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思い出のサマー

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思い出のサマー
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●鷹村家の夏

 2024年、太陽。
 燃え上がる太陽。
 夏である。
 真夏である。
 真っ赤な太陽からダイレクトに降る火焔放射に灼かれ、立ったまま黒い消し炭になりそうな夏である。
 おまけに湿度も高いときている。
 ゆらゆら立ち昇る熱気が視界を、あるいは脳を、ぐにゃりと飴のように溶かす。
 それは早朝であっても例外ではなかった。
 家を出たころはさほどではなくとも、日課のランニングコースをぐるっと回って戻ってくるころにはもう、炙られている魚あるいは茹でられている蛸もしくはその両方の気分が味わえるというものだった。たっぷりと。
「消耗するものですね」
 だが鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)はまるで他人事のようにそう呟くと、からりと黒漆塗りの格子戸を開けて我が家に戻った。
 さすがに、汗だくだ。
 バケツ一杯のぬるい水を頭からかぶったような姿である。
 それでも、
「ただいま帰りました」
 と、口調がまったく乱れていないのは真一郎らしい。
 なにせ毎日のことなのだ。朝からへとへとになっていてはやっていけないし、この程度ならなんとも思わない真一郎の肉体である。
「兄者、戻られましたか。今朝も昨日とまったく同じ時間だ」
 綿製の夏のれんを上げて、姜 維(きょう・い)が涼やかな顔を見せた。
「朝餉の支度はすぐ済みまする。水浴びを済ませるころには良い塩梅かと」
 外はすでに猛暑だが、姜維にはまるで関係がなさそうだ。背筋をすっくと伸ばし、白い前掛け(エプロン)をきっちりと締めている。
「お願いします」
 真一郎は軽く頭を下げシャワー室に入った。
 赤い結い紐を解いて総髪になると、手早く服を脱ぐ。ぎっちり肉の詰まった分厚い胸板は熱を帯び、まるで溶鉱炉から出したばかりの鉄のようだが、これに氷のように冷たい水をさっと浴びせた。真一郎の髪は濃い銀色で、水を吸うと研ぎ澄まされた刃のような光沢を放つ。
 ここではじめて、真一郎の口から溜息のようなものが漏れた。
 この季節には、この瞬間がたまらない。至福のひとときだ。
 念入りに水気を拭うと、真一郎は部屋着で食卓に入った。部屋着といっても、その襟ひとつ乱れていないのが彼である。
「おっはよー、しんちゃーん」
 ソファのところに屈んでいた松本 可奈(まつもと・かな)がくるりと振り返った。
 そのソファの上には鷹村 弧狼丸(たかむら・ころうまる)が仰向けになって寝そべっており、
「おはようなんだよ〜」
 綿棒で伸ばしたような、のべーっとした口調で言うのである。
「これ、兄者の前でそのような……」
 姜維は眉をひそめるが、弧狼丸は一向に構わない様子だ。
「なにせ暑いのだ。許せ」
 などと返事してごろごろしている。
「そうよね、暑いもんねー」
 可奈もやはりのんべんだらりと、そんな弧狼丸の髪を櫛でといてやっていた。
 姜維はなおも何か述べようとしたのだが、考え直したのか一拍おいて口を開いた。
「可奈義姉者(あねじゃ)、朝餉にございます」
 このときにはすでに、真一郎はテーブルについている。
「え? あー、はいはい」
 ひょこっと可奈は向き直り弧狼丸の手を引いた。
「コロマル、ごはんごはん!」
「おう! 腹が減っては戦ができんというからな!」
 これには弧狼丸も、バッタが飛び上がるようにして応じたのだ。
 考えてみれば、これで良かったのかもしれない――なんとなく姜維は考えた。
 可奈が弧狼丸とたわむれていて、「朝ご飯作るの? 手伝う!」と言いださなかったのだから。
 なにせ――思い返すだけでさしもの姜伯約も、寒気を感じずにはおれない。
 可奈の料理の腕は壊滅的、いや、壊滅的なだけならまだいい、生物兵器級なのである。真一郎ならそれでも平然と平らげるのだが、それは真一郎が例外中の例外、超人的胃袋を持っているからこそできる偉業であって、他の顔ぶれが口にする事態にでもなれば、救急車を呼ばなければならなくなることだろう。可奈が突然やる気を出して料理の手伝いを申し出たとすれば、まずそれを止めるところから始めなければならなかった。
 なのでこれでよい、と一人心を落ち着けて、姜維は自身も食卓についた。
「頂きます」
 真一郎は合掌し、よく通る声で述べた。
「いただきます」
「いただくよー」
「いっただきまーす!」
 皆めいめいの言葉で呼応すると、自分の朝食に手を伸ばす。食事のあいさつはしっかりと、これが鷹村家のルールである。
 真一郎の前にはご飯と味噌汁、海苔。質素な武家のような朝食だ。
 姜維も同様である。
 可奈はパンと牛乳。
 ところが弧狼丸ときたら、パンとポタージュスープとご飯と味噌汁、最後にヨーグルトという無茶苦茶なミックス具合であった。弧狼丸はパンとご飯を一緒に食べて、コーンの浮いたスープとワカメの味噌汁を交互に口にしている。基本的に量さえ十分ならばなんでもいいらしい。
 四人それぞれ量も違うし食べるペースも異なるのだが、終了のタイミングは計ったように一致していた。
「ご馳走様」
 真一郎が手を合わせたとき、弧狼丸も姜維も可奈も、同じ言葉を発していた。

 本日は非番だ。
 鷹村家では基本的に冷房を入れない。和風造りの一軒家は、風通しがよく熱がこもりにくかった。
 夏の真一郎は、主として午前中を鍛錬に充てる。武芸百般そつなくこなす彼だが、それを高いレベルに保つ秘訣はたゆまぬ努力にあった。弓矢、銃剣、柔術、黙々と一通り型稽古を行うと、たちまち稽古着は汗で重量を倍にした。
 ここでもう一度シャワーを浴びて、昼食。
 午後は読書に時間を費やす。真一郎はあまり娯楽書を手にしない。畳敷きの部屋で文机を前にして正座し、漢籍を繰ったりしている。
「兄者、宜しいですか」
 障子の向こうから一声かけて、姜維が熱い珈琲を乗せた盆とともに和室に入ってきた。和風の湯飲みも彼の好みに沿うものだ。
「落ち着きますね」
 真一郎は正座を崩さぬままに柔らかく口元をほころばせて、それとなく皆の様子を尋ねた。
「可奈義姉者は……」
 と言いながら姜維は、ついさっき彼女にアイスとスイカを持っていったときのことを思いだしていた。
 可奈は弧狼丸と一緒に簡易のゴムプールを引っ張り出し、庭で水浴びを楽しんでいた。
「いや……あれは『水浴び』などという可愛らしいものではなく……」
 姜維は少々頭を抱えたくなるのである。
 最初は可奈・弧狼丸とも、純粋に水浴びをするつもりだったのだと思われる。
 珍しく見解が一致した二人は仲良くプールを運び、交替でポンプを押して和気あいあいとこれを膨らませた。
 そしてプールにきらきら光る冷たい水を注ぎ入れるところまでは良かった。
 といってもここからが問題だ。
 いかんせんプールのほうが子ども向きサイズであり、可奈と弧狼丸が一緒にならんで入るには狭い。
「ちょっとコロマル、詰めてくれない?」
「コロマルは十分詰めているぞ」
「なら一旦出てよ」
「そっちこそ出るべきだ!」
 という会話は静かな前奏曲、あっと言う間に二人は、プール奪い合いとっくみあいのバトルを演じるハメになったのだった。
 弧狼丸が可奈を押しのけようとする。可奈が逆に弧狼丸を引き倒す。こらえて弧狼丸が可奈を裏投げ! 飛ばされた可奈は受身を取ってプールに前転、勢いつけて弧狼丸にドロップキックを浴びせた!
 水が跳ね、逆流する滝になったり爆発したり。まあ涼しいといえば涼しいのだが、とんでもない騒ぎになったものだ。
「おやつの時間です」
 重い岩が落下したような口調で姜維が呼びかけたときには、可奈の腕十字固めががっちりと弧狼丸に極まっていた。
 これも虎の子がじゃれあうようなもの、姜維は半ばあきれつつも、このような事情を語って聞かせた。
 それは結構ですね、と真一郎はうなずいてみせた。
 二人が楽しく過ごしているのであれば、それでいい。

 日が傾き夕方になると、真一郎はランニングに出た。
 帰宅してもう一度汗を流して、一同揃っての夕食となる。なお食事は、姜維ともう一人の英霊だけが行う。(つまり、絶対に可奈には関与させないということだ)
 夜はまた思い思いに過ごして、自然に眠くなった頃合いで就寝する。
「では、お休み」
 真一郎はすっくと立って個室へ向かった。特に何があったわけでもないが、いつも通り充実した一日であったと思う。
「お休みだ」
 パジャマ姿の弧狼丸は立って枕を抱き、ごく当たり前のような顔をして真一郎の部屋に入った。
 ……五秒後に、真一郎に丁重に連れ出された。
「部屋を間違えては、いけない」
 真一郎はそう言っているし、多分彼は本気でそう思っているのだが、可奈は弧狼丸がイタズラっぽい目をしているのを見逃さなかった。
「コロマルは私と一緒でしょー!」
 言いあらわしようのない腹立ちを覚えつつ、弧狼丸の襟をつかんで引きずるようにして寝室に連れて行き、
「ほれ」
 と弧狼丸が落とした枕を拾って投げつけた。
「む!?」
 これになにやら、弧狼丸はピンと来たらしく、
「お返しだー!」
 満面の笑みとともにその枕を、可奈にフルスイングで投げて顔面にぶつけた。
「このー! やったわねー!」
 枕はいわゆる蕎麦殻枕だ。なので当たるとそれなりに痛い。激突した鼻がじんじんするが、挑戦されて拒む可奈ではない。
「くらえ! 大リーグ枕投法!」
 大リーガーは枕を投げないという気もしたが、そんな事を口走ってブン投げていた。弧狼丸は避けようとしたが、仕損ねてこれを腹に受ける。
「ぬう! やりおるな姉貴! だがコロマルも伊達に野球をやっているわけではないッ!」
 言うや弧狼丸は押し入れに飛びつき、そこにあった枕をつぎつぎ(来客用含む)、取り出しては投げつける。
「ええい! 本日第二ラウンド開始ってわけね!」
 負けじと可奈は応じた。
 わーきゃー。
 わーきゃー。
 間に、ドスドスと枕が激突する音が聞こえる。
 熾烈なれど楽しげな、今日を締めくくる戦いなのである。
 可奈と弧狼丸の騒ぎはしっかり、姜維の耳にも届いていた。
「……」
 自室の布団に入り、目を開けたまま姜維は思う。
 明日の片付け、掃除のことを。
 家事すべてをとりしきり、家庭内のものであればそれこそ「誰の何色のパンツが何段目の引き出しに入ってる」ことさえも関知している姜維である。現在可奈と弧狼丸の行っているバトルが、どれほどの損害(部屋の散らかり)をもたらし、これを復旧するのにどれくらいの時間がかかるかも音だけでおおよそ想像が付いている。
 とはいえこれも鷹村家の日常だ。
 むしろ明日、するべきことが見つかったと考えて良しとしようか――そう思って姜維は眠りについた。
 ――感謝しよう、今日も一日、無事にすごせたことを。