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冬空のルミナス

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冬空のルミナス

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●『イオリ』と呼ばれて

 ローザマリアに連れられ、クランジΙ(イオタ)が書き初め会場に姿を見せた。
 会場がざわめきに包まれた。彼女が元テロリストであることは周知の事実だからである。
 イオタの手に視線を落とし、すぐに顔を上げて金鋭鋒は言った。
「ご苦労」
 ローザは踵を合わせ、肘を落とさない正式の敬礼を返した。
「このたびは、自分の案を通して下さりありがとうございました!」
「むしろ大変なのはここからだぞ」
「承知の上です!」
「その意気やよし。では、彼女に会場を見せてやってくれ。話したい者があれば、自由に接して構わない。そういう契約だったからな、七枷 陣(ななかせ・じん)
 と、急に鋭鋒が自分のほうを見たので、教導団員ではないにもかかわらず、陣は思わず直立不動の姿勢になってしまった。
「あ……はい、感謝します」
 陣は喉の渇きを覚えた。剃刀のような鋭鋒の目がこちらを見ている。敵意がないにせよ、見る者をぞくりとさせる目だ。戦慄する。
 その陣の隣をすり抜けて、
「やほ〜、元気にしてた?」
 と、イオタに最初に声をかけたのはリーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)だった。
「うーん、イオタってば可哀想、すっかり痩せちゃったわねぇ〜。もっと食べなきゃだめよ。でもやっぱ、間近で見ると可愛いわね〜♪ 美少女だわ」
 言うなり、リーラは突然イオタを抱きしめたのである。
「……!」
 リーラの契約者たる柊 真司(ひいらぎ・しんじ)も、七枷陣も、ローザですら、驚きのあまり瞬時硬直した。
 もちろん、イオタ自身もだ。
「放せ雌豚!」
 イオタはやっとそれだけ言うと、できたばかりの手でリーラを押しのけた。
「あはは、悪態つくほどの元気があるなら大丈夫そうね」
 実際、そうかもしれない。激昂したせいかイオタの血色はいくぶん良くなっていた。
「リーラ、おまえ……よくそんな無茶を」
 真司が心配そうな顔でリーラに近づいてくる。
「あら、みんなして腫れ物にさわるような扱いをするほうが良くないんじゃない?」
「それは……そうだが」
 そのときぺたぺたと、アレーティア・クレイス(あれーてぃあ・くれいす)もイオタに近づいて行った。
「目を覚ましたって聞いての、気になったから様子を見に来たぞ」
 ちらっとイオタの胸の名札を見て、
「なんじゃその名札……『イオリ・ウルズアイ』とな。新しい名前か? 偽名?」
「どうでもいいよ」
「まあ『イオタ』じゃ記号じゃからなあ。うん気に入った。わらわもイオリと呼ぶことにするぞ。して、イオリはなにか書くのか?」
「黙ってろよ」
 また悪態をつくも、アレーティアはまったく聞き流している。
「まあ、手本を見せんとのう。わらわが書くのは……これじゃ」
 畳に上がってアレーティアは、悠々と四文字の願望を書き上げた。
 すなわち、『商売繁盛』。
 かっかっか、とアレーティアは笑う。会心のできだ。
「標語でも思いついた言葉でも難しく考えずに書けばいいんじゃ。あ、そうそう、イオリに土産を持ってきたの忘れとった。暇潰しには丁度いいと思ってな」
 畳から降りると彼女は、荷物からなにか取り出してイオタ(イオリ)の手に押しつけた。
 イコプラ(イコンを模したプラモデル)の箱だった。
 無言でイオタはこれを足元に落とそうとしたが、ひょいとローザが横合いから奪った。
「いいじゃない。部屋に届けておいてあげるわ。プラモデル作りはリハビリにもってこいよ」
「……勝手にやればいいさ」
 ふてくされたような顔をイオリはして見せたのだが、それでも、当初の無表情よりずっとマシだとアレーティアは思った。それに、なんとなく確信があった。
 ――イオリのやつ、あれはきっと、部屋に帰ったら作ると見たぞ。プラモを。
 だったら成功だ。
 いつの間にかイオタは畳に座らされていた。ざわめいていた周囲も、いつしか沈静化していた。
「書かへんのか、書き初め?」
 と声をかけて、陣はどっかとあぐらをかいて彼女の横に座った。
「……時間の無駄なんだよ」
「書き初めが?」
「あんたと話すことがさ」
「うわ、えらいまた言ってくれるわ。時間の無駄、って」
 陣も、今日は徹底的にイオタに罵倒される覚悟で来ている。こんな程度気にもかけない。
「そういやイオタ……いや、イオリか? 前、『地獄への道は善意で舗装されている』とかなんとか言ってたけど、後でぐぐって見たらあれ、要は『大きなお世話』ってことやろ? まだるっこしいなあ……ていうか、これか」
 いきなり陣は正座して、さらさらと一筆書きあげた。
「はい、この書き初めを送ろう」
 うんと太字で書かれたその文字は……『厨二病乙』!
「ち、厨……中二だと……!」
「そやないか。変に格好つけたがって。お前、ただのウオノメも『邪気眼』とか言うタイプやろ!」
 さらに畳みかけるように、陣はつぎつぎ、恐ろしい(?)書き初めを仕上げてはイオタに見せるのだった。『うるせぇエビフライぶつけんぞ』とか『選民思想(笑)』とか……。
 いちいち罵詈雑言でこれを非難していたイオタだったが、もう言葉が尽きたのか、
「こんなバカと思わなかった! あんたといるとバカがうつる!」
 とか言って席を立とうとした。しかし、
「でも、お前が意固地になっている原因はこれやろ」
 と、陣が出した書き初めを見て止まった。
 一文字だった。漢字でもひらがなでもなかった。
 それは、『Ε』という文字。イプシロンと読む。
「すいません。イオタ……いえ、イオリ様、調べさせていただきました」
 横合いから、小尾田 真奈(おびた・まな)が出てきて頭を下げた。
「イオリ様、あなたや、カーネリアン・パークス様が尊敬していたクランジΕ(イプシロン)様……その最期について、です(※このシナリオガイド部参照)
 わかっていることを、真奈は簡単にまとめて話した。
 陣や真奈の友、大黒美空は暴走し、イプシロンを殺した。それを知ってか知らずか、イオタは美空を殺して復讐を遂げた。
「復讐の連鎖は、もう終わりにせんか? それより話してくれないか。イプシロンのことを。オレたちは彼女を知らない。だから知りたい。あのΚ……今のカーネリアン・パークスも尊敬していた人物なんやろ?」
「あんたらに話してどうなるっていうんだ! お涙頂戴なんて御免だ!」
 イオタは立ち上がった。冷ややかな眼で見る。真奈と陣を、そして、
「う……や、やる気か……!」
 身構えるリーズ・ディライド(りーず・でぃらいど)を。
 そして、一言も口を聞かないが、刺すような視線をずっと向けていた仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)を。
「あんたら全部、クソだ。イプシロンと比べたら、ゼータ(Ζ)もシータ(Θ)も全部クソだ! もう帰る!」
 衰えたとはいえ相手はあのクランジΙだ。リーズは鳥肌が立ちそうになるが負けずに言い返した。
「えっ、一枚も書かないの? 書き初め?」
 唇を舐めて続ける。
「ふーん、たいぷ1? って言うんだっけ? 優秀だって聞いたけど、君書き初めもできないんだー。かっこ悪いなー」
 これを聞いて怒るかと思いきや、イオリは力なく言ったのである。
「……そうだよ。僕は、かっこ悪い」
「最後に、私はこの言葉を贈ろう」
 磁楠がここではじめて声を発した。彼は長い紙に、なかなかの筆さばきで書いたのだった。『一夜十起を受け入れ、乗り越えろ』と。
「さて、イオリにできるかな? これが」
 イオリはなにも言わなかった。ただ、舌打ちをした。イオリが畳より滑り降り靴を履くと、
「うん、帰ろるね? 今日、いっぱいがんばったね」
 とエウフロシュネ・ヴァシレイオスが付き添った。こぅして、さらにはローザマリアが先導し、イオタは護送車に帰っていったのである。
 こうなっては、陣たちは見送るほかはない。
「良かったのかな……あれで」
 リーズが言い、陣も自信なさげな顔を見せたが、
「いや、いいと思う」
 磁楠はこう言った。
「完璧に思う通りには行かなかったかもしれない。だがイオリは、はっきりと感情の波を見せた。それに彼女に新たな名を与えることもできた。クランジに個の名を付ける効果は、ファイスから始まり実証済みだ」
「そうですね。焦ってすべてを求めても駄目ですものね」
 微笑んで真奈はうなずいた。ちょうど彼女が筆でしたためた言葉は、『七転び八起きから平穏無事へ』である。
「ま、それならそれでええか」
 と陣は言う。
「それにしても、『イオリ・ウルズアイ』か……ローザマリアさんあたりが考えたと思うけど、ぴったりの名前やね。『凛とした』って言葉を想起させるし、狼っぽいところもあるし」
 磁楠は黙って座っていた。
 自分が考えたと言い出すのは、なんとなく気恥ずかしかったからだ。