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【薔薇の学舎・2】


 ヒビが入った破名の肋骨もどうにか回復し、学舎内を軽く回った一行は、天音の提案で美術室に移動していた。
 先ほどスレヴィが美を語っていたこともあり、なんとなく此処を案内されるのが必然なような気もしてくる。
「芸術活動も薔薇の学舎で重んじられているものの一つだからねぇ。時間的にデッサンくらいになってしまうけど」
「ううん。整備とか色々体験させてもらってたの。ここでは絵を描くのね!」
 配られた道具を胸に抱えて、ナオやミリツァに絵は得意とかとシェリーは聞いて回る。
「得意かと聞かれればそれ程でも無いのだけれど、一通りは勉強したわ」
 答えるミリツァにシェリーは更に質問を重ねているようだ。そんな彼女等を横目に、天音は折角だし、と思う。
「折角だし三人とも、モデルやらない?」
「モデル?」
 聞かれて、頷く。
「まさかモデルもわからないとか言わないよね? ね、皆は描いてみたいよね?」
 用紙を掲げる見学者の面々に天音は同意を求めた。
 何時も見ているパートナーをモデルにという提案に小首を傾げているナオだったが、彼は今日やる気満々だ。
「頑張ってね、かつみ」
 暫く静止しなくてはと覚悟を決めているかつみにそう言って、ミリツァはアレクを見た。彼女の兄は軍隊で必要とされるあの固まった姿勢は得意な癖、写真を撮られる数十秒ですらじっとしていられないのだ。絵のモデルなど耐えられる訳が無い。
「お兄ちゃんには無理ね」
 妹が呆れ声で言う間、アレクは教室の床に指先で何かを描いている。指がするすると滑る後から氷の文字が出来上がる。ミリツァにはあれが何なのか分からない。以前あれに似たものを魔法関係の専門知識なのだと言っていたから、イルミンスール魔法学校に戻れば或は分かる人物が居るのだろうかそれを書き上げると、トンッと人差し指で地面叩いて発動させた。出来上がったのは、長四角の氷だ。
「何なのこれは……」
 一応聞いてやった。
「『美』だ」
 アレクの視線は先程ミリツァ達へ『美』の話をしたスレヴィの方をチラッチラッと見ている。兄は何かアピールをしているのかもしれない。ミリツァはちょっと消えたくなった。
 氷は一種のクリスタルアートのようになっていて、中に魚の雄を持ち鳥の羽根を広げた少女が居る。要するにそれは、アレクの『美』とは、彼が偏愛する妹なのだ。あんな手の込んだ術を施したのは、この氷の像を彼女のイメージ通り藍緑色に輝かせる為だけだろう。馬鹿である。
「さあミリツァ、描きなさい。
 ……どうした? あれか? 足がある方が良かったか? なんなら等身大で作り直してもいいな。それともHENTAI風(*ギャルゲー風)萌え萌えバージョンにするか? 他人の目があるから裸婦像は拙いが水着くらいなら赦されるかもしれないああどうしよう思い出してきた俺の美、俺の天使、俺の愛する妹ジゼル!」
 そこからスレヴィの方をやっぱりチラッチラ見ながら延々と実の妹へ氷のジゼル像のどこが拘りだとか語り出したアレクの声を聞こえない事にして、破名は天音へ向き直る。
「――天音はモデルはやらないのか?」
「え?」
「私描きたいわ!」
「え?」
 真顔の破名に問われ、輝く顔でシェリーに叫ばれ、天音は目を瞬(しばた)く。
「一緒にブルーズも描きたい! いいえ、ここにいる薔薇の学舎の人全員描きたいわ!
 折角あなたの学校へきたんだから、此処でしか会えない人たちを描きたいわ」
 ねぇ、いいでしょう、と無邪気に強請るシェリーに天音に困ったような笑顔を浮かべるのだった。



 さて、あとはどこに行こうか。
 美術室の扉を開けて動き出した団体に、ティモシーを連れた梓乃が気づく。慌てて言い繕っていた団体の正体が学校の見学者と知れて、小さく「あ」と声を漏らした。
「――その、喫茶室にはもう行きました?」
 先程の醜態の名誉挽回とかではなくて、自分が通っている学校の良い所を知ってもらいたいと声を掛けた。まぁ、まだ少し恥ずかしいが。
「ん? シノが案内するなら、ボクもついて行こうかな」
 いきなりの梓乃の提案にティモシーは異を唱えず、ただ小さなあくびをして、彼のあとについて行く。
「ジェイダスがタシガンに持ち込んだ物の中でも、コーヒーを飲む習慣はわりとお気に入りだからね」
「ターキッシュ・コーヒー(*トルココーヒー)?」
 と、アレクが聞き返すとミリツァもそれに続く。
ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)理事長はアラブの方だそうね。
 私の国でもコーヒーは好まれているわ。国の名前もついていてよ」
「それもターキッシュ・コーヒーの事だ。グリーク・コーヒーだのマケドニア・コーヒーだのも全部名前が違うだけで中身は同じ」
「まあ、そうだったの」
 白い肌に赤みをさしたミリツァが、ティモシーを見て微笑むと、シェリーがひょこっと顔を出した。
 普通のコーヒーとは何か違うの?と聞く彼女にティモシーらが説明している間に、一行は喫茶室へ辿り着いていた。
 

 喫茶室『彩々(とりどり)』で、気を許すと悪乗りしてしまうクリストファーが何時、
 いつぞやの新入生にあてた施設紹介時の「第二音楽室ではベッドの上で良い声で歌うんだよ」等の困った話題を出さないかとクリスティーが気を揉む中、短いながらも多くの質問と回答に存外和気藹々とした充実した時間を過ごすこととなった。
「これはお土産だよ」
 とクリストファーが最後に『ジェイダス人形(大)』なるおみやげを用意してくたが、その大きさにミリツァはナオを、ナオはシェリーを見て、シェリーは困った様子で「車に乗らないみたい。用意してくれたのにごめんなさい」と断りを入れ、謝った。
「これ系譜に置こうぜ!」
 と、アレクが提案した時には破名も慌てたが――。

 車に乗り込んだ破名は染みこむように白衣に残る薔薇の移り香に気づき、
「なんというか、濃かったな」
 と、圧倒されていた自分に苦笑した。残る見学先はあと一校だ。
「最後は蒼空学園ね」
 シェリーが言うと同時に、車はまた走り出した。