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第5章 白百合会の休憩のひととき


「──お待たせいたしましたわ」
 昼の休憩時間、本部から出たアナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)の視線の先で、二人の後輩が手を振った。
 小柄でふわふわした雰囲気の少女と、王子様然とした剣の花嫁──藤崎 凛(ふじさき・りん)シェリル・アルメスト(しぇりる・あるめすと)だった。
「そんなことありません」
 凛はふるふると首を振ると、手の中の、リボンで結んだ透明な袋を差し出した。
「よろしかったら、後でお茶請けに召し上がって下さい」
 これはセンターでお出ししているクッキーです、と付け加える。
 彼女は白百合団の団員として、休憩時間までは救護・迷子センターでお届け物の管理をしていた。
「ヴァイシャリーの農園で採れた小麦に、ニンジンとホウレンソウを練り込んで作ったものですのよ」
「手作りですの? ありがとうございますわ。小休憩の時間にでも頂きますわ」
 嬉しそうに受け取るアナスタシアに対し、シェリルがパートナーをからかうように、
「昨日の調理室は大変だったよ。リンったら、器用なところに火傷したりしてね」
「シェリルったら……」
(そんな事話さなくても……)
 頬を赤く染める凛に、まぁとアナスタシアは驚いた。
「大丈夫ですの?」
「ええ、火傷はちょっと赤くなる程度でしたし、クッキーもちゃんと味見もしましたから大丈夫ですっ」
「私や料理上手な子がいたから良かったけどね」
「まぁ、傷跡が残ったら大変ですわよ?」
 大丈夫ですの? と、アナスタシアは凛の手を取る。
 実際にほんのり赤くなるだけだったし、凛も契約者だからこれくらいなんてことはないのだが、非契約者であり、お嬢様のアナスタシアにとっては火傷は大変なものらしかった。
「お姉様ったら大げさですわ。もう何ともないですし、それに、あの……お料理ももっと上手になれるよう頑張ります」
 手を取られながら恥ずかしさに顔を赤らめる凛に、シェリルは助け船を差し出す。
「……それじゃあ、そろそろ行こうか。早くしないと休憩時間も終わっちゃうよ」
「そうですわね」
「は、はい。……お姉様、こちらは如何ですか? 金魚すくいだそうですわ。あ、こちらはバンパイア執事、猫耳メイド喫茶……仮装した店員さんがお持て成ししてくれるのでしょうか?」
 凛はアナスタシアとシェリルとの間にパンフレットを広げて、目星を付けていた辺りを指差した。
 三人は結局、衣料品・装飾品店が立ち並ぶコーナーへと足を向けた。
「アナスタシアお姉様も、今度着物や浴衣を着てみませんか?」
 アナスタシアはエリュシオン独特の衣装について凛とシェリルに説明していたが、日本の着物が並んでいるところで、凛が彼女に話しかける。
「私が着物ですの? どうやって着ていいのか分かりませんけれど……」
 戸惑うような表情のアナスタシアに、凛は頷く。
「私、最近着付けを習い始めたんです。自分で着替えらるようになったら習い事の時に便利になりましたし、お姉様に着付けて差し上げられるように、練習しますわ」
 初めは浴衣からがいいかもしれませんわと、百合園生が出している、浴衣や草履が並んでいるお店の前で足を止める。
「色々な柄がありますのね。それに髪飾りや手提げに……これは変わった形の靴ですわね?」
「草履ですわ。着物に合わせて小物をお選びになると素敵ですわよ。淡いお髪の色には、鮮やかな色合いの簪や飾りがお似合いになりそう……」
 ほわほわと、夢を見るような瞳で想像する凛。
 アナスタシアはこういう機会だからと、金魚柄の浴衣と、凛の見立てた髪飾りを購入した。
 そんな以前よりも成長した凛を見るシェリルの表情は、嬉しそうな中にどこか寂しさが漂っているようにも見えた。
「ねぇ二人とも、あそこに綿あめ売ってるよ」
 急に彼女が口にしたのは、それは二人とも食べ歩きしたことないだろうから、との気遣いのようでもあり、自身の中の不安を打ち消すようでもあり。
「ふわふわでかわいい。あれはお菓子なの、シェリル?」
「買ってこようか。好きな袋に入れてもらえるらしいよ」
 シェリルは薄いピンク色をした綿あめを三つ購入して、食べながら歩くことにした。
「お姉様が短大に移られて少し寂しいですが、私も二年生になって高等部の後輩が出来るのですわ。今はまだまだ頼りないかも知れないけれど、いつかはお姉様にも皆さんにも頼って頂ける人になりたいです」
 こうやって少しずつ新しいことを経験して。少しずつ、自分に出来る事が増えて。
 下級生のつもりでいた凛も、変わっていく自分に、新しい春には新入生を迎えるのが楽しみになっていた。


 凛たちと休憩時間を過ごした後、アナスタシアが向かったのはもう一つの約束だった。
「役員の人たちにも自由時間はあるようでよかったですね」
 橘 舞(たちばな・まい)の言葉に、アナスタシアは頷いた。
「私たちも自ら交流しなければいけませんわ。やはり目で見たものと聞くのとでは違いがありますもの」
 舞は、彼女たちに三歩ほど遅れて歩くブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)を一度振り返った。
 ブリジットが、アナスタシアを一緒に見物しようと誘ったのだ。だから自由時間があるのは、パートナーの希望が叶えられて嬉しいといった意味。
 正直、舞としても、ブリジットの方から誘うだなんて思いもしなかった。今日はカエルパイの出店も出していたのだ。けれど……、当のブリジットは誘った後はずっと、何故だか真剣な、やや不満げな、観察するような目つきでアナスタシアを見ている。
(ブリジットはつんでれさんなので、気に入った相手には喧嘩売ったり嫌味言ったりして絡みたがるんですよね。 もしかして……これが世間一般で言うところの……デレ期というものなのでしょうか)
 ブリジットが聞いたら即座に否定されそうなことを考えていて、舞は彼女の本心に気付かない。
「4月からは私達もアナスタシアさんもお互い短大生ですね。文学部と音楽学部のどちらに進まれるんですか?」
「私は文学部に進みますわ」
 二人は進学後のこと、百合園女学院の卒業式や入学式の準備、などなどについて話しながら街を歩く。
 お祭りの今日は、特に普段馬車に乗って歩くことのないアナスタシアには特に新鮮だったようで、山積みのハムやソーセージのお店、キャンディー、クッキーやビスケットを山盛り積んだ屋台について、あれこれと舞に尋ねた。
「あのハムの山は何ですの? まさかここで食べるわけではありませんわよね?」
「あら、あれはナッツに飴を絡めたものですのね。屋台ナッツだけでこれだけの種類を用意するなんて、店主は只者ではありませんわ」
 なごやかな時間が流れていたに見えたが、歩き疲れたからとカフェに入って、注文が運ばれてきた時、今まで相槌しか売っていなかったブリジットが口を開いた。
「あなたが前に馬鹿にした街の感謝祭は楽しめてる?」
「ブ、ブリジット……」
 突然の言葉に、舞が驚く。それにも構わず彼女は言葉を継いだ。
「私はこの街で生まれ育った者として、このヴァイシャリーの街を馬鹿にした人間を簡単に許すことなどできない。何か考え方変えたとか謝罪したみたいなことも聞いたけど地球人に謝っても意味ないわよね」
 アナスタシアは、自身の目の前に置かれた、ババという、この街ではありふれたお菓子──ブリオッシュのような生地を薔薇型で焼き上げてお酒をしみこませ、生クリームやクリーム・シャンティ、フルーツを乗せたもの──にフォークを入れたまま、ブリジットを見つめる。
「それは、どのような言動を差していらっしゃるのかしら」
 舞が一気に気まずくなった空気を取り持つように、なるべく明るく。
「えっと、たしかにシャンバラが東西に分かれていた頃、街の景観に配慮して欲しいと言ったヴァイシャリーの方の意見に対して、アナスタシアさんが、古きものにしがみ付くのは感傷に過ぎないって言い放ったとかで」
 アナスタシアはゆっくりとフォークを抜いて皿の上に戻すと。
「──そう、思い出しましたわ。あの時の話ですわね」
 生徒会選挙の始まる一年ほど前の話。商工会議所の面々との会話だ。
 舞も思い出す。ブリジットはその話を聞いた時、すごく怒っていた。舞だっていい気はしない。
(私も京都出身で、京都の古い町並みが好きですから、同じようなことを言われたら気分は良く無いですけど……かなり前の話ですし、過去にこだわらずに新しい未来を作っていこうという発想自体は、ブリジットも同じはずなんですよね。同じ革新派ですし)
 でも、何で急にこんなことを言い出したのか。
「今日誘ったのは、いい機会だから、はっきりさせておこうって思ったからよ」
 ブリジットは、アナスタシアに言葉を重ねる。
「謝罪というのは傷つけた相手に対してするものじゃないの、違う? ヴァイシャリーの住民は誰一人謝罪を聞いてない。謝罪があるなら、受け入れる」
 アナスタシアはあの時の会話を思い出した。
「あれはヴァイシャリーが東シャンバラの首都となった時の事でしたわね。私はサロンの方々と集う物件を探していましたの」
 戦いで壊れた建物を買い取って、皆が集う場所にしようとした。それが復興でもあるとの考えもあり、実際その当時はエリュシオンが出資して復興が進められていた。
「修復をエリュシオン風にしたいと言った私に、商工会議所の方は、景観に配慮してほしいと仰られましたわ。観光地としての価値が薄れるとかで」
 それが表向きで、ヴァイシャリーを愛しているからであろうことは彼女にも判った。でも、こう言ったのだ。
 ──ヴァイシャリーはすでに“シャンバラ古王国の離宮があった場所”ではありませんのよ。“東シャンバラ王国の首都”なのですわ。古きものにしがみ付くのは感傷に過ぎませんわ──
 アナスタシアは細く長い息を吐くと、顔を上げ、ブリジットを正面から見つめる。
「スパゲティ・ナポリタンという料理をご存じかしら」
「は?」
 ブリジットは急に話が飛んだのに呆れて、思わず声をあげた。
「日本の方に教えていただいたことがありましたの。ケチャップを使用した日本独自のスパゲティで──パスタの本国イタリアでは、ケチャップなんてとんでもないそうですわ。
 何故それがナポリの名が付いているのかは理解されないだろうと。ソースを付けたお寿司を舞さんに食べさせるようなもの……」
 別に、それは犯罪でも何でもない。謝るのも、何となく違う気がする。でもそれが自分たちにとって美味しくても、失礼になることがある。
「私のしたことはそういうことだったのですわね。……申し訳ありませんでしたわ」
 ブリジットにアナスタシアは頭を下げる。
「商工会議所の方にも今回の感謝祭では様々にご協力していただきましたわ。そちらにも後程きちんと謝罪いたします」
「謝るならそれでいいわ」
 ブリジットは何を思うのか、コーヒーで口を湿らせてから。
「でも、それはそれとして……百合園の生徒会長たる者、簡単に頭を下げちゃダメよ」
 言われて、アナスタシアは頭を上げると、いつもの表情に戻って。
「あら、貴方に言われなくても分かってますわ」
「何ですって?」
 再び険悪な空気になりかけたとき、舞がポン、と手を叩いて間に割って入る。
「えっと、そういえば日高さんがお好み焼き屋さん出しているそうですし、皆で覗きに行きませんか、とか……」
「舞? 何か誤魔化そうとしてない?」
「いえ、日高さんの屋台には最初から行くつもりだったんですけどね。お好み焼き美味しいですよ」
 生徒会長候補だった日高桜子は、かつて舞が選挙戦で励ました相手でもある。今日はお好み焼き屋台をしている筈だ。
 ブリジットは舞に不審な視線を向けつつ立ち上がった。まぁ、文化交流という位だから、舞の故郷日本食・お好み焼きもいいかもしれない。
「いいわ、行きましょう。で……舞、日高って誰?」


「この数字はこう読むの。庶務の仕事は多岐に渡って他の役員をサポートするから、その仕事も学ぶ必要があって……」
 白百合会の前庶務・野村 弥生の長い長い説明を、白百合会の新庶務となった七瀬 歩(ななせ・あゆむ)は熱心にメモを取りながら聞いていた。
「それから、来賓のこちらの方、好きなお茶はこの茶葉で95度の3分──あら、そこまでメモしなくても大丈夫よ」
 弥生は、いろいろ言っているけれど新しい生徒会は、新しい個性ですればいいと言う。
「全部が完璧に、私たちの真似する必要ないわ。新役員のみんなは親しみやすいって声が届いてるのよ」
 一生懸命な歩を弥生は嬉しそうに見て、もうそろそろ休憩に行ってきていいわよ、と言った。
 歩は筆記用具を鞄にしまうと、そのままくるりと振り向いた。
 そこでは白百合会前会計遠藤 桐子と、村上 琴理(むらかみ・ことり)が机に向かい合っている。
 彼女たちの目の前の机には、幾つかの書類が広げられていた。歩の視線に気づいた桐子は、書類に熱中している琴理に声をかける。
「村上さんも休憩行ってきていいわよ」
「まだ途中ですが……宜しいのですか?」
「私がいいって言ったのよ、大丈夫。その代わり、売上貢献のため、沢山チケット使ってきてね?」
「ありがとうございます」
 琴理は頭を下げると、自身も鞄を取って、歩と二人で外に出た。休憩時間を一緒に過ごそうという約束をしていたのだ。
「ねぇ、えーと、琴理……ちゃん」
 歩の呼びかけに、琴理は目をしばたたかせる。
「急にどうしたの?」
「あたしも歩ちゃんだから、琴理ちゃんって呼んでいいかなぁ? って」
 それは、単にそれだけの理由ではなくて、もうちょっと深いところに理由もあったのだけれど、それと知らない琴理は頷いた。
「……うん、いいわよ」
 はばたき広場へ向けて、両側に屋台の並ぶ道を歩きながら、えーとね、と、歩はちょっと気になっていたことを聞いてみる。
「この前の黒史病事件のことなんだけど、フェルナンさん、この前ちょっと雰囲気違ってたよね。あれから大丈夫になったのかなぁ? って思って……」
 古代の住民が書いた魔道書がその力を無意識に発揮し、地球の住人たちを共同幻想へと巻き込んだ黒史病事件。
 新年早々起こった二度目の事件で、琴理のパートナーフェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)が、事件に乗じて日頃の鬱憤を解消したとかしないとかいう出来事があった。
 その日頃の鬱憤というのは、というより問題の原因は。
「何か、知ってるかなぁ?」
 琴理はどう答える少し迷っていたが、歩が自分と、そしてパートナーの友人として彼を心配してくれる気持ちを有難く思い、口を開いた。
「……最近、不安みたい。といっても、多分みんなそうだから、彼が特別っていう訳じゃないけど……。──これください」
 屋台で、日本と同じ見た目の、でもちょっと洋風な味のりんご飴を一つ買って、
「あのね……私から言っていいのか分からないんだけど、……多分、パラミタの滅びについて、だと思う。故郷を失って二度と帰れないなんて、誰だって望んでないはずだもの。それがあと数年後に起こるかもしれないって、信じられないんだと思う。私ですら信じられないし、ううん、信じたくないから」
 琴理は上品にかじりついてから一口飲み下し、
「それにもし──もし駄目だった場合。簡単には地球と行き来できなくなると思う。政府のバックアップを受けた作戦ならともかく、個人レベルでの行き来は事実上不可能、だと思うの。
 だからニルヴァーナに移住できても、地球出身の学生は故郷を失うことになるでしょう? ニルヴァーナに行くか、地球へ帰るか、どちらかを選ばなきゃいけない」
 正直自分もどちらを選ぶか分からない、と琴理は言った。
「むしろフェルナンと一緒に地球に行くかもしれない。日本かもしれないし、ヴェネツィアはこことすごく似ているから、そちらの方がいいかもしれない。
 でも──多分、そういう選択をさせる大人の思惑とか、世界の状況とか、どうしようもないこと。どうしようもないことそのものが、辛いんだと思う。今までヴァイシャリーを、この街をみんなで守ってこれたのに」
 その言葉に、歩は思うところがあったのだろう。
「パラミタ大陸の崩壊は、確かあたしたちが地球との断絶を選んでたら回避できてたんだよね。その時は、断絶するのは間違ってるって思ってたけど、フェルナンさんの主張とか聞いてると、考え足りなかったかも……って思うかなぁ」
 言って、琴理の顔を見れば、りんご飴を目の前に真剣な顔をしていた。歩は暗くなりかけた雰囲気を取り戻すべく、気を取り直す。
(……って、ここであたしが落ち込んでちゃダメだよね)
「うーん、地球と繋がってること自体はフェルナンさんも、それにヴァイシャリーに住んでる人たちもきっと悪いことじゃないと思ってくれてるんじゃないかな。だから、あとはニルヴァーナへ移住するとかじゃなくて、パラミタの崩壊を止める方法を見つけられれば良いんだよね!」
 努めて明るく歩は言って、前を向く。
「そうね」
「……うーん、言葉にするだけなら簡単だけど難しそうだなぁ。うん、でも目標決まると何となく楽になるかも」
(これはあたしたちの決めたことの責任を取るだけだから、ヴァイシャリーへの感謝には本当はならないんだろうけど、それでもこれが一番ヴァイシャリーに住んでる人たちの役に立てそうな気がする!)
「うん、琴理ちゃん、あたし決めた! パラミタのこともっとちゃんと調べる!」
「ありがとう。何かできることがあったら、言ってね。私も頑張るわ」
 燃えて決意を表明し、琴理と笑顔をかわす歩。
 二人はその後、一緒にお店を覗きながら生徒会やお互いの進路について話していたが、歩は何気なく見た腕時計にハッと気づいて、
「あっ! そろそろ本部に戻らなきゃね」
 言って、二人は運営本部への道を戻る。歩の目には決意があった。
 ──あたしの目標はあたしの目標。それとは別に生徒会役員として、小さな感謝を返していければヴァイシャリーの人たちにも恩返しできるかな。
 今のあたしを育ててくれた学校とこの町に。
「お帰りなさい、楽しめた? さあ、頑張りましょう」
「はいっ、生徒会の仕事ももちろん頑張りますー!」
 弥生に元気よく答えて、歩は再び仕事に戻る。