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第1章 キャピュレット家の宴にて

 ここヴェローナの街で最も裕福な者はだれかと問われれば、人は間違いなくモンタギュー家とキャピュレット家を上げただろう。
 2家ははるか昔から互いに競い合い、そうすることによりさらに高みを目指していた。それが憎しみに変わったのはいつのことか。
 なぜ憎いのかと問われても、答えられる者はいない。ただ相手が目の前にいる、それだけで憎い。2家は、理由すらももはや定かではない怒り、憎しみに囚われ、機会あるごとに互いを罵り合ってきた。しかもそれは時も場も選ばない、公然の場で行われてきたため、それぞれの家の召使いにまで飛び火するのは避けられないことであった。



「あー、いててっ」
 着地に失敗したタケシが、後頭部をさすりさすり茂みの奥から出る。
「ん? おまえそこで何してんの?」
 だれもいない空間に向かってくっちゃべっているようにしか見えないが、一応訊いてみた。
「これは物語だからね。ナレーションが必要だろ?」
 シヅル・スタトポウロ(しづる・すたとぽうろ)はニカッと笑って答える。そして続きに戻るべく、ヘッドセット型マイクでまた物語の状況をつらつらと説明を始めた。
(……あのマイク、どこにつながってるんだ?)

 偶然同じ場に居合わせただけ、道ですれ違っただけで白刃が抜かれ、流血沙汰にまでおよぶ始末。2家の争いにより、ヴェローナの町はことあるごとに平安をおびやかされていた。

「うーん、はた迷惑な家ですねー。これがいわゆる「坊主憎けりゃ笠まで憎い」ってヤツですか」
「おっ、エピ、いいこと言うねぇ」
 いや、違うだろ、それ。
「……おまえは?」
「ミー? ミーはコメンテーターね! ロミオとジュリエットが感じるに違いない切ないラブを皆に伝えちゃうのさ……ドキドキしちゃうね!」
 ナイスでしょ! と言いたげに親指を立ててくるエパミノンダス・神田(えぱぴのんだす・かんだ)
 物語にコメンテーターはいらないんじゃないかと思ったが、なんだか幸せそうな2人に見えたので、まぁいーか、と放置することにした。
 べつに、あって困るモンでもなし。
 それより。
「うわーっ、見てみてー! タケシー!!」
 リーレンが、やはり茂みから飛び出してきてタケシにしがみついた。
「ドレスよドレス! 髪に合わせて金色なの! ゴージャス〜? あーん、鏡ないー? だれか写メ撮って〜っ」
 ぱたぱた、ぱたぱた。落ち着きなくドレスを手ではたいている。
「髪に合わせてならおまえは茶――」
「よけーなこと言わないッ!」
 ゴチン、とこぶしが落下する。
「いてッ! さっき打ったとこを……おまえなぁッ」
「ふふっ。すごくかわいくまとまってるわよぉ〜。ねぇ、ベル、ルーツ、鴉」
 師王 アスカ(しおう・あすか)がパートナーを従えて現れた。
「ああ、本当だ」
 ルーツ・アトマイス(るーつ・あとまいす)はにこにこ笑顔でリーレンを見ているが、蒼灯 鴉(そうひ・からす)は少し赤くなった顔を隠すようにそっぽを向いていた。
「鴉?」
「……おまえ、それ、大胆すぎないか?」
「そぉ〜?」
 ぐるっとドレスを見回してみる。夏の空色に白い花柄のドレスは足首まで覆っているし、広がった袖も八分袖だ。現代に比べれば全然おとなしい部類だろう。
「いや、そこじゃなくて」
 えりぐりが。
 なにしろ、クジラ骨のコルセットで胸の下から丸く盛り上げられているのだ。それが、見苦しくないギリギリのラインでレースが覆っている。
 なぜこの不自然きわまりない形にされているのか? それは、真正面に立って見下ろす鴉には十分すぎるほど分かったが、している本人にはサッパリ分からないらしい。さっきからスクエア型に開いた胸元に触れて、そこの具合を見ている。
 高く結い上げた髪のほどけ具合とか、白いうなじとか。
 アスカがあまりにエロかわいくて、鴉は悩殺寸前だった。
「これ、おかしいですの〜? ねぇ、ルーツ?」
「……もういい。やめろ」
 ほかの男の前に立つな。
 アスカはやれやれと首を振ると、なだめるようにぽんぽんと腕を叩いた。
「鴉も黒服がすっごく似合ってるわよぉ。それに、タケぽんも。いい感じよねぇ〜」
「って――げっ!?」
 言われてはじめて気づいたと、タケシが頓狂な声を上げる。
 白地に金糸で刺繍された、いかにもお貴族さまといった服を引っ張って、げーっといやそうに眉を寄せた。
「なんだよこれ〜、ダサー」
「いい〜? タケぽんは、パリスになるの〜」
「パリス? だれ?」
「『ロミオとジュリエット』というタイトルですからぁ、きっと2人は恋人同士になるんですわぁ。そのためには2人を会わせなくちゃいけないでしょう〜? ここはキャピュレット家の大宴会。さっきロミオも到着したようですからぁ、ここで2人を会わせちゃいましょう〜」
 パシン、閉じた扇を手のひらに打ちつける。
 全員茂みの暗がりにいるため、向こうからは見えないのだろうが、こちらからは宴席の様子がよく見えた。
 道化の仮面をかぶった少年が3人、笑いながら歩いて行く。
「あれがロミオですわぁ」
「うん、それは分かるけど、なんで俺がパリス? それだれ?」
「パリスはジュリエットの父親が決めた婚約者ですわぁ。それは残っている場所にあったでしょう〜?
 とにかく、タケぽんはパリスになって、ロザラインのお相手をしてくれたらいいの〜」
「ロザラインって?」
 ああもお!
 説明するのも面倒くさいと、アスカはパチンと指を鳴らした。
 すかさずオルベール・ルシフェリア(おるべーる・るしふぇりあ)が右腕を、アスカが左腕をとる。
「いいから、タケぽんはベル紛するロザラインと適当にお話しして、ダンスしたりもして、ロミオが近づけないようにしてくれたらいいんです〜」
「えっ? えっ?
 で、でも俺、女の子と何話したらいいかなんて、全然分かんねーよ!?」
「まぁかわいい。あとでベルと一緒にいろいろいけないことしましょーねぇ」
 わけが分からないまま後ろ向きに引きずられていくタケシ。
 それを見送るリーレンは、鬼の形相になっていた。
「……あれって、あたしが女じゃないって言ってるのかしら。ねぇ、ルーツさん…」
 もちろんリーレンにとってもタケシは男の部類に入っていないのだが、それは都合よく棚上げだ。
 ぶちぶち手元の扇の羽を引き抜き始めたリーレンに、ルーツがさっと手を差し伸べた。
「お手をどうぞ、姫君」
「え? あたし?」
「そうだ。我とともにパリスやロザラインの友人としてロミオをけん制する壁となるのだ。そしてその間に鴉がロミオをジュリエットに引き合わせる手筈になっている。
 鴉?」
 名を呼ばれて、はっと我に返った鴉が2人に向き直った。しかし、そうしながらも肩越しにちらちらアスカが消えた付近に視線を飛ばしている。
「鴉」
「……ちッ。わぁーってるよ。ロミオをジュリエットまで誘導すればいいんだろ」
 胸が開きすぎだろ、とか、なんなんだあのうなじは、とか。
 ぶつぶつ独り言をつぶやきながらも鴉はロミオたちの元へ向かって行く。
「では我らも行こう」
「はい」
 リーレンの手を腕にかけ、ルーツもまた宴会場へと歩き出した。



 真面目に知識の修復に取り組んでいる者もいれば、そうでない者もいるわけで。
「すげー、これ全部食っていいのっ!?」
 ずらーっと宴会場卓に並んだ豪勢な食事――子豚の丸焼きとか、七面鳥の蒸し焼きとか、ライスプディングとか――を前に、月谷 要(つきたに・かなめ)は歓声を上げた。
 現代と比べれば多少色的に見劣りはするが、量は半端なく多い。ハーブで味付けされた独特の素朴さも、人工調味料に慣れた口には新鮮だった。
「ああ、サイコー。もうずっとこの場面でもいいよねぇ」
 山と盛った皿を抱え込み、うっとりと至高の味を満喫している要の横で、月谷 柚子姫(つきたに・ゆずき)は頬杖をつきつつ皿の料理をつっついていた。
「私、部屋でゲームやってたはずなのに、なに? この状況…。なんでこんな騒がしいとこにいなきゃなんないの?」
 寝起きでよく分からないまま、要に押されるままになってここに来たけど……そもそもここって一体? 知識の修復ってナニソレ? 早く帰ってモン○ンやりたいのに…。
 ロウソクしかなくて薄暗いし、みんなゴテゴテ着飾ってるし。
 どこの仮装パーティよ? これは。
「なぁ、柚子姫。それもう食わないのか? もらっていー?」
「どうぞどうぞ」
 要を見もせず、皿ごと差し出す。
「おつー」
 さっそくフォークをつき立てようとした要だったが。
「ひとのお皿に手を出すなんて、いくらなんでもいやしすぎよ、要」
 霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)が脇からまったをかけた。
「ほら。そう言うんじゃないかと思って切り分けてもらってきたから、これを食べるといいわ」
 2人の間から身を乗り出して、持っていた皿を卓上に置く。
 そのとき、柚子姫が立ち上がった。
「きゃっ…」
 肩が悠美香の背中に当たる。
「あっごめ…」
「うわ」
 どんっと押された衝撃に、悠美香はバランスを崩して要を巻き込み、床に倒れてしまった。
「いたた…」
 額をごちんとぶつけ合って、その痛みに悠美香がうめく。硬い石床を両手で押しやって、なんとか体を持ち上げた。
「要、大丈夫? 後頭部打ったんじゃない?」
 要はといえば――――――唇に触れた、温かくて柔らかな感触に、身動きもできず硬直していたのだった。
(今の……今のって……あれ、悠美香の…?)
 マジ? と思う。
 いやでもほんとに? とも思った。
 悠美香は普通に起き上がって、しきりに謝る柚子姫に「大丈夫」と笑って見せている。
 全然フツーだ。
 もしかすると、頬だったのかもしれない。(いや、それでも十分ヤバいけどっ!)
 そう思って、要が身を起こした直後。
「あ、そうだ」
 と悠美香がハンカチを差し出してきた。
「要、口元にクリームがついてるみたいよ。ちゃんと拭いた方がいいわ」
 ぺろりと唇を舐めるしぐさに、ドカンとくる。
「……え? ……あの……あ…」
 二の句が告げないでいる要にハンカチを握らせ、悠美香は何事もなかったように椅子を起こしてさっさと自分の席に戻ってしまった。
(こいつ……なんで……さっき……………………キス、したよな…?)
 あれ、キス、だったよな…?
 文字にした瞬間、カーーッと頭に血がのぼった。沸騰して、湯気が出てるんじゃないかと思うくらい。
 隣をちらと伺うが、悠美香は平然と何もなかったように食事を続けている。
 まさか「さっきオレたちキスしたよな?」と訊くわけにもいかず、皿の肉を切り刻んでいると。
「気にしてるの? 要。あれは事故よ」
 さらりと悠美香は言った。
「じ、事故?」
「そうよ。事故はカウントされないの。常識よ」
 すらすらと、いつも通りの悠美香に言われて、要は数瞬とまどったのち「そ、そうだよな…」とハンカチで口元を拭いた。

 悠美香のフォークとナイフを持つ手がかすかに震えていることや、要の方を決して見ようとしないことは、ナイショだ。
(面白いから絶対教えてあげない。ゲーム邪魔された仕返しもこめてね)
 柚子姫はぱくっとケーキを口に放り込んだ。



 一方、宴会場の別の一角では。
 霧島 玖朔(きりしま・くざく)が、この会場で一番裕福そうな美形の貴族――奇しくもそれはタケシ扮するパリスだった。美形でなくてもよければ大公がいたのだが――に扮して、美女を物色していた。
 もちろん、目当てはここで一番の美女だ。
 話の中ではそれはジュリエットとなっているが、13歳のペラいお子ちゃまに用はない。
 彼の好みはもっとはっきりとした体の持ち主、BQBの砂時計体系、グラマラス美女だ。例えば目の前にいる、あのとびきり上等の赤毛のような。
 高く結い上げた金の髪留めから滝のようにこぼれる炎色の髪と、対照的な白いうなじ。
 ヒュウと口笛を吹いて、玖朔はそちらへ歩み寄った。

「シリウス……ここが上流階級のパーティ会場、なのですの?」
 リーブラ・オルタナティヴ(りーぶら・おるたなてぃぶ)はとまどい気味に辺りを見回した。
 キャンドルだけの室内は薄暗く、壁際にいくとほとんど暗闇だ。窓はすべて開け放たれ、庭も開けて開放的なのだが、油っぽい料理のにおいが鼻につく。そこに、足の踏み場もないくらい人がいて、それぞれがふりかけた香水が混ざり合い、一種異様な甘たるい臭気を放っていた。
「においに酔ったのか?」
 心配気にシリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)が両肩を抱く。
「いえ、まだそこまでは…。ただ、わたくし、こういうところは初めてで……ティセラお姉さまなら、詳しいのでしょうけれど」
「そうか」
 ふむ、と周囲を見渡した。
「とりあえず、庭に出てみるか? 少し風にあたれば気分も良くなるかもしれない」
 あまり暗がりへ行くとやばいかもしれないが、光の当たる辺りまでならいいだろう。
 そう思い、歩き出そうとした途端、ドレスの裾を踏んづけてつんのめりかける。
「ええい…! 動きづれぇ服だよな、いつ着ても! こういうののどこがいいんだかッ」
 これなら男装した方がよほどマシだったか、とつぶやいたときだった。
「これほどの美を隠そうとはもったいない」
 すぐ耳元で、そんなささやきがした。
 吐息が触れた耳を覆い、パッと振り返る。
 さらさらの黒髪、金茶の瞳。着ているのは金糸の縫い取りの入った白の礼服。いかにも育ちのよさそうなおぼっちゃまがいた。
 ただ、シリウスを見る妙にぎらつく視線だけが、この男はただ者ではないと思わせる。
「だって、そう思わないか? この服は窮屈だ」
 彼女が警戒しているのを見て、男はおどけたように手を広げた。
 シリウスはまだうさんくさげだ。
「オレはシリウス。こっちはリーブラ。
 で、おまえは何者で、オレたちに何の用だ?」
「俺か。俺は玖朔。おまえを奪う者だ」
 片目を閉じて、持ち上げた手の甲にキスをする。
 舌が這い、指に降り、いたずらのように指先をくわえて離れた。
 本当は、壁際の暗がりまでそれとなく連れ込んで、壁に背をつけ、腕の中から逃げ出せないようにしたあといろいろいろいろとやるつもりだったのだが。
 まさか、パートナーが一緒だったとは。
 2人を壁際に追いやるのはさすがにムリだ。
 だが同時に2人が相手でも、アバンチュールはできないことはない。ようはその気にさせられるかどうかだ。
 そして玖朔にはできるという、妙な自信があった。
 なにしろ、夢の世界だし。
 相手が1人だろうが2人だろうが、たいして変わらないだろう。うん。
 そう結論づけたあと。まずは当初の獲物であるシリウス狙いで、彼女を見つめながら低くつぶやいた。
「今から俺はおまえに触れる。その肌のあらゆる場所におまえは俺を感じ、俺のにおいで吐息を満たし、俺を受け入れ、俺で満ちるんだ。やがておまえはどこまで自分でどこから俺か、分からなくなる。その赤い唇は声もなく震え、熱く朦朧とした意識で叫ぶのは、俺の名となる。
 なぜなら、俺はそれ以下では我慢できないからだ」
 決まった、と思った。
 無言でじっと見つめてくる彼女に、確信した。
 駄目押ししようと喉元にキスしようとしたとき。
「よし、分かった」
 シリウスはそう言って、玖朔の手を強く握った。
「おまえはオレと寝たいんだな」
「あ、ああ……まぁ、ありていに言えば…」
 あれ? なんか反応が違わないか?
 普通、こういうとき女性ってものは――
「一応こういうことは誤解がないようにはっきりさせておかないとな。
 だがそういうことなら、こちらにも条件がある。オレと勝負して、勝ってからにしやがれ。ヘタレはお断りでな!」
 庭に出ろ。1対1で真剣勝負だ!
「……えっ?」
 なんでこうなる???
 想定外の展開についていけないでいるうちに、玖朔はガッチリ腕をとられてしまった。そのまま、ずんずん庭の方へ引っ張られていく。
「あ、あの……シリウス…?」
「リーブラ、審判を頼む。ひさしぶりのタイマン勝負だ。腕が鳴るぜ」
 ニカッと笑う。
 彼女は、どこまでも男前だった。