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幻を斬る


何故こんなことになっているのか、とアンバー・クラーフ(あんばー・くらーふ)飛鳥 鵺(あすか・ぬえ)は疑問と焦りを覚えるが、事態は何一つ変わるわけではなく。
「幻とわかってても冗談キツイぜ」
「同感。どうせならもっとこう色っぽい幻がいいなぁ。な?」
 同意を求められても困る、とアンバーが呆れて鵺を見やれば、大げさに肩をすくめていた。
「そんなに睨むなよ」
「……別に睨んでない」
 目付きが悪いのはお互い様だが、アンバーの方が気だるそうに見えてしまう。
 鵺が、ここにいるはずのないパートナーからの攻撃をよけながら言った。
「もう少しすれば俺のダチがやって来る。そうすれば、この幻も消えるだろうねぇ。でもさぁ、俺はパートナー連れてきてないけどクラーフは一緒に来たんだろう? ……そいつ、本当に偽者かなぁ」
「だから困ってる……」
 ラーチェ・グランゼント(らーちぇ・ぐらんぜんと)の手加減のない火術をかわし、アンバーは苛立たしげに舌打ちする。本来は守るべき相手に攻撃されるこの理不尽さ。心の底から納得がいかない。しかも、ラーチェが自分に攻撃するなどありえないとわかっているだけに、イライラは倍増。さらに幻から抜け出せない不甲斐なさに怒りはふくらむばかりだ。
 今頃、ラーチェはどうしているか、とアンバーは心配でたまらない。
 だったら目の前の偽者ラーチェを蹴散らしてしまえばいいのだが、鵺が言った通り本物の可能性もある。ラーチェが混乱して攻撃を仕掛けている可能性だ。
 こうなったら鵺の友達を待って、外側から幻を壊してくれることを願うしかなかった。
 ギリギリでよけた火術は、確かに熱を持っている。
 そのことが何だか悲しくなってきた時。
「飛鳥さーん、目を覚ましてくださーい! 朝ですよー!」
 鵺は待っていた声が聞こえた気がして周囲を見回したが、声はすれど姿は見えず。
 どこから声が、と思った時。
 バッチーン!
 と、強烈に頬を叩かれた。目が星が出た。
 だが、おかげで幻覚作用も出たようで、鵺の目の前には身の丈ほどもありそうなバールを肩にかけた遠澄 聖(とおずみ・ひじり)がニコニコしながら立っていた。
「目、覚めました?」
「あ、ああ……」
 それから鵺はアンバーへ目を向ける。彼はぼんやりした目で立ち尽くしていた。
 鵺は聖にやられたように、やや強くアンバーの頬を叩いた。
 すると、鵺と同じようにきょとんとするアンバー。
 しかし彼が状況を把握する前に聖が声をかけた。彼女は十歳くらいの少女を押し出して早口に言った。
「来る途中で見つけたんだけど、あなたのパートナーではありませんか? その……ちょっと危険なことを呟いていたので」
 それは確かにアンバーのパートナーのラーチェだった。焦点の合っていない目の様子から、彼女も幻に囚われていることがわかる。
 今もブツブツ言っているその口元に、アンバーは耳を寄せた。
「アンバーさんのいない世界なんて……いらないですぅ……みんな、消えてなくなっちぇば……」
 物騒なことを呟いていたが、相当怖いものを見せられたのかと思うと、アンバーは切なくなった。早く悪夢から覚ましてやろう、とラーチェの鼻の先で強く手を打ち鳴らした。催眠術師が催眠術を解く時のように。

 それから何となく四人で進んでいた時、不意に鵺が聖に聞いた。
「飛鳥は幻は見なかったのかい?」
「これでぶっ飛ばしてきました。幻は、たとえ何が出ても信じないのが肝要っす」
 高々とバール型の光条兵器を掲げる聖。
 わかっていてもなかなかできないことをやってのけた聖の胆力に、三人は感服したのだった。

 何故か風祭 隼人(かざまつり・はやと)に男装させられ、納得のいかないまま南の入口に踏み込むことになったアイナ・クラリアス(あいな・くらりあす)
「聞いた話から推測して、女性には辛く男性には辛くない展開がありそうだ。アイナも男装すれば辛い展開を回避できるかもしれないよ」
 と、妙な確信でもって男装を勧めた隼人。
 その時、
「ああ、これはいらなかったかな」
 と引っ込めたサラシに軽く殺意がわいたアイナだった。

 そんなことがあって薄暗く陰気な雰囲気の通路をしばらく歩いていたが、進むにつれてアイナの心は黒い何かに覆われていった。
 はじめは、男装を勧める隼人に「実は男が好きだったの?」と冗談混じりの疑いだったはずなのに、いつの間にか「隼人はパートナーの私が他の男の人とデートしても気にならないの?」という、やや深刻なものに変わっていた。
 違う、隼人は私の願いを叶えてくれようとしているだけだ、と思おうとしても後から後から黒い疑念がわいてくるのだ。
 ──ムカつくから、後で絶対殴る。
 アイナは固く決意した。
 そんな冷え冷えとしたオーラを背に感じながら、隼人は「もう少し。優斗より先にお宝を手に入れるまで……それまで、殴ってくるなよアイナ」と必死に祈っていた。
 こんなところでパートナーにボコボコにされて目的を達成できなかった、なんて惨めにもほどがあるというものだ。
 アイナが隼人の双子の片割れの優斗を好いているのは知っていたし、隼人とアイナはあまり相性が良くないようなので、ここで彼女の願いを叶えて信頼を得ようと隼人は考えていた。
 いつ爆発するかわからない爆弾を抱えたまま、二人は先を急いだ。

 さっきから何もないところに向かってヒールをかけるパートナーをどうしたものか、と黒霧 悠(くろぎり・ゆう)は思案していた。
「悠……っ、今、癒すから……死んじゃダメ、だよっ」
 瑞月 メイ(みずき・めい)は泣きそうな顔で通路の端にある小さな岩にヒールをかけた。
 今度の俺は死にかけているのか、と悠はため息をつく。
 南の入口から入ってしばらく、メイはずっとこの調子だった。
「良かった。悠……元気、だね」
 幻の悠は蘇ったようだ。
 安堵してふわりと微笑むメイを見ていると、その幸せな幻を壊すのを躊躇ってしまう悠。
 けれど、自分ではない自分に一喜一憂しているのをただ見ているだけというのは、どうにも寂しい。
 いったいメイに何が見えているのか。
「妖精さん、かわいいね」
 そう言って、通路に掛けてあるほんのりした照明を指差すメイ。
 確かに、妖精の放つ燐光に見えなくもない。
「どんな景色を歩いているのやら」
 乾いた笑いをもらしながら、悠はメイの後を歩く。
 それなりに楽しんでいるようだから、少し寂しさはあるけれど邪魔はしない。
 敵の気配に注意して、メイに危害が及ばないように勤めるのみだ、と悠は思うことにした。
 秘宝がどんなものかはもちろん楽しみなのだが、それがメイほど価値があるものとは思えなかったから。
「悠、見て……着いたよ。悠の欲しいもの、あるかな」
 メイの声にハッとして視線をずらせば、通路の先にホールが見えた。