校長室
黄金色の散歩道
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永遠を願いながら…… たとえ何度目であっても、新婚中にそのつもりで行けば新婚旅行である。 現役コスプレアイドル兼大学生の夫婦綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)とアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)の二人は、その何度目かの新婚旅行をしていた。 暇だから、ではない。事実は全く逆で、超多忙な生活を送っていた。その中で奇跡的に取れたオフ、さゆみはソファから飛び起きてパソコンを弄ると、早速お茶を淹れていたアデリーヌに叫んだ。 「空京郊外に、穴場の温泉があるんだって! そこにお忍びで行きましょう」 こうして、地味だけれどのんびりした新婚旅行が始まった――筈であった。 電車やバス、馬車を乗り継ぎ、ごとごと揺られること三時間。宮殿は遠くに去り、最後に降り立った場所はさびれた農村といった雰囲気の場所だった。遠くに地名を示す看板がぽつんと立っており、温泉宿の矢印が山の中へと続いていた。 まだまだ朝といっていい時間帯。 さゆみは早速、不安げなアデリーヌの背中を押して山道へと足を踏み入れたが……。 「……迷った」 何時しか太陽は頭上高く。立ち尽くすさゆみに、アデリーヌは額に手を当てると溜息を吐き出した。 人並み外れた方向音痴のさゆみのことだ、知らない山の中にある細い道なんて、たとえ一本道でもすんなり目的地に辿り着けるはずがない。紅葉の季節で道に落ち葉が積もっていればなおさらのこと。 「……えぇっと、でも、確か温泉って山の上の方よ。登っていけば着くって……。『この山』なのは間違いない……と、思う……し」 「それは私が保証しますわ、さゆみ」 「ごめんねアデリーヌ。適度な運動になるかと思ったけど。これじゃ新婚旅行っていうより、冒険旅行で苦行だわ……」 さゆみは申し訳なさそうに謝ったが、謝ったところで彼女の方向音痴が治るわけではなかったのだった。 道を失った二人は太陽の方向や、木々の向こうに見える他の山の角度から位置を割り出そうとしつつ手元の地図を頼りに進んでいったものの……、 「助けてアデリーヌ、へ、蛇!」だの、「さゆみ、そこは行き止まりですわ」だの、手持ちの少ない食料を食べつくしてしまい、何度も遭難しかけたのである。 「秘境探検に来たんだっけ……?」 さゆみが木の根元に座り込んで呟いた時、木々の合間から見える空からは水色が消えようとしており、端からオレンジ色の光が森の中に差し込んでいた。 (もう夕方なんだ……) ぼんやりと、無常だが人の手も目もない自然の風景を見つめながら、さゆみは情けなくなった。 アデリーヌに申し訳ない。折角の休みなのに。ここで寝たくない。早く宿に着きたい。どこを歩けばいいの、っていうか遭難した? お腹空いた。喉渇いた。早く温泉に入って、美味しいもの沢山食べたい! さゆみが妄想で鬱憤を晴らしていると、いつしか一人で様子を見に行っていたアデリーヌが戻って来て彼女に手を差し出した。 「……さゆみ、ありましたわよ、温泉宿」 「本当!? うん! 行く、今すぐ行くわ!」 すっくと立ち上がって走り出そうとするさゆみをアデリーヌは手を握って制すと、宿への道を歩いた。正確には道などここにはなく、斜め下に温泉宿の素朴な木の屋根が見えていた。二人の前を遮っている崖を、契約者ならではの動きで滑り降りる。 「やった、着いたわ!」 さゆみは荷物の入ったボストンバッグを振り上げるように、宿屋に突進して行った。 ――そして十分後。 素早いことに、二人は既に露天風呂を訪れていた。 温泉には二人しかいない、というのは、秘境同然のこの温泉宿に今日の客は自分たちだけだったからである。 貸切同然というのはアイドル活動中の二人にとっては――そして夫婦としては願ってもないことだった。 「絶景ね……」 「本当にそうですわね」 二人は感嘆の息を吐く。 この宿は丁度山の中腹にあり、露天風呂は少し張り出すように作ってあった。ここからはまるで展望台のように周囲の山々が見渡せた。先程まで遭難するかもしれないという焦りで、自分を飲み込む敵となっていた森を見渡す余裕がなかったが、こう見れば本当に美しかった。 真っ直ぐ見渡す限りの紅葉は山が続く限りで、眼下にも、そして近くの木々、露天風呂のすぐ上から伸ばされた枝が紅葉し、そしてまだ残っている青い葉も全てが夕暮れの赤に染まっていた。 (空が澄んでるから、きっと夜になったら降り注ぐような星空の美しさも容易に想像できるわ……) さゆみは身体を流すと早速湯船に入る。 秋独特の気温の降下に、汗をかいて少し冷えた身体。それがお湯の温かさがじんわりと身体の芯までしみていくと同時に、水に濡れる感触が心地良かった。 「ああっ……」 さゆみは湯に肩まで浸かりながら、思わず艶っぽい声を出してしまう。 瞳を閉じて感覚に身を委ねていると、今日と日頃の疲れが全て身体から溶けて流れ出していくような快感――しばし呆然とする。 (というか、自分はこんなに疲れていたっけ?) さゆみはしばらくそのま感覚に流されていたが、やがて眼を開くと、さゆみの真似をしていたアデリーヌとどちらからともなく肩を寄せ、指を絡めた。 (ただの人間と吸血鬼……残された命の時間は短い。だから、その時間だけはずっとずっとアデリーヌのことだけを愛していたい。今こうしているように) お湯の中で暖かいのに、アデリーヌの細くて滑らかで、柔らかい指先はもっと別の暖かさだった。 アデリーヌもまた握り返す。 (ただこうしているだけなのに、どうしてこんなにも幸せな気持ちになれるのでしょう? それなのに……永遠の命を持つ自分と、どんなに長生きしても百にも満たない生命しか持たないさゆみ……) さゆみが、そのことで思い苦しんでいる姿を何度も見てきた。 (出来ればこの幸福が永遠に……) 叶わないのに。決して叶わない夢だと判っているから、なおのこと。 (……いえ、不安など捨てて、二人でここにいる幸福を大切に……) さゆみがふと視線をアデリーヌに向ける。 「ねえ……このままずっと……ずーっと一緒にいられたら……いいよね……」 二人は視線を絡めると、共に空を見上げた。