うそつきはどろぼうのはじまり。
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18 紺侍にメールを送ったのは昼前だった。 暇ならここで待ってると、一枚の写真を添付して。 添付した写真は、昔紺侍絡みでひと騒動あった時に彼と鉢合わせた場所だ。ヴァイシャリーにある、小さな教会。 あの時紺侍が座っていたベンチに腰を下ろして、彼が来るのを待つ。 どれくらいの時間が経っただろうか。 足音と気配に顔を上げる。二歩ほど先に、紺侍が立っていた。 「よお」 軽く声をかけると、同じく軽い声で「ちっス」と返事。ああそうだった、こいつとのやり取りはこんな感じだった。そう思う。紺侍とまともに話しをするのは、もう随分と久しぶりで、なんだかとても懐かしく感じた。 「おまえ、オレが『待ってる』って嘘ついてると思わなかったのか?」 笑いながら壮太が言うと、紺侍も笑って返す。 「嘘ならいいなって思って来ました」 「なんだそりゃ」 「でも壮太さん、今までオレに嘘ついたことねェし。きっと本当だろうなって」 「ああ」 そう、本当だ。 今まで紺侍に言ったことも、これから伝えようとすることも。 嘘なんて少しも混ざっていない、心からの言葉。 「あのさ」 「はい」 「誕生日おめでとう」 すっと、右手を差し出す。手のひらを上に向けて、何も持っていない手を。紺侍は疑問符を浮かべながらも手に手を重ねた。握手の意図が通じていたのかどうかは定かではないが、軽く手を握られる。 「壮太さん手ェ冷たい」 「元からだよ」 緊張しているせいもあるだろうけれど。 「悪いな」 「何がスか?」 「プレゼント。用意してねえから」 いやいや、と笑ってみせる紺侍がそれ以上何か口にする前に、「だって」と壮太は言葉を重ねた。間を与えてしまったら、のらりくらりとかわされそうで。 先制に、紺侍が黙る。こちらが口を開こうとしたら、彼は聞き手に回るだろうことはわかっていた。 「今からフラれるかもしんねえのに、のんきにプレゼントなんて用意できねえだろ」 フラれる、という単語に、紺侍が目を瞬かせる。理解が脳まで届いていないらしい。もどかしいような、予想通りのような反応だ。 「おまえが好きだよ」 ストレートに告げると、息を呑んだのか紺侍の喉が動くのがわかった。 「あの雨の時から、ずっとおまえのこと考えてた。おまえのこと好きで、欲しいって、そればっか」 紺侍は何も言わない。だんだん怖くなってきた。想っているのは、求めているのは、自分ばかりなんじゃないか、なんて。 相手が叶わぬ恋をしているのなら、付け入る隙はあると思った。踏み込めるのなら、気持ちをさらってやれるのに。 風が吹いた。風見鶏が動く、かたかたという音が遠く、聞こえた。 「……なあ、おまえは? まだマリアン先輩のこと好き? オレなんか、全然望みねえ感じ?」 もしそうなら、どうしようもないけれど。 だけど、それでも。 「オレのもんになってよ、紡界」 伝え、真っ向から紺侍の目を見た。拒絶の言葉が怖くて、背を向けられるのが怖くて、下を向きそうになるけれど。手だって震えそうだけど。堪えて、返答を待つ。 「誕生日プレゼントに、オレは秘密をあげるって約束でしたっけ」 しばらくしてから聞こえた紺侍の声は、静かなもので。 この先何を言われるのかわからなくて、繋ぐ手に力を込めた。 「壮太さんがなんでンな勘違いしたのか知らねェけど、オレが好きなのはアンタです」 壮太の口から、声にならなかった声が吐息となって漏れた。ぽかん、と紺侍の顔を見上げる。 「誰にも言ったことない気持ちなんで、秘密っちゃァ秘密でしょ」 「なんで」 「なんでって何が」 「だって、おまえ。マリアン先輩のこと好きなんじゃ」 「だァら、それ壮太さんの勘違いだって。なんでオレがマルさんのこと好きだって思ったんスか」 こちとらとっくにアンタのことが好きだったのに、とごくごく小さな声が言った。 (好き?) とっくに、だなんて、いつから? (全然気付かなかったぞ) 相手が隠すのが上手いのか、それとも自分が鈍いのか。どっちもか。 「なあ」 「なんスか」 「今のもう一回」 「ヤっスよ恥ずかしい」 ぷいとそっぽを向いた紺侍に、「はは」と笑う。 「そうか」 好きか。 互いに。 好き合っていいのか。 「なあ」 「今度はなんスか。オレ恥ずかしいのもうヤだよ」 ああじゃあ追い討ちだなあ、と思いながら、壮太は立ち上がった。 繋いだままの手をぐいと引いて顔を近付け、唇に触れるだけのキスを。 離れ、紺侍の顔を見る。真っ赤だった。面白くて、また笑う。 「あのねェ、オレね、もういろいろ限界だったのね。わかります? そういうの」 「わかるわかる」 「ぜってェ嘘だ。あーもうヤだ恥ずかしい」 「はは」 「笑わないでくれません?」 「笑うよ。だって」 幸せだもん。 囁くように告げると紺侍は黙り、それから笑った。 *...***...* いつものように工房に来て、いつものようにリンスの正面の椅子に座って。 「私、地球に帰ります」 テスラ・マグメル(てすら・まぐめる)は、静かに告げた。 「……、……」 リンスは、息を飲んだようだった。何も言わない、というより何も言えない、といった様子だ。 「ホントですよ」 言葉を返せないでいるリンスに、テスラはさらに続けて言う。すると、何か言おうとして開きかけた口から「そう」という吐息交じりの声が聞こえた。 言った通り、テスラの言葉に嘘はない。ただし、公演のため一週間だけ、と期間は限定されていたのだけれど。 すべてを言わなかったのは、困らせて、その後の反応が見たいから。 自分が愛されていることを試したいから。 面倒な女だと思うだろうか。でも、そうやって確かめでもしないとあなたは表現してくれないでしょう? 「テスラおねぇちゃん、かえっちゃうの……?」 沈黙を破ったのは、クロエだった。不安げな瞳で、テスラのことをじっと見ている。テスラが答えずに曖昧に笑っていると、リンスもこちらを見た。感情の読み取り辛い瞳の奥に、クロエと同じく不安の色が見て取れて、想ってもらっているのだと実感する。 「はい。帰ります。……でも、一週間だけなんです」 「いっしゅうかん。だけ?」 「はい。公演の関係で。ごめんなさい、紛らわしいこと言って」 「ほんとうだわ! びっくりしたもの。ね、リンス?」 「……うん。驚いた」 クロエに振られ、リンスが呟く。小さな声で、ぼそりと。その反応は、呆れているようにも怒っているようにも見えた。やりすぎただろうか。 「すみません。お詫びに、クロエちゃんにはピアノを教えてあげますね」 「ピアノ! あのね、わたしね、がっき、きょうみあったの」 「それはよかった。じゃあ今度来るとき、ちっちゃいピアノを持ってきましょうね」 「やった!」 クロエは簡単に機嫌を直してくれた。ではあとは。 ちらり、リンスを伺い見る。テーブルに頬杖をついて、そっぽを向いていた。こんな反応をすることもあるのか、と新鮮な気持ちになる。 「……あ。五線譜ノートを忘れてしまいました」 「ノート?」 「はい。ピアノがまだなくても、楽譜の読み方や書き方なら教えてあげられるなって思ったんですけど」 「あったらおしえてくれるの?」 「もちろんです」 「かってくる!」 言うが早いか、クロエが工房を飛び出して行く。ピアノに興味があったようでよかった。進んでお使いに行ってくれたから、ここには今、ふたりきりだ。 少し間を取るために、テスラは立ち上がった。キッチンに入り、コーヒーを淹れる。部屋に戻って、「驚かせてしまったお詫びに」とリンスの前にカップを置いた。リンスの視線が上がり、じっ、とテスラを見つめる。 「怒ってます?」 「…………」 「あの。リンス君?」 依然黙したままでいるリンスに、さすがに不安の方が勝ってきた。心臓が嫌な跳ね方をする。 「マグメル」 「はい」 「好きだよ」 一瞬、世界から音が消えた。 (それは、どういう意味で?) 問おうとしたのに、上手く声が出ない。 「だから、離れないでよ」 「……はい」 離れませんよ。 離れられませんよ。 (私がどれだけリンス君を想っているか、わかってるんですか?) どんなに言葉を尽くしても、表しきれないほど好きなのに。 (離れられるわけ、ないじゃないですか) 再び、沈黙が落ちた。 先ほど自分が作り上げたそれとは違う、居心地のいい沈黙の中でリンスはぼうっと考える。 いまさら嘘とは言えないし。 あながち嘘とも思えない。 自分でも、どれを嘘のつもりで言ったのかわからなくなっている。 (口にしないとわからないもんだ) 他人である相手には当然、自分自身さえも。