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そんな、一日。~二月、某日。~

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そんな、一日。~二月、某日。~

リアクション



8


「ねえ……もしかしてリンス君って花粉症かい?」
 そう涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)が尋ねると、リンスはきょとんとした目でこちらを見た。
「どうして?」
「しばらく見ていたけれど、随分ぼうっとしているようだったからね。イルミンスールにいる時からきみ、春先はそんな感じだっただろ?」
「そうだっけ」
「まああの頃は、いつもぼうっとしていたようにも思えるけど」
 さりげなく酷いな、というリンスの抗議は放っておく。学生時代はいつものことだったから気にしなかったのだ、と思い出していた。
「俺、別にくしゃみしないけど」
「花粉症の症状は、くしゃみや目の痒みだけではないさ。春になると毎年のようにだるくなったりするのだって、症状のひとつだ」
「ふうん……」
「というわけでひとつ料理でも作ろうか。食を改善すれば、少しは良くなるかもよ」
 キッチン借りるね、と言い残し、涼介は席を立った。キッチンに入る直前で一度だけ振り返ったが、リンスはやはりどこかぼうっとした様子で、こちらを見ているのに涼介のことを見ているわけではないというか――なんとも言えぬ感じであった。
 彼が何を考えているのかは昔からわかりづらかったが、今でもそれは変わらないな、と思いながらキッチンへ足を踏み入れた。
 とりあえず、料理を作ろう。美味しいものを食べれば、気分が良くなるだろう。腕まくりをして、食材に向かう。今日作るのは、鰯とトマトのパスタだ。
「これがかふんしょうにきくの?」
 傍らからクロエが顔を出し、尋ねてきた。どうやら先ほどのリンスとの会話を聞いていたようだ。「そうだよ」と涼介は答え、鰯をさばく。
「鰯などの青魚に含まれるEPAやDHAにはアレルギー症状を抑えてくれる効果があるんだよ」
 内臓と頭を取った鰯をカットした後、セロリを切り、次にトマトをまないたの上に乗せる。
「トマトにはナリンゲニンカルコンというものが含まれていてね。これには炎症を抑える働きがあるんだ。花粉症の改善にいい食材ってわけ」
 喋りながらカットを済ませ、鰯に塩コショウと小麦粉で下味をつける。下準備が終わったので、フライパンの上にオリーブオイルを引いた。潰したニンニクと種を取った唐辛子を入れ、弱火に設定する。オイルに唐辛子とニンニクの風味を移すためだ。このタイミングで鍋にパスタを入れ、茹でる。
 フライパンに視線を戻し、ニンニクの色でタイミングを見計らった。ニンニクが色づいてきたら、風味付けのためのものを取り出すのだ。取り出したら次は、鰯を入れて焼く。さらに風味を加えるため、白ワインも入れた。白ワインのアルコール分が飛んだら、トマトとみじん切りにしたセロリを加えてよく炒め、パスタの茹で汁も一杯入れる。最後に塩コショウで味を調えたらソースの完成だ。
「茹で上がったパスタに絡めれば、はい出来上がり」
「やっぱりりょうすけおにぃちゃんはてぎわがいいわね。みならわなくちゃ」
「クロエ様も十分出来ていますわ」
 とクロエに声をかけたのは、涼介の隣でハーブティを淹れていたエイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)だった。褒められたクロエが、にっこりと笑う。
「ありがとう」
「いえ、お礼を返されるようなことでは。
 ……そういえばクロエ様、テーブルの上に花札がありましたが。もしかして、アナログゲームがお好きなのですか?」
「ううん、あそぶのはじめてよ。エイボンおねぇちゃんは、すきなのね?」
「ええ。わたくしも兄さまたちも、みんな好きですわ」
 ね、とこちらに話を振られたので、涼介はああ、と短く頷いた。
「お茶とお菓子を片手に、みんなでわいわいするね」
「それ、すてきね。きっとたのしいわ」
「はい。とっても楽しいですよ。ボードゲームやカードゲーム、チェス等……様々なことをして遊びますわ」
「すごい。つよそう」
「それが、あまり強くないのです。堅実な戦術を取ることが多く、ここ一番で大胆に動けないのですよ」
 そうだ。エイボンは、それがあるから惜しい。あと一歩、というところまでは迫るのだが、結局のところ理に適った方を選ぶ。そしてそれは、概して読みやすい。
「そうですわ、クロエ様。せっかくなのでひとつ手合わせいたしませんか」
「いいわよ。ルールは?」
「『こいこい』で親子一回ずつの二回戦勝負でいかがでしょう?」
「わかったわ」
「では後ほど」
 少女たちが勝負の約束を取り付けたあたりでパスタが茹で上がった。ソースに絡め、提供する。
「はい、お待たせ。冷めないうちに召し上がれ」
「ありがと」
 食べ終わるまで待ってみたが、やはりどうも表情は晴れないようだった。
「まあ、すぐ効くとは思っていなかったけどさ……」
「うん?」
「いや。こっちの話だよ」
「ああ、花粉症のこと? でもたぶん俺、違うと思うな」
「何。じゃあ君、その倦怠感に心当たりでもあるのかい」
「倦怠っていうか。……アンニュイ?」
「なあリンス君。アンニュイって和訳すると、倦怠って意味だぜ」
「ニュアンス的にはそんな感じ」
「まあ、なんとなくわかるけど。それで結局、原因は?」
「んー……」
「言いたくないならいいけどさ。あんまり心配させるなよ」
「……そうだね。ごめん。ありがとう」
「いいけどね」
 ちらりと、エイボンたちに視線を向ける。親子交代したところだった。後片付けを終える頃には終わるだろうか。
「お暇が近いし、片付けしてくるよ」
「ねえ、本郷」
 席を立とうとしたら、呼び止められた。ぼうっとした様子にそぐわぬはっきりとした声だった。
「うん?」
「また、来る?」
 その一言で理解する。今回の、憂鬱のわけを。そして、理解して、苦笑した。
「私たちは、なんだ」
「なんだって」
「友人だろ。来るよ。当然だ」
 だから、そんな問いかけをしないでくれ。なんだかこっちまで寂しくなるじゃないか。