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第2章 聖女と巡礼者

「ぼくはロザラインに会いに来たんだ。いいかげんしつこいぞ、おまえ」
 ロミオ・モンタギューは、うさんくさげに鴉扮するベンを見た。
「大体、あれほどの美しい女性がそうそういるものか。ヴェローナ中、いやたとえ国中を捜したっているはずがない。万物照覧の太陽神すらあのひとほど美しい女性を見たことがあるものか」
 魅入られたような目をして言う16歳の若造の大げさっぷりに内心げんなりしながらも、鴉は笑顔で努めてこう言った。
「女はロザラインだけじゃねえんだ。おまえの想いを一蹴する女より別の女を見てみろよ。きっと運命と思える女神に出会えるかもしれねえぞ?
 それに、聞いた話だがロザラインは黒髪が好みらしいぞ。お前茶髪だろ? 厳しいと思うがな…」
「なんだって?」
 それは由々しき問題と、ロミオが鴉に向き直る。
 すかさず鴉はさっと身をずらし、フロアがロミオの視界に入るようにした。
 そこではベル扮するロザラインが、タケシ扮するパリスとダンスを踊っていた。
 鴉の合図でロミオが自分たちの方を向いたのを知ると、効果的にターンで隠しつつ、唇にキスするフリをしてタケシの頬にキスをした。
 これでタケシが頬のひとつも赤く染めればなおよかったのに、いまいち意味がピンときてないようで「なんだ? いきなり」と問い質す始末。ベルはすれ違いざま、思い切り靴先を踏みつけた。
「我慢! そして笑顔!」
 のひと言で、タケシは顔が赤いまま、にへらと笑った。
 どう見てもただの我慢笑いなのだが、遠目のロミオにはそれが照れ笑いに映ったようだ。
 パリスにべったりとしなだれかかったロザラインを見て真っ青になったロミオをくるっと回し、今度は階段の方を向かせる。
 2階フロアにつながる階段の踊り場で、アスカが黒髪の少女と談笑していた。
「あそこだ。2人いるが、間違えるなよ? 青いドレスの女じゃないからな」
 あいつは絶対違うから。
 一応念押ししておく。
 だがロミオは何も答えなかった。真顔で、無言で、まっすぐ階段へと歩いていく。
「あ、おい…」
 呼び止めようとしたものの、気を変えて、鴉はこのまま行かせることにした。
 鴉が見守る中、やがてロミオは階段の下へとたどり着き、降りてくるジュリエットとアスカを見上げる。
 アスカは二言三言、2人を引き合わせるように話しかけたあと、そっと2人から離れた。
「鴉、お待たせ〜」
 人混みを縫うようにしてアスカが返ってくる。
 周囲の人がぶつからないようアスカを庇おうとして、鴉は自然と、腕の中に囲い込んだ。
「あれでいいのか?」
「2人は出会ったし。いいんじゃないかしらぁ?」
「そうか。じゃあ、お役ごめんだな?」
「そうねぇ〜」
 アスカは考え込むそぶりをして鴉をじらしたが、それも長くは続かず、すぐにくすくす笑い出した。
「終わったと思うわぁ」
「よし」
 満足気に頷く鴉を、アスカがダンスフロアへと引っ張っていく。

 小さくカチカチと、何かがどこかに書き込まれていくタイプライターのキー音のような振動がしているのを、全員が心のどこかで感じとっていた。



「どうですか? アヤ」
 両手を水平に上げ、クリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)は小刻みに回転した。
 腰のところでふんわり広がった薄桃色のドレスと、花飾りのついた髪飾り。
 そうやって回っている姿はオルゴールドールのようだと神和 綺人(かんなぎ・あやと)は思った。
「うん。かわいいよ。すごく似合ってる」
「ふふっ。アヤもとっても似合ってます」
「え? そうかな」
 緑の上着や袖やズボンといった、部分的なものは見えるけど、鏡がないのでトータル的なものはよく分からない。けど、クリスがいいと言うのだから、いいのだろう。
「はい。祝事の際は、アヤはいつも和装だったでしょう? 洋装も、すごく似合ってます」
 ちょっとデザインがクラシカルなのもしっくりしてて……ああそしてなんといっても、長髪の男性が普通のこの時代、うなじのところでリボンでひとくくりにしているアヤが見えるなんて…………スウィップ・スウェップ、グッジョブ!!
 クリスは心の中で感動の涙を流していた。
「さあ、アヤ。踊りましょう」
 手をとり、ぐいぐい輪の中へ引っ張って行こうとしたのだが。
 肝心の綺人が、非協力的だった。
「……やっぱり、こういうのってまずいんじゃないかな」
「アヤ?」
「スウィップさん、困ったから僕たちに修復をお願いしたんだよ。なのに僕たちだけ楽しむなんて…」
 もお。アヤは固すぎです!(でもそういうところがいいんだけど!)
「でもこんな経験、二度とあるか分からないんですよ?」
「それは…」
「それに、去年の9月に約束しました。埋め合わせしてくれるって、タシガンのジェイダスさまの別荘で」
 あっ、と綺人もそのときのことを思い出した。
 そういえば、朦朧とした意識で、そんな約束をした気もする。
「あのとき、一緒に踊りたかったのに踊れなかったんですよね。だから――」
 踊りましょう、と言いたかったのだが。
 クリスは、綺人の表情を見て、ぐっと言葉を飲み込んだ。
 多分、このまま押したら綺人はクリスの言うことをきいてくれる。「そうだね」と言って、一緒に踊って、笑ってくれると思う。
 でもそうする心のどこかで、申し訳ないという後ろめたい気持ちをちょっぴり抱えてしまうのだ。
(私といるとき、アヤには心から笑ってもらわないといやです!)
 それに…………踊りたいことは踊りたいけど、あそこはちょっと第1目的を叶えるには、人目がありすぎる。きっと、あそこでお願いしても、してくれない。
「分かりました」
 いかにも不承不承に見えるように、クリスはそっとため息をついた。
「アヤと2人でダンスができると思って、少しはしゃぎすぎました。ごめんなさい」
「クリス、そんなこと――」
 と、肩に乗った手をぐっと引いて。
 クリスはささっと回廊の柱の影に綺人を引っ張りこんだ。
「私たち、リストレイターなんですよねっ。この『ロミオとジュリエット』を修復しなくちゃいけません」
「う、うん…?」
 彼女が何を言いたいのか綺人が知る前に、クリスは一歩後ろに下がり、月光の中、黒髪の少女に変わった。
「クリス…?」
「――巡礼さま、どうか祈りのくちづけをわが手にください。その御手は聖者に触れし尊きもの。その唇は神の御言葉に清められし唇。どうか巡礼さま、清きその御身にて、私に祝福をお与えください」
 クリスと黒髪の少女が二重写しになって見える。
 その不思議さに一歩前に出た綺人は、いつの間にか自分もまた、別の服装に変わっていることに気がついた。
 いや、変わったわけではない。よくよく見ると、やはり二重写しのように重なっているのだ。
 視線の高さが少し下がる。
 月光の下の彼女は、とてもこの世の者とは思えないほど儚くきれいで――口から、言葉がすべり出た。
「願わくば許したまえ、私の聖女。これが私の唇の祈りです」
 差し出された手は無視し、そっと抱き寄せ、唇を触れ合わせる。
「……聖女よ。あなたにより、私の罪は清められました」
「まぁそんな。私に罪をお移しになられた…?」
「それは……いいえ、私の罪をあなたが背負ってはいけない。どうかその罪を私にお返しください」
 近づく唇、交じり合う2人の吐息。
 ジュリエットの――クリスの手が、月を掻き抱くようにロミオの――綺人の背を抱く。
 深く、深く、深く――。
 髪ひとすじ入りこめないほど強く互いを押し付け合い、密着させて、2人は離れがたくひとつの影となっていた。


 ――――――カチカチ、カチカチ、カチ。