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そんな、一日。~二月、某日。~

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そんな、一日。~二月、某日。~

リアクション



7



 甘いものが食べたい、と強く思う瞬間は、甘いものが嫌いでなければ誰にでもあると思う。まして、甘いものが好きならなおさらだ。
 だから、東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)が「ケーキが食べたいなあ」と呟いたのは自然なことだ。
 そう。ケーキが食べたい。とびきり甘くてすこぶる可愛い、幸せなケーキが。
 秋日子は、そんなケーキを出すお店を一店知っている。『Sweet Illusion』だ。そういえば、今シーズンはまだ一度も顔を出していない。『Sweet Illusion』はよくメニューを変えるから、今行けば知らないケーキばかりだろう。きっと、目移りしてしまう。
 この時期美味しいものはなんだろう。チョコ? 苺? それらを合わせたもの? ああ、考えるだけでわくわくする。
 決めた。今日行こう。今行こう。すぐ行こう。せっかくだから、奈月 真尋(なつき・まひろ)キルティス・フェリーノ(きるてぃす・ふぇりーの)も誘ってみんなでお茶しよう。
 立ち上がり、キルティスを呼びに行く。男物の服に身を包んだキルティスは、ソファに背を預けて雑誌を読んでいるところだった。ちょうどいいことに、真尋もすぐ近くにいた。
「ねえねえふたりとも、今日時間ある?」
「ありますけど」
「どうかしはりました?」
「『Sweet Illusion』にケーキ食べに行こうよ!」
 先に頷いたのはキルティスだった。「いいですよ」と淡白に答え、雑誌を閉じてテーブルの上に置く。その後真尋を見ると、にこにこと嬉しそうに笑っていた。
「いいですねえ、フィルさんのところのケーキ! ウチ、どのケーキ食べましょ。今から迷っちしまいますね」
「ね。迷っちゃうよね〜!」
「けど……いいんですか?」
 きゃいきゃいとはしゃぐ女子ふたりに対し、どこまでも淡々とキルティスは言う。
「? 何が?」
「僕を誘ってないで、デートでもした方がいいんじゃないかって」
 言われて、恋人の顔を思い浮かべる。もちろん彼とふたりで過ごすのは楽しいし、幸せだ。だけど、今は考えていなかった。
「ふたりと遊びたかったからなあ……」
「秋日子さん……! ウチも秋日子さんと遊びたかったんです!」
「わーい、相思相愛だね」
「嬉しおすなぁ」
「……はあ。いいのか、これで」
 キルティスは、「余裕ってこういうことですかね……」とよくわからないことも言っていた。疑問に首を傾げると、なんでもないです、と返されてしまったが。
 ともあれ、ふたりは一緒に行くと言ってくれた。
 それでは早速出かけよう。美味しいケーキが待っている。


 ショーケースに並ぶ、色とりどりのケーキ。
 その半数は、初めて見るものだ。本当に、ここのケーキは入れ替わりが激しい。パティシエのアイディアが豊富なのだろう。しかも、大体どれも美味しいから、困る。とにかくとても、迷う。
 決めることができたのはキルティスだけだった。
「ザッハトルテとアールグレイ」
 キルティスが選んだケーキを注文したのは、かれこれ五分近く前になる。その間、秋日子と真尋はショーケースとのにらめっこを続けていた。
「……まだですか?」
「ううう……いや、うん……この、二月のオススメケーキ、に惹かれるんだけど、オペラも捨てがたくてね……?」
「ウチ、まだ絞れてすらいないです……だってここのケーキ、どれもめんこいものばっかりで……そもそもどげんしたらこげなケーキさ作れるようになっとですかね? ここのパティシエさんの頭の中、ちょっこし見せていただきたいです。
 ……ああ、それにしてもこんなに可愛いもの作れるなんて。きっと、ケーキみてえにむぞらしか人なんでしょうねぇ……」
 真尋がほうっと息を吐く。ケーキにすっかり見惚れているようだ。無理もない。ひとつひとつが芸術品のように綺麗なのだ。繊細で美しく、愛らしい。女性が『いい』と思う要素をふんだんに取り入れている。
 感嘆の声を聞いていたら、秋日子まで迷ってきてしまった。せっかくふたつまで候補を絞ったのに、どれもこれも食べてしまいたくなる。
「ショーケースの端から端までひとつずつ! とか、やれたらいいのになあ……」
 現実にそんなことをやろうものなら翌朝の体重が恐ろしすぎる。
「たまにいるけどね、そういうことする人ー」
「いるの!?」
「いるよー。いっぱい食べる人に限って痩せてるよね」
「ああ……だからきっと、食べられるんだ。いいなあ……一回でいいから、好きなだけケーキを食べたい」
「食べればいいじゃない」
「ま、またそんな悪魔のような囁きを……」
「どれも美味しいよ?」
「無垢な目を向けないでっ。甘言に惑わされそうになるー」
「ああもうウチ、決めました。これとこれとあれ。食べます」
 ぴっぴっぴっ、と真尋がみっつ、ケーキを選んだ。みっつ!? と秋日子はぎょっとする。彼女は英断したのだ。乗りたい。便乗して、秋日子も複数個頼みたい。ああ、そうすればテーブルの上がちょっとしたケーキパーティに。
「いいな、その光景……」
「なーに? オーダー決まった?」
「うん。決めたよフィルさん。フィルさんのオススメを二個、いや三個だっ!」
「私のオススメ、全部なんだけど……」
「言うと思った! じゃあ、うーん……これと、あとそっちのシフォンと二月のオススメケーキでっ」
「かしこまりましたー」
 真尋とかぶらないように選び、お会計を済ませた。ああ……やってしまった。けれど、仕方ない。
「ね。仕方ないよね、真尋ちゃん」
「仕方ねぇですね」
「甘いものは別腹だもんね」
「ですね。どんならんです」
「…………」
 やり取りを、先に席で待っていたキルティスが見ている。どこか生ぬるい目に見えるのは気のせいだろうか。
「お、お待たせー。ごめんね、時間かかっちゃって」
「いえ、それは構いませんけど。……いいんですか?」
「え、今度は何?」
「ケーキ三個って。一個でも結構カロリーあると思うんですけど」
「「…………」」
 仲良く真尋と沈黙する。
 いいはずない。いいはずないけど、誘惑に負けたのだ。
「食べた分ちゃんと運動するもん。明日から!」
「それ、駄目なパターンですね」
 即座に返されたツッコミにはぐうの音も出なかった。
 急にケーキを食べることが恐ろしく思えたが、そんなもの、テーブルにケーキが並んだ瞬間霧散した。
「美味しそう……!」
「ねぇ! はぁ〜……既に至福ですわぁ……心が満足しとります」
 頬に両手を当てて、うっとりと呟く。
 食べるのがもったいないようなケーキたちだが、食べないでいるなんてとんでもない。
 しばらく見た目を堪能してから、秋日子と真尋はフォークを取った。ちなみに、キルティスは既に二口目を食んでいる。
「そんなに喜んでもらえると、こっちとしても嬉しいよねー」
 一回では運びきれなかったケーキを運んできたフィルが、弾んだ声で言った。
「どうぞ、ご堪能ください」
 にっこりと微笑んで立ち去ろうとするフィルを、秋日子は「待って」と呼び止める。
「後でフィルさんの手が空いたら、私たちとお喋りしようよ」
 駄目元の誘いに、フィルは綺麗に微笑んで「ありがとー」と言った。ああ、やっぱり駄目か。仕方ない、彼女はこの店の店長なのだから。
「一緒にお茶できたら楽しいと思ったんだけどなあ」
「ほっだら女子会でしたねぇ」
「女子会?」
 真尋の言葉に、秋日子は目を丸くする。キルティスも、少し驚いたような顔をしていた。
「ん? 秋日子さん女子。キルティスさん女子。フィルさん女子。もちろんウチも、女子。ね? 女子しかおらんし、これは立派な女子会でしょう?」
「いや……僕男だって公言してるんですけど……」
「そうだよ。それにフィルさん、女の人とは限らないし」
「何を言うとりますか。キルティスさんもフィルさんも女性に決まっとります。今更男や言われても、ウチは信じねぇですからね」
 きっぱりと言い切って、真尋はケーキを一口食べた。幸せそうに、頬が緩む。
「……まあいいか」
「いいの?」
「いいです。真尋さんに実性別を認めてもらえないのは今に始まったことじゃありませんし」
 それより、と言葉を切って、キルティスがフィルの方を向いた。新たに入ってきたお客様に、可愛らしい笑顔を向けている。
「フィルさんは、実性別どちらなんでしょうね……」
「うーん……」
「年齢も不詳ですよね」
「私たちと同じくらいかなあ。でも、もっとずっと上って言われても納得しちゃいそう」
「そんな不思議な雰囲気がありますよね」
「ね」
「何か深い理由があったりするんでしょうか? ……まあ、僕たちが詮索することじゃないですけど」
「まあね」
 あの人はケーキ屋さんの店長で、それなりにフレンドリーで、可愛くて美味しいケーキを提供してくれて。
 これで十分といえば十分なのだ。
「詮索されるの、嫌いそうだしね」
「ですよね」
 それでもし、店を出禁にでもなってケーキを食べられなくなる方が困る。
「君子危うきに近寄らずだね」
「それ、使い方間違ってます」
「まあまあ」
 細かいことだよ、と大雑把に一刀両断して、秋日子は新しいケーキに手をつけた。