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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

リアクション

「……ぶえぇっくしょぉおおいっっ!」
「うわ! 汚ねぇ!」
 ぱっと横に身をずらすエシム・アーンセト
「あら? 風邪?」
 席につく早々、盛大なくしゃみをしたフェイミィ・オルトリンデ(ふぇいみぃ・おるとりんで)ハワリージュ・リヒトは笑った。
「いや、そんなはずはないんだが」
「うわさされてるんだよ、うわさ」
 ついてるかどうかも分からない唾液をぱっぱと払うようなしぐさをして、いかにもといった様子でエシムは顔をしかめてみせる。
「あんたのことだから、どうせロクでもないことなんだろうよ」
「なんだと!? ――あー、ま、そうかもな!」
 怒鳴りつけるかに見えた次の瞬間、あっけらかんと笑い飛ばす。2人の前に、コトっと小さな音を立ててハワリージュがカップを置いた。
 中に入っているのはカフヴェ――東カナンでは一般的な飲み物だ。入れ方は違うが味も香りもコーヒーとたいして変わらない。少し濃く、苦みがあり、カプチーノのように細かく泡立っている。
「粉が沈殿するまで待ってから飲んでね。って、あなたカナン人だったわね」
「ああ。大分シャンバラに染まってるが、カフヴェの飲み方は覚えてるぜ」
 少しおどけたように言って目配せをすると、泡に口をつけた。
 待つ間にと、ハワリージュはさらにひと口大サイズに切り分けられたパタテスリと呼ばれるケーキを出してくる。それをつまみながら、3人はこの1年に起きた主だった出来事を話しあった。
 なかでも一番の出来事は、エシムはアラムとセテカの嘆願と領主成婚の恩赦により晴れて謹慎が解け、リヒト家の準騎士となったことだ。
「すっごく積極的なのよね。陰口たたかれても兆発に乗ったりしないで、真面目に任務をこなしてるし」
「へー、そうなのか?」
「……今おれがこうなっているのは、すべておれが短慮だったからだ。身に染みたよ。今はとにかく1日も早く騎士に昇格したいと思っている。弟のおれがこれじゃあ、領母になったアナトも立つ瀬がないからな…」
 持ち上げたカップの中を覗き込みながら、エシムは言う。
「あせらないの。昇格審査要項を満たすには、まだ1年足りないんだから」
「昇格審査なんかあるのか?」
「ええ。書類審査と実技審査ね。
 あ、そうそう。それでね、聞いてよ、おっかしいの! この人、騎士審査でも一番の難関って言われてるバァルさまの親衛隊騎士の位を狙ってるんだけど、実技をセテカに教わってるのよ! あれだけ目の敵にしてたくせに!」
 きゃははっと笑う。とたんエシムは赤面した。
「うるっさいな! いいんだよ! あいつから教えるって言い出したんだからっ」
(相変わらずかわいいなぁ)
 いきいきとした表情で拗ねたエシムをからかうハワリージュの姿に少々見とれつつ、フェイミィはカフヴェを口元へ運ぶ。
 ふと、そこで思い出した。
「そういやセテカのやつの姿が見えなかったな。バァルの視察にくっついて行ってるのか?」
「セテカ? あいつなら休暇中だ」
「休暇?」
「バァルさまがシャンバラへ行く直前だったから……ええと、1週間くらいになるわね」
「それ、おまえたち以外にも知ってるやついるのか?」
「ええ。だってべつに隠してなかったもの」
「そうか。それで、どこ行ったか知ってるか?」
「山へ行くって言ってたな」
 答えたのはエシムだった。
 セテカは趣味がアウトドアで、休暇になれば決まって山で岩登りをしたり森へキャンプに行ったりしている。川や雲海で釣りをしているときもある。趣味が同じハワリージュやほかの仲間たちと連れ立って出かけることもあるが、1人でも結構出かけて行く。だから「どこへ?」と訊かれて「山」と答えても、特に不思議に思う者はいない。
 ちなみに東カナンにはエリドゥ山脈が通っており、そのほかも合わせると山はかなりの数に及ぶ。
「そうか」
 そのとき、ふっふっふ、とハワリージュがもったいぶった、奇妙な笑い方をした。
「どうした、リージュ」
「ああは言ってたけど、あやしいわね」
「なんだって?」
「だってここ1年くらい、休暇になるとこうやってよく1人でどこかへ消えてるんだもの。わたしたちのつきあいにはきちんと参加してるけど。
 この前、城の窓口通さないでわざわざ街へ下りて、こっそり手紙出してたわ。驚かないでよ? 表書きにはなんと――モゴッ」
 そこでエシムがたたくような乱暴な動作で手で口をふさいだ。
「おまえはおしゃべりすぎだ」
「だって…」
「ひとの事情に首突っ込むな。いくら幼なじみの元婚約者だからって、デバガメしていいってわけじゃない」
「……ごめんなさい」
 しゅん、となったハワリージュに、本来のフェイミィだったらすぐさまフォローに入るところだったが、しかし彼女は今それどころじゃなかった。ハワリージュの正面の席についていたため、エシムが口をふさぐ寸前の彼女の唇の動きが読めていたのだ。
 ほんの2文字ほどだったが、それは衝撃的な名前だった。
「どういうことだ?」
 控えの間を退室後、フェイミィはつぶやく。
「あれってつまり、そういうことだよな? でもそれって…。いや、だったらどうして…。
 セテカのやつ、何考えてんだ? ――くそ、頭働かねえ。とりあえずリネンに報告だ」
 今ならユーベルと回廊にいるはず。フェイミィは2人に合流すべくそちらへ向かった。