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第1章 朝、起きられますか。


 4月20日の朝がきた。
 ドイツ語で“雪の星”と名付けられた下宿屋“しゅねゑしゅてるん”の屋上に、小鳥の声にまぎれてライオンの声が響いていた。
「がおーう」
 眠そうにごろんごろんしてるのは、獣人のライオ・レーベンツァーン(らいお・れーべんつぁーん)だ。
 彼は“しゅねゑしゅてるん”の管理人たちに助けられて以来、この屋上に住んでいた。
「がおう……ねむいのう……」
 ぶつぶつ言いながらごろんごろん。なかなか起きようとしない。
 これが、いつもと変わらない“しゅねゑしゅてるん”の朝だった。
 見た目ちびっこな16歳の管理人四方天 唯乃(しほうてん・ゆいの)は、1階の調理場で朝食を作り、起きてきた学生たちに食べさせていた。
「博季さん。おはようー」
「おはようございますー。いただきますー。はあーどうしよう。あー。ふわー」
 2階の自室から下りてきたイルミンスールの音井 博季(おとい・ひろき)は、オムライスを食べながらあーとかうーとか言っていた。
 こんなとき、好奇心の塊とも言える唯乃はどうしても我慢できない。
「ねえ。どうしたの?」
「実は、今日先生やることになって……」
「やったねえ。念願の魔術の先生になれたんだー!」
 博季は首を振った。
「違うんです」
「違う?」
「イルミンじゃないんです。蒼空学園なんです」
「蒼空学園? ……なんで? なんで? なんでー?」
 それは、こういうことだった。
 将来教師になりたい博季は、蒼空学園で授業の修行をさせてもらえないかと頼んでいた。そして昨夜、倒れた教師の代わりに呼ばれたのだ。
「そんなわけで、魔術の先生じゃないんです。日本の古文を教えてきます。いやあ、緊張して眠れなかったですよー」
「大丈夫よ。博季さんなら、きっとうまくいくから」
「そうだといいんですけど……ごちそうさま。おいしかったです」
 さわやかな笑顔でお皿を片付ける唯乃に、博季はなんだか安心した。
「管理人さん。ありがとうございました。僕、この下宿屋にきてほんとによかったです」
 唯乃はにこにこして手を振りながら、こんなことを考えていた。
(博季さんの初めての授業か……おもしろそうね。のぞきに行っちゃおうかな。ふふっ)
 食事の後片づけを済ませて、蒼空学園に遊びに行こうとエプロンを外した唯乃だが、ふと最近入居したばかりの学生たちが出かけてないことに気がついた。
(遅いなあ。まさかまーだパジャマ着てるんじゃないだろうねー)
 2階の部屋でまだパジャマを着てもたもたしてたのは、エミリー・オルコット(えみりー・おるこっと)エドガー・オルコット(えどがー・おるこっと)の2人だ。
 エドガーがオルコット家に拾われて以来2人は兄弟として暮らしてきた。エミリーは女の子に見えるし、エドガーは男の子に見える。でも、兄妹なのか姉弟なのか、その点は2人とも気にしていなかった。
 だからなのか、2人は互いをこう呼んでいた。
「おーい、兄弟やー」
「なーんだよ、兄弟」
「ブラ取ってくれ〜」
 エミリーはベッドに寝っ転がりながら、エドガーに手をのばした。
「ブラだ。ブラ……」
「しょうがないなあ。もう」
 エドガーが衣装ケースからブラジャーを探してる間、エミリーはぼーっと天井を見ていた。大きなシャンバラの地図が貼ってあり、2人で行った地名には丸が囲んであった。
 枕元には旅行ガイド『シャンバラの歩き方』が転がって、壁にはどどーん! と筆で書かれた文字があった。
『全土踏破』
 それこそ兄弟の夢なのだ。
「まーだまだだな」
 と、天井の地図はまだまだどころか、真っ暗になった。
「おわっと。こらこら。顔にかぶせるんじゃない。つーか、ついでにパンツを頭にかぶせるんじゃない」
「きゃははは」
 エドガーが指差して笑う先には、パンツを頭にかぶってブラジャーを口にくわえた変態風の女がベッドの上で睨んでいた。
「変態か私は!」
「変態兄弟、そこに転がってる靴下とってー」
「むむう……。靴下ね、靴下。とりゃあいいんだろっと」
「ぐぎゃあ! な、なにをするぅううう」
 靴下はエドガーの首をぎゅうぎゅうに絞めていた。
「はーっはっは。参ったか」
「く、くそーーー」
 2人が貴重な朝の時間を無駄遣いしているとき、屋上で惰眠を貪っていたライオがピクッと反応した。遠くから女の子の声が聞こえてきたのだ。

「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 それは、蒼空学園の学生寮からだった。
 久世 沙幸(くぜ・さゆき)が、ひんまがった顔をして体重計を見つめていた。
「い、い、1キロ増えてる。こんなことなら、先週行っとけばよかった……!」
 なんのことかというと、新学期恒例の身体測定である。
 女子にとっては期待と不安が0対10の忌まわしき身体測定は、蒼空学園では指定の期日内に各自で保健室に出向いて行うことになっていた。
 沙幸は体重を減らしてから臨もうと考え、延ばし延ばしにしていたが、
「つい、つい桜餅毎日食べちゃったんだもおん……」
 減るどころか、逆に1キロ増えてしまったのだ。
 そして身体測定を行わなければいけないその期日は、今日4月20日だった。
「私の人生、おわった……きゃっ! ちょっ。ねーさま!」
 眠そうな藍玉 美海(あいだま・みうみ)が洗面所まで来て、無防備な沙幸の身体をまさぐっていた。
「ねむいわね〜」
「寝てればいいと思うんだけど……あんっ」
「ぐーぐー……」
 なんと睡眠学習ならぬ睡眠スキンシップ。恐るべき美海ねーさまだった。

 沙幸の大きな声に目を覚ましたライオは、大あくびを何度もしながらようやく起き上がった。
「おかげで目が覚めたわい……ふう。みんな出かけたかのう」
 2階のオルコット兄弟は、まだ部屋にいた。
 シャワーを浴びたエミリーの長い銀髪を、エドガーがドライヤーで乾かしていたのだ。
「はい。おしまーい」
 ごろん。
「まだだろが」
 床をバンバン叩いた。
「えー。もう乾いたよー」
 ごろごろん。エドガーはもう面倒臭くて、横になってじったんばったん。
 が、エミリーは髪の毛をふぁっさふぁっさと揺らして、エドガーの顔を撫で回した。
「か・み・を・と・か・せ」
「あーもう! わかったよ。やればいいんでしょ、やれば」
 なんだかんだ言ってやってあげるわけで要するに、じゃれていた。
 で、やっぱりというかなんというか、エドガーは髪を梳かすかに見えてなかなか梳かさない。
「びろろーん」
 エミリーの髪をつかんで、びろーんとかでろーんとか引っ張っていじくりまわして遊んでいた。
「何やってんだよ」
「もうこれ、うっとうしいから切っちゃっていい?」
「おいおい何言って……おいっ!」
 シャキーン!
 エドガーがハサミを持ってにっこり笑っていた。
「切っちゃっていいよね? ……ね? そ、それは?」
 ジャギーン!
 エミリーもいつの間にかハサミを持っていた。
「うっとうしい毛は切っていいんだよな。ということは、お前の股間にはえてる毛もぜーんぶ切っていいんだよなあ?」
「どわあああ!」
 結局またじゃれていた。
 この2人がやっと出かけたのは、唯乃が食事の後片づけや出かける準備を済ませて表の花々に水をあげている頃だった。
「管理人さん。いってきまーす!」
 兄弟はさわやかに挨拶して、エミリーを前に自転車に2人乗りした。
「いってらっしゃい。気をつけてねー」
 と唯乃が手を振るが早いか、エミリーは凄まじく乱暴な運転で駆けていった。
 唯乃は口をあんぐり開けて見ていた。
「あ……さて。私も出かけようかな」
 博季の初めての授業をのぞきに行くということを、忘れてはいなかった。
 そして、出かけていく唯乃の姿を、屋上からライオが見ていた。
「あっちはイルミンじゃない。怪しいのう……」
 ライオはこっそり唯乃についていった。
 まだ眠いのか動きはやたらと遅く、立ち止まって体をのばしたりする姿は爺さんそのものだった。
「いい天気じゃのう」

 そんな一日がはじまった。