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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

リアクション

 イェクタネアの言った「ミカ」とは、ミカーティー・シャイフ・ハリファという。やはり東カナン12騎士の1人で、ひと言で言うなら12騎士で1番の洒落男だ。芸術、歴史、文化に重きを置いている。
 で、そのミカーティーは今何をしているかというと。
 薄くひげの生えたあごをさすりさすり、緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)紫桜 遥遠(しざくら・ようえん)の2人をお供に奥宮の廊下を歩いていた。
「この奥宮はね、ハダド家始祖が領主になる前のアガデの代からあったんだよ。アガデ家最後の当主が死亡した直後に次の領主の座を巡って内乱が起きて、街で市街戦が起きても、この城だけはだれも手を出さなかったんだ。どれだけアガデ家が愛されていたか、分かるってものだよね」
 という言葉から始まって、5000年以上前から存在する城の歴史的価値をからめつつ、どうやって美術品や建造用材料が調達されたかという歴史を、もう何十分としゃべり続けている。そのなかにはもちろん、先のアガデ崩壊時に受けた攻撃によって破損したことに対する憤りもあった。
「でも、破壊のほとんどが表宮だったのが不幸中の幸いだよ。この尊い美術品であふれた奥宮が破壊されてたら、もうその被害は測り知れない。壊滅的な傷が東カナンの歴史につくところだった。
 ほら、あれを見て。あれなんか、東カナン中を探したってもうここでしか見られない逸品だよ!」
「そうですか」
 遙遠はミカーティーの話のところどころであいづちを打ち、さほど熱心ではないながらもきちんと耳を傾けていることを伝える。
 ミカーティーは「うん!」とうなずき、また美術品の話を始めた。
「きみも感じるだろう? 何千年と昔から、そこに在ってぼくたち人間を見守り続けた彼らの魂が。ここに毎日入れるだけで、ぼくは生まれてきてよかったと思うんだ」
「よかったですね」
 と、これまた気の入っていない適当なあいづち。そんな遙遠の姿を見て、遥遠はふふっと小さく笑いを漏らす。
 遙遠たちは当初、ドラゴン・ウォッチング・ツアーへ行くついでに誘ってくれたバァルにあいさつでもと立ち寄っただけだった。
 奥宮で盗難事件が発生していると聞いたときも、特に興味を示した様子は見せなかった。バァルは元から不在で、巻き込まれた様子はない。盗まれたのも本が1冊。賊は逃亡しているようだし、とりたててバァルの危機に発展するようでもなさそうだ。
「応援を頼まれたわけでなし。あまり部外者が首を突っ込むのもまずいでしょう」
 早々に退去し、そのままツアーへ向かうかに思えた遙遠だったが、意外にも廊下を歩いていたミカーティーを捕まえて賊の逃走経路の案内を頼んだ。それからずっと、立て板に水のごとくしゃべり通しのミカーティーの雄弁につきあって、こうしてドラゴン・ウォッチング・ツアーならぬ奥宮ウォッチング・ツアーをしている。
 遙遠がどう思っているか、遥遠は理解できた。
(まあ、今に始まったことではないですからね)
 何も口にせず、あたたかく見守りながら後ろを歩く。
「で、ここが回廊なんだけど――」
 何か目にするたびに解説で足を止めていた奥宮ウォッチング・ツアーが、ようやく目的の回廊にさしかかったときだった。
「あ、あれミカじゃない? おーい、ミカー!」
 イェクタネアと切が彼らに追いついた。
「やあ、ネア。きみもかい?」
「ちょうどよかった。こっちの彼も頼むよ。ボク、解説なんか無理だしさー。説明って苦手なんだよね」
「いいよ。引き受けた」
「じゃあよろしくねー。切、また会おうねー」
 手を振って、イェクタネアはさっさと元来た道に消えて行った。
「七刀 切っていーます。よろしく」
「ミカーティー・シャイフ・ハリファ。ミカだ。よろしくね。
 じゃあ説明に戻ろうか」
 遙遠たちは回廊に入った。そこは先まで歩いてきた通路の倍ほどの幅があり、両側には大小の人物画がずらりと飾られている。乾いた絵具の放つ、どこかかび臭さを思わせる独特のにおいがしていた。絵を守るためだろう、照明はこれまでの廊下より格段に落とされていて、うす暗い。
「歴代のバダド家当主とその家族の肖像画だよ。ここにあるのは大体500年分くらい。残りは特別室に収蔵されている」
「へえ。んじゃあここにバァルも?」
 切はぐるっと見渡した。最新のだから一番端にあるはずだ。しかし残念ながらそこはまだ何もかかっていなかった。
「領主はまだ依頼してもいないよ」
「そりゃあ残念」
 ごてごてと正装した、きらびやかなバァルの肖像画があったら今度ひやかしの種にしてやろうと思ったのに――そんなことを考えていた切は、小さな――といっても50センチ四方はあったが――肖像画をじっと遙遠が見つめていることに気付いた。エリヤ・ハダドの肖像画だ。まだ完成して間がないようなその絵を見つめる彼の傍らで、遥遠が彼の腕に手をかけている。
 視線を伏せ、目をそらした切は、次に少し先で破壊された柱と壁を見つけた。
「あそこ?」
「そうだ」
「おい、遙遠。行ってみよーや」
 近付くと、そこにはリネンユーベルがいた。
 リネンはすり鉢状にえぐれて壊れた床に手をついている。
「やはー。ユーベルさん、何してんの?」
「現場検証ですわ。ですが…」
 先に終えたユーベルは、何も成果はなかったというように残念そうに首を振った。
「どうですか? リネン」
「……だめね。爆弾を投げて、逃げる賊と追う騎士たちの姿は見えるけど、それだけ。……特に変わったことは……なさそう」
 ふーっと息をつき、サイコメトリをやめて立ち上がる。
「賊は全身黒装束で、目元以外、顔も隠してあるから分からないわ。青色の目は……カナン人ではよくある目ね。カナンの領主全員そうだし」
「もう1カ所あるそうですから、そちらで何かつかめるかもしれませんわね」
「そうね」
 と、そのとき、やおら切は先のイェクタネアとのことを思い出した。後ろで見守っていたミカーティーを振り返る。
「ねえ、ミカさん。盗難にあった始祖の書5巻に書かれてた内容って覚えてる? なんか、ネアさんが言うには魔女と竜の話だったそうだけど」
「ああ、イルルヤンカシュのことか」
 その名に遙遠が反応した。破壊された柱から目を離し、そちらを向く。
「イルルヤンカシュ? 今開催中のツアーの、あの竜ですか?」
「うん、そう。あれも生きた伝承だよね。まさかぼくの時代に目覚めるとは思ってもいなかったけど。見られるなんて感激だよ」
「あのツアーとこの盗難事件に関係があるんですか?」
 しかしその問いに、ミカーティーは眉をひそめた。
「それはどうかなあ。書の内容でイルルヤンカシュに触れていたのはほんの1〜2ページだし。どちらかというと、魔女について書かれてたと思う」
「魔女ですか?」
「うん。銀の魔女と呼ばれる、対話の巫女の一族の始祖エルヴィラーダ・アタシュルクとのことについて。
 ……これはさだかじゃなくて、あくまで1つの仮説でしかないんだけど、始祖の愛人だったんじゃないかって言われてる。とっても美しくて賢い女性だったらしいよ、アタシュルク家の伝承によると」
「なぜ……その……愛人だと、思われたんです…?」
 言いにくそうに遥遠が訊く。そのことが盗難の理由なのではないかと思えたからだ。――5000年前の醜聞など気にする者がいるとも思えないからかなり可能性は低いが。
「始祖が、とにかく魔女を絶賛してたことかな。あと、ちょうどそのころ始祖の剣が消えた。これは書には何も書かれていなかったけど、ほかの歴史書と照会して、この時期に行方不明になっていることが分かった。それは始祖が領主として女神さまに拝謁を賜った際に下賜されたもので、神剣グラムと呼ばれる特別な剣だ」
 そこで突然、ミカーティーは表情を一変させた。
 リネン、切、遙遠たち1人ひとりを順に見て、言う。
「きみたちはいつも東カナンのために尽くしてくれた。ぼくもそれを間近で見てきた。領主のとても親しい友人で、信頼がおける人たちだと思うから言うんだけど。これから言うことは、軽々しく口に出さないでほしい。もちろん、きみたちが信頼できると言う者なら別だけど……いいね? これは数ある学説の1つであり、ハダド家も、われわれ12騎士も、これについては過去1度たりと肯定したことはない。だからたとえだれが主張してきたとしても、ぼくを含め全員が全力で否定する」
「分かりました」
 それが東カナンの、バァルのためにならないことであるなら、決して口にしたりしない。全員が誓った。
「彼女が始祖の愛人だと有力視されている説の一番の理由は、その剣をエルヴィラーダが持っている姿を目撃したと書かれた書があるからだ。アタシュルク家に伝わる伝承の1つだ。
 エルヴィラーダは内乱が起きる前から始祖とは面識があった。友人が奥宮付きの召使いで、たびたび城へ来ていたんだ。内乱が起きる数カ月前から姿を消した。そして始祖は内乱中に知り合った、一般民の娘と結婚した。それから5年後、エルヴィラーダが再び始祖の前に現れた。……アタシュルクの書によると、子どもを連れて。
 始祖には領母との間に子どもが3人いた。いずれも男子だ。エルヴィラーダは始祖からグラムを受け取り、当時北カフカス山に現れていたイルルヤンカシュを鎮めたあと姿を消して、以後二度と現れることはなかった。彼女の子孫が現在のアタシュルク家と言われている」
 アタシュルク家は一地方領主だが、東カナンではそこそこ力を持っている。それは、暗黙の了解がそこに介在しているからだ。もしかして、彼らはハダド家始祖の血をひいているのではないか、という…。
「そして始祖はこう書いている。「わが子孫よ。ハダドは多大なる恩恵を受けている。何百年、何千年経ようとも、決して褪せぬ裨益だ。銀の魔女が目覚めたならば。そしておまえたちの前に現れ、乞うことがあれば。無私の心でその願いを必ずかなえよ」と」
「それはつまり…」
 ハダド家の継承者であることを主張するということか?
「なんか、うさんくさい話だねえ。たとえそれが事実としても、銀の魔女自身に継承権はないでしょ? それとも今のアタシュルク家にそれらしいやつがいるの?」
「今はバシャン・アタシュルクが当主で対話の巫女だけど、彼女に子どもはいない。そして彼女は病にかかっていて、相当重篤という話だよ。彼女の代でアタシュルク本家は絶えると、もっぱらのうわさになってる」
「なら、アタシュルク家に今さら本を盗む意味があるとは思えませんね。バァルさんはすでにイナンナの了承を得て領主になっているのですから、バァルさんを領主の座から降ろすこともできないでしょう」
 遙遠の言葉にみんながうなずいた。
 イナンナがバァル以外の者を東カナン領主と認めるはずがない。
「当時しなかった主張を、何千年も経った今ごろになってするというのも変よね…。
 それに「恩恵」って? 「目覚める」って、何? 今目覚めてるのはイルルヤンカシュよね? 第一、イルルヤンカシュは何百年かおきに目覚めてて、今回が初めてというわけでもないはずよ」
 ――それとも、違うの?
「リネン、この事件には、まだまだ何かありそうですわ」
 ミカーティーには聞こえないようひそめられた声で、こそっとユーベルが言う。
「まあ、書にはそう書かれていたけど、実害は起きてないよ。騒いでたのも学者だけでね。アタシュルク家の者が「自分たちこそ正当な領主だ」って主張したことは5000年間1度もないそうだし。
 それより、こっちにおいでよ」
 と、ミカーティーは手招きをすると、さっさと回廊を歩き出した。ついて行くと彼はL字路になった端で立ち止まり、さあどうだとばかりに壁を手で指す。
 そこにあったのは、回廊の肖像画よりもはるかに巨大な肖像画だった。
「彼がハダド家始祖アルサイード・バァル・ハダド。内乱を終結させた直後の御姿だそうだよ。描かれたのは数年後だけどね」
 バァルと同じ、紫紺の甲冑をつけていた。背後にいるのは黒馬。グラニだろう。ほのかに光を発する長剣を地に突き立て、その柄に両手を乗せている。まだ若い、今のバァルとそう変わらなさそうな歳だ。猛々しい偉丈夫で、黒髪、青灰色の目以外バァルと似たところはなかったが、たしかにこの人ならばというカリスマ性は、絵を通しても十分伝わってくる。
 そのとなりの壁に、大穴が空いていた。
「これがそうですか?」
「まったく、賊のすることとはいえ、もっと気を遣って攻撃しろって言いたいね!」
 いまいましげに吐き出した。
「ここにも……絵が、かかっていたのね…」
 崩れかけた箇所に手をあて、サイコメトリをしたリネンがつぶやく。
 賊が投げつけてきた小型爆弾を、壁を蹴って避けるカインの姿が見えていた。直後、絵の額縁にぶつかって、爆弾が弾ける。
「うん。ここにはアガデ家最後の当主リタン・アガデの肖像画があったんだよ。若くして亡くなられた方でね。結婚したばかりで子どもはいなかった。まだこれからだと思ってたんだろうな。書によると、始祖は彼をとても敬愛してたらしい。それと書いてはなかったけどね、文章の端々でそんな思いが読み取れる書き方だった。それで、自分の横に彼の肖像画を並べておくようにって指示してたんだ。
 まるで始祖の絵と対になっているような、すばらしい絵だったのに」
 つくづくもったいない、と言うように、ミカーティーは大きくため息をついた。